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後悔


 安堵した雰囲気が部屋に充満する。

 呂布だけが女王の発言に怪訝な顔を浮かべるが、ティアとハリルは、生まれたての赤ん坊に集うように女王の膝下で声をかけ続けていた。

 不意に、拍子のずれた足音が扉の向こうから聞こえた。


「女王様! ご無事であられますでしょうか!」


 鼻にかかった声が、荒れた息遣いと共に部屋中に響きわたる。

 次いで、扉を壊す勢いで部屋にひとりの男が乱入してきた。

 恰幅の良い、からかなり行き過ぎた太った貴族風の男だ。

 碇のように丸まった口髭と絹の服がはち切れんばかりの体型が、印象的だった。


「ウェポ子爵、寝所でのいきなりの拝謁、無礼極まりますぞ」


 目を細め、ハリルが苦言を呈す。ウェポ子爵はハリルの言葉にこもごもと何かを呟いている。どうやら抗議のようだった。

 女王を見つけると、ウェポ子爵はあらんばかりの遜った笑みを浮かべ言った。


「それよりも女王様、お元気そうで何よりですな。先日からお姿を拝見していなかったものですから、私の心は心配で張り裂けんばかりでございました」


 わざとらしく胸を撫で下ろし、ウェポ子爵は伺うように女王を見つめる。ハリルは、眉根を寄せつつ女王に視線を合わせた。

 口角を僅かに上げそれに応えると、女王は、寝たままの姿勢で首だけをウェポ子爵に向ける。


「子爵か、すまんが余は今起きたばかりでのぅ。身支度するゆえ控えてくれぬか。それとも火急の要件かのぅ」


「はい、そうでございます! 私、地下道からの安全な脱出法を考案いたしまして。それゆえ、是非にお披露目したいと」


「そうか。では、後で聞こう。さすがにお主の前で召し物を変えるわけにもいかんのでな。後で呼ぶゆえ、控えてくれ」


「は、ははっ。もちろんでございます。女王様のご厚情に感謝致しますれば。では、失礼いたしますッ」


 慇懃と礼を述べ、玉が跳ねるようにして、ウェポ子爵が部屋を出ていく。

 2回とも同じことを口実に断られたことなど、まったく理解していないようだった。

 嵐が過ぎて、呂布はウェポ子爵が去った後、ティアに言った。


「今のはなんだ」


「ウェポ子爵です。ウェポ城主に当たる方です」


「・・・・・今のが城番か。とても見えんが」


「貴族は戦場に立たないことが多いので・・・・・・。そ、それにあれでも痩せられたんですよ!?」


 呂布の嘆息にティアが必死にフォローを試みる。呂布としては籠城戦の城主が、まん丸の体型である時点で評価は確定していた。


「まぁ、形でいうと月のような体形から大きめの卵ぐらいまでには縮まりましたな」


「それは変わったと言えるのか」


「ご本人様としては、今までで一番痩せていらっしゃるそうなので・・・・・・」


 口々に感想を漏らす。

 女王は呆れ顔のティアを手招きし、笑いかけた。


「すまぬ」


 女王がティアに支えられ、体をベッドから起こした。

 平静を装ってはいるが、小刻みに震えている。

 長い睫毛が、瞬いた。


「まぁ、邪魔が入ったのぅ。気を取り直して頑張ってみるかの」


 呂布たちに笑をみせ、女王が口を開いた。


「して、戦況は」


 金色の瞳がハリルに向けられる。

 幼い外見に似合わず、艶のある声が響いた。


「はい、戦況ですが・・・・・・最悪ですね。城内の兵で動けるものは50人ほどです。生存している負傷者は180人ほどでしょう。城壁は敵主力のいる南門付近の損傷が特に激しく、土嚢で何とか抑えています。トッテムの兵が多いことが幸いして逆側の北門にそれほど激しい戦闘が起こっていないことが救いですな」


「地図を出せ」


 女王が自分の膝あたりを指差すように、人差し指の関節を折る。ハリルは懐から羊毛紙を取り出し、ベッドの上に広げてみせた。

 地図は呂布がレノン達と見たものよりもさらに細かく、文字が所狭しと書き連ねられていた。数字や文字の大半は呂布には理解できないものだった。

 地図の左隅近くに、卵を逆にしたような円が記されており、その周囲は緑色で塗りつぶされていた。ぽっかりと開けられた円の中心付近に、小さく剣先を連ねたような城を示す印が描かれている。視線を右にずらすと、徐々に文字の書き込みが増えていき、右端付近に金糸が施された文字が見えた。


