雷神
破裂音が絶え間なく響き、馬体が沈む。咄嗟にハルバートを左手に持ち替えると、呂布は手綱を切り、何とか城壁の前の空間に馬を落ち着かせようとした。
土埃が高く舞い上がり、馬が棹立ちになる。断末魔のような嘶きの後、後ろ足を滑らせた馬が、背中から崩れ落ちた。
呂布は咄嗟にティアの体をつかみ、胸元に手繰り寄せ、その遠心力のまま横に身を滑らせる。
幾度か転がった後、呂布は土とは違う煙の匂いを感じた。
天に顔を向ける。落馬など久しぶりだった。右手の中でうずくまるティアに目を向けると、痛みに身を震わせているが、大事はないようだった。
視界の隅で、騒ぎを聞いてか、燃える城の城壁の上から、覗き込む兵の頭が見えた。月の灯りに照らされた兵の顔は頬がこけ、眼下から登る朱色の光源のためか、幽霊のようにすら見えた。
上半身を起こし、馬を探す。
ティアがようやく目を開き、呂布に状況を尋ねる。
「い、一体何が」
「馬だ」
呂布は短く応え、右隣から背を照らされるように横たわる馬を見つけた。
思わず、ティアを力ずくで引き寄せ、駆け寄る。
馬の息が荒く、目は虚ろだった。目の窪みから、涙が漏れている。
「ティア、治せそうか?」
ティアは縋るような目を直視できず、うつむいて頭を振った。
「すみません、昨日魔力を使いすぎたせいで。今はとてもそんな力は」
ティアの言葉に、呂布は眉根を寄せ、わかった、と短く言った。
ハルバートを大きく振りかぶる。
せめてもの情けと、まっすぐ落とされた刃が戦友の首を寸断した。
呂布は白みを帯びていく馬の目を隠すように、瞼を指で下げ、看取る。
「すまぬ」
呂布は唇に力を込めながら、先ほど感じた匂いを探った。
薄い煙と、焦げた匂いがすぐに鼻をついた。
「これは、鉄砲ですね。狙撃されたみたいです」
「さきほどみた筒のことか。てっきり破裂音を出す武器だと思っていたが、あれで馬を殺すとはな」
鼻をひきつかせるティアに、呂布はできるだけ冷静に言葉を続ける。
先ほどの敵陣の中で呂布に向けられていた、金属の筒を再度空想する。馬首をすぐに切ったため、呂布にはあの武器がどういったものなのか全く理解できていなかった。
「音とともに鉄の弾を飛ばす武器です。当たり所が悪ければ、呂布さんでも即死ですよ」
ティアに促される通り、馬の胴体に目を向けるといくつか馬体に小さな穴と、血液の筋ができているのが確認できた。
呂布としては会話しながらも周囲を警戒していたつもりだったが、破裂音と馬が揺れたタイミングを考慮すると、相当な速度の射出物であると推測できた。
「へっへっへ」
場違いな声に呂布が振り向く。声の主は城とは逆の、敵陣から響いていた。
「なぜ笑う」
怒りを顕にし、呂布が告げる。
声の主はたじろぐことなく、言った。
「いやいや、気分を害したならすまねぇな。こんな敵の前でのんびり鉄砲の解説なんざしているからよ。つい笑っちまった。いや、たいした度胸だ」
男は呂布を眺め、立ち上がる。
紺色の髪をうねらせて、頬の脇ほどまで伸ばしており、左目を隠すように黄色い布が乱雑に巻かれている。高く伸びた鼻の下に、森のような濃く長いヒゲが口元から顎下まで伸びていて、男が喋るたびにそれらが揺れた。
「貴様は?」
「ああ、お初お目にかかる。イザーギ=イエロだ。よろしく。一応この戦の大将やっているものだ」
イザーギ、と名乗った男は目端から伸びる顔の皺を歪ませて、見定めるよう呂布を見た。
「大将首か」
「そうだな。一応、そういうことになるな」
飄々と、実のない答えを口ずさむ。
次いで、蹄が跳ねる音がイザーギに向かって近づいてきた。
馬に乗った青年は飛び降りるよう体を滑らせ、手綱を離し、叫ぶ。
「父上! 今の銃声は・・・・・!」
「あ、倅じゃねぇか。いやだな、良い子は寝る時間だぞ」
「お戯れを、それよりどうして」
「父との会話をそれより、で切り捨てちゃうのかよ。俺泣いちゃうなぁ」
「父上! 話を聞いてください。いや、それよりなぜ撃ったのです! 聖女が一緒に騎乗しているのですよ!」
非難する声に、面倒そうにイザーギは額の右の皮膚を掻く。
左目を隠す汚れ切った包帯が気だるそうに動いた。
「うるせぇよ。俺はお前ほど敬虔な信仰心はもっちゃいないんでな。第一、ウチの砲撃隊があんなデカイ的撃ち漏らすわけあるか」
