試験
期間が空いてしまい申し訳ありませんでした。
ハリルと女王は地図を見下ろしながら、黙り込んでいた。
一通りの議論が済み、結論を出しきれず、言葉が途絶えていた。
呂布は二人を気にすることなく、壁に背を預け、目を閉じている。やることもなく、手持ち無沙汰な様子が伺えた。
ティアは呂布と女王のいるベッドの間を右往左往としている。
切欠は、ウェポ子爵から聞き出された一報であった。
――敵は明日総攻撃を開始する。
それは、女王の誘拐が進まなかったウェポ子爵への事実上の最後通告であり、女王一派にとっても死神の語りのような意味を持っていた。
今女王一派が城に篭っていることは、籠城に他ならない。
しかし、元来籠城戦とは、外部からの救援を待つための策である。援軍が包囲軍を殲滅、突破することで城内の兵を救う、というのが籠城戦における防衛側の目的だ。
しかし、セードルフ軍およびトッテム国の反乱軍の2軍隊を突破し、救援に来る見込みの諸将は現状現れていない。救援がない籠城は、棺桶に飛び込められたようなものであり、状況としては、詰んだに等しい。
そして、女王を誘拐するために城を囲んでいた、というのであれば――誘拐に失敗した時点で城を囲う意味はなくなるのだ。
「情報は漏れておらんか?」
何の情報か、に触れないまま、ハリルが頷く。
「ウェポ子爵が裏切ったことを知っているのは、近衛兵の数人と兄上、そして我々だけです」
「裏切りが露呈していることは?」
「知らないでしょうな。城内で内通者と疑われる子爵の側近は拘束しております。兄上も偵察を警戒し調査しましたが、魔力の残滓は見当たらないと報告をしています」
「では、ウェポ子爵が既に拘束されていることは、雷神には漏れておらぬと」
何度も念を押す女王に、ハリルは顎を落とす。
よし、と女王の声が聞こえた。
「そうか。では――明日、日の出とともに脱出する」
鶴の一声。
ぎょっとするハリルに、女王は宥めるように笑いかける。
「結界はどうせ数日ももたん。多少なりとも魔法部隊に余力が残っているうちに、策を決行したいのじゃ。呂布、騎馬隊を指揮してくれぬか。といっても貸せる兵は30人ほどじゃが」
女王の呼びかけに、呂布は目を閉じたまま答えた。
「30人で3万を潰せばいいのか?」
「相変わらず豪気じゃのう。心強いわ。
呂布、余は魔法部隊と負傷兵を最大限同行して、脱出する。こちらからじゃ」
女王が机の上に置かれた地図に指を向ける。森と卵型の平原の間、城の北側にあたる部分だ。呂布が城に入ってきた位置と真逆のルートとなる。通常であれば、市街地であり人々の喧騒が賑わう場所であるが、今は元トッテム軍の大多数が陣を構える場所だ。
「トッテムの裏切り者らはこちらに陣を敷いているとの報告じゃ。余は北の陣を抜け、東の王都を目指す」
指を滑らせて、女王が口端を歪めた。ハリルは眼鏡を直し、思案している様子だ。
ティアはおずおずと意見を述べる。本来場に出られる立場でないことを理解しているためか、どこか及び腰だ。
「女王様、そんな無茶をなさるのなら地下道を使ったほうがよいのでは?」
「そうしたいのは山々じゃが、ティアが城を抜け出すとき、地下道の出口で待ち伏せされていたんじゃろ? おそらく同じ轍は踏まぬようにとしておると思うぞ」
「ウェポ子爵が言ったようには……」
ティアは、呂布の吶喊を受け城からの正面突破に注視しているはずである、というウェポ子爵の言葉を連想する。ハリルは指だけを顔の前で大きく動かし、あしらうような素振りを見せた。
