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王子(40代)




「おお、ティア様。よくぞご無事でッ」


 状況がわからず困惑する兵士たちを押しのけ、男が駆け寄ってくる。

 背は高いが、もやしのような体をしたおよそ戦場に似つかわしくない外見の男だ。

 ティアと呂布の前で弾ませていた息を整え、男は銀縁のメガネを人差し指で直す。

 ティアは柔和な顔で、男の言葉を迎え入れた。


「ハリルさん、貴方こそお元気そうで何よりです」


「ティア様に比べればなんていうことはありませんよ。一人でこの大軍を抜けて、また戻ってくるなんて、本当に奇跡です。・・・・・・それで、こちらの方が?」


 おそるおそる、といった様子でハリルと呼ばれた細身の男が呂布を見上げる。

 明らかに腰が引けていた。

 苦笑しながらもティアが呂布に手のひらを向け、言った。


「そうです。呂布さんです。すっごい強い方ですよ」


「ああ、そうですか。いやはやそれは何よりです。しかし、本当に間に合ってよかった・・・・・・」


 わかりやすく胸をなでおろすハリルに、呂布は憮然とした様子で答える。


「すまんが、まだこの戦に協力するかは決めとらん。期待するな」


「え、それはどういうことで」


「く、詳しい事情は後で話しますから。とりあえず女王様のところへ行きましょうッ」


 焦ったようにティアが困惑するハリルの背中を押す。

 ハリルはもたつきながらも、諦めたように先導を開始した。

 館への道を示すように、僅かな篝火が呂布たちの足元を照らしている。

 

 進みながら、呂布は思案する。

 見る限り、ウェポ城はまさしく瀕死の重傷といえた。

 城壁は削れ、滑落した壁石が脇を固めるように積み上がっており、特に城門付近の東西の2箇所の損傷は大きく、土嚢を積み重ね薄くなった城壁と城門の隙間を何とか埋めていた。その土嚢に数人の兵士たちが身を寄せるようにして眠りについている。

 城兵は各々が雑魚寝でもするように無秩序に眠っており、その誰もが黄ばんだ包帯を何かの印のように体に巻いていた。絶えず聞こえるうめき声が、先ほど突破した陣との対比を思い起こさせる。

 見上げると、一際大きな館が城の真ん中に聳えており、その壁の上方には無数の矢が突き刺さっている。おそらくは、長弓の絶え間無い攻撃を受けていたのだろう。

 呂布は、ここまでの状態でよくぞ城を残せたものだ、と感想を抱いた。


 館の入口までたどり着き、扉を開けると、薄暗い廊下に出た。3つの足音が反響し、呂布の耳につく。


「酷いですね。2日前はこんなに悪い状況じゃなかったんですが」


 ティアが、耐え切れなくなったように悲痛な面持ちで言った。


「最近特に攻撃が強くなったのですよ。防衛魔法がなければ、とっくに壁にとりつかれて落城しているところでした」


 先頭を歩く細めの男が告げる。


「いや、逆だ」


 最後に歩く大男が異を唱えた。


「え?」


「この程度ですんでいることに感心したのだ。普通の城ならば、三万の兵に囲まれればとっくに落城している」


 呂布の抱いた感想は、内に篭り奮戦していた者では抱けないものだった。

 ウェポ城は呂布のいた時代の城とは明らかに違うが、城が防衛施設であることは間違いないだろう。

 しかし、城内には見たところ500程度の兵しかおらず、3万の敵と数において隔絶した差が開いている。そうした状況で昼夜攻撃を受ければどうなるか。

 矢に殺されるか、内乱を招くか、自害するか、狂ってしまうか、そのいずれかだ。

 しかし、ウェポ城の兵はそのいずれも当てはまらず、1ヶ月戦い続けている。

 可能性があるとすれば――死をも恐れぬ味方が集っているのか、敵が手を抜いているのか、どちらかとしか思えなかった。

 呂布の推察をよそに、ハリルが嬉しそうに言葉を重ねる。


「いやはや、兵たちが奮闘していますからね。そのおかげでしょう。でも、皆その言葉を聞けば喜びますよ。呂布殿、是非明日城兵たちに話してやってください」


「いや、俺はまだ協力するとは決めておらん。あくまでティアの頼みで女王と話をしに来ただけだからな」


「え? いやはや、それは」


「ほ、ほらハリルさん。ここ、ここ降りないと!」


 呂布の言葉に思わずハリルが振り返り、足を止めた。

 わざとらしくティアがハリルを引き止め、石畳から地下に延びる階段を指差す。

 階段の奥は僅かな篝火もなく、深く細い闇の入口となっていた。

 

