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合流

「ほら見ろ! そんなこともあろうかと俺が君達をタンクに中に引っ張り込んだんだよ。家族をまもるのは家長の役目だからな」

 ゴキブリ人間の件を石田さん一家に伝えると、最初は顔を真っ青にされていた博氏が家族に向かってこう言い放った。真由美さんとお母さんは「やれやれ」といった体でかぶりを振っていた。それでも結果として家族を救われた博氏に僕は感謝していた。彼の機転(奇転?)がなければ、こうして真由美さんと再開することができなかったのだから。

「大丈夫? 辛くないですか?」

 真由美さんが心配げに声をかけてくる。恐らく僕が口を開きっぱなしだったせいだろう。しかし僕は4コーナーを抜けて最後の直線に入った馬ではない。ゴキブリ人間どもを寄せ付けないがために23000Hzの音波を出しながら疾走していたのだ。彼女にはそれが苦悶の表情に見えたのかもしれない。

「ホバーは浮いてますからね。引っ張り始めだけですよ、負担を感じるのは」

 とは言え大人三人、しかも博氏は重量級である。常人なら巡航域に入るまでに相当の時間と体力を要したことだろう。しかし好意を抱く女性に「僕は、いざとなれば数トンの力を出せるバケモノですから大丈夫」などと誰が伝えられようものか。どのみち僕以外がこれを引くことのない限りバレる心配はないのだ。石田さん一家の目には『頼り甲斐のある力持ちの青年』としか映らないはずだった。――例え女性用のハーフコートを着ていようとも。

 しかし時速60km/hで口を開けての疾走は喉が乾く。30分置きに足を止めて水分補給をする必要があった。ホバーの上で缶ビールを溶かしながらチビチビとやっている博氏のお気楽さが羨ましい。少々、呂律も怪しくなっていた。

「遠いろから? そろ農園とやらは」

 何が待ち受けているかわからない氷の高速道路で後ろを振り返っている訳には行かないし窓の閉まった車でもない以上、返事をしたところで、博氏に届くかどうかも疑問だ。何せ風切り音が凄いのだ。博氏の問い掛けは聞こえなかったふりをして真由美さんにだけ届くよう短く意識を送った。

「一時間弱ってとこじゃない。あれ? 何であたしそんなこと知っているんだろう」

 上手くいった。こうやって彼女の気を――いけない、いけない。良い人間に意識操作をしてはならない。それは伊都淵さんの厳命だった。


 ほぼ予定通りに中ノ原インターチェンジを降り、かつてバイパスだった道を農園へと向かう。八歳の時に離れて以来、およそ十五年ぶりとなる農園だった。少し雲が薄れた程度では昔の面影を期待することは出来ない。何せこの国は南極だった座標に位置しているのだから。トコログリアがなければ生きて行くことすらままならないのが現状なのだ。

 木々は衝撃波でなぎ倒されていたか凍りついていたが、見覚えのある地形が標準視野の中に入ってきた。車道側から登って行けば母屋の玄関があった場所辺りがシェルターの入り口になっていると、雄さんは衛星電話で告げていた。

「ここです」

 真由美さんと石田さんの奥さんが丘陵の頂を見上げる。僕は最後の難関たる緩斜面――とは言え五分の一勾配である――を登ろうとするのだが車道の始点は大きくUターンしていて助走がつけられず、20m程登ってはずるずると滑り落ちてしまう。僕は仕方なく四つん這いで登ることにした。やれやれ、これではゴキブリ人間と同じではないか。手伝いを申し出てくれてもいい石田博氏は大鼾をかいていらっしゃる。

 到着を知らせるべく鉄の扉を氷の塊で叩く。何だか原始人になったような気分だった。跳ね上げ戸がギリギリと開き始め、警戒に目を光らせた雄さんの浅黒い顔がのぞいた。

「丈か! 無事だったんだな。おーい、みんな。丈が戻ったぞー」

 未だかつてこんな嬉しそうな顔をする雄さんを見たことがない。有名なボクサーだった彼は、いつもストイックに心身の摂理を追い求め、カジさんが乗り移ったかのような無表情でトレーニングに励んでいたものだ。なにも宇宙旅行をしてきた訳ではない。東北の、青森よりずっと近くの杜都市を往復しただけだ。平時なら何でもないような事を飛び上がらんばかりに喜んでくれる雄さんに、僕は胸に熱いものを感じていた。

 杜都市程ではないが、かなり大規模なシェルターだった。ここにはどれだけの生存者が居るんだろう? 母や生徒達は元気にしているだろうか? ゴキブリ人間の気配がないことを確かめて石田さん一家をホバーから降ろす。寝ぼけていたのか酔っ払っていたのか、博氏は僕をタクシーの運転手と勘違いされたようで「幾ら?」と訊ねて胸ポケット辺りを探っている。財布でも探していらしたようだ。

 僕達は雄さんの案内でシェルター奥の区画へと進んだ。涙で顔をぐしょぐしょにした母、懐かしい誠さんと剛さんの顔、無事だった子供達とスーザンの歓待に僕は涙が出そうなった。


