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再生への狼煙

 それからの僕は一心不乱に氷のドームの建造に励んだ。所先生ご夫妻にいただいた体は労せずして数百kgある氷のブロックを積み上げることが出来たし、伊藤さんが重機のリース会社跡を見つけてきたので発電機と数基の重機も運び上げていた。雄さんと二人でガソリンスタンドの地下タンクを掘り起こすと燃料の心配もなくなった。僕と雄さんの膂力については誰に語った訳ではないが、このコミュニュティにおいて周知のものとなっていたようだ。数トン、或いはそれ以上の重機を引っ張り上げてきたのだから当たり前といえば当たり前の話なのだが。

 シェルターには文化的な生活が取り戻されていた。寸暇を惜しんで作業にあたる僕を母は心配そうに見ていたが、じっとしているとホモローチの体を切り裂いた時の感触が蘇って心が掻き乱されそうになる。僕は誰よりも早く起きてドームの建造にかかり、誰よりも遅くまで作業を続けた。

「少しは眠れよ」

 跳ね上げ戸から顔を覗かせて雄さんが言った。

「P300Aのせいでしょうかね。三時間も眠れば心身ともにスッキリしちゃうんですよ」

 三時間の睡眠で充分であることは本当だったが、レム睡眠期に見る夢は悪鬼の如き形相となった僕がホモローチの殺戮を繰り返すシーンばかりだった。それが怖くて僕はこの二週間殆ど眠っていなかった。

「どれ、手伝おう」

 雄さんは僕が積み上げた氷のブロックの表面を均し始めた。そこに食塩水をかけて上に重ねれば、伊都淵さんの言った通り漆喰もコンクリートも必要とせず、強固で断熱性に富んだ壁が出来上がってゆく。

「早いな、まだ五時前だぞ」

 寝惚け眼の誠さんも外に出てきた。うるさくしたつもりはないが娯楽らしい娯楽のないこの世界では早寝早起きが習慣となってしまう。「さあ仕事だ」の号令などなくともドーム建造の現場にはスタッフが勢揃いしていた。あの9.02は夏の出来事であった。軽装だった人々は毛布や布切れを纏って寒さをしのいではいたが、今は僕がある倉庫の残骸から見つけ出してきた冬の建築現場の作業員が着るようなハーフコートが全員に行き渡っている。オリーブ色だったりネイビーブルーだったりエンジ色だったりしたが、住人のユニフォームの様になっていた。僕が大雑把に氷を割ると誠さん達がチェーンソーや丸鋸を使って長方形に仕上げて行く。半月程で全ての柱と壁が完成していた。

「朝食ができましたよー」

 真由美さんの声が聞こえた。跳ね上げ戸から上半身だけを出し、口に手を添えて叫んだ後、目が合った僕に微笑みかけてくれた。僕の中に堆積していた重苦しさが取り払われてゆくようだった。


 順応性という言葉は女性のためにあるものだと思っていたが、この状況を受け入れて尚、気が狂れることなく未来を築き上げて行こうとする人々を見ていると、それは人類の粘り強さを表現したものではないかとも思える。新しい発見も約束された将来もないこの状況で、人々は他愛のない冗談を口にし合う。時に笑い、時に手を叩いて食事を楽しんでいた。

「どうしたの? 元気ないわね」

 僕に声を掛けてきたのはエンジのハーフコートを着たスーザンだった。すっかりシェルターの仲間に溶け込んだ彼女が雄さんに並々ならぬ関心を抱いていることを僕は気づいていた。しかしスーザンからしきりと送られる秋波さえ気づかない雄さんは、朴念仁を絵に描いたような人物だった。『他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ』と言われようが、スーザンと雄さんが似合いのカップルになるとは思えなかった。

「そんなことないですよ。食欲もありますし」

「ならいいんだけどさ。ねえ、雄一郎さんって独身よね? 彼女は居るのかしら?」

 ほら来た。ここで迂闊に話に乗っかると恋のキューピットの役を仰せつかることになるい。「さあ? 僕は8歳の時にここを出て以来、逢ってませんでしたから。直接本人に訊ねてみたらどうです?」

「そっか、じゃあいい」

 スーザンは橋頭堡を誠さんに託したようだ。僕に背中を向け、誠さんの腕に自分の手を置いて話し始めていた。誠さんがあらぬ誤解をしませんように。


「――ないの?」

「……え?」

 僕は眠っていたようだ。食器の乗ったトレイを指差して何か言っていたのは石田さんの奥さんだった。

「もう食べないの? 体調でもすぐれない?」

「いえ、大丈夫です。すみません、食器は下げて洗っておきますから休んでいて下さい」

「そんなことを命の恩人にさせられると思って?」

 未だに二言目には″命の恩人〟と石田さん一家は僕を呼ぶ。照れくさくて仕方ない。

「あの状況下で、生存者を見つけたら誰だって同じことをしたでしょう。通りかかったのがたまたま僕だっただけです。だから、それはもう止めて下さい」

「そうかも知れないわね……でも本当は別の人が私を助けに来てくれるはずだったの」

 石田さんの奥さんの視線は時を越えて彼方に向けられていた。

「地球最後の日には何があろうと君を助けに行く、そう言った人がいたわ。最後まで嘘つきだったのよね、あの人は」

 石田さんの奥さんの瞳はどこか寂しげでもあった。″あの人〟というのはどうやらあの楽天家のご主人の話ではないようだ。

「あの衝撃波を生き延びたのは全人類の3パーセントに満たないと東北のカリスマは言ってました。それにトコログリアの接種を受けていなければ、この氷の世界であなたを探すこともあなたの許へ辿り着くことも不可能だったことでしょう。嘘をついたのではないと思います」

