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脱出

「進路をこうとれば誰の目にもつかず矯正室にたどり着けます。大丈夫ですか?」

 まだ迷いはあったが自分で考える力をデクは取り戻しつつあった。自分で書いた見取り図を、触れることが禁じられていた回廊の壁におしつけて矢印を書き込む。かつて持ち合わせていた〝人を思い遣る心〟が蘇り、咳き込むヤスミを気遣っていた。

「ああ、なんともねえよ。俺も五十人からを相手に大立ち回りを演じるほど命知らずじゃねえ、そのルートで行こう」

 声はまだかすれていたが、ヤスミの表情には精気が戻っていた。

「彼等を連れ出したら私を縛って下さい。出来れば、その……」

「屋内にしてくれってんだろ? わかってらあ。ちゃんと鈴木んとこへ案内してくれたらな」

 トコログリア接種後は虹彩が青紫に変色することを聞かされていたヤスミだった。修行衣一枚のデクを屋外に放置すれば数時間で凍死してしまうだろう。

「この地点で、ひとけがないことを確認したら合図します」

デクは再び見取り図を指し示す。覆面から覗くヤスミの目に了解を確読み取ると、デクは壁の途切れる場所まで足を進めた。作業を終えた信者たちがそれぞれの居住スペースに戻り修行に勤しんでいる時間帯だった。ディーゼル発電機の作動音のみが静寂を侵すノイズとなっていた地下空間、デクは修行靴――おそらく¥840でワゴンセールに並ぶ物――が立てる足音にも注意を払っていた。


「これが例のなんとかかんとかか?」

「トコログリアっていうんだよ、なんとかかんとかじゃ、さっぱりわかりゃしねえ」

 薬瓶を目の高さに掲げた黒田に高橋が答える。ヤスミ達が矯正室に向かおうとしていた頃、仮玉座の正面、大師控え室では橇から奪ってきた戦利品の検分が行われていた。

「体温の調整域が広がるって言ってたよな? 外でも動き回れるようになるってことか」

「ああ、矯正室に放り込んだ奴等の言ったことが本当ならリーダー格の小僧は杜都市からきたことになる。普通なら凍え死んじまうだろう」

「でも女が抱けなくなるのは困る」

 とことん下劣な自称救世主であった。

「試してみるか」

「お前がか?」

「馬鹿野郎、俺だってこいつが使いもんにならなくなるのは願い下げだ。デクかヒマヤーナにでも飲ませてみればいいだろうが」

 高橋は自らの股間を指差す。接種方法が視床下部への直接噴霧であることは9.02以前のテレビや新聞で取り上げられていたが、医学博士所創太郎も詐欺師伊都淵の片棒を担ぐ者として教団内では異端視させていた。そして外部との接触を絶つために各種の情報はシャットアウトされ、正しい接種法を知る者などここにはひとりとして存在しないのが現状だった。

「その手があったか。よし、善は急げだ。奴等を呼び戻そう」

 とんでもない〝善〟もあったものだ。黒田がテーブル上のボタンを押すと、ほどなくしてドアがノックされた。


 ドアノブに鍵が差し込まれる気配があり雄一郎達三人は身構える。結束バンドの拘束は解いていたが、床に転がされたままの状態を装いドアが開くのを待った。入ってきた白い修行着の男には見覚えがある。続いて入ってきた黒装束が持つ自動小銃に三人の顔が強ばる。銃を腰だめに構えたまま「ダダダダダーン」とふざけ、黒装束は片手で覆面を取り去った。

「正義の味方登場」

「ヤスミさん――」

 表情を緩める三人に声を潜める様、ジェスチャーでヤスミは伝えた。『なにはともあれ外へ』立たせた親指をヤスミが上方に向ける。雄一郎達三人は体を起こした。その時、ドアの外でけたたましくサイレンが鳴り響き、信者のものと思われる声が上がった。

「大変だー! ヒマヤーナが――」

「クソッ、何でバレたんだ?」

 ヤスミが毒づきデクは狼狽えた。間が悪い時はこんなものだ。白川に命じられ屋外の五人を呼び戻しに行った信者が凍死寸前だったヒマヤーナ達を発見していた。犬に吠えつかれて拘束された彼等の生死を確かめられずに地下に舞い戻った信者は大声で叫ぶことと警報のスイッチを押すことで異変を伝えた。

「突っ切るぞ」

 ヤスミの号令で五人は駆け出した。回廊を抜け階段のある通路まで一気に。開け放たれたままのダミー氷塊から屋外の薄灯りが射していた。雄一郎が脱出し井上と榊もそれに続く。遅れて階段の最上段にたどり着いたヤスミが体を乗り出そうとした小銃を榊に託す。その目の前でダミー氷塊は閉じられていった。

「ヤスミさんっ!」

 狭まる暗渠から見上げるヤスミは「いいから早く逃げろ」そう言っているかの様な笑顔を向けてくる。彼の背後には自動小銃を構えたグレイの修行衣の一団が迫っていた。


「仲間が居たのか……」

 仮の玉座にふんぞり返る白川の前にヤスミとデクは引き立てられていた。

「そのようだ……です。そして導師デクが裏切ったようです。私が機転を利かせて入り口の電源を落とした時には既に三人は逃げ出した後でした。ぶっ殺して……処罰をお考え下さい」

