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完成―氷のドーム

 ドームは完成した。115m×82mのそれは、建築の素人集団が作り上げたものとしては立派過ぎる出来栄えだった。正直、ここまでのものが出来上がるとは僕自身思ってもみなかった。衝撃波に備えて垂直部分は一切なくし、柱の一本一本、ルーフィングに用いた氷のブロックの隅々にまでバイオ流体緩衝材が注入されている。薄灯りの中、それは赤く誇らしげに煌めいていた。ゴキブリは赤い光が見えない。ホモローチ対策にも効果を発揮してくれるだろう。

 屋根下部分にはコンクリート工場の残骸から拝借してきたアラミドクロスを氷で包み込んで作ったキャットウォークが張り巡らせてある。補強と点検用通路を兼ねたそれが緊急避難にも役立ってくれればいいと思っていた。二重にした外壁の間には人口光合成でハッカやミント等のハーブ類を栽培することにした。これもゴキブリが嫌がる臭いだそうだ。

 住民の生活空間をドーム内に移し、地下シェルターを所教授夫妻のラボとして解放することが決まっていた。雄さんと僕、六頭の犬達が迎えに行く予定だった。ルーフィング(屋根部分の工事)にかかる直前、間仕切りを屋根の高さまで伸ばしてストリンガ(骨格材)にするセミモノコック構造への変更を提案したせいで作業工程が増えてしまっていた。杜都市のドームより良いものを作ろうなどといった伊都淵さんへの対抗意識は既にない。ただただ住民の安全を考えてのことだった。″万全を期す〟僕の頭の中はそれで埋め尽くされていた。寝るか食べるか作業をしている、そんな毎日が続いていた。だから当然ながら僕と真由美さんの仲は進展していなかった。

『希望を失ってはいけない。なくしたものなら我々で生み出して行くんだ。それが明日への力になる。未来を手繰りよせるのは個々の努力だ』伊都淵さんの言葉は真理だった。僕達はやり遂げたのだ。この全てが氷に覆われてしまった世界で。

 作業に当たった人々、食事の世話や怪我の治療など、裏方として支えてくれた人々の全員が氷のドームを見上げていた。これが出来るのなら不可能なんてない。くたくたに疲れていたはずのどの顔にも力が漲っているように感じられた。

「さあ、引越しだー!」

 誠さんの号令で全員がそれぞれの役割へと戻って行く。人間重機の僕にも多くの仕事が割り当てられていた。

 LPGボンベを両脇に抱えて歩く僕を呼び止めたのは雄さんだった。

「所教授ご夫妻を迎え入れたら次の段階に移るぞ。先ずは周辺の生存者探しだ。このドームなら200人は収容可能だ。その後、俺は東を廻って杜都市を目指す。丈は西へ向かうんだ。生存者のコミュニティを見つけたらドームの建造を指導しろ。発見した生存者が少数の場合は、どこかに合流させる。人が地下で暮らしているようでは日本の再建は有り得ない。伊都淵さんはそう言っておられた」

「わかりました」

「誠、剛、伊藤君に留守を任せる。俺は榊君と組む。丈は井上君と智君を連れて行くといい」

「井上さんは榊さんと一緒の方が気心も知れていて動きやすいのではないでしょうか。僕は智君と二人で大丈夫です」

 僕に雄さん程の統率力はないが発見した生存者にパーティーに加わってもらえばいい。ちょうどホモローチの餌食となったアイスギャングを労働力として役立てようとしたように。何となれば動物だって構わない。伊都淵さんから僕の特異な能力については聞かされていたのか、その提案を雄さんは拒まなかった。ただ、この計画は予め伊都淵さんから知らされていたものだ。わざわざ雄さんがそれを持ち出しきたのは他に話したいことがあるのではないかと考えるのが自然だ。

「これを置いてきます」

 ボンベを設置予定だった場所に据えて戻ると、雄さんは緩斜面の東側――かつてカジさんが住んでいたログハウスのあった場所へと僕を誘った。

「話しておきたいことがある」

 案の定、重苦しい表情で雄さんは語り始めた。

「これだ」

 雄さんは手袋を脱いで淡いピンク色の右腕を僕に差し出してみせた。

「あの時、この右腕は俺の意識下を抜け出して反応していた。俺は撃つべきかどうか迷っていたんだ」

「でも、敵だと認識したからこその反応だった訳ですよね? 誠さんや伊藤さんを射った訳でもないじゃないですか。だったら心配したことないですよ、所教授は何と言われたんですか?」

「脳以外へのP300A投与は俺だけだから検証例は皆無。注意するしかない、そう言われた」

「だったら僕の手足だって――」

 そう言いかけた僕はホモローチと闘った時のことを思い出した。口の中に悔恨が苦味となって広がる。僕の四肢は意識下で彼等の体を切り裂いていたのだ。雄さんが語る状況とは違っている。

