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醜悪のハイブリッド

 何だ? 氷の丘――往路で、今や物言わぬ屍となったアイスギャング達が姿を現したその丘の向こう、カシャカシャと耳障りな音が聞こえてくる。その音はこの手前4km地点で嗅いだのと同じ臭気と共に近づいてきていた。僕は氷の檻の上に立って音のする方に視線を向ける。ほどなくして丘の頂上に黒光りした体表を持つ十体ほどの何かが姿を現した。

 熊でも犬でもない。強いていうなら日焼けサロンで焼き過ぎた人間が四つん這いに伏せたような姿勢でこちらの様子を伺っている。僕は気味悪さで全身が総毛立つのを覚えた。

 ――君は全身が武器だから――と、伊都淵さんから何の武器も与えられていなかった僕にとって、未知の生物との遭遇は混乱を招く。意識を探ろうと送るどの周波数帯にも相手の反応はなく、強く感じるのは飢餓感と攻撃性のみ。本能のみが奴等の行動原理となっているようだった。

 ボクラーズに脳内検索を託すとイトペディアが起動する。昆虫――アレが? 昆虫といえばカブト虫か蝶といったほのぼのとした種目しか思いつかない僕にとって、目の前の醜悪な存在がどうにもイメージと重ならない。ボクラーズが次なるイメージを提起してくる。ゴキブリだって? しかし丘に伏せた奴等の顔らしき部分は人間のそれで、微かに聞こえる呼吸音に合わせ黒く隆起する背中が上下している。気門から酸素を取り込む昆虫類は絶対にそんな呼吸法はしない。

『ハイブリッド』『トランスジェニック』立て続けに二つの単語が転がり出てきた。

 人間にゴキブリの遺伝子導入がなされたのか――信じられないがそうとしか考えられない外見だった。 薄明かりの中、奴等はじわじわとこちらに向かって移動を始めた。体表を鈍く光らせて。敏捷さがゴキブリほどでないのは膂力が人間のそれのままなのか。外骨格動物では有り得ないサイズを実現するため、そして肉体の統合性を保つために全ての遺伝子情報を取り込めなかったのだろう。ついでに奴等が飛べないのも確信した。四足歩行をする奴等の背中に上翅は見当たらなかったのだ。

 のんびり生物学の講義をしている場合ではない。何せ第一陣が移動を始めた途端、丘の上には同数の第二陣が準備を整えていたのだから。どれだけ居るんだ奴等は……ええいままよ、ゴキブリならこれで撃退出来るだろう。僕は声帯域を通る音波を23000Hzに固定した。

 人間ゴキブリ――ゴキブリ人間? この際どっちでもいい。一瞬ゼンマイが切れたように動きを止めた奴等はそそくさと後退を始める。よく見ると腕にあたる部分のすぐ下辺りから一対の節足状のものが生えている。どこの誰があんなデタラメな生き物を作ったんだ……第一陣の撤収が始まると丘の上にあった陣形も姿を消していた。統制はとれているようだ。微かだが意識に引っかかった脳波の残滓らしきものを解析する。なんと漢字が混ざっているではないか、奴等はメイド・イン・チャイナだったのか……

 莫大な政府財務を抱えながらもプライドだけは高いアメリカが、例え生き残るためとはいえゴキブリの遺伝子導入などするはずはない。あの恥知らずな将軍様の居た特異な思想の国にそれほどの科学力はない。ギリシャに始まった財政破綻が蔓延していたEU諸国にも無理だろう。オイルはふんだんにあるが専らテロにご執心だった国々は宗教には従順だ、遺伝子操作は神への冒涜、蔑むべき行為だと認識していたはずだ。伊都淵さん流消去法が奴等の正体を明らかにしていった。

『事実は小説より奇なり』とはよく言ったものだ。デイ・アフター・トゥモローにもウォーカーにも、こんな奴等は出てきやしなかった。まったくあの国の強欲さと来たら底なしだな、世界中の資源を買い漁るだけでは彼等の欲望は満たされなかったというのか。ああまでして生き残ろう、世界の支配者たろうとする彼等にとって、この氷で閉ざされた世界で一番大切な資源は食料となったのだろう。それを求め氷で繋がってしまった海を渡ってきたのか。

 その昔、父さんはいっていた。祖父が少年だった頃、島国日本は自国にない資源を確保(略奪)しようと中国に攻め行ったそうだ。有史以来、人類の歴史は侵略と被侵略が繰り返されてきた訳で、今回はたまたま中国が侵略者となっただけのことなのだろう。なんだか僕は物分かりのいい好々爺になってしまったようだ。

 ――いけないっ! 

 僕は石田さん一家のことを思い出した。伊都淵さんの言うとおり地球上の人工のたった2~3パーセントが生存者だったとしても、それが中国なら2600万人が生存している計算になる。そのうちのどれだけが人間ゴキブリとなり、どれだけがこの国に渡ってきているかはわからない。だがあの様子なら目にした生存者を手当たりしだいに食料に変えていただろう。四本足は机以外、空を飛ぶものは飛行機以外何でも食べるという悪食この上ない民族なのだ。僕は氷の檻を飛び降りて先を急いだ。希望と秩序の明かりが灯り始めたこの氷の台地に、嵐の予感を感じ取っていた。


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