邂逅
漆黒の部屋で目が覚めた。2度、3度と眼球をぐるぐると回すが何も捉えられない程に暗い。身体を動かそうとしたがピクリとも動かない。
"死んでからも金縛りにあうんだな"
不思議なものだと私は思った。
私は私の感覚ではつい先程死んだ筈だ。
病魔に侵され、病院のベッドの上に身を置いていた私の身体から急激に力が抜けていくのが自分でもわかった。何かあったら押してくださいと言われたボタンに手をかけたが押すの力は残っていなかった。
"あぁ……死ぬんだな"
と自然に口に出た。言葉になっていたかは今となってはわからない。
43歳、世間的に見れば早すぎるのだろうが、自分としては充分に生きた。両親がまだ元気なうちに先立つ事への申し訳なさはあるが、なりたくて病になったわけではない。
「現在の医療ではもう出来る事はありません」
そう告げられた瞬間から全てを受け入れ、覚悟をしてきた。
"思ったより早かったが、しょうがない。そんなに悪くない人生だった"
思い浮かべると同時に意識が薄れていった。私は死んだのだ……おそらく……
突然、私に光が降り注いだ。懐中電灯を顔に向けられた時のような眩しさに私は思わず手で顔を隠し、目をしかめた。
あまりに自然な事で驚く暇もなかったが、身体が動くようになっていた。手足の指を動かし、握り、顔を触り、髪を触り、全身を触るとやはり私の身体であった。
むくりと身体を起こし立ち上がると、私の前方に一筋の光のラインが見えた。
正直、色々と訳がわからない。そもそもここが何処かもわからないのだ。もしもここが所謂あの世だとしても、天国にしては寂しいし、地獄にしては物足りない。華やかさと禍々しさが圧倒的に不足している。しかし不思議とここが先程まで身を置いていた世界とも思えなかった。
辺りを見渡しても相変わらず何も見えない。私の身体と前方へ続くラインのみが光を放っている。
なんだこれは?と、思考を巡らせていると、頭上でガチャンという音が鳴り、光に包まれた大きな古時計がゆっくりと降りてきた。何事かと見とれていると、古時計は空中で止まり、444という数字が表示された。表示されると同時に、443……442……441……と数字が減っていく。この数字が何を意味するのかはわからないが、およそ1秒にひとつ、数字は確実に減っていっている。
"なんだ?444?……=死か?そんな訳はあるまい、私は既に死んでいるのだ"
と安易に考えた私だが、急に妙な不安に襲われた。
"もし万が一私はまだ生きていて、この数字が死へのカウントダウンだとしたら?そもそも死んでいたらこんなに思考出来るものなのか?意味もなく時計が出てくる筈がない、きっと何かある"
と余計な考えが頭を支配してしまった。そうなると考えてしまうのが私の悪い癖である。
自分では一瞬のつもりだったが、ふと時計を見ると数字は248にまで減っていた。247……246……と変わらぬリズムで減っていく。
私は意を決して、光に照らされたラインの上を歩き出した。これが最善だと判断したからである。一歩踏み締める度に、前方の光はまるで私を導くかのように伸びていく。振り返り時計を確認すると198と表示されていた。
"ラインの上を歩く事で時間が止まるかも"
とどこか期待していた私の足は自然と速くなった。
気付けば走りだしていた。ただひたすらに光が示す方向へ走った。振り向くと時計の表示は100を切ろうとしていた。
心臓の高鳴りが聞こえる。身体は既に熱を帯び、背中は汗でじっとりと濡れている。口の中は渇き、粘りを潤すために僅かに出る唾を必死で飲み込もうとする。
私は走り続けた。必死に何かを考えていた気がするが覚えてはいない、私はただ走り続けた。
ドカッという衝撃音と共に私は地に崩れ落ちた。見えない何かにぶつかったのだ。呆気に取られていると、光に照らされたドアが姿を見せた。ありきたりな取っ手が1つ付いている、なんの変哲もない至って普通のドアである。
"ドア?出口?……なのか?"
そう考えていると、ガチッ……ガチッ……と大きく重厚な音が後方から響いてきた。振り返ると時計の表示は57になっていて、数字を表す文字の色が白から赤に変わっていた。
ガチッ……ガチッ……ガチッ……
ひとつ数字が減るたびに音は確かに大きくなっている。身体の内部にまでズンズンと響き渡ってきた。
44……43……42……41……
得体のしれない恐怖を感じ、全身から脂汗が吹き出していた。
"ここに居たら駄目だ"
直感でそう思った私は、恐る恐る取っ手に手を伸ばした。ゆっくりと掴むと、冷たい感触が手に伝わり、全身を悪寒が走った。同時に時計の音が全く聞こえなくなり、身体がフッと軽くなったような気がした。振り返ると時計は消えていて、26という赤い数字だけが宙に浮いていた。
25……24……23……22……21……
私は深呼吸をして、取っ手を下げ、扉を開いた。瞬間、目が眩むほどの光が射し込み、私のいる空間全体を明るく照らした。
どのくらいの数であろう?おびただしい数の人間と思われる者が白装束に身を包み、手を組み、静かに仰向けに横たわっていた。
予期せぬ光景に目を見開き、凝視していた私は、何か強い力に引っ張られるようにドアの中に引きずり込まれた。
それからの事はなんとも不思議なものだった。意識はあるのだが、身体の実感がなく、視界だけでぐにゃぐにゃと絶え間なく変化する世界を漂っていたように思える。夢のようかと問われれば、そのようでもあるし、そのようでもない。しかし、どういう訳か気分は良く
"これが天国なのか"
と思った事を覚えている。
大海に浮かぶクラゲのように、プカプカと世界を漂っていた私は、あまりの心地よさに目を閉じた。瞬間、私の意識はスイッチを押されたかのようにブツリと途切れ、再び目を開けたとき、私は地面に横たわっていた。
