無能の皮を被った裏切り
さえずりからのまとめ
第二次世界大戦において、日本とドイツで起きていたことは、わざわざ負けるために戦っていたということだ。
もちろん、指導者はそう訴える訳ではない。
国民の多くも、その逆を信じて苦難に堪えていた。
だが、勝つために行うべきことを回避して、困難を自国に課す行為は指折り挙げられる。
そもそも、日本は当時は帝国だった。
天皇を戴き、君臨させているのだから、全ての君主制を打倒したいとするソ連とは相容れない存在だった。
だから、日本軍はシベリアでソ連と戦う可能性は真剣に考え、ドイツとの同盟はこの為に進められた。
日本がソ連に襲われた場合には、ドイツが参戦する、脅しとして。
日独伊三国同盟は、対英米のためのものではなく、対ソ連用。
飛行機も車輌も寒冷地用に対策しても、南方用の研究は無に等しい。
だから、日本は米国による石油輸出禁止に怯えてはいた。
しかし、肝心要の戦略が最初から破綻していた。
FDR、ルーズベルト候補の1940年の選挙公約を無視しているのだ。
現在の日本の選挙の公約もマニフェストも、全く守るどころではないので、選挙の公約など意味がない、とはいうなかれ。
選挙公約は公開されており、それを破るには相応の理由が求められる。
FDRは、米国民に「諸君らの子息を戦場に送らない」と繰り返し述べた。
それを言わなければ、危うかったのだ。
既に英国はドイツと戦い、米国自身がなぜか膨大な艦隊建造に着手していた。
新型の戦艦、航空母艦が竜骨を据えていた。
だが、その艦隊と日本が戦う可能性は、米国が公約を守る場合には存在しなかった。
日本が戦うべき相手は米国ではなかった。
既にフランスはドイツに負け、オランダは占領されていた。
まことの戦上手は攻め易きに攻め、守り易きに守る。
だから、その手腕は目立つ事がなく、正当に評価することが難しい。
優れた戦略はまことに目立たない。
だが、だからこそ勝てるのだ。
フランスの亡命勢力や、オランダの亡命政府は英国を頼り、ドイツと戦っていた。
だから、これらを攻撃すべきだった。
なぜなら、戦争にならないほど、日本軍に対して弱かったからだ。
フィリピンには米国軍もいた。
いたが、命令がないのに日本に対して攻撃を行うことはない。
日本軍は米軍との戦闘を避け、弱小の国々の植民地を切り取れば良かったのだ。
宣戦を布告するのは、英国だけで。
そういうやり方が普通なのだ。
いつ、自作自演で参戦してくるかわからない。
実際にトンキン湾で行ったように、米国の参戦手法はムチャなものもある。
しかし、最初から米国を全力攻撃する、という戦略は根本的に 的外れだ。
1944年には米国自身が選挙になるのだから、それまで米国を「封印」しておけば負けることはない。
インドネシアにある原油など、オランダの植民地であり、米国の領域ではない。
日本が資源の不足を解消し、対抗するためには時間稼ぎを行うべきだった。
ハワイへの攻撃は、戦略的に間違っているだけではない。
無能の皮を被った裏切り。そうとしか言い様のない事象が、行間から見えるのだ。
実際に真珠湾に行った人でも、作戦に賛成していた人は少ない。
机上演習を行っても、日本艦隊はB-17の哨戒に引っ掛かり、爆撃され、攻撃は失敗するという結果が出た。
その後で、米軍はB-17による哨戒を取り止めた。
この中止によって机上演習の結果は見直され、作戦は成功する見通しを得た。
真珠湾攻撃は、日本軍の演技による、参戦するための米国の自作自演だと言っても過言ではない。
机上演習の結果を詳細に米国に伝え、失敗する原因を取り除いた、上層部の裏切り者の存在を疑わなければ、この哨戒中止は理解しがたい。
実際に真珠湾攻撃が行われた翌日、詳細な被害が米国の新聞に載ったが、実際の被害より少ないものだった。
ただし、この被害は、外周の戦艦の魚雷による被害を取り除くと極めて正確だった。
日本軍の魚雷の深度調整装置(真珠湾用)は、納入しただけで試験はしていなかった。
全ての魚雷が着底爆発していたら、発表された被害は異様に正確になる。
そうなる可能性が高かった。
そして、当時の外務省の行ったことは、火に油を注ぐことだった。
宣戦布告を駐米大使に丸投げし、必要な文章を余裕を持って送らなかったのだ。
米国世論は卑怯な不意撃ち、と沸騰した。
だが、ソ連は参戦時に、自国にいる大使に文書を手渡した。
通信回線も切った。
これも卑怯な手だが、非難されていない。
宣戦布告を確実に行うには、駐日大使を呼び、日本語の文書を渡せば事足りる。
これのリスクは作戦的にバレやすくなることだが、失敗する危険は低い。
わざわざアウェイに行って、失敗するべくして失敗する。
実際に中国で侵略していた陸軍の方が、海軍や外務省より実戦的だった。
補給の難しさを知っていたのだ。