「おっとこちらでしたか」


 ハリルが慎重に壁に手を添えながら、階段を下りていく。

 ティアと呂布も習うようにそれに続いた。

 階段は途中で1回大きく右に曲がり、しばらしくして視界に赤いぼやけた明かりが入ってきた。

 階段の先に、広い個室のような空間と扉が見える。

 赤い炎を登らせる蝋燭の下、4人の兵士が直立し、警戒している様子が伺えた。


「ご苦労さま、異常はないですか」


「はっ、異常ありません」


 ハリルの声掛けに、白い鎧を着た兵士が声を揃えて答える。

 兵の一人が階段を下りてきた呂布を見て、ハリルに説明を促した。


「こちらの方は?」


「ええ、客人ですよ。ご安心を。ティア聖女がお連れした方ですから」


「おおっ、聖女様。よくぞご無事で」


「はい、ありがとうございます。では、失礼しますね」


 ハリルは兵士に挟まれていた扉の取っ手をつかみ、懐から取り出した金の鍵を差し込んだ。

 幾度か鍵をひねり、金属が擦れる音が響くと、扉が押し開く。

 

 室内は薄暗く、室温も外よりも低い。とても快適とは言い難かった。


「ここに女王が? 随分と陰気な場所にいるのだな」


 3人が部屋の中に入ると、ゆっくりと扉が締まり、呂布の背後で先ほどの金属音が鳴った。

 ハリルは慣れた様子で室内の蝋燭に明かりをつけていく。小さな火が蝋燭の後ろに備え付けられた鏡に反射し、徐々に室内が照らされていった。

 ハリルの手から人知れず炎が出ている。おそらくは魔法の類なのだろう。

 明るくなった部屋は非常に奇異な内装をしていた。

 まず呂布の目に付いたのが床の絵だ。床には赤黒くなった血で巨大な円と文様が描かれている。透明な容器の破片が部屋の隅に散らばっており、壁には虹色の文字のようなものが所狭しと書かれている。ひっそりと壁に添えるようにベッドが置かれている以外は、ことごとくが異常だった。


