表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷河期世代の勇者  作者: 正宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/4

第1話:異世界召喚

48歳の男、鈴木大介は、土砂降りのガード下で立ち尽くしていた。

手に持っているのは、液晶が蜘蛛の巣状に割れた型落ちのスマートフォン。そこには、残酷な通知が届いていた。


【通知】未納分の社会保険料および住民税の差し押さえ執行について


「……今月、あと三千円しか残ってないのに」

二十数年前、中堅大学を卒業しながらも、空前の新卒切りの嵐の中で社会に放り出されてから、一度も「日向」を歩いたことがない。


非正規、契約、派遣。

国が作った「柔軟な働き方」という名の搾取システムに、人生の最も輝かしい時期をすべて捧げてきた。


安定した生活、結婚、持ち家。そんなものは、テレビの向こう側の異世界の出来事だと思っていた。


這うようにして向かった派遣先の物流倉庫。

そこで待っていたのは、二十代の正社員リーダーによる「公開処刑」だった。


「鈴木さん、これ何? 昨日の棚卸しのミス。君のせいでチーム全体の査定に響くんだよ。分かってんの?」


実際は、そのリーダーが昨日、スマホをいじりながら入力ミスをしたものだ。鈴木は隣で、彼が適当に数字を打ち込むのを、苦い唾を飲み込みながら見ていた。

 

鈴木が周囲に縋るような視線を向けると、背後にいた他の派遣仲間たちは、まるで示し合わせたかのように一斉に視線を床へと落とした。

 

(助けてくれ、君たちも見ていただろう……?)

 

心の叫びは、虚しく静寂に吸い込まれる。

ここでリーダーのミスを指摘すれば、明日には「現場の和を乱した」という名目で、鈴木のメールボックスには契約終了の通知が届くだろう。


「……申し訳、ありません。私の不徳の致すところです」


「謝って済むなら警察はいらないんだよ。あーあ、これだから老害は困る。若者の足を引っ張ることしかできないのかよ」


リーダーは、手にした缶コーヒーをわざと鈴木の足元にこぼした。

跳ね返った茶色の液体が、ボロボロの作業靴を汚す。


鈴木はそれを拭うこともせず、ただ、冷たい床に額を擦り付けた。


仕事帰り。空腹に耐えかねて立ち寄ったコンビニで、彼は一番安いおにぎりを一個手に取る。

レジを待つ列の横で、テレビが「氷河期世代への追加支援策」というニュースを流していた。

画面の中、高給取りのコメンテーターが冷笑を浮かべて語る。


『結局、彼らが今の状況に甘んじているのは努力が足りなかったからです。今さら国に頼るなんて、甘えもいいところですよ。自己責任でしょう』


鈴木の背後で、大学生風の若者がヒソヒソと笑う声が聞こえた。


「うわ、あのおっさん見てみろよ。汚ねぇな。ああはなりたくねーな」

その言葉は、雨よりも冷たく鈴木の心に突き刺さった。


努力。

この二十数年、一度でも手を抜いたことがあっただろうか。

盆も正月もなく、誰かがやりたがらない汚い仕事を、文句一つ言わずに引き受けてきた。


それでも、社会は彼を「努力不足のゴミ」として処理した。


公園のベンチ。鈴木は震える手でおにぎりの袋を開けようとした。


だが、かじかんだ指先には力が入らず、おにぎりは無残にも泥水の中に落ちた。


「……あ」


それが、彼の心の糸が切れた音だった。

涙さえ出ない。ただ、虚無だけが胸に広がったその瞬間。


足元の泥水が、まるで生き物のように赤く脈動し始めた。

 

――え?

異変に気づく間もなかった。視界が爆発的な深紅の光に塗りつぶされる。雨の音も、車の走行音も、自分を嘲笑った若者の声も、すべてが真空に吸い込まれるように消え失せた。


「……っ!?」


激しい眩暈に襲われ、鈴木は膝をついた。

だが掌が触れたのは泥水ではなく、ひんやりとした、滑らかな大理石の床だった。


恐る恐る目を開ける。

そこは、見慣れた公園ではなかった。


高くそびえる円柱、見たこともない紋章が刻まれたステンドグラス、そして漂う、芳醇な香水の匂い。


「――お待ちしていましたわ、勇者様。」

 

頭上から降り注いだのは、鈴を転がすような、あまりに美しい声。

見上げれば、そこには汚れ一つない純白のドレスを纏った、目も眩むような美女が立っていた。

 

彼女は泥水にまみれた鈴木の手を、愛おしそうに、まるで宝物でも扱うかのように両手で握りしめた。


「私はアステリア・フォン・ブラック。この国の王女です。……貴方のお名前、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「……す、鈴木……鈴木、大介、です」

 

「大介……様。素敵なお名前ですわね」


アステリアは、その名前を甘く、大切そうに咀嚼そしゃくした。

そして、泥で汚れた鈴木の瞳を真っ直ぐに見つめ、優しく語りかける。


「大介様あなたこそが、魔王を倒す唯一の鍵なのです。どうか、私達に力を貸してください」


鈴木は、その微笑みに、魂ごと飲み込まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