廃墟
誠さんの作ってくれた衛星電話は素晴らしい出来で、出力も充分だったのだが携帯するには大き過ぎた。消費電力も多く、悪天候が続けば僕の手足の電力まで消費してしまいかねない。所教授に渡してあったものを僕が持ち、それは基地局としてドームに置いておくことにした。誠さんは少し不満そうだった。
喜ぶべきことがあった。雄さんとの橋渡しを頼んでいるうちに気心が知れたのだろう。スーザンと誠さんの仲が急接近していたのだ。年下の僕が心配するのもどうかとは思うが、女性にあまり縁のなさそうだった誠さんに訪れた春をみんなが祝福しているようだった。昨夜、梓先生がラボを明け渡してくれたのは、僕と真由美さんに温かい空間を提供してくれたのと同時に、ユンボに居た誠さんとスーザンへの配慮でもあったようだ。手先の器用な誠さんのことだ。近い将来、カップル用に氷のラブホを建造して行く計画もあったとしても不思議はない。整地されていないドーム反対側を見る誠さんのハート型になった目がそう語っていた。
母さんが作ってくれたオニギリを受け取る。「こっ、これは、ぼくの大好物なんだな」そう言ってふざけようとしたのだが、母さんの目からぽろぽろこぼれ落ちる涙を見て諦めた。
原田さんご夫妻も海地・風真の兄弟と別れを惜しんでいた。兄弟の細い目は父親譲りだったようで「その目で見る景色は全てパノラマになるんじゃないのか」と冗談を思いついたのだが、その気配を察したのは母さんが彼等に近づこうとする僕の前に立ち塞がり、教務主任に戻ったかのような厳しい目線で発言を思いとどまらせた。泣いたり怒ったり忙しい母さんだった。
そして出発の時は来た。僕達の門出を祝うかのように外は快晴――のはずが猛吹雪だった。短波無線機を雄さん達のパーティーに渡した時、原田兄弟は「タケ坊とはぐれたらどうするん?」と訊ねてきたが「大声で呼んでくれれば駆けつけるさあ」と彼等の方言を真似て答える僕に「そんならいっか」と簡単に納得する。僕の能力については道中にでも伝えておこうと思っていた。冬山登山の経験はないが、ああいったパーティーもそれぞれが能力を理解し合っているからこそザイルに命をあずけることが出来るのだと聞く。どんな危険が待っているかわからない旅に出掛ける僕達も同様であった。
「きっと泣いちゃうから見送らない」と言っていた真由美さんだったが、ドームの柱から半分だけ体を出して肩の高さに上げた手を振ってくれていた。どこかのプロ野球チームの監督みたいだった。
「よし! 行こう」
雄さんのパーティーより早く僕達は緩斜面を駆け下りる。かつて日本最大の湖があった場所が今日の最終到達予定地点だった。
ドームに重機を引っ張り上げる姿も見ていなければ、僕に関しての取説がある訳でもない。大袈裟ではなくこれから生死を共にする僕達だった。走り始めてすぐに彼等の意識に呼びかける。《ヤッホー》
「何か、いった?」
「んにゃ、何も」
「何だよ、はっきり言えよ」
「俺は何も言ってねえってば」
そして二人は僕を振り返る。
「今のタケ坊がやったん? すっげえ、超能力者みたいじゃん。念力で何か持ち上げたりも出来るんか?」
未知の力に怯えるどころか、彼等は単純に感嘆し賞賛する。
「念力ってんじゃないけど、これはどうだ」
僕は彼等のボードを両手で掴んで持ち上げた。転がり落ちかけた二人は慌ててマストにしがみつく。
「びっくりしたあ、落っこちるとこだったじゃん。持ち上げるなら持ち上げるって言ってくれよ」
常識に凝り固まった大人ではこうは行かないだろう。僕は彼等をパーティーの仲間に選んだのが正しかったことを確信した。
「僕が速度を落としたら捜索を始めたと思ってくれ。電位の変化、物音、僅かな動きでも見逃さないようにする。手分けして捜索しなきゃならない状況では通信可能範囲から決して外れないこと。1kmくらいなら大丈夫なはずだ。ご両親は君達の無事を願っているんだからな」
「了解っ!」
返事は軽いが彼等なりに緊張感と使命感は持っていてくれる。兄弟に細い目には決意の光があった。視程を伸ばすと近隣にピントが合わなくなる旨を伝え、彼等にはホモローチの死骸が密集している場所を探すように指示する。
「黒い塊を探せばいいんだろう? 任せとけって」
離れて見る常人の視野には、異形の残骸もチョコフレークの塊かナッツ入りチョコの様に映ったようで、見つけたものが複数だった場合、兄弟は●永とか■スコとか呼び合って判別していた。
杜都市を往復した時の様に高速道路しか走らない訳には行かない。氷に覆われてはいても土地勘のある地域でもない場所を捜索するのだ。クレバスもあれば氷河だってあるだろう。視界に地図を投影しながら川や湖の跡に注意して進行する。パーティーの安全を守ることも僕に課せられた重大な使命であった。
勤めていた小学校のあった井之口市にはいった。体温調整の可能な僕達でも屋外で長時間を過ごすにはエネルギーの補給が必要となる。氷を砕いて食料を探し出すのが常人に不可能である以上、生き延びた人々が居るとすれば、その状況は限られる。箱物の公共施設か大病院くらいにしかシェルターなど作られてないからだ。周辺にはやはり頭部の割れたホモローチの死骸がたくさん転がっており、地図を投影するまでもなく場所の特定は可能だった。聴覚を解放すると幾つかの氷解から動きを止めていない時計の音が聞こえてくる。彼等の死が9.02の衝撃波に拠るものか、それ以降なのかまではわからない。
