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Obligation

「待ってくれ、俺は行かねえからな」

 意識を取り戻した男は中ノ原ドームへの搬送を拒否した。

「どうしてですか? あなたが気を失っている間の話で聞いていらっしゃらないかも知れませんが、あちらにはお医者さんが居て医療の設備も整っています。その怪我も治療してもらえるんですよ」

 説得にかかる雄一郎に、ヤスミと名乗る男は言った。

「全部じゃねえが、そのデカいあんちゃんの話は聞いていた。そんな善意の見本みたいな連中のなかに俺みたいなのを放り込んで心配にならねえのか?」

 現役時代、意識して距離をおいてきた種類の人間――ヤクザ――だったことは雄一郎にもわかっていた。

「俺が意識をなくしていたのは怪我のせいじゃねえんだよ。それは置いといて今時……世の中がこうなっちまう前でも一宿一飯の恩義なんて言葉は忘れられちまったが、命を救われた礼はしなきゃ気が済まねえんだ。誰が何と言おうとついてゆくからな。それに見たところ、お前等に汚れ仕事は出来ねえ。そして俺にはそれが出来る」

 威嚇も恫喝も混じえず語るヤスミだったが、その眼には鬼気迫るものがある。その正体がわかった気がして雄一郎はヤスミの提案を受け入れた。

「わかりました。力をお借りします」

「ありがとよ」


「頼んだぞ」

「おう、任せろ。中ノ原では原田さんがもっと多くの人を運べるクローラを作っている。雄のパーティーが行く先々で必ずドーム建造が出来るとは限らないだろうと考えてな。あそこなら設備も揃っている。日本各地が無理なら、中ノ原に山ほどドームを作ればいいさ」

 誠が告げたのは状況がはかばかしくない生存者探しを憂慮した伊都淵の発案だった。

「ああ、その時は頼む」

 発進するクローラの荷台で何度も振り返る亜希子の姿があった。ブルカを取り去った彼女の唇が「待ってますから」そう告げているように雄一郎には感じられた。

「出発します」

 忌々しげに茶色い塊――積み重なったホモローチの死骸――を見るヤスミの背中に声をかけた。

「……この化物どもに俺の舎弟はことごとく喰われちまったんだ」

 そう言ってヤスミはホモローチの割れた頭部を踏みつけた。グシュッと音がして凍りついた頭蓋が潰される。

「お前はボクサーだったそうだな。鈴木雄一郎か……訊いたことがある。本家のオヤジにも堅気の友人にそんなのが居たそうだ」

「そうですか」

 ヤクザの世界で言うところの〝オヤジ〟が肉親ではないことは雄一郎にもわかった。

「これはそのオヤジにもらった物だ。行こう、他人様に散々迷惑をかけてきた俺に何か罪滅ぼしが出来るとしたら今しかねえんだ。なにも天国に行けるなんて思っちゃいねえ。これは俺のケジメだよ」

 日本刀を雄一郎の目の前に差し出すと、ヤスミは急に咳き込んで血の混じった痰を吐いた。「今しかない」それは雄一郎のパーティーの残された時間を言った訳ではなかった。

 出発してしばらくすると井上が雄一郎に近づいてきて言った。

「大丈夫ですか? あいつヤクザなんでしょう」

「ああ、そうみたいだな。でも楽をしようとするならドームに行ったんじゃないかな。あの人にはあの人なりの考えがあるようだ。心配することはないさ」

「鈴木さんがそう言われるなら」

 納得した訳でもないが、強硬に異を唱えるでもない。井上は離れて行った。

「どうやら俺はあまり好かれちゃいねえみたいだな」

 橇に並びかけた雄一郎に今度はヤスミが言った。井上の様に声を潜めることもなく。

「聞こえていたんですか? 申し訳ありません、悪気はないんです。ただ、あなた方との接点がなかった我々ですから少し戸惑ってはいます」

「いや、聞こえちゃいねえよ。だが俺達みたいのが居て誰かが声を潜めて話す時、それが褒め言葉であるはずはねえからな。普通に暮らしていられるなら俺達との接点なんぞないに越したことはねえやな。至極正常な反応ってヤツさ。何も謝るこたあねえさ」

 現役時代、人々に注目されるお前はヤクザに近づかない方がいい、とカジに言われていた雄一郎だったが、カジ達が東日本大震災後の東北にボランティアに行っていた際、ヤクザと呼ばれる連中と関わりがあったことは聞かされていた。『ヤクザにもいい人が居る、なんて甘っちょろいことは言わねえが、善人面して悪いことをする連中より彼等の方が正直だぞ』丈の父親は雄一郎にそう言っていた。ヤスミを信じてみようと思ったのは二人の恩人の言葉があったからかも知れない。

「しかしまあ、ひでえ有様だなこりゃあ。地軸がずれて南極に引越しか、いきなりここに連れてこられたらそんな与太も信じちまうかも知れねえな」

 榊がムッとした顔になる。

「与太とはなんですかっ! 東北のカリスマがそう言っているんですよ」

「おお、怖っ。お前等洗脳されちゃってるんじゃねえの? 俺達と一緒だな。親が黒と言えば白いもんでも黒いってな」

 ヤスミの乗った橇に手を掛けようとした榊との間に雄一郎が割って入る。

「我々は何も強要されていません。聞けば伊都淵さんは答えてくれますが、地軸のズレも座標が変わったことも好きに判断しろと言われています。『俺が間違っているなら結構なことだ。だが現実は受け入れろ。一面氷の世界で生き抜いてゆくためにはそれが一番大切なことだ』あの人はそう言いました。ですから、我々も聞かれない限り状況を伝えることはしていません」

「なるほどね、これが収まった時、どこかの偉い学者に間違っていると言われてもいい様、逃げ道は用意してあるって訳だ」

「あんた、誰のお陰で――」

 今度は井上がヤスミに詰め寄る。しかし雄一郎は表情も変えずに――勿論フェイスマスクの下のだが――言った。

「ええ、伊都淵さんの切なる願いは〝自分の判断が間違っていた〟なんです。だから、その時は大喜びされると思いますよ」

「ちぇっ! 張合いのねえ野郎だな、お前もその伊都淵ってヤツも。止めた、止めたっ!こんな奴等相手にしてたんじゃ俺が悪者になっちまうばかりだ」

「ヤクザだったんでしょ? 充分悪者じゃないですか」

 榊の突っ込みに少し鼻白むような顔をしてヤスミは答えた。

「違いねえ」

 そして四人は声を上げて笑った。雄一郎にはわかったことがある。ヤスミのべらんめい口調が丈の父親を彷彿とさせていたのだ。生きていればカジと同じく六十を過ぎていたはずだが、農園で最初に出逢った時の丈の父親、小野木淳一の面影をヤスミに重ねていたのだった。


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