しっとりと湿った土の感触を頬に感じながら、私は目を覚ました。生温い風が横たわる私の身体を通り過ぎていく。腕に力を込め、上半身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
"ここは……"
見渡した風景は確かに見覚えがあった。子どもの頃、近所の友達みんなで遊んだ広場だ。いつのまにか無くなっていたブランコや経堂もある。このブランコでどれだけ高くまで行けるか競い、経堂を囲った木板の上を走り回ったものだ。子どもの頃の記憶が蘇り、懐かしさに胸が締め付けられる思いだった。
「皆元気にしてんのかな?私は死んじまったけど長生きしろよ」
宙に向かって呟き、歩き出そうとした時、背後から肩を叩かれた。咄嗟に振り返ると、数メートル先に、上下黒のスーツに黒のコートを羽織り、黒いハットを被った男が微笑みながら私を見ていた。
「おめでとうございます」
私と目が合うなり、彼は私に言った。
「おめでとう?」
もちろん私は意味がわからない。
「はい、あなたは選ばれました」
「選ばれた?」
「はい、選ばれました」
「……もう少しわかりやすく説明してくれるかな?というか君は誰だ?私を知ってるのか?」
「私は……そうですね……クロ、とでも呼んでください、田中太郎さん」
「クロ?じゃあクロ、聞くが私は死んだのか?」
クロが黒い手帖を開いた。
「はい、えー……6時間程前に◯◯病院のベッドの上で亡くなられました」
「やっぱりそうか……じゃあここは、あの世ってやつか?」
「いいえ、ここは天と地上の狭間の世界です」
「狭間の世界?……なんで私はここにいるんだ?」
「選ばれたからです」
「……だからその選ばれたってのは何なんだ?」
要領を得ない、クロと名乗る男に若干苛つきながらも、私は丁寧に問うた。男は勿体ぶるように少し黙った後、ゆっくりと話し出した。
「今、あなたがいた世界の日本では1日におよそ4000人の方が亡くなっています。おそらく、ほぼ全ての方が、生前にやり残した事、叶えたくても叶えられなかった願いがあると思います。毎日1人、死者の中からランダムで選ばれた方に、それを叶えてもらうための世界です。田中さん、あなたは今日亡くなった方の中から選ばれたんです」
クロと名乗る男は淡々と私に告げた。その言葉は妙な説得力があり、なにを馬鹿な事を、と一蹴する気には不思議となれなかった。戸惑う私の様子を楽しむように笑みを浮かべながら、クロは続けた。
「真っ暗な部屋、大きな時計、横たわる人々……覚えていますね?」
私はハッとして答えた。
「あれは一体……?」
「あの部屋には今日……いや、現世の時間では昨日ですか、亡くなられた方全員がおりました。その中からあなたが選ばれたのです。時計はタイムリミットですね。0になるまでに外に出なければ、あなたは再び眠りについていました」
「あの部屋にいた人達はどうなるんだ?」
「既に然るべき場所へ旅立ちました」
「……天国や地獄か?」
「あなたのいた世界ではそういう呼び名らしいですね」
「……私はどうなるんだ?」
「願いを叶えた後、旅立っていただきます。死した時点で行き先は決まっていますので、ここでの願いが行き先に影響することはありません」
「…………」
「別に無理強いはしません、願いがなければすぐに旅立っていただく事も可能です。もっとも、これまで全ての方が何かしら叶えています。あっ、1人だけ少しズレた方がいましたね」
私は黙って話を聞いていた。自分でも驚くほどに冷静だった。聞きたい事は山ほどあるが、何よりもまず聞きたい事が1つあった。
「なんとも不思議な話だ。願いというのは何でも叶うのか?」
「いえ、田中さんが亡くなられた時点で過去に存在していたもの、事象が報告されているものに対する願いです。現在存在している人物は対象外になるので、存命の人物にもう一度会いたいという願いは不可能です」
「なるほど。存在していたものとは?」
「例えばですが、天国に行きたいなどは無理です、地上の世界には存在しないので。生身で空を飛びたいとかも出来ません、事象が報告されていませんので。ピラミッド等立ち入り禁止の場所に入りたいや、プテラノドンに乗ってみたいなどは可能です。現実に場所があり、存在が科学的に証明されているので。ただ太古の生き物は認知している姿形とは違うかもしれませんがね。」
「……いくつか質問してもいいかな?」
「どうぞ」
「いつまでここに居られるんだ?」
「24時間後までです。時間の流れは田中さんの生きた世界と変わりません」
「時間がきたら?」
「この世界から消滅し、決められている場所へ行ってもらいます」
「……ここまでの話に嘘は?」
「誓ってございません」
「わかった、ありがとう」
そこまで話して、私は地面に座り込んだ。雲ひとつない空を眺めながら、地面に背をつけた。恐怖や不安はなく、実に清々しい気分だった。
「実に冷静でいらっしゃいますね」
落ち着き払った私を見て、クロがつぶやいた。
「自分でも驚いてるぐらいだ。何故かはわからないが、君の話はすんなりと受け入れる事が出来た。毎日……と言っていたが、君も大変だな」
「いえ、私はご案内すれば、ひとまずはお役御免ですので」
「そうか。……とても綺麗な空だ、ここはいつもこんなに綺麗なのか?」
「いえ、そんな事はありません。曇り、雨、雷、暴風……そんな時もあります」
「……そうか。……願いを言っていいかな?」
「目を閉じて心で強く念じてください。叶えられる願いなら、目を開けた時に望む光景があります」
「わかった、ありがとう」
私は目を閉じて手を合わせ、深く、強く、願った。




