抱かせろ
「おはようございます」
呂布の頭上から澄んだ声が響いた。
呂布は目覚めかけていた意識を起こし、草原から背中を離す。朝露に濡れた頬を、さらりと水滴がなぞった。
肩を返し、声の主に呂布は目を向ける。ウィッシュトティアの顔色は良くはなかったが、止血したためか以前ほど体調は苦としていないようだ。茶色い外套を両肩のみにかけ、腕を留め具がわりにし冷風を防いでいる。
少女の背後で、白み始めた空が、徐々に顔を出してきていた。
「早いな」
「私、早起きなんです」
「貴様も重傷だったのだ。休めるだけ休め」
「目が冴えてしまって。それに私、こう見えても血の気が多い方なんですよ」
「血の気はわからんが、根性があるのは認めよう」
「はい、ありがとうございます」
目のみで会釈しながら、ウィッシュトティアは呂布の隣に腰を下ろした。身長差ゆえか、呂布が背筋を曲げねば顔色を伺うこともできない。
突然、金髪が大きく揺れ、水色の瞳がまっすぐに呂布の目に飛び込んできた。
次いで、膝につくほどに大きく頭をたれた。お礼の言葉が漏れる。
「昨日は、信じてくださいましてありがとうございました」
「何をだ?」
呂布にとっては予想外のお礼だった。昨晩の英雄を決めるならば、間違いなく眼前の少女がそれだろう。
「私の行った治癒魔法のことです」
「それこそ礼を言うのはこちらのほうだろう。助けてもらった、感謝する」
「いえ、お礼なら、レノンさんとガノンさんにたくさんいただきましたので」
「たしかに額が赤くなるまで床にぶつけていたな」
「神様みたいだと言われました」
「俺は神なんぞ信じとらんが、魔法・・・・・・というのは、すごいな。ああも奇跡が起こせるのか」
顔を赤らめる少女と対照的に、呂布は昨晩のことを思い返し、感服していた。
事実、キノンの傷はもはや傷跡も残さずに治りきっている。まさしく、呂布にとっては奇跡そのものだった。
「私は教会の人間なのでああいうことが本職なんです。誰しもができるわけではないんです」
「俺では無理か?」
少しだけ逡巡し、呂布が尋ねる。おそるおそる、という声色で。
「おそらく、は。可能性はゼロじゃないかもしれませんが、難しいでしょうね」
「・・・・・・そうか。残念だ」
申し訳なさそうに頭を振るウィシュトティアに、呂布が目線を下ろす。
「誰か癒したい人がいるのですか?」
「・・・・・・いや、そういうわけではない。無理な願いを求めてしまったな、忘れてくれ」
「そうですか」
短く言葉を紡ぎ、それ以上ウィッシュトティアは尋ねなかった。
呂布としても気軽に口を開くつもりはなかったが、心遣いはありがたかった。
キノンが生死をさまよっていたとき、自分が無力だと痛感したあの時、呂布は昔のことを思い出していた。
かつての妻、貂蝉の死だ。
いつかの時代。冷たい雨に打たれながら生気を失っていく妻を抱いたとき、呂布は初めて死が怖いと思った。
死とは、他人にもたらすものだと思っていた。
しかし、その結果、あるべきものがなくなっていくということは、当たり前が当たり前でなくなるということで。自分の中の当たり前にあるべき部分を失うことなのだということ、呂布は文字通り魂の底から痛感した。
それは呂布の心に深く、深く傷跡を残した。誰か、近しいものを作ることを、知らず知らずのうちに妨げていた。
そうして、寂しいままに戦に負け、呂布は死んだ。
だからこそ、呂布は奇跡のような魔法を見たとき、自分の欠損が埋まる気がした。直感だった。人が死なずに済む術があるのならば、多くの人を不幸にした自分にも、人と関わることができるのではないのかと、夢想したのだ。
うまくいかぬものだ、と呂布は嘆息する。
ウィッシュトティアは、自身よりも屈強なはずの男の弱音に―――別の覚悟を決めた。
彼女にも、彼女の理由はある。
「すいません、話は変えますが。本題を」
対峙する、と言えるほどに呂布を見据える。
せめても、とウィッシュトティアは呂布が失意から立ち直るまで、言葉を止めた。