「随分細かい地図だな」


 呂布は誰に言うでもなく、呟いた。


「いやはや、私達官吏が租税関係で使うものですので。どちらかといえば数値が主役の地図なのですよ。ご興味が?」


「いや、見るだけで頭が痛くなりそうだ。ここがこの城か?」


 眉根を寄せ、呂布が逆卵型の円を指差す。乱雑な字でウェポ城と記されていた。


「はい、そうです。でも呂布さん、字も読めるんですね。言葉もすんなり理解してくださってますし。レノンさん達に教わったんですか?」


 意外そうにティアが言った。呂布は別段どうということはなく、思ったまま言葉を返す。


「字自体は知らんのだが、勝手にわかるらしい。俺としても不思議な感覚だが、字を知らなくても、意味が自動的に頭が理解するような感じだな」


 レノン達と会話していたときは違和感がなかったが、改めて字を眺めると呂布は自分の異常さにようやく気づいた。

 この世界の字や音はまったく知らないものであったが、頭がするりと解読し、二重音声のように意味を教えてくれるのだ。しかも、字自体を知っていても読めないような蚓のように書きなぐった字すら意味を察してしまうようだった。

 便利、という印象を持ちはしたが、同時に呂布は自分の体の中の変化に、少しだけ寒気を覚えた。

 呂布の様子を見て、女王が朗らかに言う。


「召喚の際、言語中枢については魔法で調整したからのぅ。一から言葉を習うよりは良いじゃろ?」


「そんなことできるんですか?」


「可能じゃ。まぁ小手先の技じゃがな。伊達に何百年も召喚魔法だけ研究しているわけではない、というわけじゃ」


「そんなことはどうでも良い」


 心なしか胸を張る女王に、呂布は目線も合わせず話を促した。

 そ、そんなこと。と言いながら、女王は目を横に伸ばす。


「では話を戻すかの。しかし見れば見るほど完全包囲じゃな。魔法を使って透明人間にでもならんと、城から出た瞬間死んじゃいそうじゃ」


「いやはや、透明になどなったら兵に挟まれて圧死しそうですが」


「どんな形でも死ぬのはまだゴメンじゃな。やり残したことがありすぎる。さて、では呂布。抜けるならばどこが良いかの?」


 女王は唇で半円を描き、呂布を見つめる。

 探るような、試すような金色の瞳だった。

 呂布は、期待を断ち切るように、頭を掻きながら憮然と断言する。


「・・・・・一つ勘違いしているようだが」


 息を吸う。


「俺はまだ貴様らを助けると決めたわけではないぞ」


 言い切る。

 女王とハリルは、ぴたりと動きを止め、ゆっくりとティアに首を回した。

 疑問符の嵐が、ティアに注がれる。

 ティアはたじろぎ、いくつかの言葉を探し、ついには諦めて言った。


「・・・・・・ごめんなさい。呂布さんの言うとおりです。呂布さんは英雄として働くことはできない、と言われてまして。私も精一杯説得はしたんですけども、納得頂けないものですから。女王様の人となりをみて、判断してもらおうということになりまして」


