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知っとったよ


 ふと、壁に頭を預けてみる。見上げると、雲が見えた。染み出した陽光が、東の空から手を伸ばすようにやってきている。ただ頭上にはいつの間にかできた厚い雲がゆったりと構えていて、光が伸びてくるのを邪魔するようにも見えた。

 呂布はどことなく重い瞼を開き、周囲を見渡す。呂布の目の前で、人影がひっきりなしに動いている。朝独特の静けさなど、どこかに追いやっていた。


「呂布殿、お目覚めですか」


「ハリルか」


 ハリルの顔が影にまぎれている。ただ声色は酷く枯れており、舌も回りきっていないようだった。

 目を細めると、そこには土色の肌をした男がいた。もうすぐ開始される脱出劇の下準備に奔走したのだろう。目の下が睡眠を求めてか、小刻みに震えている。


「もうすぐ女王様がこちらにいらっしゃいます。呂布殿もご準備を」


「なにをだ。あの娘が上手く喋れるようにか?」


「戦の準備ですよ」


 どことなく恨みがましい声色で、ハリルは呂布に言葉を返した。

 戦の用意を整えるのが事務方の役目ならば、実戦に力を尽くすのが武断派の責務である。

 ハリルも夜を徹して動き続けた自分たちを尻目に、呂布が酒を呑み、野放図に眠っていたとしても、それがただの我儘でないことはわかっている。しかし、普 段ならばとにかく、疲労が積もった今では、表情に出ないよう本心を隠し通す気力もないようだった。眉間の皺が今まで見たことがないほど、深く刻まれている。


「俺の準備など、精々あいつらに喝を入れるくらいだが……」


 呂布は、ハリルの後ろで馬を世話する男たちを見た。数時間前に選んだ、呂布と帯同する兵たちだ。真顔のまま、真剣な様子で馬具や蹄を確認している。緊張感が、周りに伝染するようだった。


「気の抜けた奴はいなさそうだしな」


「それは何よりですな」


 どことなく刺のある物言いに、呂布は思わず微笑んだ。


「そう怒るな」


「怒っておるように見えますか?」


「そうだな。昨日よりは」


「これでいかがです」


 ハリルは自分の頬をつねったり、伸ばしたりしてみせる。何度か瞬きしてみせると、呂布にもう一度顔を向けた。


「治りましたか」


「ふっ、余計なことを言ったな」


「いえいえ、不機嫌さなんて表情に出したくはないですからな。ご忠告感謝します。まぁ、他に現場を任せられる者がいたら、少しは楽になったとは思っていますがね」


 どうやら呂布の思っていたことと、違う原因で表情を歪めていたらしい。呂布は意外そうに、目を丸めた。


「そういえば貴様、事務屋だったな。よく戦場を切り盛りできるものだ」


「確かに事務が本職の補佐官ですな。女王様専用の秘書みたいなものですが。私としてもここまでするつもりはなかったのですが、ね。

 ……呂布殿、お気づきですか。昨夜から、将軍らしき人物を見かけていないでしょう?」


 ハリルの言に呂布は頭をひねる。確かに、この城に来てから部隊長らしき人物は何人も見かけたが、その上の将軍と思われる男を見かけた覚えがなかった。


「まさかまた女が将軍か」


「そうでしたら幾らか良かったですが、違いますな」


 ハリルは溜息混じりに呟いた。


「将軍は逃げたのです。ウェポ城兵を見捨ててね」


「逃げた、だと」


「はい。この城が囲まれてすぐですな。夜な夜な脱走したようで、部屋が蛻の空になってました。元々ウェポ子爵は軍隊に力を注いで無かったので、まともに現場を指揮できるのが、その将軍の男だけだったのです。おかげで、私まで指揮を一部任され、てんてこ舞いでした」