息を整え、宣告する。先程までの可憐さはなく、一瞬だけ戸惑い、そして。
「あなたは―――この世界の方ではないですね?」
宣告。
呂布が目を見開く。
動揺を隠し、仏頂面で応えた。
「なぜそう思う」
「私がトッテムの教会の者だと告げたとき、たじろいだりすることも敬うことも、憎悪の気持ちを出すことも、いずれも欠片もありませんでした。まるで知らないことのように」
「隠していただけとは思わぬか」
「私が若輩なのは自覚していますが、教会の副長を努めている自負もあります。こう見えて、人の感情の機微には敏感なものですから。隠している気配もないのは、さすがにおかしいと思いました」
「なるほど、そういうものか」
「それに赤毛混じりとはいえ、黒髪というのは珍しいんです。その上、体つきや顔つきだってこちらの方とは全く違いますから」
確かに昨晩敵対し、朝方に森に捨ててきた兵士たちは皆呂布より小柄だった。
呂布自身、以前の世界で自分以上の身長の人物を見たことがなかったことが呂布の違和感をなくしていたのだ。
ひとしきり考えたあと、観念したように腕を組み、唸る。
「むぅ、ごまかせんか。やはり嘘や策略というやつは苦手だな。頭がついていかん」
「・・・・・・しかし、驚きました。私たちが召喚した方とは、まるで違う方のようでしたので」
「召喚? どういうことだ? 俺を狙ってこの世界に呼んだというのか」
「いえ、私たちは一個人を限定し召喚はできません。あくまで近しい条件の方を召喚するだけです。
私たちが召喚した条件は、正しく無双といえる傑物であること。そして、この国を救ってくれる方。この2点です。
と、いうより条件をあまり指定できないんですけどね。ただしこの方法では、過去の歴史書をみるに非常に人格性に問題がある人物が召喚されることが多いようで・・・・・」
呂布の全身を見回し、ウィッシュトティアが笑った。
「呂布さんが紳士で安心しました」
「安心しろ、俺は粗暴だ。何者も顧みなかったからこそ、負け、死んだ」
「でも今は違うと思います。貴方が本気でキノンさんを心配していました。優しい方なんですよ」
いつかの声が頭の中で反芻する。
『貴方様は、本当はお優しい人ですのに』
笑い顔が重なるのを、呂布は頭を振るい、払った。
「そういわれてもな・・・・・・いや、しかし―――だ」
「?」
小動物のように首をかしげる少女に、呂布は声を落とし、目を怒らせる。
人格性に問題、というのは、はたしてどちらのことなのかわかっているのか。
救国の英雄を呼ぶ目的で、英雄自身の人生を蔑ろにすることが、呂布には正しいとは思えなかった。
「いろいろ言いたいことはあるが・・・・・・召喚とやらの理不尽、貴様が女でなければ、この場でくびり殺していたぞ」
ウィッシュトティアの背筋が凍り、指の一本も動くことができなくなった。
死、というものをぶつけられたように、竦む。
「俺は負けた男だ。それは間違いない。しかし、人の死を、俺の戦の結果を汚したのだ。俺は、あそこで死ぬべきだった。なぜ俺を生かしたのだ」
この世界に来て、人に触れ、人を殺した。やることはどこの世界でも同じだった。それならば、呂布の最後は呂布自身が決めたかった。
曹操に敗れた、という結果は満足できるものではなかったとしても、受け入れるべき事柄だと呂布にはわかっていた。
今まで、自分が多くの者にその結果を押し付けてきたのだから。自分だけ逃げるのは、呂布の矜持が許さなかった。
呂布は目の前で萎縮し、言葉を探す少女の返答しだいで、本気で殺す気でいた。今更、人一人を殺すことに特に感慨もわかなかった。
生きている意味もなく、ただ利用されることは我慢できなかった。いっそのこと、人格性に異常のあった過去の英雄のように、破滅的衝動に身を任せてしまいたかった。
ウィッシュトティアは覚悟を決めたように、呂布を見つめ、凛とした声で応えた。
「あなたの人生を横取りするような形は申し訳ないと思っています。言い訳するようですが、あなたは確かに一度死んでいるのです」
「どういうことだ? 俺は生きているぞ」