 小雨のように、ティアが言葉を呟く。問題の先送り、という自覚はあったティアは目を伏せ、両手の指を絡ませていた。


「俺は女王とやらの話を義理立てで聞きに来ただけだ。今は人に仕える気もない。外の軍勢の相手はそこそこ楽しかったが、それだけだ。貴様らのために闘う理由は、ない」


「りょ、呂布さん。そんな」


「情けない声を出すな。そういう約束だったはずだ」


「・・・・・・そうですね、すみません」


 消え入りそうな声でティアが言う。わかっていたことだが、現実として突きつけられると情けない気持ちになった。

 ハリルは事情を察したようだが、声を出さず唸るのみである。

 緊張した声色を制し、女王が言った。


「なんじゃそうか、じゃあ呂布。ちょいと残れ。ティアとハリルは外で待っとれ」


 散歩にいくような気軽さで、女王は明朗に告げる。

 ハリルは眉根を寄せ、女王を見つめるが、数瞬の後、視線をそらした。諦めた、というよりは理解した、という風に表情は崩れていない。

 ハリルは項垂れるティアの肩を抱き、足を引いた。


「行きましょうティア様。では、扉の前で待機しておりますので」


 ティアを引きずるようにハリルが部屋を出た。

 人数が減ったことと呼応するように、室温が下がったような錯覚に呂布は囚われた。

 女王は布団の中で足を曲げ、呂布を先程まで足先があった位置へと促す。


「すまんが動けんのでな。ここで勘弁して欲しい」


 促されるまま呂布が腰を下ろす。白いベッドが大きく軋み、悲鳴を上げた。

 呂布の目が睨むように女王を見つめると――少女は笑った。


「そう睨むな。で、お主はどんな話を聞きたいんじゃ?」


「・・・・・正直わからん」


 呂布の本音に女王は腹を抱え、笑い声を上げる。

 呂布としても、何か意図があって城に来たわけではなく、一種の付き合いのような気持ちでの来城だ。

 君主を選ぶ、という立派な心根があったわけでもない以上、話す内容まで頭が回っていなかった。

 額を掻き、言葉を探す呂布。女王は目端の涙をぬぐい、いった。


「どうせ、ティアにほだされてここまで来たんじゃろ? あ奴にお願いされると、断りづらいからのぅ」


「ティアには森で会った友を死地から救ってもらった。ここに来たのはその礼だ」


「ティアらしいわ。たぶんこう言ったんじゃろ『私なら助けられます』って」


 布下の膝に肘をつき、顔を指で支えるようにして女王が告げる。口角を上げ、楽しそうに微笑んでいる。


「確かに。言っていたな」


「どこでもそうじゃ、ティアは。人を助けて、喜んでもらって、それで満足なんじゃと。会った時は余と同じような子供だったのに献身的な努力が認められ、今じゃ内外で聖女様と呼ばれとる。たいした奴じゃよ」


 呂布は、城に入ったときのティアとハリルとの会話を思い出していた。

 聖女、と呼ばれるティアは堂々と、その言葉を受けていた。おそらく、もはや言われることに慣れているのだろう。


「呂布はティアのことを嫌っとるか?」


「いや、それはないな」


 本心からの吐露だった。今まであった者の中でも群を抜いて純粋だとすら思えた。


「ティアはいい奴じゃ。ありがたいことに、余を親友だと言ってくれとる。余には勿体無いくらいの友じゃ。呂布、余を裏切っても、ティアだけは裏切らんでくれ」


「・・・・・さぁな」


「そっけないのぅ、ティアを泣かせたら、たぶん余本気で怒るぞ。いや、絶対じゃな」


「知るか。・・・・・・むぅ、そうだな、質問。というかひとついいか?」


 照れ隠しのように呂布が切り捨てる。

 次いで、レノン達から聞いた話を思い出し、口を開いた。


「なんじゃ? なんでも構わんぞ」


「この国は滅ぶのか?」


 呂布の声に、女王は笑顔を固める。

 大して興味がある話題ではなかったが、気になっていたことではあった。

 レノン達から聞いた女王像とティアから聞いた女王像、そして眼前の少女。

 そのいずれもに差異があり、呂布は女王の真価を測りそこねていた。

 呂布としても、入城した以上戦場に立つ気が皆無というわけではない。

 ただ都合の良い体裁を取り繕われて、利用されるのだけは嫌だった。

 ティアや城兵を助けるか否か。そもそもその意義があるのか、理由を探すようにして、呂布は自分の立ち位置を決め兼ねていた。


「・・・・・・なかなか、普通は聞きづらいことを聞くのぅ。まぁそういうところに核心はあるものじゃがな」


 ふぅ、と息をつき、少女が僅かに眉根を寄せる。


「森で会った友が貴様の政は下手だと言っていた。そして諸侯が反乱したと。俺の知っている国と同じだ。一領主だったはずの男が国を蹂躙し、帝を意のままに操っていた。そのとき、国は死んだと俺は思ったのだ。貴様もこの国も同じ状況ではないのか?」