「ならないでしょうな。あえて、隙を作る意味もありませんし、敵は兵力の過大ですから、別経路に兵を割く余裕は十二分にあります。それに私が城を包囲する側であれば、露呈している脱出路など、特に警戒しますよ」
「や、やっぱりそうですよね」
「女王様、北側から脱出するのは賛成です。と、いうよりは他に選択肢はありませんな。しかし、正面から突っ込んでもどうしようもありませんぞ。何せ2万近くの兵の壁を抜けなければなりません」
「それを俺がやればいいのだな」
体を起こし、呂布が議論に参戦した。笑みが溢したまま、言葉を続ける。
「面白そうだ」
「いや。お主はこっちじゃ」
女王は呂布の申し出を断ると、城の南壁付近を指で示した。
呂布が城にたどり着いた道筋付近だ。つまり、雷神が座す場所にほど近い。
「呂布は30人で雷神を釣ってくれ」
顔だけを動かし、女王が呂布を見上げる。
「む、無茶ですよ。そんな……。まさか、女王様ッ」
ティアは自分の発言の後、ひとつの考えが脳裏をかすめ、顔色を青く染めさせた。
「捨て駒になどせんよ。呂布はやっと出会えた希望じゃぞ。こんなところで切り捨てたりするものか」
「しかし、この配置では呂布殿に逃げ場がありませんぞ。背中は城壁、周囲はセードルフの先鋭です」
「呂布。ティアからお主は騎馬の達人と聞いておる。余達が撤退するまでで良い。逃げ回ってくれても構わん。時間を稼いで欲しいのじゃ」
女王の顔に苦味のような色合いが出る。苦渋の決断なのだろう。
呂布がセードルフ軍を引き付ければ、女王は全軍を相手に脱出劇を行う必要はなくなる。しかし、裏を返せば呂布はその間少数で大軍を相手取らなければならない。通常の将ならば、無謀としか言い様のない提案だった。
女王は呂布の英雄たる勇猛さに賭けた。そして、それが死刑宣告じみた言葉であることを理解していた。
一方で、呂布は周囲の心配をよそに、女王の発言に露骨に不機嫌さを示した。
「俺にしっぽを巻いて逃げ出せというのか」
想定していたものと違う方向性の異議に、3人は呆れたように顔を引きつらせる。女王だけが、すぐに襟を正し、告げた。
「別に倒しても構わんぞ?」
「そうか。やろう」
意気揚々と答える呂布に、ティアは思わずたしなめるように言った。
「呂布さん。やっぱりよくわかんないです。敵は3万ですよ? 30人で時間を稼ぐだけでも大変なことなんじゃ……」
「ティア、3万ではないぞ。セードルフ軍だけなら1万5千ほどしか兵はおらんはずじゃ。まぁ、それでも大軍だがの」
ティアはしたり顔の女王に、よからぬ想像を告げる。
「まさか、女王様が北側を担当する気ですか?」
「余がそんな強かったら、ここにそもそも来とらん」
「そ、そうですよね」
どこかホッとした表情を浮かべるティアにハリルは額に拳をつけながら呟いた。呆れたような、声色だ。
「女王様、ですが似たようなことはなさるのでしょう?」
「えっ?」
「こら、ハリル。余の口から告げようと思っとったのに」
「え、え?」
「とても出来るとは思えんが……」
呂布の冷静な言葉に、女王はティアを宥めながら答える。
呂布は改めて女王の体を見るが、子供らしい細腕と華奢な体躯しか認めることはできなかった。とても、槍を振るい兵を率いていく姿は想像できない。
「もちろんそんな勇ましいことは無理じゃよ。じゃが、考えはある」
「少々、というかかなり無謀ですが。正直、まだ私は迷っております」
ハリルは睨むように女王を見つめる。内容をわかっているのは、女王と側近のハリルのみなのだろう。わかっているからこそ、無謀なことに女王を晒すことが悔やまれる様子だった。
「ハミトの魔力ももう残り少ないしの。そんな中でできることは、まぁこんなもんじゃろ。それに――」
