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原田兄弟

「生存者だっ!」

 猪が走ってきた方向から近づいてくるものがある。未だ恐怖から立ち直ってない智君が僕の指し示す方にのろのろと顔を向けた。人影が二つ、台地を滑るような速度だった。ウィンドサーフィンのボードに乗っているようにも見える。僕達の数メートル手前、派手なアクションで止まると、ひとりが開口一番こう言った。

「あっちゃあ、先を越されちゃったかあ」

「ほら見ろ、フウマの狙いが悪いから上手く両足に巻きついてくれなかったんだ」

 片方が猪の後ろ足を指差して言った。

「お前の方が肩がいいから投げろって言ったのは兄ちゃんじゃないか」

「よく狙って投げろって言ったろう? 肩はよくても頭が悪いんじゃ、どうしようもねえな」

「よく言うよ。俺は兄ちゃんみたいにテストで0点とったことは一回もないかなら」

 驚いたことに彼等は僕達が目に入らないかのように言い合いを始めた。話を聞く限りこの二人は兄弟のようで体格からしてもまだ高校生ぐらいのものだ。重りのついたロープを投げて猪が足を取られて転倒したところを何とかしようとしていたらしい。随分と時代遅れな狩猟方法を思いついたものだ。そして彼等にとって生存者は珍しい存在でもないようだった。僕は期待をもって問い掛ける。

「君達はどこから来たんだい?」

「てゆうか、あんた誰?」

 兄ちゃんと呼ばれていた方がぶっきらぼうな口調で聞き返してきた。

「僕は小野木丈、そちらが木下智君。生存者を探している。コミュニティがあるんだ。住む場所も食料も、電気もあるぞ」

「そんなのうちにだってあるさあ」

「黙れっ!」

 兄の叱責に弟が首をすくめる。語尾の「あ」が持ち上がるが疑問形ではない。それはこの地方の方言だった。他にも生存者のコミュニティがあるということか――僕の期待は膨らんだ。

 視覚を解放して彼等の虹彩を調べる。しかしレントゲンの用に瞼を透かして見える訳ではない。ゴーグル越しに覗く二人の目はとても細く、かろうじて青紫に変色した虹彩が見て取れた。

「どこに住んでいるのか教えてくれないか? 君達の他に生存者は? トコログリアもある、未接種の人はいないか?」

 二人の青年は僕らから少し離れると額を寄せ合って内緒話を始めた。しかし数km先の物音を聞き取る僕にとって数メートル先の会話を聞くぐらい何でもない。

(どうする? 父ちゃんは誰にも教えるなって言ってただろ)

(うん、悪い奴等だったら病院を乗っ取られちゃう可能性もあるもんな)

(でも、鍾乳洞に避難してる人達は、殆どなんとかグリアを受けてない人達だったんじゃないか? あの人達を助けてあげられるかもよ)

 病院? 地下の機械室にでも住んでいるのだろうか。しかもトコログリア未接種の生存者が居るのだとも二人は言っている。だが会話そのものは僕達を案内することに積極的ではなさそうだ。僕はこんな提案をしてみる。

「この猪はやろう。運んでやってもいい」

 二人の目の色が変わった。

(父ちゃんに相談してみろよ)

(よっしゃ、わかった)

兄の方が短波無線機を取り出す。僕達が使っている手製のものではなく市販品だった。

(うん、薬は要るんだな? わかった。ひとりで? ああ、そうゆってみるさあ)

 無線の向こう側では父親らしき人物が指示を出していた。この世界で生き延びていたのだから、それなりの用心深さはあるようだ。通話を終えた兄弟は再び内緒話に戻る。

(何て言ってた?)

(薬は必要だからひとりだけ連れて来いって。それがダメなら猪と何かを交換する気はないか訊ねてみろってさ。念の為、あの化物を捕まえた罠を仕掛けておくって)

(そっか、だったら安心だな)

 兄の方が近づいてきて言った。

「ひとりで来れるか?」

「ああ、それが条件ならそうしよう」

智君に短波無線機を渡し、先に帰るようにと告げる。それは彼にとっても渡りに船だったようで、僕が出発するのも待たず智君は来た道を引き返して行った。

僕はホバーからローラーブレードを出した。兄弟のサーフボードにはホイールが付いており、彼等が来た方向へ向かうとなれば追い風でかなりの速度が出せそうに思えた。トコログリア未接種の人が居るとすればのんびりしてはいられない。猪を背負った僕を見た時、兄弟はぎょっとした顔になった。

