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囚われ

「大きな犬なんです。それぞれが凄い勢いで吠えていて近づけません」

 犬を捕まえてくる様に伝えた高橋は「この役立たずめ」といった目を導師デクに向けた。

「だったら菩師団ヒマヤーナを連れて行って撃ち殺してしまえ、そして一番肉付きの良さそうなのから調理室に運ぶのだ」

「――お食べになられるのですか?」

 救いを求めるものは動物でも拒まない。捕虜となった男達と並んで聞かされた大師の言葉に痛く感動していた導師デクは我を我が耳を疑った。

「悪鬼どもの犬だ。階位の高い我々の血肉とすることで彼等も救われる。ニルヴァーナ(煩悩破壊)に至るにはそれしか方法がないのだ」

 こと、欲望が絡むとなると、黒田の嘘はかくもまことしやかなものになる。そして修行と称して幻覚剤と電気ショックによる洗脳を受けていた導師デクは、そんな戯言さえあっさりと受け入れてしまった。

「なるほど、短慮な私めの発言、平にお許し下さい」

「気にするな、さあ早く行け。犬達の魂を救ってやるのがお前に課せられた神の御勅でもあるのだ」

 動物を殺せと命ずる神などどこに居るものか。しかし正常な思考を奪われた信者達は露ほどの疑いも持たずに黒田の言葉を信じ込んでしまう。導師デクは並んで跪いていた黒装束――9.02以前より組織の闇の部分――強奪、拉致、そして救済と称して教団の邪魔となる者の殺害を担っていた菩師団ヒマヤーナの四人を伴うと仮の玉座を離れて行った。

 吹雪の止んだ空に白い太陽が浮かんでいた。六頭の犬は緩められた係留にもそこを離れることなく主人を待ち続けていた。彼等の優れた聴覚が忍び寄る足音を捉え三角錐の耳をピンと立てる。低く唸り声を上げながら彼等は嗅覚の記憶を辿り近寄る人影の正体を探った。人影は顔の前で人差し指を立てる――敵ではない――現在のリーダー犬三歩の合図で彼等は静まった。そして人影は犬達の係留に使われていたハーケンを一本一本抜き取っていった。


「我々はどうなるんでしょう」

 井上の声に不安が滲む。三人が押し込められた〝矯正室〟と呼ばれる部屋は鉄格子こそなかったが中世の拷問部屋もどきな設備がずらりと並んでいる。おそらく信者の洗脳に使われたのだろう。三人はクロスボウも蛮刀も取り上げられ、ナイロン製の結束バンドで後ろ手に縛られて床に転がされていた。しかし雄一郎の最大の武器がその右腕であることには気づいていない。ブチン! と音を立てて雄一郎が結束バンドを引きちぎった。

「ここを出ることが出来ない限りどうしようもない。すまん、また俺が判断を過ったようだ」

 エンジニアブーツのストラップ裏に隠していたカッターの刃で井上と榊の拘束を解いて行く。榊が言った。

「逃げましょう」

 雄一郎の右腕をもってすればスチールドアのノブを捩じ切ることは可能だ。だが部屋の外の様子が全く掴めない状況で強行突破の危険は冒せない。黒装束の連中が構えていた銃には本格的なライフリングまで切ってあり、木製のストックには教団のシンボル――五芒星に地球の図案が彫られていた。軍用銃を精巧にコピーしていたのなら有効射程は長く連射も可能なはずだ。全員が無事に脱出出来る保証がない以上、早計な行動は控えるべきだと雄一郎は考えていた。


「犬が居ないだと?」

 導師デクの報告に黒田は頓狂な声を上げた。

「はい、逃げたようです」

「よく調べたのか」

「はいっ! ヒマヤーナ共々、教団敷地内を隈なく捜索しましたが……しかし橇に食料と防災グッズがありました。カイロや温熱シートが入っております。信者に分け与えてもよろしいでしょうか。完成した風力発電機の設置は屋外での作業です。修行着一枚では凍え死んでしまいます」

 黒田と高橋は顔を見合わせる。「どうする?」そんな問い掛けを黒田の表情に見た高橋はデクに怒声を浴びせる。人払いが必要だった。

「ばかものっ! 何が隈なくだ。敷地の外も探してこいっ!」

「はっ、申し訳ありません」

 薄い修行着一枚での屋外行は命懸けである。辛うじて許された手袋がなければ指先など、あっという間に凍傷にかかってしまうだろう。それでもデクは失態を取り戻そうと再び屋外へと向かう。黒装束のヒマヤーナもそれに続いた。屋外が寒く感じるのは、まだ自分の修行が足りないせいだとデクは思い込んでいた。大師様と正悟師様の位まで修行を積めば寒さなど気にならないと聞かされ、それを信じ込んでいた。

 黒田と高橋は信者たちが去るのを待ちかねて早速戦利品を開く。

「カイロに温熱シートか、ありがてえ。女を抱こうにもこう底冷えがひどくちゃチン■も勃たなくなっちまうからな」

 雄一郎達を拘束後、臨時の正悟師の間として使っていた備品置き場に戻った高橋は全裸の女性信者を前に思い通りにならなかったか弱き自分の分身に苛立ちを覚えていた。

「信者には配らねえのか?」

「非常食やライトはやるさ、神に賜ったとかなんとか言ってな。灯りがあれば少しは寒さも和らぐんじゃねえか? 何なら大師様が『これは神の温もりだ』とでも言ってやれよ。カイロったって防災グッズに入っているようなのは使い捨てだぜ、数時間しかもたねえ物を低能信者になんかやれるかよ」

