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3匹の老人



 空が赤くなる頃、黒煙を上げる城の影を背に、呂布は丘を登った。


 丘の上をしばらく進むと、小屋が見えた。戸を叩くが反応がない。周囲を見ると、手入れされておらず、柵や壁が腐った馬小屋らしく建屋が隣接されている。飼葉はなく、どこか腐臭をにじませていた。


「馬はおらんか」


 呂布はあからさまに落胆してみせる。

 それは、小屋自体ではなく、馬がいないことが要因だった。


 呂布は、困ったとき、悩んだ時は、人よりも馬に聴く癖があった。かつての愛馬である赤兎の前だと、子供のような心持ちで触れ合えた気がしたし、并州でも、常に馬と一緒にいた。馬の前だと、素直になれる気がしたのだ。


 なんとか気持ちを入れなおし、気配を読むが、人はなく使い捨てられたのは見て取れた。

もしかしたら家主はまさに背後の城に駆り出されているのかもしれない。呂布は一応何度か戸を叩くと、押し入るように室内へと入った。


 部屋の中は薄暗く、扉を開けると埃が舞った。

 部屋の中央の机の上には、食器らしきものが置かれている。奇妙な調度品もいくつかあるが、隣の馬小屋とは対照的に生活感が感じられた。


「弓、槍か。農民の家というわけではなさそうだな」


 壁に立てかけられた狩猟用の道具は光沢を維持しており、夕日に照らされてぬめりと光った。


 部屋の奥を探ろうと、一歩足を踏み入れる。


「レノン! 誰かいる!」


 突然聞こえた声に呂布は慌てて振り向いた。

 夕日を背に小柄な男が影絵のようにそびえている。


「誰だ?」


 しがれた、老人の声だ。さきほどの老人を押しのけるようにして、入口を塞ぐ。呂布にむかって、弓矢を引き絞っている。


「すまんな。人が住んでいると思ってなかったのだ、許せ」


「俺たちのアジトに忍び込むなんて大した度胸だ、お前さん」

 弓を押す手に力が入ったのだろう。ギリリと弦が軋む音が聞こえた。


「こんな外れた場所にくるなんて、てめぇは逃亡兵か?」

 さきほどの老人ではない別の声だ。上段の構えのまま、弓の男の後ろで斧を持っている。


「ははははっ、面白いことを言う。逃亡兵か。そうさな、そうであるかもしれん」


 事実そうだろう、と呂布は自嘲した。逃亡する気があろうがなかろうが、状況は逃亡兵とそういないと思えた。

 呂布の笑い声だけが、場を支配した後、レノンと呼ばれた弓の男が告げる。


「すまねぇがお前にやるもんは何もねぇ。とっとと帰りな」


「おい、逃がす気かよ」


 斧の男が不服そうに声を上げた。


「ガノン、よく身なりを見ろ。鎧を着込んでいるが、ここらの品じゃないものだ。逃亡兵にしたって、セードルフ側だろうよ」


 呂布は自分の姿を見直した。ボロボロの具足が、夕日に照らされて赤くなっている。


「ハハハッ、おいおいレノン。冗談だろ? この勝ち戦で逃亡する奴がいるのかよ。とんでもねぇ戦ベタだな」


 ガノンと呼ばれた斧男が今度は豪快に笑い飛ばした。心底おかしいらしく、斧から片手を腹にそえている。


「なるほど、やはりあの城は落ちるのか。では、貴様らはこの国の者か」


「おかしなことをきくねぇ。この身なりをみりゃわかんだろ、将校さんだかしらんが、口が腐るんで俺らには話しかけないほうがいいぜ」


 おかしな物言いだと、呂布は言葉を返した。


「口が腐る、だと」


「おたくらの国には将校様が兵卒崩れを蔑む文化がないのかい? もしそうなら是非俺らも連れてって欲しいね。もっとも、こんなジジイ3人なんざにできる仕事なんかあるとは思えんが」


「貴様ら捕虜上がりか?」


「まさか。レノン、このおっさん相当世情に疎いご様子だぜ」


「もしかしたらもしかして。兵卒やら奴隷のない国なんじゃないか?」


 今まで黙っていた3人目の男が嬉しそうに跳ねた。


「目を輝かせるな、キノン。そんな希望をもっちゃいけねぇ。お前何年たっても夢見がちなとこは変わんねぇな」


 キノンと呼ばれた男をガノンが制する。よくみると、3人とも背格好が似ていた。


「レノン、といったな。貴様らは兄弟か?」


「ハハハ。答える義理はねぇ質問だ」


 レノンは警戒心を解かないまま、質問を流した。


「もしかして、本当に立派な国の、」


「うるせぇ、くだらねぇ妄想を垂れ流すな。いつまでたってもガキだな、キノンは」


「抑えろ、ガノン! お前さんは喧嘩っ早いのが弱点だといつも言ってるだろうが」


 呂布は弓を絞りながら、嗜めている男が統率役だと確信し、会話を続ける。まずは、身の潔白を証明せねばならないだろう。もちろん、このまま戦っても勝てるかもしれないが、不思議と今までと違い暴力に訴える気にはなれなかった。



