Achievements of journey(成果)
時速240kmの飛翔速度を誇り、一日に600~700kmを移動するのは北米大陸に生息する本家ゴールデン・イーグルで、日本生まれの亜種であるサイトはせいぜいその一割の活動範囲にとどまっていた。だが彼女とてその気になれば本家に負けない運動能力を発揮しただろう。餌のふんだんにあった9.02以前の日本に住んでいたため、その必要性を感じなかっただけだ。
余談になるが、彼女が主食としていたのは蛇だったと聞かされ僕は全身が総毛立った。ゴキブリもホモローチも、今や野生の熊さえ恐れない僕だが蛇だけはダメだ。足が生えていてくれれば分類が〝爬虫類有鱗目蛇亜目〟に属しようとトカゲだとでも思い込めるのだが、あのくねくねと進む姿、どこからか発するシャーという音に僕は全身が竦んでしまうのだ。前世というものがあるなら、僕のそれは野ねずみか蛙だったのかもしれない。
話を戻そう。上空から微かな動きを捉えることが出来るサイトのお陰で搜索活動は格段に捗り、僕達はその昔〝忍者の郷〟と呼ばれていた地域に居た。真柴さん達のコミュニティを発って三日目のことだった。サイトの案内に従って大きな病院の地下で暮らしていた18人を発見し、氷のドームの建造の準備――赤いヤツの培養――を進めていた。
『原始人じゃないんだ、人が穴居生活をしていて国の再興は有り得ない』
伊都淵さんの仰せは重々承知していたが、そこに至るには日本の置かれた状況を説明して笑われ、ホモローチについての解説に疑いの目を向けられるのを避けることはできない。やむを得ず、『馬鹿力を披露してちょっとばかりの意識操作をする』が、お決まりとなっており、僕は些か辟易していた。どこかでビデオカメラでも見つけ出して一連の作業を映像化したらどうだろう、と半ば本気で考えていた。同じことの繰り返しは飽きっぽい僕にとってかなりの苦痛なのだ。まだたった三度目じゃないかって? では訪ねよう、なるほど出来の良い映画なら何度観ても新たな発見があって楽しい。だが駄作なら? 美味いラーメン屋なら何度も通いたくなる、でもそれが平均点を僅かに上回る程度なら? 美しくも底の浅い女性とのデート、二度目に期待するものがあるだろうか? つまり僕の言いたいのはそういうことなのだ。まだまだ精神的に未熟な僕だ、国の再建ということの重大さがよくわかっていない。伊都淵さん言われるまま、生存者を探しドームの建造を人々の伝えることだけが自分に与えられた任務だと思っていた。
ともあれ、ここの生存者の中にはお医者さんが居られ、トコログリア未接種の人に僕の拙い施術を披露することは避けられていた。医師の手際を見ていた海地が「なんだ、簡単じゃん」と呟いたのを耳にした時、僕に或る考えが閃いた。ボードの改造といい発電機の熱源をLPGに変更されていたことといい、彼等の父親原田武夫氏は間違いなく手先が器用で柔軟な発想の持ち主だ。その遺伝子を受け継ぐ原田兄弟なら――
「――彼等にも処置の仕方を教えてやってもらえませんか?」
僕の申し出を佐伯医師はあっさりと受諾してくれた。
「願ってもない、実は私は神経内科の専門医だった。患者さんにあまり手を触れる機会がなくってね」
彼も僕同様、手先が不器用だったらしい。挿管時にプルプル震えていた手が止まったのはようやく3人目の処置を終えた頃だった。
「所教授も静注なり内服なりでの処方にしてくれればもっと多くの人が助かったのかも知れませんね」
「それは無理だ。脳には血液脳関門という機構があってエネルギー源となるグルコースしか通過できないようになっている。直接噴霧しか方法がなかったんだよ」
「へえ、そうなんですか……」
僕の浅知恵は一刀両断に切り捨てられた。後でイトペディアを調べておこう。
「梓先生の噂もこの学会に鳴り響いていた。どれ、腕を見せてくれないか?」
僕は腕まくりをして見せる。最初のうち矯めつ眇めつだった佐伯医師は好奇心を抑えきれなくなったようで、僕の腕をつまみ、撫で、さすり始める。腋の下はオリジナル部分を探られるに至り、僕は「あひゃひゃひゃひゃ」と笑ってしまった。
