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伏魔殿

 吹雪の中、白装束を身に纏った男が雄一郎達の前にあらわれた。「この天候では捜索もままならない、吹雪が止むまで待とう」と、建物の残骸に身を寄せようとしたその時だった。

 ただ、折角姿をあらわしても男の口は真冬の南極並み――正にその通りだったのが――の冷気にしばれて言葉を発することが出来ない。雄一郎が先に声を発した。

「生存者の方ですね、他にも居られるのですか」

「だい……」

 白装束の男は何か言いかけて身を切る程の寒さに身を竦める。頭を大きく縦に振って返事に代えた。

「我々は生存者を探しております。食料やトコログリアも持っています。案内していただけますか?」

 今度は端から話すのを諦め、再び大きく頷いてから体全体を斜めに揺する。着いてこい、そう言っているようだった。

「あのヤクザは怪しげな薬品や銃器を製造していたといってました。大丈夫でしょうか?」

 小声で話し掛ける井上はすでに〝ヤスミ〟と呼ぶことを止めていた。雄一郎が答える。

「今、我々が取られて困るものは命とトコログリアだ。犬達の係留を緩めておこう」

 勿論、最悪を想定しての言葉だったのだが〝命を取られる〟と効いた井上はごくりと唾を呑み込んだ。

「心配するな、そうはならんよ。なあ」

 よもや犬に相槌を求めるとはな、と語りかけたアラスカンマラミュートの三歩が「ええ」と返事をするように雄一郎を見上げる。数メートル先、振り返って待つ白装束は「早くしてくれ」と言いたげに体を縮こませていた。雄一郎達が追いつくと白装束は氷塊の中程を押す。氷の破片にしか見えないものが引き出されると男はそれを捻った。左端を支点として氷塊は円弧を描く様にずれて行く。ダミーか――軽量な材質で作られたそれは手で触れない限り人工物とは見破れない程精巧に作られている。技術者が居るのだろうな、顔を見合わせる雄一郎達の前に地下への通路が開けていた。

 回廊の壁画にはサンババが描かれマニ車があったりもした。そうかと思えば反対側の通路には釈迦如来や菩薩が描かれている。教団の信仰が何に向かっているのかもよくわからない。外敵の侵入を想定してか回廊は突き当たりで急に狭くなり、ぐるりとUターンしていた。案内役の男は手を触れるなと言ったが、何故かそうせねばならない気になった雄一郎は、男の目を盗んで壁に触れてみた。するとバイオ流体緩衝材の脈動が伝わってきた。何がこうさせたのだろう、何故それがわかってしまうのだろう? 俺はどうなってしまったのだろう――その考えが雄一郎の意識を占めていた。突き当たりを7~8m進むと右手にドアがある。案内役の男がそれを開くと想像した以上に立派な地下工場が雄一郎達の前に開けた。

「こちらへ」

 ようやく口が自由になった白装束の男は掌を上に向け中に入るよう言った。最後にドアを抜けた男の背後でガシャンとドアは閉じられた。

 三人が連れてこられたのは地下工場の奥まった一画だった。一段高くなった空間を金糸銀糸で織り上げられた紗が覆っている。その傍らに立った男――正悟師アートこと高橋が大袈裟に両手を振り上げて言った。

「ご苦労だった、正導師デク。さて本来なら大師フィシャールへのお目通りが叶うのは師補以上の階級の者だけなのだが、こんな状況である。君達は幸運だ、謁見の姿勢をとりたまえ」

 ここまで案内してくれた男が片膝をつくのを見て雄一郎もそれに倣う。榊が渋々といった体で跪くと井上も従った。それが合図となった様にするすると紗が開かれて行く。醜く太った大師フィシャールこと黒田が姿を見せた。

「避難民達よ、我々は救いを求めるものを拒まない。例えそれが動物であろうとも、だ。この氷は神の怒りである、全ての民に悟りが訪れた時、氷は消え去るであろう。そのためには全ての煩悩を取り払わねばならない。全てを差し出すのだ」

 コーディネイターを失った法話は、のっけから貢ぎ物を差し出せといった単刀直入で臆面もないものだった。来訪者は従順な信者ではない、急いては事を仕損じるぞ、と高橋が黒田に目配せを送る。

「あー、避難民であるその方等が救われるには、聖なる石ネカヒロイを身につけておく必要がある。これは全てを手放した者にのみ与えられる。何か持っているのか?」

 黒田は人工石のパワーストーンを掲げ上げた。犬が食べたい、脳裏にはびこる欲望を片時も仕舞い込んではおけないようだ。苦虫を噛み潰した顔になった高橋の思惑をよそに黒田の虚妄は続く。信者獲得のため必死で諳んじた仏教法話も数々の説話も、それを入れておいはずの記憶の引き出しは歪んだ欲望に中身がすり替わっていた。紗の引かれた向こうから流す録音音声でごまかしていたことを後悔するが、今更なんともならない。評判の良かった法話を思い出しながら書き上げた台本が膝の上にあるのだが、自分で書いた文字がきたな過ぎて読めない。仕方なく選択するアドリブは重みを持たせようとするほどにメッキが剥がれ落ちて行く。