「そうか」


「同時に今回ほど、自分が無力だと感じたことはありませんな。私の無駄な采配で、悪戯に犠牲になった兵がいることも否めません」


 やつれた顔が強調され、幽霊のように見えた。苦し紛れに笑った口元が、自嘲気味に揺れている。呂布は、ハリルの肩に手を置いた。ハリルは、熱い感情のようなものを掌越えしに感じた。思わず顔を上げ、呂布を見つめる。


「貴様はやるべきことをやったのだ。そう自分を卑下するな」


「もちろん、わかってはいます。が、感情を納得させるのは難しいですな」


「貴様の指揮でなければ生きられなかった兵もいるはずだろう。それも事実だ」


 呂布の言葉に、ハリルは意外そうに瞬きをしてみせた。


「呂布殿から励まされるとは。今日は意外なことが起きそうですな」


「気にするな。気まぐれだ」


「いえいえ、助かりました。ありがとうございます。やはり、将軍たる人物は心の置き所というか……戦場でも自分を見失わないものですな。私のような事務専門のものとは、やはり違うようだ」


 ハリルが軽く頭を下げ、朗らかに笑ってみせる。

 呂布は、ハリルの言葉に心の底で引っ掛かりのようなものを覚えた。

 昨晩から度々思い起こされる、小さな思考の躓き。それが何であるのか、呂布にはよく理解できなかった。

 ただ感情の意味を探ろうと記憶を辿っていくと、カヒの戦まで巻き戻さなければならないことは、なんとなく察していた。直感ではあるが、間違いないだろうと。

 ただ、その原因が今一分からず、それがまた呂布の苛立ちへとつながっていった。


「呂布殿」


「なんだ」


「女王様がいらっしゃったようです。一応注目頂けますか」


 ハリルが急かすように呂布に言った。

 呂布は気の乗らない顔をしながらも、壁に寄りかかり、ゆっくりと開く扉を眺める。女王が館の中から姿を現した。

 昨晩の痩身な印象と違い、銀色のメイルと朱色の外套が威厳を放っている。白く染まった髪は後頭部でまとめられ、覆うもののなくなった相貌が強い意思を滲ませていた。

 隣には寄り添うようにティアが控えているのが見えた。呂布に気づき、ティアが軽く会釈する。

 気づくと、周囲の者全員が女王を見守っていた。一部、声を噛み殺しながらも頭が揺れる者が、最後方の呂布からも見えた。おそらくウェポ城兵たちだろう。


「ご苦労じゃ。余はトッテム王国第15代目国王のユミルリ・ロニ・トッテムである。もし余がここにいたことを知らぬものがいれば、まず感謝を述べたい。よくぞここまで城を、故郷を守るために力を尽くしてくれた。そして、謝罪したい。なぜならこの度の戦は余がここに来たことが原因だからじゃ」


 女王が頭を下げる。水を打ったように場が静まり返った。

 言葉のほぼ全てが、近衛兵ではなくウェポ城兵に充てられたものだった。

 ハリルは、女王の様子を感情を押し殺しながら、じっと見つめている。ウェポ城兵が恨みの矛先を女王に向けないとは限らないからだ。

 ハリルと目線を交わすことはなく、女王は大きく口を開いた。


「おそらく世間に出ている話であろうから言うが、余は王権を宰相派に簒奪されようとしておった。先代である父の死後、中央貴族は王政そのものを手中に収めようと策謀を繰り返しておる。そして、その全ての責任は派閥など無縁に、人形のように、大切なものを見過ごしてきた余にある。

 故に、余は力を望んだ。そのため、かの聖女の手を借り、このウェポ城に入り、王家の秘術たる召喚魔法を試みた。そして―――」


 呂布に手を向ける。場の全員が振り向き、英雄の顔を見上げた。

 呂布が顔を背けると、女王はすぐに言葉を続けた。


「かの英雄の助力を得た。ありがたいことじゃ。

 しかし、これは余の都合じゃ。余が来なければ、ウェポ城兵は死なずに済んだじゃろう。レイス鉱山は奪われていたとしても、ウェポ城が激戦の舞台になることはなかったじゃろう。それは間違いないことじゃ。余が来たから、お主らの仲間は死んだ。故郷を荒らされた。ウェポ城主も余を裏切り、セードルフ軍に降ろうとし、余の暗殺を試みた。

