バトン
「どうやら私の見込みが甘かったようです。この分では生存者数は全人口の1パーセントを切ってしまいそうです。ホモローチの襲撃を計算に入れていなかった」
三つの捜索隊から報告を受けた東北のカリスマこと伊都淵貴之は、そう言って肩を落とした。
完成した氷のドームではなく、丈が地下要塞のようだと評した地下シェルターの会議室。机を挟んで向き合っているのは伊都淵が師と仰ぐカジだった。
「例え、そうだとしても君のせいではない。災害の備えをしなかったのは君の警告に耳を貸さなかった政府であり個々の責任だ。我々は彼等の保護者ではないのだからな。この杜都市に三つ、農園跡に建造中のものを含めふたつ、同じく建造中のものが、タケ坊の見つけたコミィニティにひとつ、正と村山君が向かった十州道にひとつ。雄一郎が見つけた生存者は中ノ原に回収済み。確かに厳しい状況ではあるが、9.01からまだ二ヶ月と少ししか経っていないんだ。これなら上首尾とも言えるのではないだろうか」
「そうでしょうか……」
意識操作をしてでももっと多くの地下シェルターをつくらせるべきではなかったのか。人々の意思を尊重したつもりだったが、それは自身の怠慢ではなかったのだろうか。あれだけ大量に出荷したバイオ流体緩衝材はどこに消えたのか、自問に耽る伊都渕にはカジの言葉も届かない。二人の居た会議室のドアがノックされ、返事も待たずに入ってきたのは依子だった。言葉を用いることなく意思を交わし合う伊都淵と依子の通信メカニズムがどうなっているのか、能力を持たないカジにはわからない。だが以前なら近くに居ることで成立していたものが離れた場所でも感じ取れるほどに進化していることは間違いない。今も伊都淵のSOSを感じ取ったのだろう。臨月を迎えて尚忙しく動き回っていた依子が『東北のカリスマの背中を張り倒す人間は自分以外には居ない』と重いお腹を抱えて地下への階段を下りてきてくれたのだ。
「また、パパが泣き言を言ってるみたいですねー」
依子は自分のお腹を話しかけながら「よいしょっと」とカジの隣、伊都淵の斜め向いに腰を下ろした。伊都淵は俯いたままふっと唇を緩めた。
「こう考えればいいじゃない、人々は全て自分で未来を選択したの。タッキーのせいじゃない」
「懐かしいな、その呼び名も」
伊都淵は薄く笑って顔を上げる。
「みんなに状況を受け入れろって話していたのはあなたでしょう? だったらあなたもそうなさいな。その上で最善の策を講じる。それがあなたの役目でしょう?」
「最善はいつも考えているさ。その結果がこうなんだ。俺はほとほと自分の浅はかさに呆れているところだ。ここいらが作られた秀才の限界なのかも知れないな。人間性も君より遥かに劣る。代わってもらえるならいつでも譲るよ」
「またその話を蒸し返すつもり? 責任が重いからって投げ出すの? あたしはこの子の父親がそんな意気地なしであって欲しくないわ」
「投げ出せないから悩んでいるんじゃないか」
「今夜の定時連絡はあたしが代わってあげる。雄一郎君達に東北のカリスマがベソをかいたと教えてあげるわ」
「勘弁してくれよ。彼等にあれだけ厳しいことを言った俺なんだぜ? そんなことが知れたら――」
「だったらしっかりなさいっ!」
「……はい」
東北のカリスマも依子にかかっては形無しだった。もう大丈夫だろう。カジは後を任せて席を立った。
薄暗い階段を上って行く時、カジはプロボクサーだった現役時代を思い出す。そして粗末なパイプ椅子の観客席でハンカチをくしゃくしゃに握り締めて応援をしてくれていた今は亡き妻の美穂子を。彼女の在りし日の姿を思い浮かべる毎、離れて暮らしていたばかりに病に気づいてやるのが遅れ、気づいた時には既に手の施しようがないほど美穂子の病巣が広がっていたことが悔やまれてならない。「子供達をお願い」ある怪我のため子供を産むことの出来なかった美穂子が最期に告げたのは彼女が勤めていた施設の子供達のことだった。障害を持つ子の引き取り先は見つかったが、親に捨てられた子供達の行き先が決まらず、自分の子供として育てると言って引き取った三人を丈の父親――小野木夫妻は我が子の様に可愛がってくれたことを何度も思い出していた。
頬を伝う涙に気づき、カジは自分が年老いたことを知った。私は死に場所を探しているのかも知れない。ならば最期の最期まで闘って死んで行こう。屋外への扉を開けたカジの顔に迷いや後悔はなく、自分の拳だけを信じてリングに向かっていった往年の精悍さを取り戻していた。
「動いたぞー」
ドームの中から歓声が上がり、排気筒から白い煙が立ちのぼっていた。ガスタービン発電機3号機が完成したようだ。
「出力は?」
若い作業員達がドームの外から掛けられたカジの声に振り返る。ススで真っ黒に汚れた顔に白い歯が映えていた。
「原発並みとは行きませんが、ここのドーム全ての電力を賄えます。風力発電の開発も順調です。発電量に目を瞑ってローター径を落とせば凍結も起きにくくなります。数で勝負ですよ」
「そうか、よく頑張ってくれたな」
カジから労いの言葉を受けた作業員は真っ黒になった顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
丈の父親を影に日向に支え続け、伊都淵に能力の使い途を提案したのは誰あろうこのカジだ。彼なくして今日の杜都市はなく、丈の誕生も伊都淵の真の覚醒も起こり得なかったに違いない。迫りつつある人生の黄昏時に怯えることはなかった。バトンを委ねる相手はそれぞれが立派に成長してくれていた。