言葉を溜めるように、女王が一息吸う。金色の瞳が、揺れることなく全員に意思を伝える。次いで、お辞儀をするように大きく頭を下げた。
「たまには余も命くらい張らせてくれ」
呂布はハリルと共に足を進めていた。
空気の熱が、肌にまとわりつくようだった。
結局女王の言う策を聞き、議論は終わった。議論、というよりは説明に等しいものだったが。
呂布としては疑問符がつく説明ではあったが、内容については深く理解しようともしていなかったため、大して口を挟むこともなかった。間違いなく、ティアが女王を説得しようとしている場面の回数のほうが、呂布が質問した回数より多かったと言えるほどだ。
呂布は隣を歩くハリルを横目で捉えた。気落ちしているようだが、腹の内は決まっているのか、姿勢は崩れていない。
呂布の視線に気づいたのか、ハリルは首だけを呂布に向ける。
「先に行かせた兵が近衛兵に伝達しているはずです。おそらく、既に整列していますよ」
兵を検分したい、という呂布の言を受け、ハリルが取り計らった結果だ。
夜中ではあるが、近衛兵という特殊な身分上、不平を言う兵もいないだろう、というハリルの計らいであった。兵としてはたまったものではないが。
呂布も籠城中の兵の睡眠を妨害することの意味を考えてはいたが、ハリルの言葉のまま足を進めている。呂布としても、兵を見たい気持ちも確かに強かったことや、共に戦できないような軟弱な輩はそもそも排除するつもりだったので、兵質を見るためには丁度いいと考えた。
「しかし、あれはお転婆だな」
「誰です?」
「貴様の主君だ」
「そう言われると、ぐぅの音も出ませんな。まさかここまで危険を犯そうとするとは思ってもいませんでした」
乾いた笑いと共にハリルが頷く。
話題の主は、今頃ティアと共に兵たちの慰安に出ているはずだった。最も、慰安というよりは城から動かす兵の選別の色合いが濃く、決して気の休まる作業ではない。選別ということは、切り捨てる兵を決めるということだ。一応南への地下道に防衛魔法を張り、隙を見て各々脱出させるというプランを作ってはいるが、敗残兵がどのような処遇を受けるか、ということを考えると辛い勧告に他ならなかった。
「ところでハリル。貴様らはこの城を抜け出して、どうするのだ」
「と、いいますと?」
「いや、北に逃げても、また軍勢に追いつかれるのではないかと思ってな」
呂布の提案は先ほどの議題に出てこなかったものだ。
たとえトッテムの貴族達の軍勢から命からがら逃れたとしても、王都まで逃げ延びられるかはまた別問題となる。敵は軍勢であり、周囲は反乱した貴族の領地である。地の利からみても、逃げきれるとは考えづらかった。
浅く笑いながら、ハリルが言った。少し声が先ほどよりも小さく、聞きづらいものに変わっていた。
「準備はこの城に入る前にしてあります。最も、まだ有効な手札であるかは不明ですが」
「ほう」
「一人、元々裏切ったと見せかけるように打診していた貴族がいるのです。いざというとき、埋伏の計に使えるかと思いまして」
「内通者か」
「ええ、彼であれば裏切ったと見せかけて、滞陣しているはずです。撤退することを考えて、陣の最後方にいるでしょう。そこまでたどり着ければ何とかなるかと」
「あやふやだな。それに、あの女王を本当に裏切っている可能性もあるのではないか?」
「それはありません。かの者は昔セードルフ軍に最愛の子を殺されている経過があります。実際ここに来る前に書簡で依頼しましたが、要約しますと『女王様はあまり好かないが、セードルフはもっと嫌いなので力を貸してやる』と返事が来ました」
「随分直情的な手紙だな」