 呂布は洛陽の光景を思い出し、問うた。

 昔、董卓が帝を傀儡とし、権力を握ったとき、美辞麗句を誇った王朝の正当性は吹き飛んだ。その後、国は荒れ、呂布自身含め群雄が割拠する時代となった。誰も帝のことなど、利用する以外の意図で考えなかった。

 今同じ状況であるとすれば、女王がいかに何をしようと無意味だ。どうにもかえられない流れなのではないか、と呂布は経験から考えた。

 だが、正解などわかるわけがなかった。自分は策謀とは無縁の男である。だからこそ、聞くしかない。


「なるほどのぅ。傀儡か。余が王位についてから、特にセードルフとの国境付近は荒れたからのぅ。ここで余と一緒に戦っているのも、ウェポ城主くらいなもんじゃしな」


 ゆっくりと息を吸う音が聞こえた。次いで、女王が宣言する。


「だがな、呂布。死ぬわけなかろう。余が死なねば、国は死なん。そういうものじゃ。だから国も滅ぼされん」


「どういうことだ」


「呂布。国とは、なんだと思う」


 決まっている、と呂布は語尾にかぶるように言った。


「権力そのものだ」


「えらく歪な理解をしとるな、そういう側面もあるが・・・・・。だがここでは違う。よいか、余が国じゃ。余が連綿と続く血脈を胸に受け、王位を継いだ。トッテム王国の君主となった時点で、国と余は不可分になったのじゃ」


「意味がわからん。言葉で惑わす気か」


「違うわ、よく聞け。例えばじゃ、お主が余を殺し、首を都に掲げ、王位に就くと宣言すればお主は王になり得るか?」


「なるわけがなかろうが。就く気もないが」


「そうじゃ、何故ならないんじゃ?」


「俺が貴様を討ったところで、俺には何もわからんからな。こっちの世界の国の治め方など知らん」


 自嘲気味に吐き出した言葉に、女王は唸り、腕を組む。

 また根本的に自分は領主に向いていないことは、前世で実証済みだ。考えるまでもなく、呂布は断ずる。


「うーむ、そうか。じゃあハリルが討ったらどうじゃ? あ奴は余の右腕じゃ。まだ若いが、政務の実力はずば抜けておる。ハリルなら国を統治できるかもしれん」


「無理だろう。あいつにそんな胆力があるとは思えんが」


「そうくるか、呂布。お主結構筋を外して考える男じゃな。もっと広い視野で物事を見るもんじゃぞ」


「そういわれたことはないが」


「うむ、良いか? 王となるには、民を含めた大多数に王であることを認めてもらう必要があるのじゃ。一人で王様ですよ、といっても、周りが賛同してくれなければ何もできん、木偶の坊にすぎん」


「ああ、そういう奴がいたぞ。袁術という、猿顔の腑抜けだ」


 同盟を組んでいたらしい、器の小さな男の相貌を思い出そうとするが、猿顔という以外はぼやけた印象しか浮かんでこなかった。


「そ奴が誰かはわからんが、実例がいるなら話しやすいな。名前が出るくらいならそ奴はそこそこの権力者じゃったかもしれんが、勝手に偉くなったつもりの男を他の誰かが認めたか? 自分より偉くなるべきだと押し上げてくれたか?」


「ないな、俺も風評にはあまり詳しくないが、評価は最悪だったとは思う」


「そうじゃろ。王とは一番偉いもの、であると同時に一番非力でもある。他の誰かが土台となって支えてくれなければ、それは夢想家の妄想と何ら変わらん。

 だからこそ、王は王であるために最善を尽くすべきじゃ。戦も、政治も、民のことも、国のことをすべて考え、苦慮し、結論を出し、反感を買いながらも大局を見据え断行する、という果断と滅私の気持ちがなければならん。それが王たるものの義務であり、宿命じゃ」


「果断と滅私」


 うわごとのごとく、呂布は言った。


「そうじゃ、王となって時点でもはや個人ではない。いや、人ですらないのかもしれん。国が余となり、余が国となったのじゃ。だから、国が死ぬ、ということは余が死ぬということじゃ。逆もまたしかり、とな」


