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死にたがりは虹の下で堕ちる

作者: 百円

 雨はいつの間にか止んでいた。もともと弱く頼りない雨だったから、屋上のコンクリートも薄っすらと濡れた程度。雨が空気に浮かんだ汚れを落としてくれたせいか、まだ誰も呼吸をしていないような、新鮮で澄んだ空気が広がっていた。すぐ近くにある錆びた手すりには、まだ乾いていない水滴が付いている。

 チャイムの音。どうやら、授業が終わったらしい。コンクリートと錆びたドアで遮断された屋上でも、がやがやと煩い喧騒や、どっと緩んだ空気が少しだけ伝わってくる。午後の授業は眠いものばかりだ。世界史、古典、理科……。まるで意図的に選んだのではないかと思えるような時間割を組んでいる。

 サボれない真面目な生徒は可哀想だ。いや、居場所があるだけでもまだマシか。


「はろー」


 後ろから声が聞こえ、びくり、と肩が跳ねた。


「あははー、何びびってんのー?」


 間延びした声の主。振り返ると、ドアに寄りかかっている男の子と目が合った。長い黒の前髪から目尻の下がった優しそうな瞳が覗く。緑のネクタイ、ということは二年生だ。こちらから見ても、髪や制服が濡れている。……ということは、さっきの雨に打たれていたのか。


「いつから、そこに……」


 久しぶりに声を発したせいか、少しだけ声が掠れる。


「ずっと、ずーっと前から」


 彼は、へへへ、と輪ゴムのように口を緩ませる。柔らかで軽やかな笑顔。私もこんな風に自然に笑えたら、クラスメイトから空気のように無視されることもなかったのだろうか。温度の全く感じさせない視線を思い出し、ずっしりと重くなる胸をさりげなく押さえた。彼はと言うと、そんな私の気持ちを察している様子もなく、呑気ににへらと笑みを浮かべたままだ。


「なんで、あんたはここに居るの?」


 それはこっちのセリフなんだけど。


「サボり」


 ぶっきらぼうに返事をしてみた。びゅう、と音を立てて風が吹き、彼の長い前髪がふわりと揺れた。


「ほんと? 死のうとしてないの?」


 穏やかな表情の彼から「死」という言葉が出てきて、心臓をぎゅ、と掴まれた気がした。少しだけ息が苦しい。


「知らない」

「そっかあ」


 彼は、咄嗟の私の答えに食いつく様子もない。にこにこ笑いながら受け流し、空を見上げる。


「今だったら、きっと、みんな注目してくれるよ」


 彼につられて見上げると、そこに水彩の絵の具を筆で真っ直ぐのばしたような虹が淡く滲んでいた。

 虹だー。わーすごい。下のほうから好奇と感動が混じったはしゃいだ声が聞こえる。グラウンドまで、わざわざ出てきて空を指差したり、写メを撮ってる者も居る。


「空に薄く滲んで、やがて消えていく虹みたいに、自分の命も葬るんだよ。こっから飛び降りてさ。素敵だろ?」

「何。君は、死にたいの?」

「知らない」


 お返し、と彼は口元を歪めて悪戯っぽく笑った。何コイツ。


「ってか、知らないの? 屋上に出る、幽霊の話」

「何ソレ」


 目を細める。友達なんて存在はとっくに消えた。誰にも話さず毎日を消耗している私に、そんなオカルト的な噂が耳に入るわけがない。


「高校二年の生徒が、十年ぐらい前かな。飛び降り自殺したんだよ」


 飛び降り自殺。

 ふわりとした高揚感。心臓の鳴る音も感じる間もなく、薄れていく意識。

 一瞬、ぞわりと鳥肌が立つ。


「そんでね。偶然だか、狙ったのか知らないけど、その生徒が飛び降りるとき、虹が出てたんだよ」

「ふーん」


 生返事をしながら、鳥肌を知られないように、ゆっくり肌を撫でる。


「目撃者はかなり多かったみたい。それ以来、幽霊がね、屋上に出てくるんだって。今日みたいな、綺麗な虹が架かった午後に」


 彼は嬉々とした様子で話す。何がそんなに可笑しいのだろう。

 はぁ、と溜め息を吐くと、きらきらと輝いた目が真っ直ぐこちらを見ていた。



「僕と一緒に、落ちる?」



 『落ちる』という言葉の意味は容易に想像出来て、つい、頷きそうになった。でも、私は気持ちを押し殺して首を横に振る。気持ちが折れてしまわないように、彼から目を逸らした。


「無理」


 口から漏れた言葉は掠れていて、強引に絞り出したような声だった。


「死にたいけど、死ねないから」

「そっか……」


 そうだよね、と乾いた声が聞こえ、恐る恐る彼を見ると、さっきとは違った寂しげな笑みに変わっていた。


「また、会えるかな?」

「知らない」


 私が即答すると、彼は苦笑した。


「じゃあ、虹が出たときに、また会おう」

「……虹が出たとき」


 私が復唱すると、そう、と彼は優しく微笑んだ。

 ゆっくり、彼は手を挙げる。「さよなら」の合図だろうか。

 私もつい、手を挙げた。


「また会おうね」


 この言葉には答えられなかったけど。彼は踵を返し、そのまま屋上を去っていく。

 がちゃん、と扉の閉まる無機質な音。その音が鼓膜に届いたとき、どっと疲労感が押し寄せてきた。彼と話しているときに感じなかったのが不思議なぐらい、体がだるく、喉が渇いていた。そう言えば、人と話すのはとても久しぶりだった。

 すぐ後ろの手すりに寄りかかる。その時吹いた冷たい風が体を突き刺した。私の緑のネクタイがふわりと舞う。

 彼はきっと、私の正体に気づいていたんだろう。


 ――「わー虹だ」

 ――「すごーい。綺麗だねー」

 ――「おい、お前ら。屋上見ろよ、女の子が立ってる」

 ――「え、ほんとだ。ってか、あの場所、やばくね?」

 ――「あ、落ちる……!」


 一番初めの記憶が風と一緒によみがえる。

 そうだ、私は死にたくても、死ねない。死のうとしても死ねない。何度浮遊感を味わっても、何度気を失っても、気がつけば手すりを飛び越えた、あと一歩で落ちる、この場所に居る。空を見ると、いつも虹が架かっていた。

 私は、とっくに死んじゃったのかな。幽霊なのかな。もう、落ちても誰も見てくれないのかな。

 じゃあ、私は何のために自分を殺すんだろう。


 ――空に薄く滲んで、やがて消えていく虹みたいに、自分の命も葬るんだよ。


 そんな綺麗な理由じゃない。

 私はただ、誰かに見て欲しかった。ただ、誰かに注目して欲しかった。ただ、誰かが私に対して言葉を発して欲しかった。


「……虹が出たとき」


 空を仰ぐ。目を瞑ると、彼の笑った顔を思い出した。

 不思議だな。今まで、成功しますようにって思いながら落ちていたのに、今は、失敗しますようにって祈っている。


「もう一度、会えますように」


*




 そして、私はまた堕ちた。

叙述トリックを使ってみました。

上手くできてますかね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 題名に惹かれて読みました 時間がなかったのでさらっとでしたが、汗 雰囲気がとても好きです! 今後も執筆活動頑張ってください!!
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