 それら全てが、余の咎である。お主らと真正面から話もせず、ただわけもわからぬまま、故郷を愛する気持ちを乱用し、闇雲に戦に駆り立てたのじゃ」


 城内の空気に漣が立つのを、ハリルは感じていた。

 女王の言葉は、ハリルからすればあまりに正直すぎた。

 戦の巻き込んだ、という言い方ではウェポ城兵の気持ちが荒立つだけだ。戦となった理由など、いくらでもでっち上げることができる。ウェポ城主は裏切り者 として拘束しているのだから、反乱を抑えるために内密に来城していた、とでも言えば、それほど角は立たないはずだ。むしろそう言わなければ、女王に矛先が 向く可能性が高まってしまうだろう。

 言っても仕様がないとわかっていながらも、歯噛みするようにハリルが呟く。

 そこまで理解して、真正面から事実を話そうと言うのだから、手に負えないのだ。


「本当にあの方は……」


「ふんっ、度胸だけは及第だな」


 やはり力ずくでも止めるべきだった。そう考えるハリルの隣で、呂布は鼻で笑ってみせた。


 突然ざわめきの色が変わった。

 ウェポ城兵だけでなく、近衛兵までも狼狽したように、落ち着かない。

 呂布が視線を戻すと、ティアが女王の背中に手を添えていた。

 女王は、深く、背中を見せるように頭を垂らしている。それを見て、ハリルも目を見開き、顔色を真っ青に染め上げた。


「すまぬ」


 その言葉に、兵のざわめきが大きくなる。現在残っているウェポ城兵は一般兵だ。いいかえれば、庶民が兵卒として従軍しているだけの者たちだ。貴族とまともに会話したこともない者たちが、王家からの、貴族を超えた特権階級の頂点たる人物からの謝罪に、動揺しないわけがなかった。

 しばらくしても、近衛兵たちは徐々に落ち着きを取り戻すものの、ウェポ城兵は、まだざわめきが引いていなかった。

 ざわめきが少しだけ収まると、女王は顔を上げた。全員が次の言葉を見守るように、息を飲む。

 周囲を目配せし、女王は口を開いた。


「……余は、これよりこの城を出、王都に帰還する。できないかもしれぬ。無謀な賭けかもしれぬ。だが……余が死ねば、それこそこの城で死んだ者たちに合わせる顔がない。頼む、力を貸してくれ」