「本当はもっと口汚い言葉で彩られていました。女王様に読み上げるとき、私の意訳で伝えるのに難儀しましたよ」
「ふん、では心配いらぬというわけだ」
「まさか、心配だらけですよ。女王様が無事にその貴族のもとに行けるかは五分五分、いやもっと分が悪いでしょう。冷や冷やしますな。心臓が鳴りっぱなしです」
「そういう貴様も随分口が軽いではないか、ハリル」
「こういう性分なのです。覚悟を決める時ほど、饒舌になってしまうのですよ」
溜息混じりのハリルの言を、呂布はハルバードの石突で頭を掻いて答える。
「そうか」
「……饒舌ついでに、失礼を承知でひとつよろしいですか」
改まった口調に、呂布は視線を再度ハリルに向けた。口元を結んで、どこか緊張した様子が見て取れた。
「何だ」
「……女王様が呂布殿に言った言葉に関する謝意を」
「聞いていたか」
「呂布殿が部屋を出て行かれた後に、女王様から言われまして。
許してください、というのは虫が良いことですが、申し訳ございませんでした」
足をとめ、ハリルが頭を下げる。腰からおられた背中が、姿勢よくまっすぐと伸びていた。
呂布は歩みを緩めず、退屈そうに答える。
「構わん。俺に偉そうに吠える口があるだけ、度胸は買ってやる」
「そう言っていただけると助かります。女王様は、英雄というものを――というよりは、将というものを理解していない節がありました。それ故の妄言だと思ってくれませんか」
「もう良いと言っている。子供の言うことに一々かまってられるか」
そう切り捨て、呂布は首を鳴らす。ハリルは表情を緩めることなく言葉を続ける。思い悩んでいたことを吹き出すように、思いを込めて。
「ええ、女王様はまだ子供です。だから、きちんと育て上げねばなりません」
「あれがこの国ではマトモな部類なのか」
「はっきりと申し上げれば、その通りです。先代が亡くなられた後、王位を継ぐべき方は女王様しかおられませんでした。今は先代の子を自称する者が権力の座につこうとしていますが」
小難しいことを話そうとしていることを感じ取り、呂布がすぐ口を開いた。
「そうか。だが俺は知らんことだ。あれがマトモだというのなら、精々立派にしてみろ」
「そのようにします。呂布殿、もう一つ余計なことを言うとすれば――あの方はお優しいのですよ。自分がしてしまったことを、貴方にして欲しくなかっただけなのです。それだけ、お心に留めておいてください」
意味深な言葉に呂布は目線を合わせ、すぐに反らす。ハリルの視線はずっと呂布を捉えたままだった。銀縁の眼鏡の奥で、強固な意思がちらついているようだった。
「さぁな」
興味もなく、呂布は会話を切った。
しばらく無言のまま進むと、奥に兵のたまり場らしき場所が見えた。
座り込んでいた兵が、ひとりの兵の呼び声と共に綺麗に整列をはじめる。3列が連なるように兵が足並みを揃え、直立した。呼びかけた兵は呂布達の姿を確認し、こちらに駆け寄ってくる。
「揃っております。ハリル様」
「ご苦労。呂布殿、彼らが近衛兵です。女王様の護衛であり、精鋭でございますよ」
ハリルの言葉に応えるように、近衛兵達が胸を張った。
目に力がある。
呂布はそう思い、自然と笑みを零した。
「こちらが呂布将軍である。明日日の出とともに行われる作戦において、貴君らで編成する騎馬隊の指揮を取ることとなった。将軍の言葉を女王様の下知と捉え、精進せよ」
兵たちへの紹介を終え、ハリルが一歩身を下げた。呂布は反発した振り子のように足を出し、前に出る。呂布が近づくだけで、兵の何人かが身を震わせた。
落城間近の城兵とは思えないほど、兵たちは呂布を強く見つめていた。吸い込まれそうな瞳が、呂布の言動への興味をうかがわせる。