「王の趣味にしては奇抜だな。王は高いところにでもいると思っていたが」


「上空は弓や魔法での攻撃がありますから。地下のほうが貴人の護衛には最適なんです。それに、諸事情がありまして」


「諸事情だと?」


「ご覧になればわかります。女王様はこちらに」


 ハリルがベッドに歩み寄り、呂布を促す。

 呂布がベッドを覗き込むと、ハリルは繊細な手つきで、ベッドの上の布をずらした。


 出てきたのは、人形のような少女の顔だった。

 真っ白に染まった髪が、布団の布の色と同化している。

 顔に生気はなく、白磁のような肌が冷たく感じられた。呼吸はしているが、ただそれだけだ。

 ティアよりも幼い、年端もいかないであろう少女を確認すると、呂布はハリルに不満げに言った。


「・・・・・・女王がどこにいるというのだ」


「いえ、ですからこちらが女王様ですが」


 困ったようにハリルが言うと、呂布は改めて眼下の少女を観察する。

 何度見ても、静かに目を閉じる人形のようにしかみえない。


「・・・・・・なるほど。よもやと思うがコイツではあるまいな」


「じ、女王様ですよ、呂布さん。コイツとか言っちゃダメです!」


 慌てて呂布を止めるティアの声に、呂布は懐疑した答えを再度問うた。


「童にしか見えんが。まさか本気か?」


 呆れ口調で告げると、ハリルは胸をはり、若干頭を下げながら堂々と言った。


「恐れ多いですよ、呂布殿。こちらの方こそが、トッテム王国のユミルリ女王様です」


 ティアがハリルの言動に頷いている。

 呂布は溜息をつき、寄せた眉根を指で触る仕草を見せる。

 幾ばくかの思案の後、仏頂面の呂布がずかずかと足を踏み鳴らした。


「・・・・・白けたわ。帰るぞ」


「り、呂布さん。ちょっと待ってください!」


 踵を返し、扉へと向かう呂布をティアが腰をつかみ引き止める。

 構わず部屋の真ん中まで進んで後、呂布が縋るティアの頭に手を置いた。


「茶番になど付き合えるかっ」


「嘘じゃないです。本当にこの方が女王様ですよ」


 立ち止まり、ティアの頬を呂布が思い切り押す。柔らかな肉が圧迫され、ティアが大きくのけぞった。


「だから茶番だと言っているのだ! 女王だと? まったくこの国の仕組みはどうなっているんだ。董卓が擁立した献帝のほうがまだ年上だったわ」


「それがどなたかは知りませんが、この方は私と同い年です!」


 ティアの発言に、呂布は思わず固まる。

 ティアに手を引かれ、硬直した思考のままベッド傍に再度立ち直る。

 何度見ても、十を数えたばかりの年齢の少女にしか見えない。


「ティア、一応聞くが貴様は幾つだ」


「呂布殿、女性の歳を聴くときはもう少し柔らかな口調で」


「煩い黙れ」


 呂布は、ハリルの言葉を一刀両断し、ティアを真剣な表情で見つめる。

 ティアは恥らいながら、掌に乗せるように右手の指を2本添えてみせた。


「じゅ、17歳です」


「ティアと同じだとはな。何と・・・・・・、信じられん」


「嘘じゃありません。召喚魔法の核になるのは、王家の方ですから。長年貯めてきた魔力を全部使わないと、とても召喚なんてできないんです。今回の召喚も、女王様は13歳頃から成長を止めて魔力を貯めていたので、ようやくできたんです。だけど中身は本当に17歳ですから心配いりません。呂布さん、私嘘ついたことありますか?」


 念を押すように、ティアが呂布を覗き込む。


「・・・・・・無いな。だがそんなことがあり得るのか」


「召喚魔法はそれくらい大きな代償を払うものなんですよ」」


 信じられない話だったが、この世界に来てから驚くことにも慣れてきている。

 魔法なのだから、なんでもありなんだろう。

 呂布は無理やりそう納得し、ティアに促した。


「わかった。では、こいつを叩き起こせ。俺はとっとと見限って帰る」


「なんで協力してくれない前提なんですか。というかですね、そこに非常に重要な問題がありまして」


「さきほどの諸事情ですね」


 ティアが言い淀み、掌を掴むようにして合わせる。

 フォロー、というよりは合いの手を入れるハリル。


「何だ、それは。もう驚かんから言ってみろ」


「実はですな、いやはや大変言いにくいのですが。女王様は今昏睡状態でして」


「昏睡? 眠っているようにしか見えんぞ」


「召喚で魔力を放出しきった反動で、意識不明になってしまっているんですな。そこで、この召喚魔法を行使した部屋ならば魔力の濃度が一番高いと思い、ここで眠って頂いている、という寸法です」


「……で、どうするというのだ。まさか、一生ここで座して待てというのではあるまいな」


 では、失礼しよう、と呂布が何度めかの退却の言葉を口にしかけたとき、ティアが恐る恐る言葉を吐き出す。

 それは、神に祈るような、声だった。


「そこです、お願いなんですが―――」


 言葉を切り、ティアが喉を鳴らす。

 中々二の句を告げず、唸るティア。

 緊張感が伝わったのか、言葉を待つ間ハルバートを掌で遊ばせる呂布に、あっさりと横から咳払いと爆弾が投下される。


「ゴホン、いやはや、つまり。女王様とキスして欲しいわけですな」


 キス。だと。

 未知の言葉だった。魔法のおかげか知らないが、脳髄の奥に艶かしい言葉が挙手しているのを感じたが、それは無視する。

 呂布はその言葉の意味を考え、考えに考えて。


「斬す、だと」


 最も自分に似合う言葉を選び、言った。

 頭を振り、ハリルが再度かの言葉を告げる。


「キスです」


「……忌す、だと」


「いやはや、現実をお認めください。キスです。接吻です。お口とお口が出会うわけです」


 無情な結論が、呂布に叩きつけられる。

 当然、看過できる問題ではなかった。

 呂布は感情をぶつけるように、ハリルに叫んだ。


「接吻だと、ふざけるな。何故そんなことせねばならん」


「呂布さんを召喚するときに、女王様から魔力を渡しているんです。ですから、今の呂布さんに残った余分な魔力を返してあげて欲しいんです。それには、その。なんていうか」


「経口挿入が一番効率的でしてな。ちなみに過去の英雄たちと女王や王がキスすることを、割霊の儀と呼びまして」


 恥らいながらも説明するティアと淡々と事務的に言葉を重ねるハリル。

 説明の呼吸もあっており、理解しやすいことが余計に呂布の気を逆撫でした。


「ふざけるな! ・・・・・・ちょっと待て。その言い方だと、英雄とやらは男とも接吻することがあるのか」


「勿論、男の王が呼べばそうなりましょうな。ちなみに一番有名な例で言いますと約300年前、かのユーリ大帝が英雄召喚の際、魔力の伝達が上手く行かなかったらしく最長記録となる2分43秒もの接吻を行ったことが国史に記されております」