呂布の後ろで眠る馬を指差し、イザーギは自信たっぷりに答える。
フェルンは納得いかず声を荒げようとするが、イザーギは手を振り、それを制した。
「恥ずかしいところ見せちまったな。で、一応聞くがあんた何者だい?」
「名乗る義理はない」
「ま、そうさな。では、聖女様。貴方ならご存知でない?」
「その前に質問を。イエロ伯爵。貴方は今何をしているのかわかってらっしゃるのですか?」
一歩足を踏み出し、ティアがイザーギに強い声色で告げた。
「と、いうと?」
「トロワランス教会の者に銃を向けるとは。教会への敵対行為と捉えますがよろしいですね」
いいわけがない。若輩とはいえ、この世界の最大宗派である教会の幹部たる自分に、銃口を向ける。その意味を理解しているのか。
ティアは言外の意志をイザーギにつきつける。
トッテムのユミルリ女王がこの国の象徴ならば、トロワランス教会はこの世界の象徴とも言うべき組織といえる。当代の医学では治せない呪いや傷に対処できる癒し手、神官を擁し、その力ゆえに国々に影響力を持つ組織。それがトロワランス教会だった。
ティアの言葉を、顎を手にのせて聞くイザーギ。それは何度も頷いているようでいて、何も聞いていないような軽快さを持つ動きだ。
だが、それだけだった。
「がっはっは、この状況で大した度胸だ。いいねぇ、若いってのは。実に素直だなぁ」
「父上!」
父の行動に、フェルンは再度非難の声を上げる。
「お前は黙っていな。それにな、俺たちは聖女様、貴方様を守りにきたんだよ。こんな辺境に幽閉されているらしい貴方様をね」
仰々しくイザーギが言った。
「何を言うのですか」
「トロワランス教会の第3位の方が、じきじきに布教のために2ヶ月くらい巡礼の儀に出るなんて珍事は過去の歴史にないそうでね。教会本部はその異常性を重く受け止めていらっしゃる。そこでだ、俺が幽閉されているであろう貴方様をお助けしたいと進言したところ、お許しが出たのさ」
「そんな馬鹿な・・・・・・! 私は今こうして自由に行動していますし、幽閉などされていません。第一、今回の外遊はトッテム王家から打診され、教会が正式に受理したものです。セードルフ公国の、ましてや一領主のイエロ伯爵に軍権を行使される謂れはありません」
「そのようでしたねぇ。だがここまで大事になってしまうと俺としても兵を止めようがない。引っ込みがつかないわけですよ。それに、幽閉に関わったとされているウェポ城主には審問のため、教会本部に出頭してもらう必要があったんだが、意外と強情でしてね。出頭には応じない、といわれてしまった。となれば、非常に悲しいですが俺たちが引きずり出すしかないでしょう? なんせ教会と貴方様の名誉のためにも、しっかりと審問にかけないといけないわけですから。そういったところ、周囲の貴族も賛同してくれましてね。あ、俺も信奉者ですし」
都合のいい発言にティアは声を荒げた。
利用されたことを自覚するが、そのことを恥じている場合ではない。
状況を動かさなければ、自分も―――そして秘密裏に城に潜む女王も死ぬのだ。
「詭弁です! あの貴族たちは貴方が調略したのでしょう?」
「そんなこと言います? 彼らは駆けつけてくれただけですよ」
陣の後ろを見るように、イザーギが肩をひねり顔を後ろに向ける。
遠く、篝火に照らされるように朱色を基調とした旗印がいくつも風になびいていた。
ティアは頭を捻り、考える。
教会の意向を詐称することは死罪に相応する罪だ。虚偽の可能性も勿論高いが、セードルフ公国の伯爵が自分の口から、領地を投げ打つ覚悟で詐称を白状するとは到底思えなかった。もし、正式に認めたことが本当であれば、今ティア自身がウェポ城にいる最大の意味、トロワランス教会の仲裁による停戦という選択肢は潰えたことになる。
教会の者は各国と協定を結び、その処遇が補償されている。協定を破れば、さきほどイザーギに告げたように教会を敵に回すことになる。すると、今後の教会との関係性に罅が入るだけでなく、教会が仲介する商業や情報取得への悪影響や国としての品位を貶めるリスクを負うことになるため、協定違反を行う国は基本的にはいない。
ましてや、教会の幹部として名を連ねている者を殺したとなれば、批判は必至だ。