呂布の来城を知っているのか、怪訝な眼差しは薄く、あるのは純粋な興味のみのようだった。
目を細め、低い声で言った。
「俺は呂布という者だ。さっそくだが貴様ら、馬を持て」
多くは語らず、呂布は命令を下す。戸惑うような声が場に響いた。
直立のまま動き出そうとしない兵たちに、今度は声を荒く変えて発破をかける。
「聞こえなかったか。俺は明日朝騎馬で出撃する。この中で10人だけ、俺の指揮下に入る者を選ぶ。試験を行うので、全員馬をとってこい」
呂布の言葉に驚いたのはハリルだった。呂布に近づき小声で呂布を諌めようとする。呂布としては、譲る気はなかった。ついてこれぬ兵など、不要なのだ。
「りょ、呂布殿。女王様は30人を選りすぐれと」
「30人もいらん。近衛兵は50人程度だと聞いた。俺の方が生粋の10人で十分だ」
「そう言いましても」
「10人ほどであれば多少の突破で馬足が乱れることもない。ハリル、俺の好きなようにさせろ」
睨むように呂布は言うと、ハリルは押し黙った。やがて、観念したようにため息を吐く。女王でこういった振り回され方にはなれているらしく、大して動揺もしていないようだった。
「わかりました。女王様にはそう伝えましょう」
ハリルとしても、50人の近衛兵のうち30人を女王の護衛から割くのを最善だと思っていたわけではない。この戦で最重要なのは、女王その人の命である。戦の手綱を握るのが呂布であっても、最後の最後取りこぼしてはいけない場所を無防備に晒すことは、やはり避けたかった。
ハリルの見通しでも、負傷兵と魔法使いをつれ脱出するのは、至難の業だと思えた。ならば、少しでも女王に寄り添う兵が多い方が安全だ。
目を閉じ、しばしハリルが思案していると、耳に蹄の音が響いた。
目を開けると、いくつかの兵が手綱を手に呂布の命令を待っている。
やがて、全員が馬をつれ、呂布の前に連なった。ハリルから見ても、精悍な佇まいに思えた。
「全員馬を出したな。よし、騎乗しろ」
呂布の言葉と共に、兵が馬に乗り込む。慌てることなく、修練の熟練度が伺えた。
「ハリル、俺にも馬を貸してくれ」
頷き、ハリルは建物の影に身を潜ませる。しばらくすると、一頭の馬が呂布の前に現れた。
栗色の毛をした、黒い鬣の馬だ。兵たちの馬に比べ、いくらか体躯がいいように感じられた。また、品を持った歩き方で、印象で言えば綺麗な馬、といったところだった。
「呂布殿には、女王様がこの馬を使って欲しいと。足も強い良い馬ですよ」
「すまんな」
呂布は促されるままに馬に跨り、兵に視線を移す。黒い鬣をなでつけると、茶色の小さな耳が細かく揺れた。
試験、という単語に触発されたのか、近衛兵たちは口元をきつく締めて、呂布を見つめている。呂布は気軽そうな声色で、その内容を告げた。
「よし、全員一人ずつ俺にかかってこい。そして俺の一撃を受け切れたら一緒に連れて行ってやる」
酷く簡単な言葉に、兵たちはざわついた。近衛兵という立場は決して軽いものでも、下賎なものでもない。王の麾下に控える、純然たる軍人である。飛び込みの如く入ってきた外野の将に、見下されるような口調で命令されても、従うことは心情としては難しかった。
それでも、彼らは近衛兵であり――わきまえを持っていた。ハリルの言葉通りであるのなら、眼前の偉丈夫の言葉は、主君の言葉と同義である。
葛藤するように多くの兵が眉根を寄せ、顔を見合わせていると、一人の青年然とした兵が小さく手を挙げた。
「いきなりのことで申し訳ありませんが確認させてください。受けるだけですか? 貴方を倒すということではなく?」