「煩い黙れこの雑魚が。この国の歴史なんぞどうでもいい。おいティアどういうことだ。話と違うではないか。俺は話を聞きに来たのだぞ」


「はい、すみません。その、中々殿方にキスを頼むというのは、すみません。勇気がなくて」


「勇気を出せ!」


 心からの叫びだった。


「も、申し訳ありませんでした」


「こればかりは出来ん。諦めろ」


 40を超えた男が少女に接吻をする。

 少なくとも、呂布はその類の行いを喜んでするような男ではない。


「なにをおっしゃるのです。いやはや、良いですか? 女王は国民からの人気も厚く、熱狂的な信者がいるほどです。そんな女王様とキスできるなんて、まさしく役得といったものではないかと」


「そんな巫山戯た連中と一緒にするな! 第一それならば貴様がしろ。権利を譲ってやる」


「確かに過去そういったことをおっしゃって、実際に代理の方がされたことがありまし――」


「よし、ではそいつで行こう。ほら、ハリル。とっとと接吻でも何でもするがいい」


 ハリルの言葉を遮り、呂布が女王を指差す。

 ハリルは丁寧に眼鏡を直すと、仰々しく襟を正し、ついでに身を反らす。

 何度かの咳払いした後、細い腕を上げた。

 呂布に向かって。


「では、失礼して」


 挨拶ともに背伸びしたハリル。

 伸びてきた唇に、呂布は横殴りの拳で答えた。

 ハリルの体が宙を舞い、重い音と備え付けの棚が崩れる音が響く。

 壁近くで蹲るハリルに、呂布は肩で息をしながら告げる。


「貴様、何故俺に来た」


「ハ、ハリルさん。色々と大丈夫ですか? 」


 ハリルは眼鏡を立ち上がり、眼鏡を右手で直し、呂布に近づく。

 歩いている姿勢は非常に真っ直ぐなのだが、どこか足元がおぼつかない。


「いやはや参りましたな、代役しようと思っただけですのに。あれ、これ。かなり頭が痛いですな。ティア様、私の頭横にズレたりしてませんか」


「頭の中身がズレとるわ。貴様、ただの変態ではないか」


「違います。私はどちらかというともう少し年上の女性が好みの男でございます。それに愛する妻もおりますし」


「知らん!」


 呆れ顔に血を垂らしながら、ハリルが説明を始める。


「いやはや良いですか? 先ほどティア様が申し上げたとおり、この儀式は英雄の魔力を王に戻すのが目的なのですよ。と、なれば代理の者が英雄から魔力を受け、王に流すしかないでしょう」


「・・・・・・ティア!」


「ひゃい!」


「助けろ!」


 ティアの裏返った声など気にせず、呂布は汗をかきながら懇願した。


「む、無理です! 呂布さん、説明も聞かないで許可だしたりするからですよ。それにその代役の話って、確か王に男性の英雄が呼ばれたときの話でしたよね? 女王様を間に挟んだっていう」


「いわゆるサンドイッチ、もしくは両手に花、こと徒花という奴ですな」


「うるさい。くそっ、さっきまで戦場を駆けてきた俺が、なんでこんなことで悩まければならんっ。出来るか、こんなこと! ティア、城でもなんでもそこの女王を抱えて勝手に抜け出せ。俺は鬱憤晴しにイザーギの首でも上げてきてやる」