 どこの誰だかわからない″あの人〟を、僕は何故だか弁護していた。

「でも、奇遇よね。その人も小野木さん、あなたと同じ名前だったの。彼があなたを代わりに寄越してくれたんだと思ってあげようかしら。本当に地球最後の日が来るなんて思ってもみなかった。いつも大袈裟なことばかり言う人だったわ」

 どこかで聞いたような話だな、いつの時代もそんな男はいるものだと思っていた僕の頭で何かの接点が閉じた。げっ、父さんだ! 

『俺は奈緒子を愛し過ぎてしまったんだ。だから彼女を失うのが怖くて嘘を塗り重ねていった。その結果、奈緒子をひどく傷つけてしまったよ。今もあの三連星を見ると彼女が幸せで居てくれるようにと祈っている』

こんな話を6歳の息子にするか? だが父さんはした。僕の目の前で思い出を語る女性は、妻子が居ながらそれを隠した父が9年間も交際を続け、とんでもない別れ方をしたという女性に違いない。僕が真由美さんに訳もなく惹かれてしまった理由にも答えが見つかったように思えた。 悲しい答えが――

〝将を射んとすれば先ず馬を射よ〟この世間話にそんな目論見がなかったとは言い切れない。僕のそんな姑息な思惑は〝藪をつついて蛇を出す〟結果となってしまった。自分を酷い目に合わせた男の息子に可愛い娘を近付けさすはずはない。しかし黙っている訳にもいかない。話題に乏しいシェルターの中では、いつかバレてしまうことだったのだ。せめて母に知られる前に――と、僕は正直に語ることにした。

「ええと……実は僕の父は15年前に東北で亡くなっているんです」

「まあ、お気の毒に」

「石田さんの奥さんのお名前は、ひょっとしてナオコさんですか?」

「そうよ、奈良県の奈にへその緒の緒。真由美に訊いたの?」

 間違いない、僕は頭を抱えた。

「いえ、父です」

 怪訝そうに首を傾げた石田さんの奥さんの目が見開かれる。どうやらお気づきになられちゃったようだ。

「……あなた、ひょっとして淳一の――」

「はい、息子です」

 廃棄されたガソリンタンクの中で眠れるほど腹の座った石田さんの奥さんが喚き出すとは思えなかったが、そう答えた瞬間、僕は目を閉じ首をすくめていた。怒号もビンタも飛んではこない。僕はゆるゆると目を開ける。石田さんの奥さんが僕を見る目は懐かしいものを見るようでもあり感慨深げそうでもあり――とにかくそこに怒りがなかったのが意外だった。

「言われてみれば、あの人の面影が――何故、今まで気づかなかったのかしら?」

「あの……決して隠していた訳ではなく、僕もついさっき気づいただけで――」

「私が怒りだすとでも思った? あなたもお父さんに似て女心がわかっていないのね」

 そう言うと石田さんの奥さんは真由美嬢によく似た目を細めた。僕は理解が及ばず目をしばたかせるばかりだった。

「女はね、ひとりの男性を殺したいほど憎み、それでも愛することができるものなの」

 その言葉を何度も頭の中で反芻してみた。敢えて説明の必要はないだろう。これを聞いたなら父さんは狂喜したに違いない。

「そうか、やっぱりね。真由美があなたの事を好きになっちゃうはずだわ。親子ねえ……真由美のことをお願いします。あの子は口に出してこそ言わないけど、あなたのことが好きみたい」

 そして僕も狂喜した。

「ところであなた独身よね?」

「いえ、結婚して……ました」

「ました? 離婚でもなさったの? その若さで」

「あの9.02で妻と息子は死にました。役場がなくなっちゃったので戸籍はそのままですが、現実には婚姻関係に法的な拘束力はなく、それにこんな状況ですから――」

 必死に弁明する僕を見て石田さんの奥さんはぷっと吹き出された。

「ごめんなさい、痛ましいことなのに笑ったりして。あなたがあまりに杓子定規な物言いをするものだから。事実上、障害はないってことね? 良かった」

 簡単に納得する石田さんの奥さんだった。

「すみません、出来ればこれは母には内密に」

「わかってます。あなたのお母さんとは再婚なのよね? まったくあのゼウスめ、どれだけ女を泣かせたら気が済むんだろう」

 この時石田さんの奥さんが神の名前を口にされたのは、決して威厳を讃えようとしたのではなく単に父さんの女癖の悪さを揶揄したものだったのだろう。だが僕は別のことを考えていた。父さんは人のいい所を見い出すことが得意だったとカジさんは言っていた。長所ばかり目についてしまえば、どんどん人を好きになってしまうのも無理もないのではなかろうか。至って都合のいい解釈ではあったが、息子の僕ぐらいは理解してやらないと。勿論、そんなことは石田さんの奥さんにも真由美さんにも口が避けても言えない。

「仕事に戻ります」

「頑張ってね」

 僕は複雑な心境だった。僕の手足、そして課せられた使命。実のところ障害は山ほどあったのだ。




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