「そうそう、あの悪鬼どもを追い払ったのも私の法力だったんだ」

 最早そこいらの友人同士の会話である。井上など〝そうそう〟のくだりで吹き出してしまっており榊は欠伸を噛み殺すに必死であった。そして雄一郎は自身の変化に考えをめぐらせている。俺に伊都淵さんや丈のような力などないはず、だけどこの感覚はなんだ……太った男が出す澱んだ臭気に雄一郎は胸が悪くなるような気分を覚えていた。

 明確な自覚症状こそなかったが腕に混入されたP300Aはソマチッドを介して雄一郎の体細胞全体に変化をもたらしていた。それはごく小さな変化の積み重ねだった。覚醒を強要された伊都淵ともナチュラルに能力を授かった依子とも違う。血流に乗ってあまりにも自然にも吸収されたP300Aに雄一郎が気づいていないだけだった。

 関わらない方がいい人間達だ。彼等が過ちに気づかぬまま命を落としてゆくなら、それは自業自得というものだ。そう判断した雄一郎は何も話さないよう、榊と井上に目で合図を送る。

 改めて見直す地下工場には部分的な崩落さえない。膝をついた床からもその情報は伝わってくる。バイオ流体緩衝材が完全に機能しているようだった。杜都市の地下シェルターを打ち抜いたと同様の広さを持ち、大きなプロペラが着いた柱が組み立てられていた。ヤスミの言った様な怪しげな薬品や銃器の製造ラインは見当たらない。目の前の二人もそうだが、地下で擦れ違ったグレイの修行衣に身を包んだ信者達の目にも虹彩の変化は見られなかった。これでよく生き延びられたものだと感心しながらも雄一郎は警戒を怠らなかった。ただ自身の変化に困惑し、それを受け入れようとしない頑迷さが、彼の注意力の何割かを失わせていた。

「いえ、我々は生存者を探しているのです。食料は足りていますか? トコログリアを接種されている人は居られないようですね。手持ちは充分にあります。ご希望があれば私が」

 雄一郎の関心は眼前の二人から信者達に移っていた。どのような意識操作が行われたのかはわからないが意思の光を持たない彼等がこの二人によってコントロールされているのは明白だった。ここならトコログリアなしでも生き延びられるかも知れない。だが、このまま去っていいものだろうか、雄一郎に去就を迷わせていたのはミスリードならぬマリスリードともいうべき悪意の指針で導かれた信者達の未来だった。

「東北の詐欺師の提案か」

 黒田が吐き捨てる様に言った。伊都淵が開発したバイオ流体緩衝材のお陰で生き延びていられることなど頭の片隅にも存在せぬかのように。

「あんなものがなくとも悟りを開くことによって人間は神の存在に並びかけることが出来るのだ。未来を担うべき子供達を産めずしてどうなる」

 実際は「トコログリアの接種が生殖機能に悪影響を及ぼす」といった流言飛語を信じ込んでいるだけだった。誠の妹晴美の懐妊がトコログリア摂取後であることを雄一郎達は知っている。

「そうですか、では我々はこれで。どうぞお元気で」

 雄一郎が立ち上がると榊と井上もそれに倣った。冷えた床についていた膝をさすりながらも伏魔殿のような場所を去ることが出来る開放感に顔を綻ばす二人だった。

 一方、黒田と高橋は思惑が外れ焦っていた。玉座に歩み寄った高橋に黒田が耳打ちをする。

「どうする? このまま行かせるのか?」

「力ずくで犬を奪ったとして、この連中が居るなら他にも生き残りが居るかも知れない。こいつらが仲間を連れて戻ったら厄介だぞ」

 食料を奪われる、今の地位を追われる、悪事がばれる。どれも黒田には受容し難い想定だった。50人余りに減ってしまった信者では群集に押し掛けられた場合、ここを守りきれるかどうかの不安もある。黒田は決断を下す。悪党には悪党なりの危機管理能力が備わっていた。

「悪鬼だっ! こいつらは悪鬼が姿を変えている。我々に誘惑の手を、黒い手を差し伸べているのだ。赤い舌が見える。拘束しろっ!」

 黒田の背後、壁との間から銃を手にした黒装束の一団が出てきて雄一郎達を取り囲む。背中のクロスボウに手を伸ばしかけるが、銃口が三人に向けられているのを見て雄一郎は両手を上げた。


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