 反応が無いということが、闇の底を見るように、怖かった。


「……はぁ、相変わらずしょうがねぇお姫さんだ」


「だな。無茶なとこは、母親と瓜二つだ」


 気の抜けた会話が、耳に届き、思わず顔を上げる。声の主は並べられた兵の最後方にいた。ウェポ城兵の集っていた場所からだ。

 一人の兵が手を挙げた。壮年の、髭を蓄えた男だった。


「女王様、領主が裏切ったって言ったな? それは本当ですかい?」


「うむ、余を裏切った。しかし、それは領民を思っての行動と言われれば……」


「あー、それはない」


「ないな。そんなに良い人だったら、もっと尊敬しとるわ。おおかた、セードルフの餌に釣られて裏切ったんだろ」


 豪快な笑い声が場を制す。明らかに先程までの動揺や緊張が吹き飛んでいた。

 女王は想定外の空気に、言葉を継げずにいた。

 ひとしきり笑った後、やれやれといった表情で一人のウェポ城兵が言った。先ほどの挙手した男とは違い、少し若い。


「女王様にとっちゃ意外かもしれませんが、領民が領主を必ずしも好いているわけじゃないんですよ」


「税ばっか取ってる領主は特にな」


「レイスの鉱山が分捕られてから税率ばっかり上がってな。今じゃ街は全部閑古鳥が鳴いとるよ」


「ウェポ城にいるのだって、給金が出るからさ。そうじゃなきゃ戦なんてやるもんかね」


 口々に思い思いの言葉で告げるウェポ城兵。女王は戸惑いながらも、その言葉を受け止めていた。


「どーせ、あれでしょ。女王様、俺らのこと引け目に感じているんでしょ」


「別に構わんよ」


「全部知っとったし」


 意外すぎる言葉に、女王は今度は声を上げるのを我慢できなかった。隣に侍るティアからも思わず声が漏れた。


「な、何をじゃ!?」


「だから、女王様がこの城にいたことを知っとったよ、って言ってんだ。なぁ皆」


 ウェポ城兵が一斉に頷いてみせる。今度はその周囲の近衛兵が驚く番だった。


「お、お主ら……」


「あの豚みたいな領主相手に大軍で囲むわけないしなぁ。俺らもそんな上等な領民でもねぇからな。大体こういう村社会じゃ、箝口令なんて無駄だよ」


「はっはっは、見てみろ。あれだけ驚いてりゃ黙っていた甲斐もあるってもんだ」


 我慢できず、ハリルが一歩前に出た。


「では、皆さんは何故、味方をしたのです。この状況では、生きるほうが難しいというのに」


 最高機密が漏れていた、という衝撃はハリルを動揺させていた。だが、それよりも意外だったのは、彼らが戦う理由だった。もっと言えば、1ヶ月も戦をし、士気を高め続けていた原因だった。

 ハリルの質問に、ウェポ城兵が当然のように答えた。誇らしく、だけれども恥ずかしそうに。


「ユミルリ様の母親、サーラ様がこのウェポ出身だからな。よく近所で遊んでやったもんさ。ユミルリ様が生まれてからも、時々遊びに来てくれたしな」


「俺らにしたら女王様は孫みたいなもんよ。えらい髪とか変わっちまったけど、まぁ可愛い孫には変わりないわ」


「流石の俺らもあの太った豚が篭っているだけだったら、この城でずっと命張ったりせんよ。むしろ、命懸けで逃げ出すね」


 まるで家族のことを語るように、ウェポ城兵が笑っている。女王はその様子を見て、項垂れる様な仕草をした。

 騙していた、という罪悪感が、肩からするりと落ちていくようだった。

 項垂れ、顔を手でおおう女王に、ティアが肩を貸す。肩が小さく震え、感謝の意思を伝えた。

 ハリルはウェポ城兵の言葉にあるひとつの疑念を思いつき、頭を振った。

 疑うことはしたくない。仮にそれが漏れていたとしても、女王の考案した脱出作戦自体の効果が全くなくなるわけではないからだ。


「すまぬ、すまぬ……」


 呻くように言葉を告げる女王に、


「おい、もう良いか」


 呂布が声を上げた。

 全員の視線が再び呂布に集まる。ティアが不満そうに睨んでいるようだったが、呂布は意に介さず表情も変えなかった。

 鼻をすすりながら、女王が顔を上げる。


「なんじゃ」


「全員やる気だったんだ。とっとと次の話に入れ」


 あまりの言葉にハリルが思わず割って入る。


「りょ、呂布殿。今は……」


「意思は統一したんだろう。だったら、茶番に割く時間はないと思うが」


 呂布はハルバードを東の空に掲げてみせた。


「時期に日も登りきるぞ。総大将」


 呂布の言に、女王は笑みを零す。先ほど間でと違い、少しだけ晴れやかな表情で。

 息を吸い、群衆の前で屹立してみせた。


「ふふっ、相分かった。皆の者、余に力を貸してくれ。これより―――」


 拳を掲げ、声に熱を込める。

 兵たちが武器を腕に持ち直し、構えた。


「脱出戦を決行する!」


 武器が中空に刺さる勢いでいきり立つ。陽光で輝く刃先よりも、兵士達の顔には笑顔が満ちていた。








「で、結局残ったのは何人だ」


「45名です。近衛兵30名にウェポ城兵15名。ちなみに動ける負傷者がここに90名加わります。あとは魔法部隊と補佐官補佐が8名です。それと我らが5人を含めまして、合計148名ですな。……あ、あとウェポ子爵と側近が3名いましたな」