「ここから20km程先だ。ついてきてくれ」

「こっちは自己紹介したんだぜ。君の名前も教えてくれよ」

「カイチだ、海に大地の地で原田海地。こいつは弟のフウマ、風に真実の真」

「海地君に風真君か――二人共、勇ましい名前だな」

 海地の細い目が笑ったように見えた。

「ちゃんとついてこいよ。はぐれても探しに戻ってやんないからな」

 振り向いて言った風真を追い越してゆく。ホバーが巻き起こす風に煽られて体勢を崩しながらも転倒は免れたようだ。彼は意地になって僕を抜き返して行った。


「なあ、兄ちゃん、あいつ力ありそうだぜ。あんなでっかい猪を担いじゃうくらいだもん」

「猪も餌がなくって痩せちゃってるんじゃないか? 見た目程重くないのさあ」

「そうかなあ」

「心配するなって、ちょっとぐらい力が強くたってこっちは三人なんだぞ。あんな奴に負ける訳ないじゃん」

 先を行く原田兄弟の会話は丸聞こえだったが、知らんふりで後に続く。背負った猪の臭いが堪らない。僕は嗅覚の伝達回路を弛めた。

バイオナビが正確なら、温泉で有名な或る街近辺を走っているはずだ。伊都淵さんに詰め込まれた地図を頭の中に展開してみる。市民病院と県立病院、それぞれの位置が投影される。地下に機械室を持つほどの規模なら民間ではないだろうと予測していた。そして原田兄弟は市民病院のほうに向かっているようだった。

ここだな――おそらく発電機の音だろう。微かではあるが唸り音が聞こえる。電位にも大きな変化があった。上手く氷でカモフラージュしてあるが、僕の目は誤魔化せない。何よりぱっくり頭の割れたホモローチの死骸が、ここら一帯を取り囲んで餌の在処を知らせていた。僕は素知らぬ顔で通り過ぎようとする兄弟に呼びかけた。どうやら罠はもう少し先にあるらしい。仕掛けてあるとすれば落とし穴かむそう網だろう。

「おーい、どこまで行くんだ? 入り口はここなんだろう」

「ちっ、違うさあ」

 二人の細い目は正直だ。これ以上ないほど泳ぎ彷徨っていた。

「初対面で信じろってのも無理な話だけど、僕は悪さをするつもりはない。ほら、約束通りこれは君達にやろう」

 放り出した猪に近づく訳でもなく、兄弟は立ち尽くしている。海地は地下の父親にでも合図を送っているのだろう。さっきからボードの端で氷を叩いていた。僕の見下ろしていた部分、氷の扉がゆっくりと持ち上がって男が顔を出した。

「こっちの負けだな。入ってくれろ」

 言葉に方言が混じるところをみると、顔を出した男性はそう若くもないようだ。

「ありがとうございます。ですがそれはまた後ほど。猪は置いてゆきますので好きになさって下さい。トコログリア未接種の人が居ると聞きました。どなたか処置出来る方はおいでですか? もしこちらで処置が出来なければ我々のコミュニティに連れて帰ります。案内して下さい」

「もう下に呼んであるろ。ここにも処置の出来る人間はおる」

 顎をしゃくった男性の後に続いて階段を下って行く。そこは予想通り病院の機械室で五人の男女がストレッチャーに横たえられていた。

「息子さん達――ですよね? 彼等の話では、もっと多くの生存者が居たように感じられたのですが」

 男性は兄弟に咎めるような目を向けてから言った。

「鍾乳洞に10人、市庁舎の地下に14人おったんだがな、凍死するかあの化物どもに喰われちまって、迎えに行った時にはこれだけしか残っとらなんだ。おい、出てきてもええぞ」

 男性の声で機械の影から中年の女性が姿を現した。

「妻のかおりだ。看護学校で講師をしてた。俺は原田武夫、薬をもらおうか」

 僕は猪の臭いが染み付いたリュックを下ろし、トコログリアとカテーテルを取り出す。かおりさんが手早く処置にかかった。原田さんが顔を覆っていた布切れを外す。頬には大きな傷跡があった。

「むそう網でとっ捕まえたのが死んだふりをしてやがってな、そん時に引っ掻かれたんだ」

 僕の視線に気づいた原田さんはそう説明してくれた。

「そうでしたか……」

「コミュニティがあるってか? 発電機の燃料も食い物もそろそろ底を突く。ここに居る全員を引き取ってもらえるなら移ってもええよ」

「是非、いらして下さい。息子さん達のボードを改造されたのはご主人ですよね。今はそういった能力をお持ちの方が必要なんです」

「化物はみんな死んだのか?」

「ええ、第一世代は」

 僕のその答えは伊都淵さんを真似たものだった。あれで終わってくれればいいと願ってはいたが、反面あれで終わりにはならないだろうとも思っていた。


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