「これは……これほどのものとは思わなかったな。天才という言葉はあのご夫妻のためにあるようなものだ」
僕にとって、このピンク色のプクプクした手足は赤ん坊みたいで小っ恥ずかしいものであったが、医師である佐伯先生がこれほどまでに絶賛されるのだから素晴らしい出来栄えなのだろう。
「しかし、杜都市を往復した上に、日本を半分に分けて縦断しようっていうのか――雪上車もなしで。君は教師だったんだろう? 東北のカリスマも随分と無茶を言うもんだね」
その通りっ! 四十六歳だとおっしゃる佐伯医師は人懐っこい笑顔で僕に同情を示してくれた。同病相憐れむ、手先の不器用な者同士、僕達はシンパシーを通わせていた。だが佐伯医師は僕より遥かに立派な方だった。
「9.02を生き残り、この厳しい気候にも耐え、ホモローチの襲撃にも負けなかった人々を治せる病気で失うようなことがあれば自分がここに居る意味はない。生き残るためには闘わねばならない。ユーゴーの言葉だったかな? 君の言う通りなら諸外国からの援助は期待出来ないのだろう。なにせ我が国にある資源らしきものといえば〝消費力〟だけなんだから。人口の激減した今、それも失われてしまった。そんな国に恩を売るメリットはない。政治というものはそういうものだ。血を見るのは苦手な私だが、医学者と医療器具があれば研修医時代を思い出し、手術もやってみようと考えている」
僕は吹き飛んだ病院の建物を探し、足りない器具は金物屋まで探して間に合わせた。寸暇を惜しんで四十六の手習いに勤しむ佐伯医師だった。住民が寝静まった後も、ひとり医学書を読み耽り、また手技の向上にも励まれ(読書をされていた彼の手がくねくね動き回っていたことから、そう想像した)、その姿は僕の胸を打った。負けては居られない。ドームの基礎となる部分に必要なBLBの培養が終わると僕は氷を運び、砕き、そしてまた氷を運びと、今、自分に出来ることに全力を注いだ。何度も言うが未だ精神的に未熟な僕だ。使命に疑問を抱かないようにするには体を動かしているに限る。考えることは伊都淵さんに任せておこう。一がなければ二はない。僕達はひとりでも多くの生存者を発見し、ひとつでも多くのドームを増やして行くだけ、僕達の旅はまだ始まったばかりなのだ。
「ヤス……田下さん、安らかに眠って下さい」
荼毘に付すことも考えたが、結局深く氷を掘って田下馨を埋葬することにした。墓碑にはここの住人達が彼の名前――田下馨 ドク・ホリデイ――と金属板にエンボス加工を施したものを作ってくれた。氷に埋め込まれたそれに雄一郎が手を合わす。墓碑を囲んだ人々は誰もがその顔に感謝と惜別の情を浮かべていた。犬達にもこの小さな儀式の意味はわかったようだ。6頭は悲しげに鼻を鳴らし、墓碑の埋められた氷をカリカリと爪で引っ掻いていた。
目的のため、矜持を打ち捨て理想に背を向けなければならない瞬間は誰にも訪れる。挫折感や後悔に身をやつすうち、人は本来の目的まで見失ってしまうものだ。だが田下馨は雄一郎達をそうさせなかった。住民達が歩むべき新しい人生のスタートが呪われたものにならない様、全ての咎を自身の命と共に葬ってくれていた。
「我々はあの人の気持ちを決して無駄にはしません」
そう語る石井の目は真っ赤に染まっていた。P300Aが田下にどう働いたのかは雄一郎にもわからない。おそらく開発者の所教授をもってしても明確な回答を導き出すことはできなかったろう。
「散々、憎まれ口ばかり叩いて……僕にきちんと詫びる機会もくれずに勝手に死んで行くのか、卑怯だぞっ!」
井上が氷に膝をついて叫んでいた。気づけば榊も大きな体を小刻みに震わせており、人々の間からはすすり泣きが聞こえてきた。
「田下さんはいいヤクザなんか居ないと言われました。だから、いい人間がヤクザになってしまったのが田下さんなのだと僕は思う様にします。神仏というものが存在するのなら、彼はきっと全てを許されているのではないでしょうか。始めましょう。あなた方が立派にドームを完成させ、国家再建の原動力となってくれることを田下さんも望んでいるはずです」
「はいっ!」「やりましょう」雄一郎の呼び掛けに方々から力強い声が上がった。
エウロパの旅人 第二章 使命篇 完




