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初陣

 集会所を兼ねた奥の区画は、このシェルター内で一番の広さを持っており、培養槽の設置作業にかかっている以外の人々が勢揃いしていた。新たにシェルターの仲間に加わった石田さん一家もすっかりここの住民と打ち解けた様子で、僕は人々と談笑する彼等を微笑ましく眺めていた。

「先生っ! お帰り」

 走り寄ってきた西村太と林田沙織が満面の笑顔を向けてくれる。旅の苦労が報われる瞬間である。

「ただいま。こうなっちゃってからゆっくり話している暇もなかったな。教科書は持っているか? 授業を再会するぞ」

「えー」

 二人は僕の冗談に大仰に驚いてくれる。そんな日が戻ってくれることを願ってはいたが〝その日を待とう〟と子供達に告げられるだけの根拠も自信もなかった。

「ご苦労様。この旅があんたを成長させてくれたみたいね。父さんによく似た面構えになっちゃって」

 そしてあれだけ気丈だった母は、めっきり涙脆くなっていたようだ。″父親に似た〟という言葉を聞かされても、僕は以前ほど不快ではなくなっていた。

「息子さんでしたか、彼は我々の命の恩人です」

 母の手を両手で握ってブンブン振り回す石田博氏だった、何日かぶりに完全に風雪から遮断される環境に安心したのか、座ったままうつらうつらする石田さんの奥さん、自己紹介前で名前は分からないが、実直そうなご主人と向う意気の強そうな息子のいる五人家族、とシェルターの住人は総勢二十名を超えていた。ドーム建造を急がないと――伊都淵さんは人を集めろといっていたが、このままでは生存者を発見しても収容する場所がなくなってしまうのは確実だった。

 こうして生存者の顔ぶれを見ていて気づいたことがある。氷漬けの死体やホモローチとの遭遇にキャーキャー泣き叫ばないだけの落ち着きというか分別、彼等にはそれが備わっていたようだ。悲鳴は更なる混乱を招き、自身をパニックに陥れ敵を呼び寄せるものだ。危機に瀕した時こそ冷静に対応出来ることが災禍を生き延びるのに必要な要素なのではないだろうか。それは大人も子供も同じことが言えるだろう。

 僕は誠さんにいわれた材料を集めるためシェルターを出た。氷で銀色に舗装された国道に出た辺りからゴキブリ人間の気配が伝わってくる。音波を出せば遠ざかり、口を閉じればまた近づいてくる。まあ、なんとかなるだろう。相手の出方もわからなきゃ、間近で見たのも一回こっきり。考えてみたところで詮無い話だった。


 作業は単純だ。氷漬けになった車から氷をかき落としてドアを引っ剥がし――殆どの車が施錠などされてはおらず老若男女の冷凍マグロが運転席や助手席を占有していたが――オーディオや電子部品らしき筐体を傷めることないよう取り外して(これが人口筋肉の僕には案外骨である)ホバーに積み込んでゆくだけだ。たまに氷を取り除いたら自販機が積み重なっていたりということもあったが所有権を主張されなくなった車は腐るほどある。僕は意識してワンボックスワゴンを避けた。冷凍マグロになった子供を見たくはなかったのだ。

 ふと思いついて僕は、子供の頃、よく父さんと行ったLPGの販売所を探してみた。倒壊した屋根をめくると、あるわ、あるわ。瓦礫の中に未使用の50kgボンベが山ほど転がっていた。ガスの鉱床が見つからず、発電を風力に切り替えねばならないとしても、それまでを凌ぐだけの量は充分にあった。ホバーの底が抜けないよう、二本だけ取って乗せた。次はスピーカーだ。まだ人工皮膚が上手く馴染んでいないため、ドアパネルごと持って帰ることにする。元来不器用な僕は小さなスクリューを回してスピーカを外すといった作業は苦手だった。

次に僕は反響板に使うために金属製の看板を探すことにした。どうせ誠さんが折り曲げたり溶接したりして成型するのだろうが、ドアパネルからも鉄板は取れるがサイズの割に重く多くは積み込めない。なるべく面積の大きな金属パネルを探し丸めて持ち帰ろうと考えていた。

 農園を離れてかなりの年月が経っていた。タコが自分の足を食べて行くような経済政策しか思いつかない政府のお陰で多くの店舗は倒産へと追いやられ、そしてまた新しい店へととって代わる。比較的その新陳代謝が目立たない業種がパチンコ・スロットの類だった。だだっ広い駐車場跡に建物が崩れ落ち、造成中の工事現場みたいになっている場所があった。ここにならあるんじゃないか? 僕は氷に覆われたオブジェの原型推察にも長けてきていた。