「初めに言っておくが、俺はその。セードルフという軍のものではない。ましてや将校でもな。偶然にこの場所に来ただけの者だ」


「その身なりでか? たまたま? 戦場に? 花でも摘みに来たってくらい嘘くせぇ話だぜ」

「嘘くさいだけなら良いがな。どこまで嘘かわからん。なぁ、俺らを殺しに来たか?」


 探るようにレノンが問うと、呂布はきっぱりと断言した。


「違う。なぜ殺す必要がある。」


「そりゃ、俺らがこの国を嫌ってるからさ! ついでにいつも儲けさせてもらってる」


「ガノン!」


 弓をおろし、先頭にいたレノンがガノンに吠えた。

 ガノンはわざとらしく手で口をおおいながら、さらに後ろにいるキノンへ振り向く。


「いけねぇなぁ。うっかり知られちゃったよ。どうするよ? キノン」


「バレたら、殺される。いつも、言われてることだな」


 淡々と腰につけていたナイフを抜きつつ、キノンの両目が妖しく光る。


「ガノン、キノンを煽るな! キノンも落ち着け。ここで殺すとまた面倒な話になるぞ」


「面倒で言えば充分面倒だ、既にな。おい、おっさん。身ぐるみおいていくか、命を置いて

いくか、選びな」


 キノンのナイフを抑えるレノンをどかすように、ガノンが斧の鋒を呂布に向けた。

 敵意が場を支配する。それでも、呂布は拳を解いたままだった。


「俺は貴様らを殺す気はない。そういうのは、もう良い。散々してきたからな。だからこそ、話をしている。もし、殺す気なら」


 呂布は両目を閉じ、腰を下ろした。甲冑の重みで床板が悲鳴を上げた。


「そうだ。お前さんなら、俺らをすぐ殺せたはずだ。でもしなかった。だから、」


「ふざけんなレノン! そんなわけ・・・」


「長年遠ざかっていたせいで戦場の感覚まで鈍ったか。この男、はじめから隙なんてなかったじゃねぇか」


「武器も持たねぇ素手の男一人だぞ!? こっちは3人だ、獲物もある。俺らの本拠地だぜ?」


 納得できないガノンがレノンに詰め寄るが、レノンは息をひとつ吐き、ガノンをまっすぐ見据えた。


「まず第一にもしトッテム軍から来たなら、こいつは囮だ。油断させて殺すため、女か子供がやる役割だ。

 そうじゃないなら、初めに俺らが部屋に入った時点で、襲撃されて殺されてる。逆にもし、セードルフ側なら、単騎はおかしい。集団で周囲を張っているはずだ。

 それに偵察は将校はやらんしな。もし、この馬鹿でかい目立つ男を偵察にするような軍があるとしたら、トッテムはやられてねぇだろうよ。

 つまり鎧を着てはいるが、本当に無関係な野郎ってことか、そもそも今行った話を全部見据えて命をあえて散らしに来た馬鹿野郎って二択だ」


 幼子に言い聞かせるようにする様子は手馴れていたように見受けられた。いつも同じような説明をしているのかもしれない、と呂布は思った。


「ハハハハッ、面白い。じゃあ、どっちにしろバカヤローだっ」


「騒ぐなキノン! じゃあコイツ誰だよ?」


「それは俺も聞きたかったことだ。俺らを馬車襲撃犯として抑えに来たわけでもなさそうだ。お前さんは、何者だ?」


 三人の目から先程までの敵意が薄くなったのを肌で感じつつ、呂布が口を開く。


「うむ、呂奉先という。かつては将軍であったが、今はただの在野の男だ。少なくとも、両軍の関係者ではない。そして危害を加える気もな」


 かつて、という言葉に、呂布の心臓が少しざわついた。


「なんでここにいる?」


「馬だ。右手にあるのは馬小屋だろう。馬はいないのか?」


「かつてはいたがね。もうすべてトッテムに奪われちまったよ。牝馬も種馬もごっそりな」


「そうか、残念だ」


 心底、というように呂布が首をもたげた。

 その様子にレノンの口角が上がる。


「奪うものも差し上げるものもなくて残念だ。100日ほど遅かったな。」


「別に奪う気などなかった。ただ、馬と話してみたかっただけだ」


「馬と話す?」


 頓珍漢な、とレノンは言葉を促した。


「馬に触れ、感じてみたかった。馬たちは素直だ。世情も権力も、全て気にしない。だからこそ、全力で話してみたかった」


「わかる! すごいわかるぞ! この人は、いい人だよ。ガノン、レノン!馬好きに悪い人はいないんだ!」


 爆ぜるようにキノンが歯を見せ、笑う。自分と同じだ!と言葉を続けた。


「けっ、バカバカしい。馬は道具だよ。金の成る木、だった。それだけさ。」


「相変わらず面白いな、お前らは。馬好きでもガノンとキノンで正反対なタイプがいるもんだ」


 もはや弓を構える気すらないのだろう。レノンはガノンの左肩に手をのせ、笑ってみせる。ガノンはそれの手をうっとおしそうに振りほどいた。