僕達は市の庁舎があった場所に来ていた。氷を叩き割って地下への通路を見つける。誠さんがくれた蛮刀が役に立った。海地が先頭に立って階段を下りていった。
「こんな所があったんだ……中ノ原市の庁舎にもあったのかな?」
「ああ、雄さんが見つけたそうだ。ただ中には誰も居なかったみたいだけどな」
「こういうのって市民に公開されてるん?」
風真が訊ねる。
「ホームページに〝重要な施策・事案〟ってタブはあったけど、地下シェルターの所在についてはなかったように思う」
「じゃあ、万が一の時は自分達だけ助かろうとしてたんじゃないのか? 狡い連中だな」
「あはは、そうかもな」
僕は奥へと足を踏み入れた。手つかずの食料やポータブルコンロ等が堆く積み上げられ放置されたままになっている。防災グッズと書かれたダンボール箱を開けると白いバッグが入っていた。手回し充電式のライトに保存食、飲料水にアルミの保温シートにファーストエイドキットと至れり尽くせりの品揃えだ。今や何の約にも立たなくなった携帯電話の充電ソケットまでが入っていた。
「誰か居ませんかー! 助けに来ましたー」
風真の声がシェルターのコンクリートの壁に響く。兄弟をドームに案内した時、彼等は大量の食料を見て目を輝かせたものだった。しかし、今、僕等が期待するのは大量のダンボール箱ではなく生存者の声だ。そしてそれは返ってこなかった。
「とにかく荷物を運び出そう。ホバーに詰めるだけ積んでくれ。ここがダメだからって気を落としている暇はないんだ」
僕は壁に取り付けられていたAEDを引き剥がした。ケースに回転灯が着いていたが電源の落ちていたそれが点灯することはなかった。
次に捜索したのは何年か前、職員全員がグルになって裏金作りに励んでいたのを新聞にすっぱ抜かれた県の庁舎だった。地下にはホモローチ侵入の形跡があった。つまり内臓を根こそぎ喰らい尽くされた人間の死体が数十体転がっていたということだ。どれもが垢抜けないクールビズスタイルだったことから、彼等はここの職員だったのだろうと推測した。
「酷いな……」
床のどす黒い染みは血溜まりだったのだろう。惨状を直視こそしないもののギャーギャー騒ぎ出すことのない原田兄弟が有難かった。
「タケ坊、こんな調子で生存者なんて見つかるもんかなあ?」
風真の声が不安げに揺れる。
「僕達は生き残ったろう? 杜都市にも百人近い生存者が居たんだ」
生存は適者の権利である。この状況を生き延びるにはホモローチから上手く身を隠す能力も必要だったはずだ。死骸の密集する場所ばかりを捜索するのは間違いなのかも知れない。僕は屋外へ出て視覚と聴覚を解放した。しかしアンテナに触れるものは何もない。その後も十九の施設を捜索したのだが、ひとりの生存者も見つけられずにいた。
中ノ原市を出て以来、僕はホモローチの数を数えていた。頭の中のカウンターは既に二千を超えている。区画法による個体数推定に則って計算すると、この鵜飼県だけで二万体程度のホモローチが居たことになる。衝撃波、それがもたらした氷河期、更にはホモローチの襲撃があって伊都淵さんの言う通り、本当に2~3パーセントの人が生き残れているのだろうか。考え込む僕を不安気な二対の細い目が見つめてくる。一番歳上の僕が塞ぎ込んでいる訳には行かない。気を取り直して言った。
「すぐそこに県警本部があったはずだ。警官ならみすみすホモローチにやられちゃうこともなかったかもしれない。行ってみよう」
「あっ! そうか。警官なら拳銃も持ってるし、格闘技だって習ってるはずだもんな。行こう、行こう」
海地の声が弾んだ。パーティーに警官が加わわれば安心感も増すというものだ。さっきまで僕の後ろを走っていた原田兄弟が速度を上げて追い抜いていった。
「おーい、そっちじゃないってば」
物音ひとつしない県警の地下、確かに抵抗の跡があった。壁にめり込んだ銃弾や胸を撃ち抜かれた数体のホモローチも見られたが、その十倍を超える人間の遺体が転がっていた。中には明らかに誤射と思われる人間の死体もあった。僕には理解出来ないことなのだが、遊園地で婦女子の様にキャーキャー叫ぶ成人男性が居る。そんな連中と一緒の時パニックに陥れば、敵に襲われなくてもこうやって冷たい床に転がることになる可能性だってある。そして彼等の手に握られたS&Wにはミスファイアでもあったのか、雷管に打痕はあるが発射されていないカートリッジが残されていた。危機管理能力の欠如と責めるのは酷だろう。氷点下30℃での射撃訓練など我が国の警察機構では行なってないのだから。
扉の開いたままの銃器保管庫を物珍しそうに見ていた海地が短機関銃MP5を手にして言った。
「これ、もらっちゃっていいかな?」
「自分の足を撃つのが関の山だぞ。それに見てみろ――」
僕は私服警官が握っていたエジェクトポートに引っかかった9mmパラベラム弾が見えるSIGを手に取ってみせた。
「地下でさえこうなんだ。屋外ではジャミング(装填不良)を起こして使い物にならないと思うぞ」
「そっかあ、まあ化物が全部死んじゃったならいらないか」
――今のところはな。僕はそれを声に出して言うことが出来なかった。生存者ひとり見つけられていない状況で、兄弟を更に不安にさせる訳には行かなかったのだ。
廃墟――その言葉が僕に重くのしかかっていた。