 王が王であるのは、王自身のためではないということだ。

 ならば、と呂布は語気を荒くした。


「詭弁だろう。貴様の代わりが貴様以上の適性を持った権力者がいればどうなる。地位があり、人を導き、民に認知された貴族でも出てくれば、貴様はお払い箱ではないか」


「おらぬわ、そんな立派な貴族など」


 切り捨てるように少女が告げる。


「例えば、だ。どうする」


「そのときは退位しよう。そ奴が余以上に国を思い、国の為に全てを賭けられるというのなら、それ以下の余がしがみつく理由はないからのぅ」


「本気か? 王でなくなるのだぞ。貴様はどうなる」


「余以上に国のことを考えている変人などおらんと思うが・・・・・まぁ、そこらへんで宿でも開きながら適当に暮らすわ。それに呂布。もしそれほどの傑物が出たのであれば、国は滅んだといえるのか?」


「・・・・・・む」


 今度は呂布が口ごもる番だった。唇の端を上げ、少女は自分を指でさし示す。


「呂布の話は、余の代わりができただけじゃ。国とは余、という位置から余そのものが外れ、より適正な別人に成り代わっただけではないか。代理の者が国を栄えされるのならば、それに越したことはないとすら思う。

 良いか、国が滅ぶというのはな、王の覚悟もないような今周囲を取り囲んでいるケンカ好きどもに領土を奪われ、民草が泣くような事態になったときじゃよ」


 一息。

 徐々に熱くなってきた言葉を冷ますように、女王が呼吸を整える。


「そして、それだけはなんとしても避けねばならん。さらに言えば、避けられるのは今は余しかおらん。大多数の貴族は利権の維持に必死じゃし、軍も貧弱じゃ。

 だがしかしじゃ、余ならまだ国が滅ぶことを避けられる。何があっても、この国は生かし、護る。それだけじゃ」


 身を乗り出し、少女が呂布に顔を近づける。

 金色の瞳には焦りも憂いもなく、ただ自信がみなぎっていた。

 一方で呂布の心は静かに風が吹いていた。冷めた気持ちが、女王の言葉を理想論にしか感じさせなかったからだ。

 呂布は片眉を上げ、横顔を女王に向ける。興味を失ったように、感情もない声色で。


「貴様がか。鉱山だかを奪われて国を乱した女王がか」


 俺には関係ないが、と語尾が加わる。

 女王はバツの悪そうな顔を浮かべ、中指の先で眉間を押した。


「知っとるのか。意外と情報通じゃな。・・・・・・言い訳にもならんが、アレはもう無理だったのじゃ。父の代からの密約・内通だったようじゃし、介入も手遅れじゃった。最もここまで周囲の貴族たちが呼応したのは計算違いだったがの」


「はっ、悠長だな。こうして死にそうだというのに」


「もちろん、唯ではすまさん。きっちり借りは返す」


 白い獣のように少女が意気込む。

 今までの笑みとは明らかに違う、捕食側の相貌だった。


「どうやってだ」


「だからここを出てからじゃ。出て、国に戻って、いくらでも復讐してやるわ」


「違う。どうやって出る気だ」


「決まっておろう。お主に頼む」


「ふざけるな、まだ俺は助けると決めたわけじゃない」


 呂布は言葉とともに立ち上がり、女王を見下ろした。

 女王はたじろぐことなく、まっすぐ呂布を見つめている。


「助けてください、とお願いしとらん。戦え、と言っておるのじゃ」


「貴様のために戦えと? 理由も義理もないわ」


「そんなものがいるか? 戦場を前にして槍をとるのに、英雄殿は理由がいるのかの」


「ふざけるな、なんのために戦えというのだ。俺は俺のための戦しかせん。利用する気かしらんが、黙って聞いていれば、偉そうに理想をほざくだけではないか。実行できない空論などに付き合う気はない」


「余は女王じゃからな。偉いのが義務じゃ」


「では、死ぬまで偉いままでいろ。じゃあな」


 怒りのまま、呂布は女王に背を向ける。

 もはや付き合う気も失せていた。結局は女王も呂布頼みの話なのだ。

 英雄として呼び出して、武将として使う。それは使役するものとしては大層気持ち良い話であろう。だが、仕える側はどういう気持ちで戦えば良いのか。

 慮外の出来事で召喚されたからこそ、多少は流れに身を任せてみたが――――女王を名乗る少女の話は具体性がなく、先があるようには思えなかった。

 便利に使い潰されるのが分かって、人に仕えるなど、とても出来ない。

 