「攻撃しても構わんが、そんな暇はないだろう。良いか、馬上で受け切れ。落馬したら失格だ」
呂布はハルバードの石突を足の甲に乗せ、柄を肩にかける。準備は出来ている、ということだった。
兵もそれを感じ取り、また顔を見合わせていた。呂布が徐々に眉間の皺を濃くしていくうち、一人の兵が手を挙げてみせた。人の垣根を押しのけて、列の最前列に姿を見せる。先ほどの青年然としていた男だ。
「俺が行きます」
「いつでもいいぞ」
勢いよく馬に跨ると、一番手になった青年が槍を構える。身を捻じらせ、腰の左脇に槍の軸を据える動きを見せた。
呂布は動きを見ているのか、一切姿勢を崩さない。石突が靴にめり込んだまま、青年の動きを観察しているようだった。
周囲の兵も、呂布と青年の対峙を固唾を飲んで見守っている。次第に、青年の顎から汗が滴った。鐙の前橋に音もなく落ちた汗が、じんわりと滲んでいくようだった。
目を開き、青年が鐙を思い切り動かす。鐙革が引っ張られ、馬が弾かれたように飛び出した。
聴覚を後ろにおいていくような感覚と共に、青年が呂布に迫っていく。槍の間合いは広く、2mほどの槍と呂布の持つハルバードの刃圏が重なったのは、あっという間のことだった。
はじかれた勢いのまま、青年が左腕を絞り、槍を押し出す。やや右側に左腕をスライドさせる動きは、第2手を考慮したためのものだった。その一連の所作は乱れもなく、呂布から見ても合理的な武術の動きだ。
呂布は青年の動き出しを眺めた後、ハルバードの石突を蹴り上げ、左手で柄を握った。その力の勢いのまま、右手で柄の下部を叩き、風車のようにハルバードの刃を青年めがけて振り下ろした。
青年は、慮外の攻撃に咄嗟に第2手を変更し、右手を思い切り引き、槍の鋒をハルバードと噛ませた。割れるような金属音が響き、同時に青年の体に重圧がのしかかる。
自分自身が重くなったような錯覚を覚えながらも、青年は食いしばって耐えてみせる。徐々にやりを支える腕そのものが悲鳴を上げ始めた。痛みと熱さが、両腕を支配していく。
限界を覚悟したとき、ふと腕の熱さが軽くなる。青年が何事かと思い筋肉を弛緩させると、次の瞬間体が宙を舞っていた。
頬に土がすれ、背中が勢いを殺しきれずに土を削っていく。荒くなった息の先、左手に愛用しているはずの槍の感触は見当たらなかった。起き上がり、周囲を見渡すと自分と馬の間に転がるようにして槍が落ちている。そして、そのまま目線をあげ、青年に興味をなくしたように口を開く男を見上げた。
「次」
呂布の声に近衛兵がぽつりぽつりと前に出てくる。若輩者の青年が男気を見せたのだ。日和っていては矜持が傷つくのだろう。青年は近衛兵の仲間たちの気持ちを理解しながらも、無念の気持ちがふつふつと湧いてくるのを抑えることができなかった。
自分は、失格したのだ。
青年が一人うなだれている間に、近衛兵たちは続々と試験を進めていた。
落ちる者、自ら降りる者、耐える者。
そのうち、無様に背中を汚す者が最も多く、呂布がハルバードを振るう度に、悲鳴じみた声が聞こえてきていた。
考えている間にも、何度も先輩や同僚の声を耳朶が捉えている。しかし、一番強く聞こえるのは、自分の鼓動の音だった。
「よし、合格だ」
「あ、ありがとうございました……!」
しばらくして、呂布は最後の一人からハルバードを引いた。男はよほど疲れたのか、馬首に抱きつくように身を伏せている。
呂布が右をふり向くと、馬上の男たちが誇らしげに、呂布の言葉を待っている。呂布の一撃に耐えられた、合格者たちだった。
「うむ、全員試したな。最後に1人増えて合計9人か。まぁこんなものか」
