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Golden eagle

19 Golden eagle


 ドームの建造は言うまでもなく肉体労働だ。住人の殆どが出来る範囲で全力を尽くしている。〝全員〟と言えない理由は後に語る。

 夕食が終われば、それぞれが部屋に戻って眠るだけ。疲れを癒すべく深い深い眠りに身を委ねる――はずだった。真柴さんに割り当てられたのは入り口近くの、簡易ベッドを三つ並べれば夜中に用足しに行くにも体を捩らねばならない狭さの部屋だった。尤も、それは僕達だけではなく、地下シェルター全員に課せられた苦行でもある。ただ特に膀胱器官に問題がなければ、くたくたの体を尿意のためだけに起こす者など誰ひとりとしていなかった。

 そして三時間の眠りで事足りてしまう僕はいつも暗いうちに目が覚めてしまい、隣で眠る原田兄弟に気づかれぬ様、脳裏に真由美さんを思い描いてこっそりとマスターベーションをする、それが習慣になっていた。P300Aの効果は絶大で、出発前夜の記憶がありありと浮かび上がる。真由美さんの裸身がそこにあるかの様なイメージは、例えマスターベーションでさえ僕に充分な興奮と満足感を運んでくれていた。(出来ればこれは内緒にして欲しい)

 その充足感覚めやらぬ中、小さな電位変化を僕は感じた。トコログリア未接種のお年寄りのため暖房を停止することのないシェルター内部ではあったが、LPG発電機の音が変わったのだ。この一週間程の間に二度ほど気づいた変化だった。クローラ製作のために真柴さんが起きているのではないかと訊ねてみたことがあるが、彼の返事は「それも進めなければいけないが疲れていてそれどころではない」だった。突き止めてみるか、僕は赤いショートコートを羽織ると原田兄弟を起こさない様、細心の注意を払って部屋を抜け出した。

 先ずは機関室に行ってレベルを見る。コンマ数キロワットではあったが暖房だけに必要な電力の値を超えている。僕は自分たちの部屋を除く全てのドアの前に立って耳を済ませてみた。会議室の斜向かい、ドーム建造に積極的でなかった、いや、「参加させて下さい」とまで言いながら不承不承、楽な役割を選んでいたドーム建造反対派の若い男中島としょぼ髭遠藤の部屋の前で足を止める。この二人がトコログリア未接種であることは既にわかっている。電位の変化はR103とドアにプレートが下がるその部屋にあった。小さな電子音と話し声が聞こえる。踏み込んでみるか――だが僕はこのコミュニティの住人ではない。その考えを思いとどまり真柴さんの部屋をノックした。

「小野木君か、寝過ごしたかと思ったよ」

 寝惚け眼の真柴さんだったが、僕の物言いたげな目を見てすぐに自分が何を要求されているのかに気づく。彼を伴って戻ったR103からは依然として同じ音と電位の変化がある。

「中島、遠藤、起きているのか?」

 真柴さんがドアを叩いた。彼の耳には聞こえなかったろうが「やっべえ! 隠せ」と言う声と長く細い電子音が僕の耳に届いた。

「何ですか、こんな時間に」

 わざとらしく目をこすりながら中島がドアを開く。遠藤は狸寝入りを決め込んでいた。

「そっちのマットレスの下です」

 バックアップ程度の微電流でも僕には所在がわかる。何せ総電力12Wぽっちの脳波を読めるくらいなのだから。僕が指差す先を辿った中島の目に狼狽が走った。立ち塞がろうとする中島を押し退け、真柴さんは電源の落ちたゲーム機端末を引っ張り出した。

「こんなものに貴重な電力を……」

 狸寝入りを止めた遠藤と中島は罰が悪そうに互いの足元に視線を落としている。他の部屋の住人が起きてくる気配があった。


 午前四時、コミュニティの緊急会議は招集されていた。

「眠れなくって、つい……」

「女性でさえ力仕事をしているんです。眠れないのは腰が痛いの足が悪いのと楽な作業ばかり選んでいたからでしょう! あなた方の行為は許されることではありません」

 割れ眼鏡の池田さんの非難は正しい。僕は被告席の二人の脳波を読む。「誰がチクったんだ」「仮病がバレてたのか?」そのままを読み上げた。ポカンと口を開いたまま僕を見ていた二人が慌てて否定の言葉を口にする。

「そんなことしてませんっ! 新入りの言葉と我々のどちらを信用するんですか? 真柴さん、斎藤さんっ」

 斎藤さんは「まあまあ」といった様子で掌を下に向け二人を落ち着かせ、真柴さんは考える表情になっていた。そして「小野木君、ちょっと」と言って僕を会議室の外に連れ出す。