 一歩、呂布が足を踏み出す。女王は変わらない声色のまま、語りかける。


「そうか、お主はあくまで自分のためにしか戦をせんか」


 一歩。


「それがなんだ」

 

 一歩踏み込み、呂布は背中で答えた。


「また死ぬ気か。同じように、同じ場所で」


 足が鉛の如く重くなった。

 足裏が沼のように石畳に嵌っていくようだった。


「――――――何を、言っている」


 振り返り、呂布が言った。


「余はお主を召喚した者じゃからな。英雄の最後の記憶が混線して、余の中にも入り込んでおるようでの。お主の死ぬ間際までの心情なら把握できとる。

 お主、あの負けを後悔しとらんのか」


 女王は英雄の記憶を想起する。

 身を圧する敗北感と失望感、そしてそこにあるはずの感情がポッカリと空いていた。


 女王の言葉に、死ぬ間際の光景が呂布の頭を掠めた。

 呂布は目を怒らせ、眉尻を上げた。

 ハルバートを横へ振りかぶる。


「・・・・・わかった。もう良い。貴様と話す気は失せた。覚悟は出来ているようだな」


 人の心に土足で踏み入る所業に我慢などできなかった。少なくとも、初対面の子供に好き勝手されるほど、やすい敗戦ではなかったはずだ。

 呂布は殺意を視線に代え、足を踏み出した。


「答えよ、後悔しとらんのか」

 

「してないな。あれは俺の戦だった。全力で戦い、負け、死んだ、それだけだ。戦とはそういうものだ」


 もう一歩踏み出す。

 命を奪うことを決めた時から女王の首は刃圏の中にあったが、なぜか柄に力が入りきらなかった。

 呂布は気を入れ直し、視線を外さないまま、女王の首に鋒をあてる。ぬめりとした刃の波紋が、僅かに揺れたような気がした。


「理解したことを述べろ、といっているのではない。お主はあのとき、一片たりとも、後悔も懺悔もなかったというのか。その感情を聞かせろ、といっておるのじゃ」


「知るか、話は終わりだ」


 僅かに柄を握る手を傾け、振りかぶる。

 後はただ横に手を滑らせるだけで、女王は死ぬだろう。

 女王は、まだ呂布から目を離さない。金色の目が、深く呂布の心を覗き込んでいるようで、呂布も視線をそらすことができなくなった。


「呂布、いいか。後悔しろ」


「何?」


「負けとはそういうものではないのか。後悔しても良いのじゃ。悔いて、無様に散った仲間たちに謝罪しても良いのじゃ。だから、次を諦めるな。自分を諦めるな」


 死を前にしても、女王の語気は弱まることはなく、徐々に激しさを増していった。


「諦めてなどいない。俺は俺の戦を貫いた。だから」


 思わず、呂布は言葉を返した。反論する気などまるでなかったが、思いが引っ張られるように口から飛び出す。

 完敗した戦と、呂布は死ぬ間際の一戦を認めていた。

 そうすることが礼儀だとすら思えたからだ。戦死、という結果も戦場を糧としてきた呂布にとって不遇なものではなかったし、むしろ妥当だった。

 自分の生き方を曲げずに死ねた、という気持ちがあの戦にはある。

 だから、


「だから、満足したのか。それは嘘じゃ。誤魔化しに過ぎん。その証拠にお主は再び戦をすることを投げ出しておる」


 少女の言葉に、呂布は動揺した。

 冷たい針でつつかれたように、心臓が大きく暴れだす。呂布は、何故動揺しているのか、自分でも理解できなかった。

 焦りを消すように、言葉を重ねる。自然と語気が荒くなっていく。


「何を言う、俺は呂布だぞ。戦場こそ生きる場所だ。その俺に戦場を投げ出すだと? 分からんくせにほざくな!」


「口聡いのも偉い人の必須条件でな。呂布よ、負けは負けなのはわかる。だが、負けたことを受け入れろ。理解ではなく、感情でじゃ。心に蓋をしたまま頭だけで事実を理解しただけじゃ、人は前には進めん」