「覚えていて欲しい。俺の腕が誤ったターゲットに狙いを定めた時、それを止めることが出来るのは、丈、お前だけだ」

 僕は雄さんの言葉の意味を考え、そして狼狽した。

「雄さんの行いが間違っていたことなんか僕の知る限り一度だってありません。そんな事態になったとすれば、それは正しい判断なんです。恐らく僕なんかでは理解の出来ない――」

「俺が誠や剛にクロスボウを向けてもそう言い切れるか?」

 強い口調になった雄さんに僕は言葉を失う。そんな事態が起こったら――僕はやはりどうしたらいいかわからないだろう。この世界では一瞬の迷いが誰かの命を危険にさらすことになるのだ。

「まあいい、そんな状況になれば俺自身でこの腕を切り落とす。だが、もしそれが間に合わなかった場合、お前に頼んでおきたかったんだ。明日は井之口市へ行くぞ。充分に休んでおけよ」

「……はい」

 僕はそう答えるのが精一杯だった。


「これ……あなた達が作ったの?」

 梓先生は氷のドームを見上げて大きく目を見張られていた。

「ええ、でも設計も工法も伊都淵さんのアイデアです。僕達はその通りに作業を進めただけです」

「それでも凄いな、これは。いや、君を見直したよ」

 所教授もそのまま後ろに倒れてしまうのではないかと思うほど体をのけ反らせて赤く煌めくドームを見上げる。雄さんの言葉が気になっていた僕でなければ調子に乗ってセミモノコック構造への変更を自慢気に垂れ流していたことだろう。

「地下シェルターへご案内します」

 雄さんに促され、教授ご夫妻は階段を下りてゆく。僕は荷物を解きにかかった。

「手伝うわ」

 振り返るまでもない。僕の胸を高鳴らすのは石田真由美の涼やかな声しかないからだ。それはニットキャップを深く被り、顔をマフラーで覆っていても聞き違えることはない。僕の方に歩み寄ってくる彼女は氷点下の世界で腕まくりをしようとしていた。

「大丈夫です、それにこれは重いから華奢な真由美さんには持てませんよ」

 勝手に赤らんでしまう頬をみられたくなかった僕は俯き加減で返す。

「あら、あたし案外力持ちなのよ」

 そうは言っても一番軽い機器で数十kgはあるのだ。とても女性の細腕で持ち上げられるとは思えなかった。彼女が怪我をすることは勿論、落として衝撃を与えた機械が壊れてしまう不安もある。僕が止める前にLD100という骨密度測定器に手をかけた彼女だった。せえの、の掛け声で踏ん張ろうと力を込めた足が氷で滑る。僕は仰向けざまに倒れかけた彼女に駆け寄って抱きとめた。

「怪我をしますから」

 僕と真由美さんの顔は20cmまで近づいていた。彼女は顔に巻いたマフラーを掴んでずり下げる。その唇はきつく結ばれていた。

「今度出かけたらあなたは当分帰ってこれないんでしょう?」

「ええ。どれだけの生存者が居て、そのうちの何パーセントがトコログリアの接種を受けているかわからない。生存者の捜索は一刻を争う。伊都淵さん――東北のカリスマからそう言われてます」

「邪魔にならないようにするから、あたしも連れていって」

 思いつめた表情で語る彼女だった。機材運びを手伝おうとしてくれたのは、自分が重荷にならないことを証明したかったのだろう。三つ歳上の真由美さんを健気というのも変かも知れないが、僕の胸に染み入ってきたのは正にそんな感覚だった。生存者を見つけ出して連れ帰るだけの旅であれば、一も二もなく受け入れていたはずだ。彼女の申し出はそれほど心躍らせるものだった。だが――

「――無茶を言わないで下さい。どんな危険が待っているかわからない旅なんです」

「そんなに危険なら、あなたが帰ってこれないことだってあるんでしょう? 」

 真由美さんの唇が小さく震え出した。この時の僕の呻吟が理解できるだろうか。恋心を抱いた相手から熱烈な告白を受け、それでも期待に応えることは出来ない。使命があり、四肢は作り物。そんな僕は彼女への想いをプラトニックのまま終わらせるつもりでいた。

「ええ、ですから尚更真由美さんを連れてゆく訳には行かないんです。伊都淵さんは言いました。人類の殆どが死んでしまった今、未来を託せるのは子供達なんだ、と。我々男に子供を産むことは出来ません。だから……」

 わかってもらえるだろうか、愛する女性に他の男の子供を産んでくれという辛さが。

「さっきから伊都渕さん伊都淵さんって、あなたの考えはないの?」

 あります、僕は真由美さんが好きです。使命さえなければここに残ってあなたと……僕がそれを口に出来ないでいると彼女は僕の腕をすり抜け身を翻した。その瞳に浮かんでいた涙の粒が花弁に滴る朝露のようにキラリと光って落ちた。

 P300Aの量を増やしてもらおう。今の僕に必要なのは、恋する女性の思いを受け入れられずめそめそする感傷でもなければホモローチを殺してくよくよ悩む弱さでもない。雄さんのように使命第一に徹することの出来る強さなのだ。


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