「その補佐官補佐ってなんだ」


「私、補佐官の補佐です。優秀な人材ですよ」


「……いや、まぁ良いが」


 呂布が訝しげにする様子に、ハリルは頭を傾ける。


「でも呂布さん、本当に10人で大丈夫なんですか? もう少し、兵を増やしたほうが」


「少なくまとまっていたほうが動きやすいからな。それに半端な馬の動かし方をされても、そこから崩されるだけだ」


「そういうものですか」


「そういうものだ」


「しかしウェポ城兵が予定より残ってくれてよかったですな、女王様」


 ハリルが大理石に腰を落とす女王に喋りかける。先程から、興奮を抑えるように、黙ったままだ。


「王都での永住権を約束したのが良かったようじゃ。ありがたい話じゃな」


「あれだけ盛り上がったのに、辞退した奴らもいるのか」


「暮らしの基盤は早々移せん。家族が多い者などは、特にな。それに手土産も渡したから、暮らしには不自由せんじゃろ」


「手土産?」


 呂布の言葉に、横からハリルが答えた。


「情報です。まぁ、無駄かもしれませんけどね」


 含みのある物言いに、ティアが小さく手を挙げた。


「すみません。今一話が読めないです」


「いえ、念には念を。と、いうことですよ」


 ハリルと女王が目配せし、頷く。呂布は以前の経験から、策にあまり深く関わろうとはしなかった。どうせ、わからないことのほうが多いのだ。戦場で迷うくらいなら、知らないほうがマシだった。


 ハリルは会話を続けながら、別のことを考えていた。

 領民がこの地で生きる以上、その領主は絶対だ。善悪を別にしても、領主がいるからこそ治安があるのである。

 城を出たウェポ城兵は、降参の体で行った。白旗を掲げ、恐る恐るという風に。そして、敵に保護されていったのを物見が確認している。

 ならば、これから脱出戦を行うことは雷神に伝わるはずだ。そこは明かしてもいい情報として、脱出兵に告げてある。

 それに、おそらくは脱出したウェポ城兵の中に、ウェポ子爵から信頼されていた兵がいるはずだった。なぜなら、ウェポ子爵が城外に情報を伝達する際に、片 棒を担いでいた現場の兵士がいるはずだからだ。彼はきっと裏切る。心が既にセードルフにあるからだ。裏切りというのなら、トッテムに味方する方が裏切りだ ろう。

 しかし、予定のうちだった。むしろ伝わってもらわねば困るのだ。全軍が一斉に注視する。それが、女王の策で一番肝心なところだった。


 考え込むハリルを他所に、女王が腰を上げ、呂布の胸板に手の甲を当てる。


「呂布、頼むぞ」


「言われるまでもないな」


「そうじゃな、無粋じゃった。終わったら、王都で酒をおごろう」


「貴様と飲む気はないな」


「そうか。残念じゃ」


 女王は、自分が呂布に嫌われていることは自覚していた。それ相応の言葉を吐いていしまっている。口の片端だけを歪め、無理やり笑ってみせる。それ以外、態度としてとりようがなかった。