「私たちの召喚術は、きまった人を決まった年代で呼び出すことはできません。星と地脈で英雄たる人物との相性とちょうどよく対応する世界線と時間軸を精査し、日々変わる魔力の流れから細部に至るまで授肉する理を仮定し、召喚術を敢行する神官たちの属性や方位を鑑み、召喚対象者が決定します。つまり、偶然の側面があまりにも強く、召喚術としては不完全なのです。なので」
聞きなれない単語を身振り手振りで説明する少女に、呂布が唸った。
「もっと簡単にいえ」
「えーと、ですね。私たちは、召喚の際、英雄を指定することがまず出来ません。個人を特定することはもちろん、召喚される方の肉体年齢もなにもかも、決まっていないのです。
そして条件を満たし、魔力の幅や属性ときちんと合致した限られた方のみが召喚できます。しかも、その際もその方が生きていれば召喚はできません。死を迎える瞬間と我々の指定する時間と世界が本当に、奇跡という確率で一致した場合のみ、膨大な魔力と引換えに召喚が可能なのです」
つまり、決して呂布を指定したわけではなく、たまたま呂布が魔法使いたちが指定した時間や世界に見合うところで、死を迎えた。そして、ちょうどよく死んだ呂布が、これまた都合よくこの世界に招かれた、ということだ。
愕然としながらも、呂布は顎を指で支え、言葉を促した。
「それが、今回は俺というわけか」
「はい、でも今回は、というよりは今回だけでしょう。我が国には、もう召喚術を行使できるものはいませんので」
「いないだと」
「はい、全員が死にました。召喚術で文字通り精根尽きはてて。私はあくまでフォローする立場でしたので、せいぜい寿命を切り取るぐらいで済みましたが」
なんでもないことのように、少女は言葉を紡ぐ。
悲哀を感じさせず、表情も曇らないまま。
「貴様もか。出会った時の傷がそれか」
「いえ、あれはセードルフの方々にうっかり見つかってしまっただけでして。幸い逃げ延びれましたが、狙撃されてしまったのです。それに、私は国が滅びれば死ぬべき運命の立場の人間です。これくらい、どうということはありませんよ」
寂しげに少女が笑う。さきほどと違い、憂いを帯びている笑顔だった。
「だけども、すみませんでした。確かにあなたの気持ちまでは考えていなかったです」
「もう良い。貴様らも、それ相応の対価を払ったのだろう」
一度死んでいる。という通告が呂布の気持ちを落ち着かせた。
自分はきちんと負けることができた、それは戦に生きた呂布にとって大きな意味を持っていた。
「でも、やはり優しい方で安心しました。そして、お願いがあります」
さて本題だと、再度呂布の目を見据えた少女に、
「断る」
呂布はにべもなく拒絶した。
少女は、慌てた風もなく、暗澹とした気持ちを胸の奥に飲み込んだ。
「まだ何も言ってませんよ?」
「願いの条件でわかるわ。俺はそんな大規模な戦をするつもりも義理もない。そもそも国を救うなどありえん。逆に破滅させる準備は得意だがな」
「あなたは、国を」
言葉を遮るように、呂布が話を続ける。
「滅ぼした、ようなものだな。主君を2度裏切り、漢という国を破滅させたようなものだ。君主としてもまともなことはなにひとつせず、武人として誉を抱けぬまま死んだ。」
―――願わくば、武人として死にたかったとは思う。
しかし、それが許されないことは呂布自身がわかっていた。悪鬼のように国を乱してきた自分が、理想的な死を迎えられるとは露ほどにも思っていなかった。
「それでも、貴方が貴方の国を破滅させたのは、貴方だけのせいですか? きっと違うでしょう。貴方はキノンさんを助けたじゃないですか。それだけは間違いない事実でしょう?」
「やめておけ、確かに・・・・・・ここは世界が違う。環境が違えば俺も変わるかもしれない、というのはわかる。かつての俺ならすぐ貴様の首に手が伸びているからな。
死という負けを経験したためか、今は不思議と気持ちがあまりざわつかなくなっている。しかし、事実は事実だ。俺が俺である以上、王に対して抱く反骨の心根からは逃れられん」
