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人喰い

 市街地の探索を成果なく終えた僕達は県境にある鍾乳洞へと向かっていた。吹雪は止んでいた。

 夏涼しく冬温かいそこなら格好の避難場所になる。実際、原田さん一家が面倒を見ていたうちの幾人かも鍾乳洞跡で生きながらえていたのだし、ひとけのない山間ならホモローチの襲撃からも逃れられたのではないだろうか。そんな期待を持ってのことだった。

「今度こそ見つかるといいな」

「そうだな」

 兄弟は大きな期待を抱くことがそれ以上の落胆を招くということを学んだようで、声に張りがない。特に兄の海地は言葉少なに相槌を打つだけとなっていた。めげそうになる心身を奮い立たすには希望だけでは不充分なのだ。こんな世界でなければ高校に通っていただろう二人に使命感を植え付ける、僕にはその役目もあった。

「海賊の宝探しだって、最初っから見つかる訳じゃないだろう? 僕達はこれから日本の最南端まで向かわなきゃならない。最後に数万人が一度に発見されるってことだってあるさ」

「だったら、一気に最南端まで行って戻るってのはどうなん?」

 風真が提案する。

「あの赤いヤツの培養にだって時間がかかるんだろ? 効率を考えたら捜索を続けながら南下するってのが正解なんじゃないのかな。タケ坊はどう思う?」

「だな」

 たった二歳しか違わなくても兄の方が学んでいたことは多かった。海地の言う通り、バイオ流体緩衝材の培養にかかる時間を考えれば風真の案では無駄が多くなる。勿論、生存者を発見し、彼等がドームを作る気になってくれれば、という但し書きはつくが。

「そう言えばそうだな。兄ちゃん、意外と頭いいんじゃん。なんで0点なんか取ったんだよ」

「うるせえなあ、何度も0点0点って言うなよ。タケ坊が俺をバカだと思うじゃないか。あれは理由があったのっ!」

「どんな理由だよ」

「そのうち話してやるさあ、今はだめだ」

「なんだよ、ケチ」

「ケチじゃねえ! ケチって言うならお前にやったそのゴーグル返せよっ」

「一度、貰ったもんは俺んだもん」

 二人の言い合いは子供の喧嘩に成り果てていた。荒涼とした氷原を駆け抜けながら僕はアヴリル・ラヴィーンを口ずさむ。兄弟の注意がこちらに向いた。

「何それ?」

「僕達はやり遂げられる。諦めるな。Keep Holding Onって歌だよ」

「なんだ、アヴリルかあ。違う歌に聞こえたじゃん。タケ坊、音痴だな」

 彼等を勇気づけようといった思惑とは違ったが、とにかく兄弟に笑顔が戻った。〝真実が帰結する時、言葉は要らない〟その部分は何度訊いても「ニクニクキュー」と僕の耳に響いた。それが僕の英語力のせいかアブリルのカナダ訛りのせいかはわからない。目指す鍾乳洞までは1kmほど、僕のアンテナに動きがあった。


「生存者だっ!」

 洞穴に駆け込む人影を見て海地が叫んだ。追いかけようとする彼を押しとどめて僕は言った。

「待てっ! 様子が変だ」

 ウィンドサーフィンのボードで氷上を駆ける原田兄弟も、ローラーブレードでホバーを引く僕も普通の人間には見えなかったかも知れない。それを警戒して姿を隠そうとすること自体はおかしな行動ではなかった。ただ、洞穴全体から漂ってくるおどろおどろしい空気が僕を警戒させていた。周囲にホモローチの死骸は一体も見当たらなかった。

「なんで? あれは間違いなく人間だったぜ。服だって着てたじゃん」

 何がどう変なのかは僕にもよくわからなかった。ただ頭の中の警報が鳴り止まない。

「呼んでみようよ」

 その場で風真が声を上げた。

「誰か居ますかー! 助けに来ました。食料もトコログリアもありますよー!」

 暫く待ってみるが反応はない。確かに洞穴の中に動きはある。それも複数の。ホモローチの気配ではない。ただ、それが人間のものであるとも言い切れない何かを僕は感じ取っていた。

「入ってみようか?」

 海地が僕を見て言った。

「待って、誰か出てくるっ!」

 風真の声に僕達は洞穴に視線を集中させる。職員室跡から所教授を探して出発した時の僕の様に、めいめいにボロ布を纏った七名の男女が姿を現した。その手には鉄パイプや棒切れが握られている。