「低能じゃねえよ、下級だって」

「あの惚けた連中がどう呼ばれようとわかるもんかよ」

 信者をそうしたのが自分達であることも忘れ高橋は嘯く。「そう言われてみりゃ、そうだな」同意をしめす黒田も信者の反乱など起こり得ないことを確信していた。〝教義〟と言っても黒田と高橋の都合でころころ変わるそれに従わない或いは難色を示す信者が何十人も命を落としたタントラと呼ばれる洗脳だった。生き残った信者達は、その記憶までも操られていた。


 導師デクに続いて菩師エイカが屋外に体を乗り出すとダミーの氷塊が閉じられてゆく。「おい何やってんだ、閉めるなよ」階段を上りきってない三人の菩師の声に振り返ろうとしたエイカは右肩に焼け火箸をあてられた様な痛みを感じて自動小銃を取り落とした。正確を期するなら氷に転がり落ちたのは自動小銃とそれを握っている菩師エイカの右腕だった。一瞬何が起こったのか理解出来なかったエイカだが、次の瞬間、壮絶な痛みのショックで気を失う。二度目のドサッという音に手で目庇を作って氷原を眺めていた導師デクが振り向くと自動小銃を右足で踏みつけ日本刀を構えた男が六頭の犬を従えて立っていた。驚愕の声を発しようとするデクに、男は左手の人差し指を口に添えて言った。

「おっと、でけえ声出すんじゃねえぞ。でないとてめえの首と胴体が泣き別れになる。この倒れているヤツも手っ取り早くそうしてやりたかったんだが――」

寒さのせいばかりでなくガクガクと膝を震わせるデクに日本刀の男――ヤスミは続けた。

「何せ、今の俺は生存者捜索隊の一員だからよ。わかったのか?」

 生存者捜索隊だからよ、の意味はわからなかったが大声を出せば殺されるだろうことはわかった。デクは頭全体を振って同意をあらわす。

「何人居るんだ、銃を持った連中は」

「……さ、さんにん」

 階段に残された人数は三人だが、それは正確ではなかった。ロシア製自動小銃カラシニコフのコピーは、本殿と呼ばれていた地表の建物ごと吹き飛ばされたのを差し引いても数十梃は地下に残っている。

「開けろ」

 ヤスミが顎で氷塊のハンドルを指し示す。ハンドルに手は掛けたものの捻るだけの力が湧いてこないデクだった。恐怖に駆られた頭で考えてみる。出てくる菩師達を狙い撃ちするつもりならともかく、目の前の男は折角奪った銃を手にしていない。いや、構えようとしたのだが銃と日本刀を右手と左手に持ち変えながら色々試していたが、どうにもしっくりこなかったようで最終的に氷塊にもたせかけた銃を靴底で蹴りつけて銃身をひん曲げていた。連射の効く自動小銃を持った男達、しかも教団の暗殺部隊ともいえるヒマヤーナを日本刀ひと振りで相手にしようとする蛮勇が愚かに思えた。立場は一瞬にして変わるだろう、そう考えると腕の震えも止まりハンドルを引き下げる力が戻った。ギリギリと音を立て氷塊がずれ始めた。

「まったく何やってんだよ、お前等は」

 氷点下の屋外に幾度も出ねばならない苛立ちがヒマヤーナ達の語調を乱暴にしていた。セイヨ、ゲンニー、ホンマニーと呼ばれる順に氷の台地に立つ。彼等の背後に向けられたデクの視線を追ってようやくヤスミの存在に気づいた。慌てて銃を構えようとするが、かじかんだ手はセーフティレバー(安全装置)も探り当てられない。

 殺人に手を染めていたとは言えほぼ無抵抗の一般人を相手にしてきたヒマヤーナと、命の遣り取りが日常だった武闘派ヤクザのヤスミとではくぐった修羅場の数が違う。アクセサリーの様に銃をぶらさげてはいるが撃ったことがあるのは空缶と小動物だけ。ヤスミの鋭い歯笛で犬達が飛びかかると、薄い黒装束の腕に立てられた牙は骨まで届くほど深く食い込んだ。ヒマヤーナ達の悲鳴と呻き声が交錯する中、ヤスミは素早く小銃を取り上げ、そのストラップを使って手足を拘束して行く。人間離れした身のこなし、犬達との意思疎通、〝緊急用トコログリア〟として体内に取り込まれた微量のP300Aが機能し始めていた。

「俺は使ったことねえけどシャブ(覚せい剤)でも食ったみてえだぜ。オツムも身体機能も冴えまくってやがる。さあ突入だ、しっかりこいつ等を見張っててくれよ」

 バウッと一声吠え、三歩が了解を伝えてきた。ヤスミは拘束したひとりから黒装束とブルカ様の覆面を剥がして身に着けていった。


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