 興奮気味の高橋だった。信者達の前で大師たる白川に話す言葉にもそれがあらわれてい

る。小銃を構えたグレイの修行衣の一段が輪を作るようにヤスミとデクを取り囲んでいた。

「導師デクよ、そのほうはこの後タントラの業で身を清めるのだ。その前に申し開きがあれば聞いてやろう、話すがよい」

「何を偉そうに言ってやがる、この詐欺師の色魔が。巷じゃあ、てめえ等の悪行はすっかり知れ渡ってん……ぐあっ!」

 高橋がヤスミの茶々を封じ込めた。警策ではない、修験者が持つような六角棒がヤスミの鎖骨を叩き折っていた。デクは或る決意をもって白川に問い掛けた。

「大師様、正悟師様にお尋ねしたいことがございます。この者の申すことは本当なのでしょうか? 女性信者に夜伽を申し付けるのは何故でございましょう」

信者達の間にざわめきが起こる。外部の人間による誹謗や中傷ではない。導師デクの呈する疑義にはそれなりに彼等に訴えかけるものがあった。

「お前は悪鬼の化身の言うことに誑かされているのだ。私がそのような――」

 白川の言葉を遮るように高橋が声を張り上げる。女性信者にセックスを強要しているのは事実でありそれを知る信者も少なくない。嘘で塗り固めるよりはもっともらしい理由付けをしておくのが得策だと考えていた。

「答えてやろう、導師デクよ。我が光の地球教団の未来を担うのは子供達だ。その子孫により優れた遺伝子を伝えて行こうとするのは当然のことだろう。下級信者同士の交わりを禁じているのはそのためだ。そんなこともわからぬお前に導師の資格はない。修行衣を脱いでタントラの業に身を晒すのだ」

 信者達の顔に安堵と納得の声が広がる。恐怖政治に虐げられた彼等が高橋の妄言に疑いを持たないことがデクには悔しくて仕方なかった。

「この者はどうなるのです」

「お前の知ったことではない」

 高橋はヤスミの処遇を決めかねていた。殺す。その結論は変わらないがデクみたいに二度と反旗を翻す者があらわれないよう、信者達に恐怖を染み渡らす効果的な処刑法はないものかと考えていた。

 床に突っ伏したままのヤスミが咳き込んで血痰を吐く。それを見たデクは苦痛で舌でも噛みきったのではないのかと危惧した。

「大丈夫ですか?」

 デクはヤスミに顔を寄せて聞いた。

「他人の心配などしている場合か、さあ早く修行衣を脱げっ! ん? なんだ、この臭いは」

 黒田が脂でてかてか光る鼻をひくつかせた。地下工場の低い天井に黒い煙が立ち篭めている。「火事だーっ!」誰かがそう叫ぶと信者達は出口へと殺到して行った。

「やるじゃねえか、あいつ等。ぐっ……」

 ヤスミがデクに顔を向ける。たったそれだけの言葉を発するのでさえ苦痛なようだった。

「逃げた人達がこれを?」

「多分な、通気口はあるんだろう? 俺達はそっちへ避難しようぜ」

「こちらです。肩を貸しましょう、さあ」

 ボヤ程度ならこれほどの大騒ぎにはならなかっただろう。発電機が停止して場内の灯りが落ちると信者達は一層パニックに陥った。漆黒の中、闇雲に走り出し倒れて後続に踏みつけにされる者、なんとかドアまではたどり着いたものの開けるのに手間取って後ろに追いやられる者、ぐるりと回り込んだ回廊の壁に体を押し付けられ息も絶え絶えになっている者、彼等の全てが発電機の排気ガスを吸い込んでいた。視界は涙でぼやけ肺はディーゼルエミッションでキリキリと痛んだ。

「慌てるなっ!」

 信者の先頭に立っていた高橋が声を上げる。ダミー氷塊に連結するハンドルを押し込むが電源の落ちたそれは当然の如く動かない。

「だめだ、手動で開くぞ。クランクハンドルを取れ」

 暗闇に手を這わせるがハンドルを差し込む箇所はなかなか見つからない。ようやく探り当ててハンドルを差し込もうとしたが焦ってハンドルを取り落としてしまった。カランカランと乾いた音を立てハンドルは信者ですし詰めになった階段を転げ落ちてゆく。

「拾えっ! ゴホッ、ゴホッ」

 階段の中程まで転がり落ちたハンドルがバケツリレーよろしく高橋の手に戻った。しかし再び差し込み口を探すところから始めねばならない。

「灯りがあるぞ。こらっ! どけっ、私を通さんか」

懐中電灯を手にした黒田が階段の下で声を張り上げる。逃げ遅れた挙句、誰かに肘鉄でも食わされたのか左眼窩の下辺りに大きな青痣が出来ている。法衣の袖で鼻と口を覆いながら階段を押取刀で――黒田としては精一杯のスピードで――一段ずつ上って行った。今度こそ確実にハンドルを差込んで回そうとするのだが固くて動かない。それもそのはず、屋外では雄一郎が右腕でダミー氷塊を押さえ込んでいたのだ。地下シェルターを奪回した時の〝燻り出し作戦〟が再び功を奏していた。

「そろそろ、いいんじゃないですか?」

 排気口を塞ぐ役目を終え榊が戻っていた。

「原田さんのボタンスモークもいただけなかったけど、人間スモークじゃあ犬達も食べませんよ」

 ヤスミから渡された自動小銃でヒマヤーナを威嚇していた井上が――とは言え、腕を落とされたエイカとセイヨーは既に凍死している。ゲンニーとホンマニーの呼吸もかなり浅くなっていた。四人の名前を合わせると『えいかげんにせいよほんまに』となる。およそふざけた黒田のネーミングを彼等が理解していたかどうかはわからない。

「人ひとりが通り抜けられるだけ開ける。榊君は背後に立って銃を持っている者が居たら取り上げるんだ。逃げる者は追わなくていい、出来れば誰も傷つけずに済ませたい」


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