呂布としては上々の結果だった。この世界の練兵の度合いがわからなかった上、全員を切り捨てるつもりで試験を仕掛けたのだ。思いの他強い兵がいることに感心していた。
不合格となった兵も決して練度が悪いわけではなかった。これは、単純に才能と相性の問題だ。10人近い兵で敵の大群をくぐり抜ける以上、馬から降りて生き残る術はない。馬から降りず、攻撃を受けられる。それが、最低限度のこの戦の参戦条件だと呂布は考えた。
ハルバードを肩にかけ、馬の首に右手を這わせる。馬の耳が震えるのと同時に、若い声が背中に当たった。
「待ってください」
「何だ」
顔だけで男を見据える。一番初めに相手を申し出た、先ほどの青年兵だった。
「もう一度、もう一度だけ試験してくれませんか」
「無駄だ。諦めろ」
何度やっても結果は見えていた。膂力を使う以上、2度目が1度目の試験よりも剛力を使える可能性は限りなく低い。
「お願いします。俺は、まだやれます」
「男の勝負に2度目などあるものか」
「生きている限り、何度でも戦えます。それが戦ではないですか」
青年は引くことなく、呂布に訴える。どうしたものか、と眉根を寄せる呂布に後ろで待っていたハリルが声をかけた。
「呂布殿、彼は近衛兵でも有望な若手でしてな。特に馬の使い方は天下一品だと聞いておりますぞ」
「知らん」
青年は膝を地面につき、頭を下げる。
「お願いします。機会をください。将軍と一緒に、戦場を駆けたいのです」
「はっ、会ったばかりの男にか」
「俺も騎馬には自負があります。馬の使い方を見れば、将軍がすごい実力者であることはわかります。そんな方にお会いしたのは初めてなんです」
青年は頭を上げないまま、口を忙しなく動かした。
呂布は無言で青年を見つめている。一度出した条件を撤回するのは、どうにも気が引けたのだ。
「……呂布殿、10人と言っていたではないですか」
ハリルはもう一度、先ほどよりも軽い声色で告げた。
意味が分からず、呂布は思わず聞き返した。
「それがどうかしたか」
「呂布殿が連れて行かれる人数は約束では10人だったはずです。私は女王様にそう告げるように呂布殿に先ほど言われました。だから、10人揃えるべきでは? 私の目が正しければ、今は9人しかいないはずですが」
「……随分子供じみた理屈をこねるな、ハリル」
「言ったでしょう、私今饒舌期間でして。舌がよく回るのです。冗談は抜きにしても、もう一度試してあげてもいいのではないですかな」
諭すように、ハリルが告げた。呂布はハリルから目を離し、青年を再度見下ろす。青年は微動だにせず、ただ頭を下げている。
ため息をはき、呂布が言った。
「わかった。試してやろう。その代わり、貴様はこれを戦だといった。ならば、手加減はせぬ。今度は殺す気でやるぞ。それでも良いか」
「もちろんです。お願いします!」
青年が起き上がり、呂布を睨む。熱を持った目線が、体躯に伝達したように青年に覇気が伺えた。馬に再度跨り、青年が構えを見せる。先ほどと違い、鋒を呂布に向けてはいなかった。左手を伸ばし、槍を地面に向けている。下段というよりは、間合いを読ませないような構えだった。
「いつでも、どうぞ」
青年はそう短く告げる。
呂布は躊躇せず、馬腹を蹴った。勢いを生かし、呂布が大きく振りかぶる。先ほどと違い、力を抜くための小細工など不要だった。ただ純粋に刃を振り下ろすだけだ。
風を切る音を聞き、青年は鐙から足を離し――思い切り踏み込んだ。
馬体が低く、沈む。踏ん張ったように重心を低くした青年の馬が、小さく嘶いた。
青年は気勢を上げながら、左下に構えていた槍を思い切り振りかぶり、やや斜め上に向かい打ち付ける。力強くも強引な動線を描き、槍の鋒が呂布の刃先とぶつかった。