「女王様、そろそろですな」


 ハリルの言に頷き、踵を返す。ハリルとティアは先に進んでいる。女王は東の空に目をやった。陽光が高く光を伸ばし、空全体を包み始めている。あまり時間はないようだった。

 急ぎ足を進めようとする女王に、呂布が苛立たしげに声を掛ける。


「おい」


 女王は振り向き、対峙する。もはや礼儀など気にしてもいなかった。


「ずっと考えていたことがある」


「なんじゃ?」


 重々しげに呂布が言う。

 苛立たしげな物言いにはじめは萎縮しそうだった女王だったが、矛先がどうやら自分ではないことに気づいた。


「貴様、昨日俺に言っただろう。後悔していないかと」


「……言ったの。まさかお主から話題に触れるとはの」


 女王は胸の奥が痛くなった気がしたが、無視する。呂布は当然ながら、これ以上の鈍痛のはずなのだ。記憶を知ったらかと言って、触れていいということではない、なんていう当たり前に、ようやく昨晩気づいたのだから。


「俺はやはり後悔していない」


「そうか、いや。しかしその話は」


「いいから続きを聞け。俺は後悔していない。これは間違いない。自分のことだ。貴様に否定されるいわれもない」


 自信を言葉にするように、言った。女王は出来るだけ表情を変えないよう努め、頷く。


「だが、よくわからん。俺は俺の戦をした。それだけの人生だった。だからこそ、良かったこともあるのだ。だが、貴様の言うことがどうもひっかかる」


 意外な言葉だった。


「どういう意味じゃ?」


「知るか。そのまま思ったことを言っているだけだ。俺もわからんから、こうして話している」


 呂布としても言葉にならないのだろう。小骨のように引っかかった心の刺が、一体何者なのか、理解できていないようだった。

 元来、言葉にするのは苦手だった。しかし、今回は自分の感情自体が掴みきれないのだ。刺が何なのか、ということと刺がどこに刺さっているのかすら、判別できていない。

 唸る呂布に、女王は呟くように言った。


「……呂布は最後の戦に満足したのか」


「そうだな」


「では、余が触れたあの感情はなんじゃろうか」


 寂しいような、辛い気持ちだった。それは確かに触れたのだ。勘違いではないと女王は思っていた。女王は自分に置き換えて、それを後悔とした。だが、呂布は違うという。


「以前の俺なら笑い飛ばしていた話だ。だが、貴様のいう感情とやらがなんであるかわからんが、俺の中に何かが燻っているのかもしれん」


「そうか」


 短く答え、頭を下げる。生まれてあまりしたことのない所作だったが、繰り返すたび慣れてきたような気がした。


「ああ、そこだけは言っておきたかっただけだ」


 興味を失ったように、呂布が言い捨てる。どこかすっきりした様子が伺えた。


「女王様は、まだお若いですからな」


「わぁ、ハリル! びっくりさせるでない」


 突然の乱入に女王の肩が跳ねた。顔だけで覗き込むような格好で、ハリルが笑っている。


「歳が関係あるのか」


「私もあれから考えてみたのですが……呂布殿の半分も生きていないのです。呂布殿の感じたことを、女王様がそのまま理解できるとは限らないのではないかな? 召喚者であっても、同じことに触れたとき、落とし込む感情の矛先が違う可能性があるということですよ」


「む、そういうものかの」


「女王様は常に前向きですからな。まだまだ頑張っていらっしゃる。ですが人生半分もすぎれば、それだけではまかり通らないことも理解するものですよ」


「そういうものか?」


「呂布殿がおっしゃられるとお話の筋がメタメタになってしまうのですが……」


 残念そうにいうハリルに、呂布がにやりと笑う。

 会心の進言は、見事に腰を折られた。


 女王が呂布に手を伸ばし、右手を取ってみせた。

 二人の手が上下に揺れる。


「呂布、ではまた王都でな」


「気が向いたらな」


「必ず来い。トッテムは水が良いのでな。旨い酒がたくさんあるぞ」


 呂布は右手を取ると、そのまま女王の頭を擦るように撫でた。

 絹のような髪を乱すと、呂布は満足気に背中を向ける。視線の先には、南門と近衛兵団がいた。

 そのまま、ゆっくりとハルバードを掲げる。男の背中が、承諾の意を告げていた。


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