いつかまたきっと、主君を殺す。
その予言じみた確信が、呂布の中にはあった。
そんな自分を、受け入れることも嫌うこともできないでいた。
「―――わかりました。では、別のお願いを。どうか・・・・・・会って欲しい方がいるのです」
「無駄だと言っている」
「無駄でも構いません。私はあがきます。あがかせてください。貴方に私たちの理想を押し付けるべきではないのはわかっています。だからこそ、あなたというひとりの人間として、接してほしい人がいます。」
「誰だ、そいつは。―――まぁ、おおかた予想はついているがな」
「はい。お察しの通りだとは思いますが、素直にお伝えしましょう。お会いいただきたいのはこの国の最高位に当たる方、ユミルリ女王様です」
「はッ」
思わず声が漏れる。仕切り直していても、眼前の少女は呂布を交渉することを諦めてなどいなかったのだ。
呂布にとって董卓の下での権力を使った内応の誘いなど日常茶飯事だった。呂布自身が頭が弱いと思われていたからか、毎日のように離反や反逆の誘いがあり、呂布はそれをときには無視し、力も使いながらねじ伏せていた。
そんな過去の誘いに比べると、少女の勧誘は真っ直ぐだった。主君に会って欲しい、という誘い自体が、呂布には妙にこそばゆく感じられた。
「あの方は、本当に良い方です。下々のことまで気を遣い、労わり、慈しんでいます。世間では国を乱れさせた遠因と言われていますが、それは貴族たちの独善性が原因なだけです。決して、女王様が原因ではありません。女王様は自分なりに誠意ある行動を見せています。ただ、若さゆえか貴方のような軍を統率できる人材を持たないのです」
矢継ぎ早に説得が始まる。少女は先程までの感情の仮面を外したように、必死に呂布に訴えた。
「貴方がいらっしゃられれば百人力ですし、私としては本懐です。立場を忘れて発言すれば、彼女は親友です。私にとってかけがえのない人なんです。だから、どうかお願いします。まず一度でいいのです。お会い頂けないでしょうか」
膝をつき、少女が頭を垂れる。
恥も外聞も捨てた行いに、呂布の悪戯心がざわついた。
金髪を見据えたまま、呂布が声色を変えずに答える。
「よかろう、条件がある」
「条件、ですか?」
訝しげに顔を上げる少女に、呂布が通告する。
この程度のこと何とかしてみせろ、という声色で。
「抱かせろ」
少女の顔が固まる。
その後も理解できないようで、幾つか逡巡したあと、口の中でつまずきながらも言葉を返した。
「・・・・・・な、なにを」
「決まっている、貴様だ。思えば女など久しく抱いていない。カヒでは籠城戦でそれ
どころではなかったからな」
貂蝉の死後、呂布は戦の際は女人を断つ願掛けをしていた。
長い籠城のうち、呂布は一度も女性の柔肌に触れていなかった。
呂布はあえて舐めるように、ウィッシュトティアの体を見つめる。
「え、いや。でも」
「嫌なら構わん。これが最大の譲歩だ。女を抱くのにこうして返事を待つのも、俺らしくないと思うくらいだ」
憮然としたまま、呂布が追い込みをかける。
少女は頬を染めながら目を白黒させている。
なかなかに楽しい光景だった。
「なんということを、おっしゃるんですか。・・・・・・あなたの国の文化って、どういうものなんですか?」
「俺は将軍だったからな。大して興味はなかったが、女は腐る程割り当てられた。董卓の指図通り抱くことはなかったが、そういう意味では不自由したことはない」
なんでもないことのように呂布が告げる。
呂布の言葉に少女は明らかに背を引いた。
当然だ。どれほど高潔な精神を宿していようと少女然とした風貌の女性が聴いて、すんなりと頷く話ではない。
国のために花を散らせ、というには、眼前の女性には酷な要求である。
だからこそ、告げたのだ。
「どうした。断るなら、俺はいかんぞ」
さらに呂布が責めるように言葉をかけると
「・・・・・・嫌です」
無言の間の後、少女が明確に拒絶した。
あっさりとした返答に呂布は確認の意味で言葉を返す。
「なに? いいんだな」