「じゃあ、ここにも?」

「ああ、シェルターの扉を開けるまでの知恵はないようだな。今のところ誰も襲われてはいない。奴等が最初に姿を見せたのはお前が杜都市を発った後だった。道中のお前に連絡を取る方法がなくって心配していたが無事で何よりだ。アレは一体なんなんだ?」

「伊都淵さんに詰め込まれた情報を借りての推測ですが、中国が人体にゴキブリの遺伝子導入を行なったんだと思います。ただ、あれは失敗作ですね。えらい中途半端なところで融合が終わっていましたから」

 母達の歓待もそこそこに、僕は雄さんに呼び出されてシェルター入り口右手にある区画に居た。色々と報告せねばならないこともあったし、雄さん達は雄さん達でゴキブリ人間の情報を欲しがっていた。

 住人が増えたのと女性も居るということで誠さんが間仕切りを作り、ワンルームだったシェルターを区分けしたのだそうだ。誠さんの手先の器用さは僕がここに住んでいた頃から農園スタッフの中でも抜きん出ていた。そして何を隠そう僕は不器用この上ない。太くて短い指で器用に道具を操る誠さんに憧れたものだった。そんなどうでもいい回想にお構いなしで雄さんは続ける。

「杜都市に奴等は現れていないそうだ。だから伊都淵さんの所見も聞けていないのが現状だ。丈がそう判断したのなら間違いはないだろう」

「だけど、あんなのが居たらドームなんて作れないじゃないか」

 それまで黙っていた誠さんが割って入ってきた。確かにその通りだが、伊都淵さんは言われた。『我々は原始人じゃない。いつまでも穴居生活をしていてはいけない。通気があり熱を封じ込める特性を持つバイオ流体緩衝材で作るドームなら換気口の必要もなく外敵の侵入も防げるはずだ。何としても生存者が暮らせるだけの数を作り上げろ』と。

 手先の器用さではカジさんに勝るとも劣らない誠さんである。伊都淵さんに設計してもらえば音波発生装置ぐらい作れるのではないか、と僕はそれを提案をする。

「ははあ、デカくなろうが人間と混ざろうが嫌いな音波に変化はない訳か。よし、作ってみよう。雄、次の連絡をする時に伊都淵さんに聞いておいてくれ」

 誠さんが腕ぶす。

「バイナリ地熱発電も見直す必要があります。それとドームを作るにはバイオ流体緩衝材も大量に必要となります。こちらでも培養するようにとの伊都淵の指示です。培養槽と胚はホバーに積んであります。ドーム建造の工程表とガスタービン発電機の設計図も預かってきています」

 僕は銀色に輝くUSBメモリをポケットから取り出して誠さんに渡した。

「ガス容器はホバーにあります。途中でスーパーの配送トラックから失敬してきた食料もそこに。取ってきます」

「手伝おう。おいっ!」

 奥に控えていた男性四人を伴って、僕は再び氷の世界へ続く階段へと向かった。少しだけ気になったのは剛さんの元気のなさだった。

 

「出来そうですか?」

 音波発生器の設計図が描かれたパソコン画面を眺める誠さんの背中に声を掛ける。

「発振器そのものは何とかなりそうだ。デカいスピーカが欲しいな」

「その辺りに転がっている車から拝借してきましょう。他に必要なものは?」

「カーオーディオやナビがあれば集めてきてもらうと有難い。半導体は色々と用途が多いからな。反響板を作るのに金属のパネルも欲しい。倒れた看板や車のボンネットを剥がしてきれくれ」

「わかりました」

「メタンハイグレートの鉱床が見つかればいいが、楽観は出来ない。プロパンガスの容器も探してみてくれ」

 どちらかといえばのんびり屋だった誠さんも真剣な目になっていた。

「了解です」

 大き過ぎてシェルターに運び込めなかったガス容器は屋外に放置してある。培養槽は分解して持ち込んだものの、どの区画も狭くて入りきらない。屈強そうな(あくまでも一般人のレベルとして)男性達が仕切り板を外して手前二つの区画を繋げる作業をしている。僕は雄さんに訊ねた。

「所教授と梓先生は連れてこなかったんですか?」

「このシェルターには設備がないってことでラボに残られたよ。衛星電話はあっちにも置いてきたが、屋外でないと繋がらない。余程の事態でも起きない限り、奴等が居る可能性のある外には出て欲しくない。同じ理由でこちらからの連絡も控えている」

「僕が行って連れてきましょうか? 橇とホバーがあればある程度は機材も運べると思います。犬達は借りられますか?」

「そうすべきなのかも知れないが……伊都淵さんに相談してみよう。丈は少し休んでおくといい」

 なるほど、最初から飛ばし過ぎて息切れしてもしょうがないということか。休める時には休んでおこう。僕は歓待の仕切り直しのため、広く仕切られた奥の区画へと向かった。ちなみにこれは洒落ではない。


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