だからこそ、イザーギは先手を打ったのだ。
女王が召喚術のために城に潜んだことを隠す、という目的のため、ティアが外遊の一環としてウェポ城へ滞在していること。それそのものに嫌疑をかけたのである。
教会としてはトッテム国からの正式な要請とはいえ、政情不安定な国のましてや首都以外の場所に長期間幹部を配置し、危険に晒すわけにはいかない。今回のトッテムの要請も、ティアが必死に掛け合うことで、無理を通して許可を出させたものだった。その無理を通したことで、結果的に隙が生まれた。
隙さえあれば、後は簡単だ。イエロ伯爵は教会本部に一国の納付金に相当する額を毎年献上している、表面上は敬虔な信奉者である。金があれば、隙をつくことは容易い。
それでも、諦めるわけにはいかない。
ティアは堂々と決して退かず、言葉を返した。
「では、私が責任もってウェポ子爵を教会へとお連れします。ですので、即刻この包囲網を解いてください」
「申し訳ないが、その意見には従えないですね。教会の第3位ともあろうお方が、教会が各国および領主に命令する規則を知らないわけ無いでしょうし」
「それは」
ティアが虚をつかれたように、口篭る。
教会は元来独自の兵を持っていない。命を奪うことを教義で固く禁じられているため、死に準ずる位置にいる兵士を擁する事はできない。そこで、各国に依頼文を出し、領主の私兵を活用する規則となっている。現実としては、莫大な金品かそれに見合う対価と引き換えに兵を動かしてもらうこととなっており、今のティアにはそのいずれもが存在しない。
「勘違いしているみたいですけど、俺は聖女様、貴方様の味方ですからね? 貴方への誤解と疑惑を払うため、義勇兵として参上しているだけです。もしご自身で誤解をとかれたいなら、俺の子でも護衛につけ、教会本部まで貴方だけでも先に送り届けますよ」
イザーギが親指を横に向け、フェルンを指す。フェルンは憮然とした表情のまま、事の成り行きを見守っているようだった。
ティアは額の汗を拭い、思考を回す。
もはや表情を取り繕う余裕はなかった。
城を離れたところで落城すれば、女王は拘束されるだろう。末は拷問か暗殺か、いずれにしても最悪の未来しか想定できない。
しかし、城に入ったところでどうなる? 留まっていても、落城したら同じことだ。これでは、英雄を召喚し、呂布を連れてきた意味がないではないか。
ティアは目の前が真っ暗になったような気分だった。希望がない、ということに、うなだれ、同時に怒りがこみ上げてきた。
目の前の男は、女王がウェポ城にいることまではわかっていないかもしれない。それでも、詰んでいることには変わりはない。
無力な自分に歯噛みしながらも、必死に心を奮わせて、ティアは突破口を探した。
打開のきっかけを思いついては、頭の中で否定し、次を探す。
ティアが唸っている横で、呂布は徐に言った。
「おい、貴様」
怒りを帯びた声色が、イザーギに向けられる。
腕を組み、睨みつける。
「なんだい、大男さん」
「ごちゃごちゃと煩い。ティア、とっとと城に入るぞ」
顎を使い、ティアに告げる。
有無を言わさぬ言葉にティアは息しか吐けなかった。
緩慢な動きのティアの手を取り、呂布が叫んだ。
「城兵! 聞こえるかッ、門を開けろ。聖女とやらを連れてきてやったぞッ」
怒号混じりの声が遠くまで響いた。城門の上に兵たちがせわしなく動いている様子の影が見えた。
憤然とする呂布に、フェルンが鋭く言った。
「そうはいかぬ。聖女はこちらで保護したい。落城の折、御身を傷つけるかもしれん」
「童士は黙っていろ」
鷹のような目がフェルンを捉え、竦ませる。
怒りの質で言えば、さきほど対峙したときよりもより大きく、強いものになっているのがフェルンにもわかった。
「そうです! 私が乗っている騎馬をなぜ撃ったのです。危険にさらさないためというのなら、それこそ真逆の行いなはずです」
ティアが思いついた言葉を吐き出す。
ティア自身を攻撃した事実は変わらないのだという主張に、イザーギは飄々と答える。
「さきほど説明したとおり、うちの砲撃班は優秀なので、心配しとらんですよ。てっきり野盗にでも去られているのかと思いましてね、馬と―――ああ、そこの大男の方しか狙ってないんでね」