「俺がいつ投げ出したというのだ。負けたのはわかっているし、受け入れている。それだけだ。ほかに何がある」


「悔しくないのか。お主は、戦に負けた自分を恥じないのか」


「負けは負けだと言っているのだ。曹操が俺より上手だった、それだけだ。そのことを、死に際に理解したのだ」


 本音だった。

 呂布としてはそれ以上の感慨はなかった。負けを認めた以上、その負けについて深く考えることもしたくはなかった。


「呂布、それは理解ではない。お主は勝つことを諦めただけじゃ。自分の限界を悟って、此奴にはかなわぬと、諦めただけじゃ」


「俺はこの城に戦をして、突破してきたのだぞ。単騎でな。その俺が勝つことを諦めているわけがなかろうが」


「そうか。ではお主に余の兵をくれてやる。いますぐ兵を率いて、敵陣を突破してみせよ」


「俺を舐めるな。そんな口車にのせられるわけなかろう。闘う義理も理由もないといっている」


「では想像しろ。兵を率い、門を抜け、雷神に陣を構えたとする。敵兵は多かろう。そこで呂布、お主は華々しい活躍をするのであろうな。

 ・・・・・・では、お主の部下は、お主の特攻で何人死ぬ?」


 寒気がした。

 脳裏を掠めたのはカヒの光景だった。自分の全力が敵に届かないという無力さが、走馬灯のように駆け巡る。

 過去の自分であれば笑い飛ばす程度の話題だと理解はしている。だが、配下が敗れ、死んでいくことが瞳孔に焼き付いたように離れなかった。

 次に空想したのは、野戦で突撃する自分の姿だった。敵を切り開き、戦場を支配する姿だ。馬上で徐に振り返った先にあるのは、敵味方関係ない屍だけとなっている。

 呂布は自分自身の変化に戸惑った。以前の自分であれば、こんな無残な想像はしない。そもそも、部下の死に動揺することもなかっただろう。

 その無法さこそが、呂布ではないのか。では、今の自分はなんだ。


「ようやく気づいたか」


 自然と手が震えた。女王の息も短くなっているが、呂布はそれに気づくことはできなかった。


「余が呼び出した英雄はお主じゃ。だが、お主は今のままで良いのか? 負けっぱなしは癪にあわんじゃろ」


 カヒの敗北の光景が、繰り返すように胸を締め付ける。押し出された空気が、歯の隙間を縫うように息となって漏れ出す。

 感慨なく、乗り越えたと思っていた敗戦の記憶が、後を追うように自責の念となって呂布の心を侵食した。

 女王の手がハルバートの刃に伸び、柳の葉のように刃を動かす。

 呂布は促されるように、刃を下ろした。


「お主は強いんじゃな」


 うなだれそうになる呂布に、女王は意外な言葉を告げた。

 呂布はおもねりか侮蔑の言葉と思ったが、女王の表情は真摯なままだった。

 呂布の返事を待たず、言葉が続く。


「その歳で、後悔を受け入れないなど普通はないことじゃ。

 人間数あれど、誰しもが大小問わず敗北を経験するものじゃ。そして、自責か他責か考え、懺悔し、奮起するものじゃと余は思っておる。

 お主は、初めて自分の責任で負けたことを認めた。今そのことを後悔している。次は後悔を乗り越えれば、より強い自分になっているじゃろ? それが少し羨ましい」


 白い百合の微笑が揺れる。

 女王の言葉は年相応のものではなく、老いた女のもののようだった。










 吹き出す汗が包帯を濡らし、それがまた不快だった。

 イザーギは自軍の陣の中心に腰をおろし、攻略すべき城を見つめる。

 燃える城が、月の光を跳ね返し、陽炎に立ち上っている。

 篝火の薪が爆ぜる音が耳朶に響き、眠りを誘う。

 今晩は城攻めしない旨の軍令を出していたため、城の周囲は昼までとは違い静かなものに変わっていた。



「父上」


 聞き慣れた声にイザーギが首を傾ける。

 少年のような相貌と将軍然とした服装がイザーギには少しおかしく思えた。


「おお、我が息子。フェルンさんじゃないか。まだ起きてたのか」


「寝れませんよ、あんなことがあれば」