「おい、別に俺は馬好きじゃねぇよ」


「何言う。毎回襲撃するたびに馬を怪我しないようにしているお前さんがよ」


「そうだぞ、ガノンは照れ屋なだけだ」


「うっせぇ。俺はとっとと仕事に戻るぜ。せめて兎くらい干させろ。キノン、おめぇも矢尻を洗わないと錆びるぞ」


 癇癪を起こしたようにガノンが呂布に背を向ける。耳がほんのりと夕日色に染まっていた。キノンはガノンを追うようにあとに続く。


「そうだった! 水と布! ガノン、ありがとう!」


 場に残ったのはレノンと呂布だけだった。レノンは呂布の近くまで進むと、腰を下ろし、弓を自分の横に置いた。


「リョホウセンさん・・・つったか。お前さん、本当に将軍じゃねぇのか? だったらなんでこんな辺鄙な場所にいるんだ」


「俺もわからん。なぜか草原で寝ていたのさ。この小屋に入ったのも、馬を見たかった以外に理由はない。人がいれば、周りの街のことでも聞こうとぐらいは思っていたが」


「残念だが周りに街らしい街はねぇよ。あったとしても、ほら。あの城だ」


 レノンが見やる先に、夕闇を背にした城が見える。もう日が沈むのだろう。太陽の光がちょうど城を覆い隠すように光っている。

 呂布は城を眺めながら、つぶやく。


「あの城は?」


「トッテムの西の軍事拠点、ウェポ城だよ。一月ほど前にセードルフが攻めてきてな。其の後からずっと篭城してる。まぁ、あの感じだともう持ちそうになさそうだな」


「貴様の故郷ではないのか? さきほどの口ぶりだとあそこの兵隊だったと思ったのだが」


「まぁな。だが色々事情があって参戦はやめた。今なら行ってもいいが、犬死はごめんだ」


「そうか」


 呂布は最後に責めるわけでもなく、そう呟いた。

 命をかける場所なら、自分で決めるべきだと思えたからだ。

 呂布は目線を城に向けたまま、何気なしに口を開く


「ひとつ聞いていいか」


「なんだ?」


「なんで俺を信頼した。自分で言うのもどうかと思うが、怪しい自覚はあるのだが」


 落城寸前の城の近くで、敗残兵じみた将校の身なりをした男が事情を知らないと吠えている。傍から見れば、怪しさしか残らないだろう、と呂布は告げた。

 再度尋ねると、レノンはしわくちゃの笑顔を見せる。


「なに、キノンとおんなじ理由さ」


「馬か」


「馬好きに悪い奴はいない。それはよーく知ってるからな」


 笑顔が虚空を見つめるように寂しげな表情へと変わり、力なく床へと目線を移した。呂布も自分の愛馬が奪われたときのことを想像し、胸が苦しくなった。


「で、お前さんはこれからどうする気だい? 目的でもあんのか」


「特になにも。旅、というわけではないが、今何が起きているのか、まるで知らんのでな。目的もない、というのは久しぶりだ」


 思えば。董卓を斬った後も、曹操を倒そうと躍起になったときも、目標だけはあった気がした。目標がなく生きているというのは、故郷以来であり、また悪くないと思えた。

 知らずのうちに微笑む呂布を見て、レノンも釣られて笑ってみせた。


「そうか。残念なことに馬はいないが、飯はある。空腹よりはマシって程度の代物だがね。それでよければもてなそう」


「いいのか?」


「どっちみち、この小屋の周囲は何もない。山と草原だらけだ。戦火が収まるまで、とは流石に行かんが急ぐ旅でなければ夜は避けたほうがいい。俺らは自分で言うのも何だが分別があるが、見境なしの一般市民崩れの盗賊が街道で燻ってるからな」


 レノンは笑顔のまま呂布に向けて弓を引いた。

 裏表のない所作に呂布は、


「わかった、好意に甘えよう。感謝する」


 また、笑みがこぼれた。


「どうした? こんな老人たちの行為は面白いってか?」


「違う、以前の俺ならこういった親切は突っぱねていたのだが・・・、おかしいかもしれんが、我欲をカヒに置き忘れてきてしまったらしい。」


 かつての呂布は、もっと力強く傲慢で粗野だったはずだ。間違っても、感謝など述べはしまい。

 呂布は自分の心のありようの変わりようを自覚した。それが可笑しく、心地よいこともまた可笑しかった。


「カヒ? どこだ。そこは?」


 聞きなれない地名にレノンは眉根を寄せた。

 まん丸とした鼻がかすかに揺れる。


「俺の死んだ場所だ」


 当たり前のように呂布が告げると、


「なんだいそりゃあ」


 レノンは口角を片方だけ釣り上げて、笑ってみせた。



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