 床石を踏み抜くほどに盛大に音を立てながら、呂布は肩を怒らせ出口に向かう。

 そうはさせない、とティアが呂布の目の前に滑り込み、やんわりとした説得を開始した。


「りょ、呂布さん。落ち着きましょう。ね? 私が悪かったのは、本当に認めますから。一緒に考えましょう」


「いやはや、血の気が多い方ですな。ですが、是非接吻してください。召喚された英雄の魔力を戻さないと、女王様は死んでしまうのですよ」


 頭を抑えながら淡々と告げるハリルに、今度はティアが驚きの声を上げる。


「え? そうなんですか!?」


「ええ、今は体に残った僅かな魔力で命を燃やしている状態らしいですので。兄の見立てでは、このままでは持って明日までと」


「ハミトさんの言うことだったら、きっとそのとおりなんでしょうね。魔法に関することですし・・・・・」


「はい、我が兄はそれだけが取り柄ですので。ですから呂布殿」


 一瞬ひどく熱意のかける声をティアが出すが、ハリルは動じることなく言葉を続ける。


「何があっても接吻して頂きたいのです。もっとも女王様のことは極秘事項として箝口令を引いておりますので、キスするのは私か、ティア様か女王様のいずれかですな」


「何故貴様の名前が一番先に出てくる」


「では、ティア様か女王様ですな。いずれに?」


 銀縁のメガネが輝き、ハリルは口角を上げ、告げる。

 唸る呂布を見て、ティアが何度も頭を下げる。


「呂布さん、お願いします。女王様が死んでしまうなんて、絶対にダメです」


「俺には関係ない」


「で、でしたら。わ、私でも良いです。私を経由して、女王様に魔力を注ぎます。私、お姫様が王子様にキスしてもらって目覚める絵本とか、よく女王様と一緒に読んでましたし」


「貴様の覚悟の話をしているのではない。俺がしたくないと言っているのだ」


「逆にそこまで嫌がる理由が知りたいですな。見たところ呂布殿は結婚もしていたのでしょう?」


 いい加減覚悟を決めろよ、といった冷たい目が呂布を捉える。

 ハリルは眉を弓のようにし、笑っているのか怒っているのか、判別つかない表情を見せた。


「・・・・・・まぁな、妻も子もいたが」


「ただの儀式です。往々にしてあることですよ。恋人や夫婦ではなく、大人が子供にすることです。唇に少し触れるぐらい、構わんではありませんか」


 一息。


「それに私なら覚悟を決めますがね。女王様かどうかは関係なく、唇が少し触れるだけで、ひとりの人間の命が助かるんですよ? 呂布殿」


 なんでもないことのようにハリルが告げる。

 挑発のような、諭すような、そんなあやふやな物言いだ。

 ハリルの言葉は呂布にはこう聞こえた。

 細身の、決して戦場に向いていない私ですら男気を見せているのに、お前はなんの意地を張っているんだ、と。


 呂布の男の矜持を撫で上げる、絶妙な言葉だ。

 呂布は生来議論派ではない。舌が人並みに達者であれば、言い返せる程度の論説であったが、呂布の誇りが弁明を阻んだ。

 無骨な男が意地を張りたがる部分を、シリルは巧みに突いたのだ。

 しかし、すんなりと行動できる問題でもなく、言葉にならないことを唸るように喋ることしかできない。


「い、いや。しかしな」


「わかりました。ではこうしましょう。貴方が女王様を目覚めさせてくれたら、我々が出来うる限りの要望に応えましょう。いかがです?」


 望外の提案に呂布が目を丸くする。次いで、見下したように小さく笑った。


「出来うる限りだと? この廃城じみた籠城戦の主がか」


「はい、ですから可能な限りのこと、と申し上げた次第で。呂布殿なら、先ほどの様子を察するに女王様を娶って王位につく、なんていう暴挙はしなさそうですしね」


「・・・・・・聞きたいことはある、が」


「では、女王様に目覚めて頂いた後お答えしましょう」


 外堀を埋め終わったハリルが、笑顔で呂布を誘う。

 呂布は、頭を掻きながら、その場で円を描くように大股に動いてみせた。

 十周ほど回った後、びたりと立ち止まり、強い声で呂布が言った。


「むぅ・・・・・・くそっ」


 多大な葛藤との激戦を乗り越え、声の主はそのままベッドに近寄り、眠る少女を見つめる。

 予想外の行動にハリルが声を上げた。


「おや、女王様にしていただけるのですか? てっきりティア様だと思っていましたが」


 電流が走ったようにティアの体が跳ねる。

 口をへの字にして、細かく震えながら呂布を見た。瞳孔が開きっぱなしだった。


「まだ、見た目が幼く人形みたいな方がましだ」


「うわぁ、それはそれで傷つきますけど」


 蚊帳の外となったティアが項垂れ、不満そうにむくれた顔を忍ばせている。

 呂布としても、体裁など気にしている余裕などなかった。


「煩い、黙っていろ」


 心臓が高鳴る。

 少女の吸い込まれるように、視界が狭まっていくのを感じた。

 人形だと思え。 人間だと思うな。そう、なんでもないことなのだ。

 鼓動が最高潮に達し、思考が白くなってくる。

 耐え切れなくなり、呂布は思わず少女から顔をそらした。


 