「野盗ではありません。彼は護衛です!」
反論ではなく、訂正が思わず飛び出した。
ティアにはこれ以上何も思いつかなかった。どうあがいても目の前の男は言葉を返し、反論し、ティアを説き伏せるというイメージしか湧いてこなかった。
歯噛みしかできない自分を責めるティアの耳朶に轟音が飛び込んだ。
正確には、場にいた全員が耳で捉え、体を震わせる。轟音は、呂布が力いっぱい突き立てたハルバートの柄の尻が地に突き刺さった音だった。
地鳴りのような音が響いた後、呂布が唸るような声で言った。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと。上っ面の言葉遊びばかり繰り返すな。俺の馬を射ったことは勘弁してやる。だから、邪魔をするな。なんなら、今ここで貴様を殺しても構わんのだぞ」
殺気がイザーギ達を超え、待機する兵たちに突き刺さる。数人の兵が腰を抜かし、倒れた。
「殺す、か。こいつが聖女様の護衛かい。まるで――伝記の英雄のように剛毅だな」
ただの比喩のようにイザーギが告げる。
ティアはその言葉に顔を青くし、目を見開いた。
わかっている、この男は。全て。いや、違いかもしれない、でも。
言葉がまとまらず頭を駆け巡る。そして、最悪のケースを想定し、より一層顔から血の気が失せた。
「だがですね、俺としては貴方は傷つけることはできないが、コイツは別だ。本音で言えば、今でもかなり譲歩しているわけですよ、たとえば」
息をつき、雷神が告げる。
「レヴァンドロの件とかね」
イザーギが右手を軽く掲げると、砲兵が構えをとる。
数としては100ほどの砲兵が、その銃口を呂布に向けている。
「何をっ! やめてください、彼は私の護衛です!」
「だからですよ、こっちも面子ってもんがあるんでね。普段なら路肩の小石くらいにしか思っていないですし、大切になんかする気もないが」
雷神は眼光を鋭く、尖らせた。紺色の髪が風で踊り、飄々とした衣を風とともに手放した。
「―――俺の部下を殺したツケは払ってもらう」
低い声色が、ティアを竦ませる。威圧された、ということではなく、体の芯から震えるような恐怖だった。剽軽さを取り払った本性は、やはり歴戦の勇たる男だった。
これだ、とティアは震える体を必死に抑えながら思う。
この凄みが、英雄なのだと思った。呂布とよく似た、そして何度もトッテムが苦渋を舐めさせられ、けっしてトッテムには無い「英雄」その人なのだと。
だからこそ、呂布は英雄として迎えなければならない。
ティアが呂布の前に身を晒し、言った。
「殺させるわけにはいきません。彼は、希望なんです」
自分など盾にもならないだろう。
それでも私は私のやるべきことを、いや、やりたいことをやるべきだ。
両手を広げるティアに呂布が冷たい声で言った。
「どけ」
「どきません」
「あやつ等を殺せば済む話だろう。初めに頼まれた国を救うということも、何もかもがだ。俺が貴様の希望通りにしてやる」
トッテムを助ける。それはやってやろう。だから、俺にあいつを殺させろ。
呂布の問答無用の覇気にティアは歯を鳴らしながら、言葉を何とか繋げる。
「ダメです。それじゃ何も変わりません。貴方は雷神に勝つかもしれません。でも、それだけです。きっと呂布さんも死んじゃいます」
「だからどうした。そのために呼んだのだろう」
呂布が吐き捨てる。
「違います。私が命を賭けたのは、仲間の神官たちが命を失ってまで得たかったのは、本当にこの国を救う方です。これから先、できる限り長い間、一緒に戦ってくれる戦友ですッ」
「我侭な。それに、そんな戯言をきく謂れはない」
利用するために呼び出して、思ってもいない綺麗事を吐くのか。一瞬頭によぎった言葉が、理性を弾き飛ばして、呂布の心の熱を激化させる。
呂布がティアに協力しよう、としたのは、キノンを救ってくれた礼と、女王のために頑張っているという、ティアの真っ直ぐな気持ちに感化されたからだ。
だが、それだけだ。
今、舐めた真似をされたことを我慢する理由はない。
「どけ」
呂布の言葉は今までと違い、冷たく、遠慮もないものへと変わっていた。
僅かに気づいた信頼が砂の城のように崩れていく感覚。
何が違う? どう言えばいい?