 あんなこと、と言葉を濁しているが、イザーギにも見当がついた。

 陣を断つが如く蹂躙した一騎の英雄の話だろう。

 みると、夜の影とは違う、目の下に痣のような影が見える。疲労と屈辱が、休息を許していないようだった。

 カラカラとイザーギは笑う。


「ありゃすげぇな。城攻めなんて悠長にしている場合じゃないかもなぁ」


「父上、今度こそ奴を討ちます。次回の城攻めの際は、どうか私を先陣に任じてくれませんか」


「やなこった。危ねぇだろ」


 血色ばむフェルンをイザーギは冷たくあしらった。


「父上! 私に雪辱を濯ぐ機会をッ」


「お前はもう一介の将軍だろうが。お前のワガママのために、自分の兵を生贄にでも捧げるつもりかよ。物事は常に大局的に考えな。広い視野がないと、この先死ぬぞ」


「し、しかし」


 なおも追撃する子に、イザーギは言葉を重ねる。

 それは、イエロ家において決定打になりうる言葉だった。


「どうせもう良い。明日までに進展がなければ『雷霆』を使う。それで終いだ。あいつにもそう伝えてある」


 フェルンの目が見開かれる。

 聞き耳を立てていた周囲の兵に、波のようにざわめきをが広がった。


「お待ちを! ウェポ城にはティア聖女がいます。反逆罪に問われかねませんッ」


「お前には悪いが、乱戦のうちに死亡、とでも親書に書いとくか。まぁ、どうにでもなる。

それよりはあの呂布っていう豪傑だ。女王と組んだとすると、嫌な予感しかしねぇ」


「あの男のために、今まで陣を張ってきた成果を取り逃がすと?」


「わからん。ただの猪武者なら魔法引っ張り出してまで潰す必要はないんだがな。

 ・・・・・・おい、フェルン。お前、トッテムの英雄って知っているか?」


 突然の問いにフェルンの顔が曇る。


「いえ、存じませんが」


「まぁ、もはや古典だしな。しゃあねぇか。セードルフ・トッテムの国史それぞれに、記載がある文言があってな。『王の下に星屑が落ち、英雄が現れた』なんていう、今一理解しづらい文章なんだが・・・・・・その分登場以後、セードルフは劣勢になっている旨の記述が目立つようになる」


「・・・・・・その英雄があの呂布という男だと?」


「可能性の問題だが対策はすべきだ。女王が城に入り準備をし、召喚術を使って英雄を呼び起こしたとして・・・・・・一ヶ月前から埋伏していたんであれば、それくらいの大魔法は使えるだろう。まぁ、念には念ってやつだ。仮に何もなければどうということもないし。あったら、対策しておいてよかったね、だ」


「そのために、教会の反感を買うのですか」


「おいおい、主題を違えるなよ。俺らがここにいるのは、あの王冠かぶっているだけの爺のせいだろう。爺はなんて言ってたよ?」


 数瞬の沈黙を経て、ゆっくりとフェルンが言った。


「『女王の拉致、かなわなければ抹殺』・・・・・です」


「そうだなよな。フェルンは勉強はできるんだがなぁ。応用が甘い」


「お戯れを。では、拉致は諦めたのですね?」


「だから言ったろ。明日までは一応待ってやる。あの爺に言い訳するのは面倒なんだが、まぁ逃がすよりはマシだ。ついでにいうと、あの野郎は時間がかかりすぎている。面子を立てるために、これまで待ってやったんだが、これ以上は無理だ。諸将も焦れてきているし、いつ情報が漏れるとも限らん。

 つーわけでフェルン、魔法部隊に通達だ。『雷を授けよ』。あくまで準備だ。まぁ、俺が行くまで使えないと思うけどねぇ」


「・・・・・・了解しました。『雷を授けよ』」


 不承不承といった様子でフェルンは言葉を繰り返す。

 浅く頭を下げ、フェルンが踵を返す。

 背中から、父の鼻歌が聞こえてきたのが、どうしようもなく不快だった。


 だが、事実は変わらない。

 

 大将たるイザーギ=イエロの言により、ウェポ城最期の瞬間が、ここに確定した。




 


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