 ――視線の先に、興味を隠しきれない様子の顔が2つ見えた。

 物珍しそうな顔と興奮した顔が、頬を赤らめながら呂布を覗いている。ベッドに腕を起き、体を乗り出して、目を爛々と輝かせていた。

 呂布は無言のまま、ベッドに立てかけていたハルバートを左手一本で逆手に持ち上げ、思い切り横に突く。

 ティアとハリルの傍を、豪速の柄の先が貫いた。

 風を顔に受け、少女が石床に尻餅をつく。ハリルは顔を横に向けたまま、固まっていた。


 呂布は、恥辱に歯噛みしながら今一度少女を向き直し、はたと気づく。

 というよりは、急速に気だるくなった。開き直ったといってもいい。

 ――そもそも、ここまで悩むこと自体が情けない話ではないか。

 我を張れば張るほど、ハリルやティアの掌で踊らされているだけなのではないか。

 

 もう、面倒だ。子にしたのとかわりないはずだ。

 とっととやってしまおう。

 投げやり気味に呂布は意を決した。

 酷い脱力感とともに、呂布は肩を落とし、顔を伏せる。

 唇の先に僅かな感触を覚え、感慨もなく顔を上げる。ただの作業とでもいうように淡々とした所作だった。


 変化はまず呂布の耳を襲った。

 初めは、金属を擦り合わせたような音が耳につき、それが徐々に高く大きく膨らんでいく。

 音がつんざくほどに強くなると、蛍の灯りのような白い泡が呂布の視界を横切った。綿じみた光はその数を増やし、そしてゆっくりと眠る少女へと吸い込まれていく。

 呂布が自分の体に目を向けると、石鹸に化けたように自分の体から光の玉が浮かび、飛んでいくのが見て取れた。試しに指でついてみるが、貫通し触ることもできない。これが魔力だと、と呂布は直感で理解した。


「いやはや、やりましたな! 兄の情報通りです」

 

 握り拳を作り、ハリルが叫ぶ。

 希薄だった少女の気配は、光を吸い込むごとに大きくなっていき、最期の珠を吸い込むと音も余韻を残し、消えていった。

 静寂を取り戻した部屋で、ティアが堪えきれずにベッドに駆け寄る。


「女王様!」


 ティアの呼び声に反応はない。

 顔は先ほどよりも血色を取り戻しているが、瞼を開こうとはしなかった。

 女王の肩をつかみ、ティアが体を揺する。

 その激しさにハリルが震えるティアの腕を止めた。


「ハリルさん、女王様が」


「落ち着いてください。やるべきことはやったのです。あとは、ティア様の得意分野ですよ」


「なんですか?」


「祈りましょう」


 ハリルの言葉にティアは本分を思い出し、少女の手をきつく握り、目を閉じる。

 心の底から絞り出すように、強く念じた。

 何万回と繰り返してきたはずの所作は、不格好で力づくの、初めての教会で神に誓ったような雑な形となった。

 やがて、掌の中で小さな手がささやいた。

 静かで、僅かな動きにティアは勘違いかもしれないと顔を上げる。

 眠る少女の睫毛が、数回震え、ゆっくりと目を開いていく。


「女王様!」


 感嘆の声に、やはり緩やかな動作で、少女が答えた。


「ティア、か」


 か細い声が、確かにティアに届く。

 我慢できなかった。


「私、私やりましたよ。ほら、英雄です。私たちを助けてくれる方をお連れしました」


 涙声で訴えるティア。

 呂布は半目で微笑む女王をただ眺める。

 視線に気づき、女王が顔を上げた。吸い込まれるような金色の目が、感情を出さずに揺れている。

 数瞬の間、目をそらさず、見つめ合う。


「お主は?」


「呂布という。貴様を助けるかどうかはこれから決めるがな」


 悪態をつき、呂布が告げる。

 呂布の声に女王は微笑みかけ、言った。


「では、お主の口づけで余は目覚めたというわけか。なかなかに目が覚める気分じゃ」


 事情を把握していたらしい女王は、たどたどしく言葉を紡ぐ。

 女王はしっとりと微笑みを深くし、言った。 


「英雄殿は、随分老け顔の王子様じゃな」


 眉を釣り上げる呂布に、女王はカラカラと笑ってみせた。


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