頭はもうこんがらがってしまって、思考は酸欠寸前だ。
もう、良い。と思った。呂布が英雄であることが露呈しても、芋釣り式で女王の居場所が判明しても、大した問題ではない。重要なのは、落城し、捕らえられれば、女王は死ぬといういうことだ。
ならば、気持ちを吐き出せ。
戯言かどうかなんて、これから証明して見せればいいのだから。
「そうです。これはあくまでお願いです。身勝手な召喚をして、貴方の人生を変えてしまった私の我侭です。呂布さんは言いましたね。本当に自分でいいのか、って。私、あのときは言っていいのか、悩んでしまったけど―――」
体ごと向き直し、足で地を踏み込む。呂布を見あげ、ティアが告げる。
「私は、貴方が良い。どんなときでも全力で、不器用だけど格好いい、そんな貴方が良いんです。だから、生きてください」
「――――ッ」
呂布は、ティアの水色の目を見据え、思わず目をそらした。
まるで、見てはいけないものを見たような気持ちが胸を占めた。
なんだ、これは。
初めてあったとき、この女は人のために真っ直ぐだった。だが今は違う。人のためではない、自分の気持ちに真っ直ぐだ。
それ以上に馬鹿だ、と思った。信じきっている。会ってそれほど経っていない大男のことを。
全力だと? よほどお前の方が全力で精一杯ではないか。
こんな小さな体で。震えながら。今だって、銃で撃たれるかもしれないというのに。
心が熱を帯びていく。誰かに頼られたときに出てくる感情。何度も経験していることだ。前世でもこの気持ちはあった。だが例外なく扱いが粗末になり、当然だと思われて報われず、馬鹿にされ、しまいには利用していただけだとばかりに切り捨てられた。
わかっている。これは一時の熱だ。振り回されるな。後悔はしない。だけれど、失望し、陰鬱な気持ちになる。頼りにされた、ということは利用された、ということにほかならないのだから。
曲がった性根は治らない。だけれども、熱い熱を帯びた金槌で打たれたように、錆びて曲がった心が、少しだけ真っすぐにのびようと熱を帯びていくのを感じた。
「うるさい」
唾とともに吐き捨てる。
否定されたのだとティアは縋るように声を震わせる。
「呂布さん・・・・・・!」
呂布は思う。
さんざん馬鹿だと罵られてきたが、そんな自分よりも。
「貴様のほうがよほど馬鹿だ」
「ば、え?」
想定外の返答に目を白黒させるティアを抱き寄せる。
色々誤解したティアが糸で吊るされた人形のように、手をばたつかせた。
呂布は腰を持ち、ティアに囁きかける。声色が、普段通りに戻っていた。
「ティア、身をまるめろ。怖いかもしれんが気にするな」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げるティアを他所に、呂布が体ごと城に向き直し、叫ぶ。
「城兵!受け取れ・・・・・! お前らの大切な聖女だッ、むんっ!」
腰を限界まで捻じらせて、力を一点に集中させる。
腕が熱を帯び、限界まで膨らんだ。
隆々とした筋肉が、その作用を増幅させる。
気合一発。
踏み込んだ左足が大地を押し込み、右腕が城壁の上を真っ直ぐに指し示す。
投げ出されたティアの体が、燃える城壁を避けて、上空へと吹っ飛んだ。
「きゃぁぁあああ!!」
甲高い声が響き、放出された少女は見事に城兵の待つ壁の上へと姿を消す。
鈍い音が2度くらい聞こえたが呂布は無視した。
「おやおや、どういうことだよ」
「どういう膂力をしているですか、貴方は」
呆然と事の成り行きを見ていた親子はそれぞれ呆れ具合を言葉で表現した。
まさか、人間の力で6mを超える石壁に人を飛ばせるとは思うまい。ましてや切り札だったはずの聖女を空中へ放り投げることも。
首を鳴らし、事の主犯者が不敵に笑う。
妙にすっきりとした顔をしていた。
「さて、邪魔者は消えた。殺り合うか。どうやら俺は死ねんらしいのでな。お前らを殺すだけになると思うが、気にするな」
炎を背に悪鬼が構える。ハルバードの刃がゆっくりとあがり、イザーギを捉える。
