光の地球教団
雄一郎には占い師や宗教に救いを求める人間が理解出来なかった。〝怖い程当たる教祖の予言〟宗教団体がリサーチ部門を下部組織として保有していたのだから当然の話だ。貯蓄が罪悪であるかの如く信者を言いくるめ、多額の金を騙し取っていた事件を伊都淵から9.02の前に聞かされていた。教祖や教義を盲信した人々もあの衝撃波で目が覚めたに違いない。尤も、覚めた途端、またもや目を閉じることになっていたのだろうが。だが雄一郎の推測は間違っていた。
極めて陋劣な自称救世主であった。自らの地位を脅かすものに恐れ、食料の備蓄がなくなることを恐れ、そして自分の寿命が尽きることを恐れていた。女性信者――まだ少女とも言えそうな幼気な体からでっぷりとした体を離すと緩慢な動きだったにも関わらず心臓が悲鳴を上げる。少女がシーツを手繰り寄せようとすると不機嫌な顔で見下ろした。人と人とも思わない目だった。怯えた目になった少女はシーツから手を離し裸の胸の前で腕を組み、少しでも裸体の露出を減らそうと儚い努力をしていた。
白川高貴、本名黒田三郎は数年前まで一家で干物工場を営んでいた。儲かると聞けば何にでも手を出す類の人間だった。中古車ブローカーにマルチ商法、架空の投資話など詐欺まがいの行為にも手を染めていた。韓国旅行で知り合い、後日教団ナンバー2となる高橋貢と手を組んで人工石のパワーストーンの販売を始めたのが思いがけない大当りとなった。そして『世の中にもこうも他力本願の人間が多いのか』と始めた教団が彼の生業となる。よく〝口から先に生まれた〟などと揶揄される人物は多いが、黒田は正にその典型だった。パワーストーン販売で広げた顧客ネットワークを辿り、流れるような弁舌で言葉巧みに信者を増やして行った。
疑問を抱く人々、黒田の意に従わぬ人々にはカルト集団お得意の信者獲得及び排斥手段を使った。所謂力ずくというヤツだ。身ぐるみ剥がされた信者は帰る家を失い、新たな信者の勧誘を教団に強要されて頼るべき友人を失っていた。迎えに来てくれる家族が友人の居る者もいたが、教団幹部の説得という名の話し合いの後、姿を消す人々も多かったと言う。
行き場をなくした人々は仰ぎ見る大きなメッキの球体に縋りつくしかない。そしてあの災禍だ。正常な思考を失った人々は再び黒田の前に平伏した。地上に居た信者達は殆ど死んでしまったが地下工場で作業をしていた下級信者と工場の管理者だった導師、そして折り悪しくと言おうか悪運が強いと言うべきか、視察のため地下に下りていた黒田と高橋、そのボディガードを務めるヒマヤーナと呼ばれる一団が生き残っていた。
ディーゼル発電機の燃料がタンクの半分を切った今、地下工場では風力発電機の製造を急がせていた。幾重にも脂肪で覆われた体の黒田だがトコログリアなしで生存の可能性が極めて低いことは自明である。ただそれは信者も同じだ。発電機設営のため屋外で作業をするにはトコログリア未接種の人間にとって自殺行為となる。命を落とす信者が増えれば口減らしになるとでも黒田は思っていたようだが、イコール作業員が居なくなるとまでの考えには至っていない。
ドアをノックする音が聞こえ黒田は少女に下がるように告げる。とは言え六疊間ほどの倉庫の出口は今しがたノックされたドアしかない。裸で部屋を出す訳にも行かず脱ぎ捨てられた、いや、黒田が剥ぎ取った下級信者用のグレイの修行衣を掴んで少女に放り投げ、報告に来た信者と共に地下の臨時玉座へと向かって行った。
「敷地内に侵入者だと? あの悪鬼どもではないのか」
〝悪鬼〟黒田はホモローチの存在を罪深き不信心者が変容したものだと、折にふれ口にしていた。仰々しい法衣を何枚も重ね着し金襴布団に座る黒田の姿はジャバ・ザ・ハットを彷彿とさせる。まだ五十代半ばだったが、たるんだ皮膚が老人の皺の様にその顔に体にと折り重なっている。年齢を十歳は上に見せていた。冷たいコンクリートの床に膝立ちになって控える信者達の表情は押並べて辛そうだった。
「いえ、日本語を話しております。それに悪鬼どもは大師様の法力で絶滅したのではなかったでしょうか」
「……そうだったな、悪鬼であろうはずがない。私の法力は日本全土、いや地球全域に及んだはずはなのだから」
いけしゃあしゃあとは、まさにこのことだ。サイトカイン・ストームで死滅したホモローチを自分の手柄にしてしまう不遜さは、宗教家にあって然るべき慎み深さを微塵も感じさせない。しかも自身の発言すらすっかり忘れている。この似非救世主に馬と言う言葉を使うのも勿体ない。馬脚ならぬ豚足をあらわし始めた黒田だったが信者達の盲信が救いだった。
「仰せの通りでございます。武器は持っていないようです、如何いたしましょう」
「知れたことだ。そいつ等が何も見つけられないまま諦めて去るまで放っておけばいい」
大師としての勅言を文才のあった信者に書かせていた黒田だった。9.02でゴーストラーターを失った黒田の文言には教養の欠片も感じられない。