「信じ難い話だが、君は人の考えていることがわかるようだな」

「ええ、ただ東北のカリスマから、良い人間の意識を読むことと操作は禁じられています。今のはやむを得ずです」

「操作までもか――恐ろしい男だな、君は。考えがある。協力してくれないか」

「僕に出来ることでしたら」

 真柴さんの耳打ちに僕は頷いた。

「君達二人にはペナルティとして今後一週間氷の運搬をしてもらおう。但し、これはあくまでも提案だ。君達が自分自身で何か罰を考えてくれてもいい。そして採決は会議参加者全員の了承をもって決定とする」

 会議室に戻った真柴さんがそう言うと被告二人以外の全員から拍手が沸き起こった。切断前の氷の運搬は専ら人間重機である僕が受け持っていたが別に苦痛でも何でもない。何より僕には走り回ることによって充電が必要だった。ブロック状態になった氷を積み上げるのも僕がやってもよかったのだが「彼等自身の手で作り上げたという意識が大切なんだ」といった伊都淵さんの指示に従い必要以上の助力は控えていた。

「足が治れば」「腰の痛みが引いたら今までの分まで頑張ります」中島・遠藤の二人が同時に声を上げる。

「冗談じゃねえぞ、使い減りしない馬鹿力がそこに居るのに何で俺たちが」

 僕は再び、二人の思考を読み上げた。これが真柴さんの依頼だった。

「放逐だっ!」

 しばらく間があって声が上がる。普段は物静かな池田さんだったが、今はかなりの興奮状態にある。そしてそれはあっという間に参加者全員に伝播して行った。つまらない駆け引きのせいで絶体絶命の窮地に追い込まれてしまった被告席の二人は顔面蒼白になって打ち震えていた。

「放逐だ」「今すぐ出て行けっ!」の声が乱舞する中、真柴さんが「待ってくれ」と言って手を上げた。

「よく聞いて欲しい。ドーム建造は小野木君達が来てくれたからこそ可能になったんだ。彼等が居なければ我々は未だにシェルターでひっそりと食料と電力を節約しながら暮らしていたはずだ。微かながらも明日を信じられるようになった我々にも中島・遠藤の二人のような気の弛みがあったとは思えないだろうか。彼等は魔が差しただけかも知れない。こんな世の中で大切なのは全員が信頼し協力し合うことだ。人が人を裁くようなことがあってはならない。彼等に信頼を取り戻すチャンスを与えてやってはもらえないだろうか」

 人は易きに流れるものだ。いつでも逃れられると思っているうちに魂は堕落という陥穽にすっぽりと囚われてしまう。イーグルスもそう歌っていた。だが、それでは明日を手繰り寄せることなど出来ない。真柴さんはそれを二人に、そしてここに居る全員に伝えたかったのだと僕は思った。一瞬にして会議室を静まり返らせた真柴さんを僕は畏敬の念をもって見つめていた。彼こそが僕の手にした能力を受け取るべき人物だったのだろう。被告席の二人は俯いた顔から机に幾粒もの涙をこぼしていた。彼等の思考に〝反省〟のふた文字がある。僕を見る真柴さんにゆっくり大きく頷いた。

「許してやってはもらえないだろうか。今後こそ彼等も反省していると思う。この世界での放逐は死を意味する。折角生き延びた二人なんだ、彼等にも東北のカリスマが提唱する日本再生の原動力になってもらおうじゃないか」

 パラパラと巻き起こった小さな拍手は大きな賛同の声へと変わっていった。雨降って地固まる。最初からこの辺りを落としどころとして会議を招集したのではないかとまで思えるほど、真柴さんの手際は鮮やかさだった。


 ドームの基礎は出来上がった。培養なったバイオ流体かんしょ……長いので〝赤いヤツ〟或いはBLBと言い換えよう。それを注入すれば次の段階――壁面の積み上げ――に進める。既に相当数の形を整えたブロックは用意されており、作業に当たる人々の目にも完成したドームのシルエットが想像されていたことだろう。緊急会義直後にトコログリア接種を済ませた例の二人も積極的に作業に参加しており、骨身を惜しむことなく働く姿は僕の胸を打つものがあった。

「あんなリーダーが沢山生き残ってくれるといいな。俺、感動しちゃったよ」

 パワーバーと水だけのランチを取る僕と原田兄弟は、次なる目標に意識を向けていた。

「真柴さんのことかい? そうだな、僕もそう願うよ」

「俺のボードを直してくれたおねえさんが居たじゃん、あの人も真柴って言うんだって」

 瞳の大きな女性のことだ。彼女が何かの学位を持っているといった話は男性の真柴さんから聞いていた。夫婦だったのか兄弟だったのか、いずれにせよ優れた人の許には優れた人が集い、そうでない人の所へはそうでない人間しか寄って来ない。僕は自分がもっと成長する必要のあることを、彼等を見ていて学んだ。