分厚い板のような殺気が消え、広く場を包むような殺気が呂布から飛んでゆく。100の砲兵全てが殺気に怯え、ハルバートの刃圏が自分に伸びているような錯覚を覚えた。砲兵たちは引き金に指をかけるが、射線を思い描くと、次には自分の首が飛んでいる想像が拭えない。
砲兵は縋るように、総大将の背を見つめている。
「・・・・・・辞めだ」
イザーギはやる気なく言った。
右手のひらを手首で返し、ヒラヒラと泳がせる。
砲兵たちはそれを合図に、銃口を下ろした。
「父上、一体?」
「ティア聖女こみなら砲兵100人分でも価値がある相手だが、単独ならそこまでの価値があるかは正直わからん。わからんモンに虎の子を犠牲にしたくないんでな。戦っている最中にティア聖女くらい隙見てカッさらえると思ったんだがな」
頭を掻き、イザーギは大きく伸びをした。呂布の刃圏にいるのにもかからわず、攻撃してこないことを知っているような気安さだった。
「嘘を吐くな。先ほどの眼は獲物を前にした狼の目だった。打算が働かせて発するものではない」
「へっへ、買い被りすぎだな。で、あんたはどうだ。腸煮えくり返っているんだろう? 俺としちゃもう手打ちにしたほうが損害も少なそうでいいんだが、どうしてもっていうんなら相手になってやれるぜ」
フェルンが背に抱える槍をとる。
喉を鳴らし、呂布の返答を待っているようだった。
呂布はハルバートを下ろし、言った。
「よそう。ティアの機嫌を損ねるのは目に見えている」
「へっへっへ、女にゃ勝てねぇってか。面白いやつだな、あんた。気に入ったんなら今のうちに手をつけときな。あれはいい女になるぜ」
「趣味ではない。遠慮しよう」
色々と失礼なことを呂布は素直に述べる。
その答えに、イザーギは大層愉快そうに笑った。
「へっへ、なるほど。じゃあな、英雄殿。せいぜい城にこもってお姫様でも守ってな」
「呂布だ。馬の分の借り、必ず返すぞ」
「こっちもだ。お前の右腕も削いでやるよ、呂布」
飽きたようにイザーギが背中で答え、闇へと姿を消していく。
次いで、兵たちがじりじりと後退を開始した。
呂布の後ろで鎖が動く音と木材が軋む音が響く。
振り向くと、城門がゆっくりと開いていた。観音開きの扉が軋みを悲鳴のようにあげ、呂布を誘う。ティアが開けてくれたのだろう、と呂布はあたりを付ける。
防衛魔法は城の門の表面にかけられていたものらしく、呂布は土を蹴り、熱さを感じることなく城へと足を進めた。
隙を見て城へ踏み出そうとする兵もいたが、呂布が睨みつけると動きを止め、萎縮するのがわかった。
門が閉まり、城兵たちが猛獣を見るように呂布に視線を送っている。
そのどれもが痩せこけ、弱々しい眼光だった。
息を弾ませる音に呂布が左をみると、ティアが城壁から壁伝いの階段をつかい降りてきていた。
駆け寄るティアに向け、呂布は胸を張り、言った。
「ティア、どうだ。生きて戻ってきたぞ」
どうだ、見たか、といった感じの言葉に、ティアは胸に手を置き、息を整える。
「そうですね。それはまずありがとうと労いを。お礼は大切ですし。でもですね・・・・・・」
次の言葉を待つ呂布を尻目に、少女が感情を爆発させた。
「やるならやるって言ってくださいって、何度言ったらわかるんですか!」
今日だけで死線を飽きるほど潜らされた少女が、涙目で叫ぶ。
至極真っ当な怒りであった。
「すまんな」
「もういいです!」
何度か繰り返したやり取りをもう一度行い、ティアが呂布を睨みつける。
良くないのだろうな、とは呂布も思ったが弁明の言葉は生来苦手であり、うまく言葉にできないでいた。
頬を膨らませるティアと口をへの字にし、頭を掻く呂布。
対峙をやめたのは、ティアだった。我慢できない、とばかりに口から空気が漏れる。細かく揺れるような笑いは、やがて大きくなった。
無双のようだった先程までとはまるで違う印象が、どうにも可笑しかった。
ティアの顔に釣られて呂布も口角を上げる。ティアの頭を軽く叩くと、歯を見せて笑ってみせた。
状況を理解できない城兵が頭に疑問符をつけながら、状況を見守っていた。