〝出ます! 出します! ●●●チンコ〟 屋号と〝パ〟の字が消えて、とてつもなく下品になったキャッチコピーが氷の中から姿を現す。僕は苦笑を浮かべてそれを引き剥がしにかかった。

 座標が南極になろうと他の星に来た訳ではない。建造物は倒壊していても氷さえ掘り起こしてゆけば生活に必要なもの大抵は見つけられるものだ。僕は学校の隣を流れる川の橋のたもとで暮らしていた人々の気持ちがわかるようになっていた。

 これだけあれば充分だろう。戦利品で山盛りになったホバーを引いて帰ろうとした時、ゴキブリ人間どもの気配が近づいていたことに気づいた。しかし今回は敢えて音波を発しない。奴等の生態を観察してやろうと思っていた。

 身を潜めるところなどない駐車場跡だった。僕の周囲を円形に取り囲んだゴキブリ人間どもはその間隙をじわじわ詰めてくる。だが、ある一定の距離で接近を止めていた。僕は考えた。氷の檻で遭遇した時は缶詰などの食料を持っていたが今は身ひとつ。所謂、着の身着のまま、木の実ナナという現況だった(父さんがよく口にしたジョークである)。奴等が臭覚で獲物を嗅ぎ当てているとすれば、四肢が人工筋肉と人工皮膚、おまけに骨までもが作り物の僕に食欲を示すのだろうか、そんな可能性を考えていた。

 内臓を根こそぎ喰い尽くされていたアイスギャング達同様、背骨が通っている部分は僕のオリジナルだったが、世の中に口臭のひどい人間は居ても、内臓臭を漂わせている人間は(多分)居ない。そしてよしんば戦闘になったとしても、足でまといになったろう石田さん一家を連れていた時とは状況が違う。看板の柱に使われていた鉄柱を引きちぎると、僕は一歩前に踏み出した。

 正面のゴキブリ人間が下がって、背後の奴等が前身する。僕が後退すると奴等はその逆の動作をとった。僕を囲む連中の輪は約15mの直径のまま一向に変化しない。そのまま数分も経ったろうか。焦れて行動を起こしたのは若干二十三歳の堪え性のない若造、つまり僕の方だった。直径15センチ長さが5mほどの鉄パイプを振り回しながらゴキブリ人間の輪に向かって走り出す。奴らは蜘蛛の子を散らすように逃げたかと思うと、僕が足を止めた時点で再び包囲網を張り巡らす。埒があかない、正にそんな状況になっていた。

 頭の中で電卓を叩く必要すらなく奴等の数を知った。ひとり――いや、一匹か? それが占有する幅が約70cmとして隙間なく並んで47.1mの輪を作っているのだから58.9匹が居る計算となる。小数点は有り得ないので繰り上げておこう、59匹だ。如意棒を振り回す孫悟空よろしく鉄パイプでゴキブリ人間をなぎ倒してゆけば活路は開ける。一秒間に体長の50倍を移動するのはゴキブリのオリジナルの方で、不完全に融合なったゴキブリ人間ではない。僕がそれに踏み切れずにいたのはマリアの例があったからだ。最初は「コロス、コロス」と言っていたマリアも誤解が解ければ気のいい母熊だった。上手くゴキブリ人間を説得することが出来、ドーム建造の労働力になってくれればこんな嬉しい話はない。世界はひとつ、人類はみな兄弟――の、はずだった。

 突然ゴキブリ人間が跳躍して襲いかかってきた。降りかかる火の粉は払わねばならぬ江戸の空。って誰の思考なんだ、これは……

 視覚を開放すれば、人類よりいくらか俊敏なゴキブリ人間の動作もスローモーションとしか映らない。なにせ誘発脳波の起動が0.01セコンドになるというP300Aが僕の脳内を駆け巡っているのだ。ただ、戦闘そのものが初めてだった僕に欠けていたものがある。手加減というヤツだ。比較的装甲の硬い背中側に当たっても、数トンの力かけることの5mのトルクで振り回される鉄パイプは、いとも簡単にゴキブリ人間の体をまっぷたつに切り裂いてゆく。太い鉄パイプが鋭利な刃物のように感じられた。黄色味がかった体液を垂れ流して、あっという間に死骸の山が積み重なっていく。ひょっとすると僕には殺戮者の素養があったのかも知れない。陶然としかけた僕の脳裏に伊都淵さんの警告が響いた。

 ――無益な殺生はするな――

 僕は鉄パイプを振り回すのを止め、オプションを選択した。23000Hzの音波を発したのだ。そう、奴等に退却を促すつもりだったのだ。


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