「はい、嫌と申し上げました。・・・・・・と、いうよりちょっと失望しました」
予想外に追加された言葉に、今度は呂布が目を白黒させる。
少女はさきほどと違い、赤い頬をふくらませている。
愛嬌のある顔ではあったが、怒りの表情そのものだった。
「失望だと?」
「先程までのあなたがそれとなく誘導してくれればわかりませんでしたが、今は明確にお断りします。それに英雄色を好むと言いますけどもっ!」
「こっちにもあるのか、その言葉」
「とってつけたような理由ときっかけで初めてを捧げるほど、私は安くないと自負していますっ」
目端に涙を貯めながら少女が叫ぶ。本当にもう、と小さく呟いた。
「自負の多い女だな」
「なにか?」
「明らかに怒っているな」
「当たり前です! 英雄というか、救国者とは、そういった要求を気軽に、卑怯にも条件
を逆手にとってするほど、男が腐っていないはずです!」
「そういうものでもないが。曹操など手篭めにした女は数知れずいたときくが」
「そーいうことではありません! もっと気高く、誇り高く、分別を持つべきであると申し上げているのです!」
つまり、私にとっても呂布は英雄なのだから、英雄らしくしろと、少女は言外で告げていた。
真っ直ぐだ、と呂布は思った。この少女は、まっすぐに呂布を説得しようとし、また正直に失望と怒りを表している。
治療の際、根性の座った女だと思っていたが、これほど素直な女性だとは思わなかった。
きっと、本当に大切だからこそ、少女は女王のために呂布を探していたのだ。
可笑しい、とすら思う。
そう思うと、自然に笑いがこみ上げてきて。ついには止まらなくなった。
「はっはっはッ、そうか。そうか。これは申し訳なかったな」
ますます栗鼠のように頬を張る少女に、呂布は膝を叩いて大笑いする。
「何がおかしいのですか!?」
「これが笑わずにいられるか、先ほどまでの変わりようが。はっはは!」
「だって! だってだって、可笑しいでしょう!」
「ああ、可笑しい!」
「そういうことではなくて・・・・・・あーもう! ですから私が言いたいのはですねッ」
「夢見がちなお年頃ということだな」
「ち、違います! 英雄たるものもう少し度量というものを・・・・・・」
図星をつかれたように少女がたじろぎ、すぐに講釈を始めようとペラペラと口を開く。
その声を耳朶でききながら、呂布は、もう決心を決めていた。
心の檻が解かれ、少女の馬鹿正直なお願いに、応えてみようと思えた。
「わかった、わかった。小うるさい話は嫌いだ。行く、行ってやる」
「・・・・・・え、いいんですか」
「いいさ。どのみちキノンを救ってくれた恩もある。この国のため、などと高潔なことを言うつもりは毛頭ないが、友の恩は不義理では返せん。俺自身のことならとにかくな」
眼前の少女のようにまっすぐ生きられるとはいまさら思えないが、少しくらい素直に恩を返すべきだと思えた。
子供の頃、并州の草原で友と戯れていたような気軽さで。
「あ、ありがとうございます」
慌てて頭を下げ、体裁を取り繕う少女の姿に、呂布はまた一笑いしそうになる。
そして、ふときちんとした挨拶を交わしていないことに思い当たった。
呂布はその無骨な手を差し出し、少女に目を合わせる。
「よろしく頼む。この国のことはわからんが、まずは物見遊山で行こうと思っているので、役に立つかはそっちが勝手に判断しろ。俺は呂奉先という。呼ぶときは呂布と呼んでくれ」
「は、はい。呂布さん。私はウィッシュトティア。長いので『ティア』で結構です」
「うむ、ティアか。よろしく頼む。では、その親友とやらに会わせてくれ」
「はいっ!」
固く、両者の手が結ばれる。ティアは満面の笑みで呂布に笑いかけ、呂布もそれに口を歪ませた笑顔で答えた。
「しかし、アレだな」
「なんです?」
手が離れ、小屋に踵を返す。
呂布は童心を顔に出した。
「乳臭い外見とは思っていたが、生娘とは思わなかったな」
呂布の背中にティアの拳が連打される。
涙目のティアの抗議の声と、呂布の笑い声が高い空に響いていた。