さきほどと違い、反動をつけた一撃は膂力の全てを載せた重いものに変わっていた。間違いなく青年の打てる最大の斬撃である。しかし、呂布は嘲笑うように振り下ろす腕の動きを止めようとはしなかった。
青年の口から一瞬息が漏れ、すぐに刃を食いしばって耐えた。気を抜くと、息とともに力も抜けてしまいそうな気がしたからだ。青年は呂布の一撃に耐えてはいるが、押されていた。無慈悲にもハルバードの進撃は止まらない。
槍を支えようとする度に、上体がネジ曲がり、震えが増していく。力の方向だけは間違えないようにしながらも、青年の動きからはぶつかり合い当初の勢いは失われていた。
呂布は、緩めることなく刃を下ろす。手加減する気はなかった。
しかし、突然呂布の上体が泳いだ。呂布が刃先を見ると、青年の指の先が見える。気づくと、青年は右手と自らの右脚で槍の下部を支えており、左手を刃の近くまで滑らせていた。圧迫された左手首から血の筋が流れている。
力の流れが変わり、呂布は上体を少しだけ動かす。真正面にぶつかっていたはずの力に、青年が横軸の動きを加えたことで、下方への力が逃げたのだ。
呂布は急いでハルバードの柄を引っ張るが、その力の緩みを青年は見逃すことはなかった。気勢を吐き、自分の右脚に石突が食い込むのを構わず、勢いのまま呂布に刃を振り下ろした。
ハルバードの柄を滑るようにして、槍の刃先が呂布に迫る。
呂布は事も無げにそれを払った。上手く隙を突いたとは言え、元々の膂力と体躯に差がある。呂布の力であれば、青年の決死の一撃も払うことは難しくなかった。
払われた勢いを殺しきれず、青年の手から槍がこぼれ落ちる。もはや拾う気力もないのか、青年はただ呂布を見つめることしかできなかった。
「……貴様、名は」
槍が転がる音を聴きながら、呂布は唐突に言った。青年は幾ばくか間を空け、浅い呼吸のまま応える。
「アンデル」
「そうか、アンデル。よくやった、合格だ」
「合格?」
「忘れたか。俺に一撃を喰らわせるのが試験ではない。受けきればよかったのだ」
「え……あ、そうか」
呆然としていた青年――アンデルが気の抜けたように手綱を離し、馬にもたれかかった。伏せた、というような動きだった。
その動きを合図に、近衛兵たちがアンデルに集まる。こらえきれないようで、各々が笑みを浮かべていた。からかうようにアンデルの頭を叩き、その労をねぎらっていた。アンデルは手痛い礼讃を構うこともできず、笑って答える以外はただ打たれるままだった。
その様子を眺める呂布に、ハリルがにこやかに笑いかける。眼鏡の奥の目が細くなっており、大層愉快そうだった。
「いい兵でしょう」
「そうだな。気概もある」
「では人数は10人でよろしいですかな?」
試すような顔に呂布は口を歪め、言った。
「それでいい。ああ、そうだ。ハリル、酒はあるか」
「少しならばご用意できますが」
「よし。……兵達よ。貴様らをこれより俺の麾下に加える。盃をかわそう。それ以外の兵もついでだ。混ざっていけ」
男たちの歓声が響く。周りで状況を見守っていた兵も一緒に輪に加わる。大きな一団が大層愉快そうに騒いでいる。しまいには歌まで聞こえてきそうな雰囲気だった。
思わず歯を見せる呂布に、ハリルは小声で囁いた。
「そ、そんなには用意できませんが」
「つまらぬことを言うな。あの子爵のことだ、少しくらい隠し持っていると思うぞ。まぁ、多目にみろ」
「探してみますか……」
「そうしてくれ」
ハリルは側頭部に指を当て、考え事を始めたようだった。真面目な男だ、と呂布は内心で表情を綻んで見せた。