 風が動いた。風真が手に持っていたパワーバーが一瞬にして消え去る。視覚を解放すると15m程の高み、氷塊のてっぺんに大きな猛禽類が優雅に舞い降りて行くのが見えた。鷹だろうかか? 羽根を広げたそれは2mにも及ぼうかと言う大きさだ。サイズと色から僕はイヌワシだと推測した。

「あーっ、俺のメシが」

 恨めしそうに左右に目をやる風真だったが、何が起きたのかまでは理解出来ていない。それほど風の動きは早かった。

「猛禽類も生き残っていたようだな」

 僕が指差す先、イヌワシの姿を見つけた原田兄弟があんぐりと口を開けて見上げる。

「でっけえ、あれ鳥か?」

 空中を生活の場とするもののなかでは生態系の頂点に位置するのが猛禽類だからな。空のプレデターだよ。野うさぎぐらい楽々と掴み上げて飛ぶそうだ」

「へえー、かっこいいなあ」

 今しがたランチをさらわれたことも忘れ、風真はイヌワシを賞賛していた。空の王者か――僕は閃いた。彼だか彼女だかの力を借りることが出来れば捜索はぐっと効率の良いものになる。原田さんお手製のボタンスモークを手に僕はイヌワシの居る氷塊に近づいて行く。意思疎通が可能な周波数域を探りながら。

《肉食だったよな君らは。どうだ、これ。美味いぞ》

 カクカクと首を振るばかりで反応はない。一瞬羽ばたきかけたのを見て僕は足を止めた。哺乳類ならまだしも相手は鳥だ。シンプルに行こう。僕はアプローチを変えてみる。

《食べ物保証、条件あり》

 何やら日雇い労働者の募集広告みたいになってしまったが、イヌワシが首を止めた。眼球を動かせない彼等の視界の正面に入ったのだろう。僕は意思疎通の試みを続けた。

《褒美、仕事》

 ほぼ鷹匠の気分であった。ジェダイの騎士が持つミディ=クロリアンは架空の物質でもソマチッドの存在は確認されている。その微小生命体がどうDNAに働きかけたかによって種目は分かれてしまったが地球に暮らす生命体はその起源を同一にしている。更に言うなら地球上のありとあらゆるものは原子の積み重ねでしかない。方法さえ見つけることが出来れば意思疎通は可能だとの自信があった。

《ヤッテモイイ》

 通じたっ! 巷ではカラスの方が、知能が上だのどうの言うが、今やその巷もない。何よりカラスさえ襲って食べてしまうのがイヌワシだ。映画アバターに出てきたなんとかってゆう赤いヤツみたいなもんじゃないか。バイオ流体緩衝材と混同しそうだが、このイヌワシは黄金色に輝いていたので問題ない。彼女(それは後に知るのだが)は氷塊から僕の肩に舞い降りてきた。

「すっげー、飼い慣らしちゃったんか?」

 海地があからさまに驚いてみえる。実はイヌワシに掴まれた肩が痛くて堪らなかったのだが、僕は強がってみせる。

「人間、誠意をもって語り合えばわかるもんなのさ」

「鳥じゃん、それ」

 風真の突っ込みは正しい。そしてイヌワシの悲しい物語を僕は聞かされる。

《ワタシノ……》

 カタカナでは読みにくいだろうから僕が翻訳しよう。我らがゴールデンイーグルは絶滅危惧種である。(今や我々人類もそうなっているが)彼女にその認識があったかどうかはともかく、夏の日本に居たはずがあっという間に真冬以下の状況となり多くは南へ飛んでいってしまったらしい。『どこへ行っても今の地球は同じだよ』という意見を差し挟むことなく僕は彼女の語るに任せる。何でいつもこうなるんだ……

 母性本能に富む彼女は(どうしてこんなのばかりと道連れになるのかはわからないが)巣のヒナと卵のために残ったのだが、衝撃波になぎ倒された木の上に作られた巣は行方不明のままだという。捕食者である彼女が餌のなくなったこの日本で生き延びられたのはホモローチの死骸があったからだそうだが(ここで僕は、おえっとなった)それも時間経過とともに氷漬けになってしまっていた。そこで風真が手にしていたパワーバーを失敬したのだそうだ。悪いこととは知りながら(これは僕の想像である)。

 ともあれ、彼女が仲間に加われば捜索が捗ることは間違いない。《ナンカクサイ》と言いながらも彼女はボタンスモークをたいらげた。条件である餌はどうするのかって? 大丈夫、彼女達は腐肉でも気にしない。だいたいにおいて鳥類は年がら年中下痢しているみたいなものではないか。氷漬けになったホモローチを切り裂くのは気が進まないが犬猫の死体なら氷を掘り返せば幾らでも見つけられた。しかし、その前に――

――本物の鷹匠が腕に巻いている物を探す必要がある。それほどまでに彼女の爪は鋭く僕の肩に食い込んでいた。


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