「安心して下さい。バケモノじゃないですよ、ほら」

 風真がゴーグルと顔を覆ったマフラーを取り去った。しかし、ゆらゆらと体を揺らしながら歩を進めてくる男女には何の変化も見られない。僕は脳波を探ってみた。

 人間であることには間違いないのだが、情緒的に健全なものが見つからない。ホモローチのように飢餓感と生存本能のみが彼等から発せられる全てであった。両手に鉄パイプを持った大男の海馬に微かな反応があった。僕はそこに意識を集中させ、そして驚愕のあまり数歩後ずさる。

 何てこった……僕が見たものは口にするのもおぞましい光景だった。衝撃波を生き延び、どこからか集まった彼等は同胞を、そしてホモローチまでをも食料に代えていたのだ。男の記憶の中に洞穴の奥――人間とホモローチの骨が混在して積み上げられたシーンがクローズアップされていた。その行為が正気を失わせたのか、或いは体内に取り込んだ異形の細胞が何らかの変化を及ぼしたのかも知れない。彼等には感情といったものが一切感じられなかった。捕食獣をman-eaterマンイーターと呼ぶことは知っていた。ホール&オーツがそれを男喰いと歌って女性団体から抗議を受けたことも知っている。だが、僕達が対峙していたのは正真正銘の人喰いだったのだ。そんなものへの対応は伊都淵さんからも聞かされていなかった。

「逃げよう!」

「えっ? だって……」

 僕が見たままのイメージを兄弟に送り付ける。二人には大きな衝撃だったろうが、一瞬で状況を理解してくれたようだ。ボードに向かってじりじりと後退を始める。少し遅れて僕も後退する。洞穴の住民達が襲いかかってきても対処出来るようバックスケーティングで。ホバーまで下がると背中越しにひとつのダンボール箱を掴んだ。目の端でそれが魚の缶詰が入ったものであることを確認すると、左手洞穴に住人に向かって放り投げ、それが落下する前に蛮刀でまっぷたつに切り裂いた。正気を失っていた男女はその匂いに抗うことが出来ず、我先にとダンボール箱に駆け寄り、缶詰にむしゃぶりついていた。

「行こう」

 その光景を呆然と眺めていた兄弟を促して、ようやく洞穴に背を向ける。追いかけてくる様子はなかったが僕達は懸命に駆け続けた。速度を上げることで、そこから遠く離れることで、先ほど脳裏に描かれたイメージを置き去りにすることが出来る。そう思いたかった。


 三十分も走り続けただろうか、僕達が居たのは樹木と石、コンクリートを塗り固めて作られたモダンアートの庭園だった。無論〝かつての〟と注釈は付く。外壁は崩れ落ち、なぎ倒された木々と建造物は氷に塗り固められている。膝を抱えボードに腰を下ろしていた海地がぽつりと言った。

「人ってあんな風になっちゃうんだな」

 僕は酷使した足をローラーブレードから抜き出して人口皮膚が避けていないかを点検していた。

「俺、おっかないよ」

 アイスギャングやマリアとの遭遇、ホモローチとの対決を経験してきた僕でさえ全身から血の気が引いてしまう様な感覚に襲われた。十六歳の風真が怯えるのも致し方のないことだった。

「あんなのが、あちこちに居るんだろうか?」

 誰にともなく海地が問い掛ける。だとすればこの先、生存者の捜索は困難を極めるだろう。僕は衛星電話を取り出した。

 ――そうか、何せ、こんな状況だ。私の想像を超えた事態になっていても不思議はないが、そこまでとは思わなかった。

「僕は彼等をそのままにしてきました。それは正しかったのでしょうか?」

 ――その洞穴に住人達がいつか正気を取り戻すかも知れない以上、襲われなければ手を出すべきではないだろうな。君の対応はそれで良かったんじゃないか。ただ、彼等の変化は希望が届くのが遅れたせいでもある。

 相変わらず伊都淵さんの言葉には容赦がない。ここまでとは行かずとも雄さん並みの強さを僕は切望していた。このパーティーでは最年長となる僕である。風真同様、おっかなくはあったが、それを口にする訳には行かなかった。

「とにかく捜索を続けます。新たな情報や指示があれば知らせてください」

 ――わかった。

 電話を切ると、僕は夕食にしようと兄弟に告げた。気の滅入るようなことばかりの一日だった。この上、空腹では悲観的な考えしか浮かばないものだ。あのイメージが僕達から食欲を奪っていたが、とにかく缶詰とアルファ米の夕食を腹へと詰め込んだ。

「少し休んだら一気に湖にかかる橋まで向かおう。今日の捜索はそこまでだ」

「……うん」

「気乗りしなきゃ帰ってもいいぞ。僕は責めない。ただ、その場合は二人一緒だ。無事にドームまで帰りついて欲しい」

 兄弟はしばし顔を見合わせていたが、僕に向けて言葉を発することはなかった。


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