食料備蓄のダンボール箱が減って行くのを恐々として眺めていた黒田だ。収容人員が増えるのを認めようはずがない。下級信者と同じ物を食べることさえ虚栄心の固まりである黒田には屈辱と感じられていた。せめてもの権威づけが信者の倍の量、二種類ずつの冷凍食品を食べることだった。運動といえば幼気な少女とのセックスのみ、見苦しく太ってゆくばかりの自身の体型がふてぶてしさに拍車をかけていた。
「わかりました、犬があちこち臭いを嗅ぎ回っているようですから工場排気が漏れないよう作業を中断させます」
「待てっ!」
黒田は引き返そうとする信者を呼び止め、芝居がかった所作で瞑目する。
犬だと? まがい物のパワーストーンを仕入れるため何度も渡航した韓国で犬肉は食べつけていた。少々泡は出るが味噌漬けにしてしまえば食感は牛と大差ない。何より冷凍食品に飽き飽きしていたことが黒田の貪婪な食欲を亢進させていた。
「今、お告げがあった。歓待して信者に加えよと神はおっしゃっている。避難民は大切にせねばならない。これは天が我々〝光の地球教団〟に与えた試練なのだ。全ての民が悔い改めればすぐにも氷は溶ける。その時、国家などに何の期待も出来ない。選ばれし神の子である我々が力を蓄えておかねばならないのだ。正悟師アートをここへ」
こんな益体もない台詞がスラスラと口をついて出る。黒田は天性の詐欺師であった。
正悟師アートこと高橋貢はドアを叩く音に苛立たしげに声を荒らげる。黒田と同い歳はずの高橋だったが痩せぎすな分、幾らか若く見えていた。
「何だっ」
「大師フィシャールがお呼びです」
ちっと舌打ちをする高橋も黒田同様、女性信者に覆いかぶさっている最中だった。とんだハレンチ教団もあったものだ。ちなみに二人の呼び名はArtificial stone(アーティフィシャルストーン=人工石)をもじったものだ。ネットで調べて見つけた高遠そうな階位は既に他の教団に使用されており、ない知恵を絞ってつけた安直なものだった。
「すぐに行く」
「はっ」
招集を告げに来た信者の足音が遠のくと、高橋は女性信者に言った。
「すぐ戻る。服は着るな」
「でも……」
自分の言ったことを忘れ、別の女性信者を連れて戻ることも屡々の高橋だった。ささやかな抗議も許さないといった凶相を浮かべ高橋は言った。
「タントラの業をしたいのか?」
全裸で氷点下30℃の屋外に放り出すことを教団ではそう呼んでいた。勿論、その修行から生還した信者は皆無だ。粗末な性器を垂れ下がらせたまま居丈高に言う高橋に正悟師などという威厳などこれっぽっちも感じられない。それでも命が惜しい女性信者は俯いたままで答えた。
「……わかりました」
「よろしい」
満足気に頷くと、高橋は厳寒期の修行用に纏う(導師以上に許される)羽毛の詰められた法衣に腕を通した。女性信者を全裸にしてもズボンすら脱がない高橋だった。
「なっ、大型犬が6匹居るそうだ。どうせロクに飯も食ってない連中だ。暖房の効いたここで賞味期限のやばい冷凍食品でも食わせてやれば喜んで犬を差し出すさ。どうせ他に行く当てなどありゃしねえんだ」
大師控え室とは名ばかりの食料倉庫に高橋を呼んだ黒田が相談を持ち掛ける。
「犬か――前に食ったのは五年前か? どんな味だったか忘れちまったな」
スチールドア一枚で保たれるプライバシーなどなきに等しい。にも関わらず品性の欠片も感じられない会話を声も潜めずに交わす黒田と高橋だった。文字面だけはヤスミのべらんめい調に似てもいたが、あの歯切れ良さはない。二人の言葉は膿みきった魂が流れ出ているかのような粘り気を感じさせた。
「賛成か?」
「ああ、いいだろう」
「そうと決まれば奴等がどこかへ行ってしまわないうちに引き止めなきゃあな。御馳走を運んでくれる連中だ。失礼のない様、導師に迎えに行かせよう」
「よく言うよ、だったら大師様直々に迎えに行ってやればいいじゃねえか」
「風邪引いちまうだろうが。しかしこの氷、いつ溶けるんだろうな?」
「知るかよ、テレビはやってねえしWi-Fiも繋がらねえんだ。よもや世界中がこんなんなっちまったんじゃねえだろうな」
「よせやい、そんなだったら俺達もいつか飢え死にしなきゃならねえじゃねえか」
「食物がなくなったって信者がいるさ。探しに行かせたっていいし、奴等が痩せちまう前に肉付きのよさそうな女を食うってのはどうだ? おっぱいってのはどんな味がするんだろうな。一度食ってみたかったんだ」
「あっ、俺も」
「ところで、あの黒いバケモノみたいのは本当に居なくなったんだろうな? 招き入れた途端、変身したりはしねえよな?」
「法力で絶滅させたんじゃねえのかよ」
「そんなもんがあったら、こんな辛気臭いとこに居るもんか。ハワイかどっかへ引っ越してるさ」
「ハワイってか、またえらくベタな大師様だな」
どれがどちらの台詞だろうと大した問題ではない。中ノ原の地下シェルターを襲った連中以下――歪みきった志操の黒田と高橋を称してうってつけの言葉は〝目糞鼻糞〟以外ないのだから。