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呂布だった者



 風が頬を撫ぜた。


 気持ちのいい柔らかな風であり、だからこそ違和感に目を覚ました。

 暖かな日の光が、男の視界を徐々に鮮明にさせてゆく。


 深く、長い眠りから覚めたような気分だった。


 上体だけを起こし、伏し目がちだった目線を上げる。周囲は草原が延々と続いていて、小高い丘のようになっていた。生まれ故郷の并洲にどことなく似ているようだ。

 しかし、并州に比べ明らかに緑の色が濃い。土煙もなければ砂塵も巻いておらず、并洲の風はもっと鋭いものだった。それでも、ここは長安や洛陽よりもはるかに心が安らいだ。


 風を感じよう、と立ち上がると体から軋むような音が聞こえた。

 長年戦場でかけてきた自分にとって、初めての感覚であった。まるでまだ体に馴染んでいないような、不本意ながら部下の馬を借りたように座りの悪い気分だった。


 見渡しても周囲には草原と、木々があちらこちらに自生しているだけだ。もっと遠くに目をやると、連綿と続く緑の絨毯のむこうに、山の谷間に身を隠すように建物が見えた。うっすらと朱色の軍旗のようなものがはためいている。


 旗を見ると、ぞくりと背筋に悪寒と快感が綯交ぜになったものが登ってくる。それが興奮なのだと自覚すると、男は普段の要領でその感覚を丹田に押し込んだ。男は興奮を受け入れる。戦場で負け続けた時に身につけた、感情の振り幅を抑える術であり、晩年に身につけざるをえなかった律し方だった。


戟を振るう腕、馬を操る脚、戦場で人を殺す生き方。一旦は真っ新になっていた心に、男はさきほどまでの、死ぬ間際までの自分を落とし込んでいく。


「そうか、俺は」


 自覚なく飛び出た言葉が、次の言霊を連想させ、動揺となる。


 しん、としていた心が蠢いた。


 自覚したくない、という思いもあったが、それを無視した。なにより、今まで負かしてきた者達に強いてきたこの気持ちを、自分だけが無様に無視することは矜持が許さなかった。


「負けて、死んだのか」


 徐州の折、戦に負け、鎖で首を絞められた。膝を付き、首に鎖を結ばれたまま城壁に身を投げ出される中の光景が思い出される。

はたして、最後に見たのは何であっただろうか。曹操の顔か、劉備の顔か、それとも二度と動くことのない愛馬の顔か。


 だが、それがどんなに哀れみを込めた目線であっても、興味がないと切って捨てる目線であっても、敗者はただ受け入れなければならない、と男は思った。なぜなら、それが今まで自分が数々の敗者に強いてきたものだからだ。


 カーン、と銅鑼の音が聞こえる。思考を止め、風音を切り裂くように、何度も音が響いていた。

 かすかに見える城の影から、黒い煙が上っていた。落城するのだろう。鐘の音のせわしなさから、必死さが感じられた。

男は、目を覚ます前まで自分が居た場所と同じだと思った。


 だが、男は動かなかった。助けるでも見学に行くでもなく、遠くに見える城の影をただ目で追っていた。


 敗者は語る術を持たない。語る資格もない。今まで数多の人にぶつけてきた自身の暴言が、男自身に、深く根付いていたのだ。


「なぜ、俺は生きている。呂奉先は、あそこが死に場所ではなかったのか」


 かつて呂布と呼ばれた男は、心に風穴を開けたまま、再び現界した自分の運命を呪い吠えた。



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