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スリップ  作者: 糸宮 凛
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三、まみれる


 思えば私の最大のスリップは、一番最初のアルバイトに慣れてきたのあの時だった。私とお母さんの関係は修復するにはまだ時間が必要で、だけど私は、酒に依存していた自分に自覚的になっていて、断酒する決意だけはいっちょ前だった。私の断酒は最初は一週間しか持たなかったけれど、毎日飲み明かしていたころに比べたら、だいぶましだと私は自分の進歩を喜んだ。亀の一歩だって、着実に前に進めるのだから。

 ある程度まとまった時間が素面になって、私は一日の長さを感じるようになった。お母さんは仕事を続けていて、昼間は一人きりだった。昔は狭くて窮屈だと思っていたけれど、この家は二人で住むには十分に広かった。

「アルバイト、しようと思うんだけど」

 帰ってきたお母さんに、一言、言った。お母さんは嫌な顔一つせずに、片付けをしながら私の方を向いた。職場のユニフォームを洗濯物のかごに入れて、お母さんは居間で私の話を聞く。昔に比べてお母さんは私の話を聞いてくれるし、ふたりの時間を大事にしてくれるようになった。

「先生は、なんて言ってるの」

「うん。週に何日かなら、大丈夫だろうって」

「わかった。やってみたら? でも、料理に関するところはダメね」

 私が料理酒を飲んだことがあったからに違いなかった。困ったな、と私は笑った。近くのスーパーの鮮魚部にしようと思っていたからだ。アルバイト募集の張り紙がしょっちゅう出ていて、こんなところで働く人なんているのかなと思っていた、そのスーパー。鮮魚が安くて、肉も豊富にそろっている。ここいらじゃ一番物価が安いお店だった。

「鮮魚部かあ」

 お母さんがその場に止まり、顎に手を当てて思案する。スーパーがダメなら少し遠いけれどコンビニだろうか。いや、あそこは酒の宝庫だ、選択肢からすぐに外した。お母さんが、うん、と声を出した。迷いは一切なく、嫌味も感じない、そんな声音。

「いいんじゃない? あそこのスーパー、お酒はあんまり置いてなかったし」

 酒のコーナーはスーパーから離れた部分に設置してあって、わざわざ行かなければ目にすることもない。鮮魚部と酒のコーナーは離れているし、鮮魚部ならば、酒を取り扱うこともないだろう。

 私はさっそくそこの面接を受けて、無事にアルバイトを決めたのだった。


 鮮魚部は冬でも冷房を掛ける。ユニフォームは半そでだ。これは食べ物を扱うところはどこもそうだが、制服は半そでにして衛生管理を徹底する。魚を触るときはビニール手袋をするし、髪の毛が落ちないように帽子をかぶって、帽子の中はネットで髪の毛をまとめ上げている。

 足首まである大きなビニール製のがさがさのエプロンを身に着けて、私の役割は正社員の柿崎さんがパック詰めした魚や貝類にラップをかけることだった。パックを専用の機械に入れてボタンを押すと、ベルトコンベアが動いてパックが奥に進んでいく。そのまま消え去ったパックには、きれいにラップがかかり戻ってくるのだ。そうして戻ってくる間にパックの重さが計られて、パックに貼るラベルが自動で出てくる。私はそれにラベルを貼って、全部揃ったら売り場に出す。

 昨日の期限のチリメンジャコを裏方に戻すと、柿崎さんがラップを外してにおいをかぐ。私ともう一人、パートのおばちゃんにもにおいをかがせて、

「今日一日、行けるだろ」

 今日の日付のラベルを作り直して、ラップもかけ直す。パートのおばちゃんは鼻歌交じりに十個のパック詰めをし直して、何食わぬ顔で売り場の一番目立つところに期限切れのチリメンジャコを並べていった。

 私はなにも言えなくなった。あれは違法じゃないのだろうか。私の言いたいことがわかったのか、柿崎さんではなくパートのおばちゃんが困ったように笑っていた。

「通報なんてしないでよ。こういうのはどこでもやるの。精肉部も、総菜部も」

「あ、そうなんですか」

「そういうもんよ。アンタにも事情があるように、こっちにも大人の事情があるの」

 今、私の身の上なんて関係あっただろうか。私はアルバイトの面接で、アルコール依存症の話なんてしていない。だとしたら、このおばちゃんは、私がアルバイトというだけで、しかも週に二回だけというだけで、私に『訳あり』のレッテルを貼った。確かにそれは間違っていないけれど、私もこのおばちゃんも、柿崎さんも、私のお母さんも。みんな嘘のラベルを貼って、自分の人生という売り場に並べられている。売れなければ明日には破棄されるであろうチリメンジャコは、今日の私であり未来の私であり、過去の私なのだ。用なしめ。


 アルバイトの合間に、柿崎さんはよく私にお汁粉を買ってくれた。冬のお汁粉は体にしみて、おいしい。私はパートのおばちゃんと肩を並べてお汁粉を飲む。おばちゃんは時々、柿崎さんと私に飲み物を買ってきてくれる。ほかほかの缶を両手で握りしめると、かじかんだ手が少しだけ思う様に動いてくれる。冬の鮮魚部は外と同じくらいに寒かった。

「アンタ、長く続くわね」

「私も意外でした」

「もっとシフトに入れない? 私ひとりじゃ、大変だし。アンタにその気があるんなら、私からてんちょに話したげる」

 おばちゃんは週五でパートに入っているらしい。一日八時間、かける五日。もう正社員のようなものだけれど、正社員だと旦那が嫌がるのよ、とおばちゃんは笑った。おばちゃんの名前は相田だったかもしれないし三国だったかもしれない。私には興味がなかった。ただ私は、ここで自分という人間を試したかった。私にだって、誰かの役に立つ仕事ができる。私は必要とされている。

 アルバイトして、できることが増えていって、いいこともたくさんあったけれど、やっぱりお酒のことが、頭から離れなかった。


 スーパーの繁忙期は年末年始だ。特に年末商戦は忙しく、鮮魚部でもおせちの商品を売りさばくのに忙しかった。あっちこっちにかまぼこや錦卵、海老に昆布巻が、宝の山のように積み上がっていた。宝船にお客さんがあやかる。おせちなんて昨今は食べる人が減っていると聞いていたのに、山のようにあった海産物の八割は、年末を待たずに売れていった。

「年末年始、ありがとう、高橋さん」

「いえ」

 忙しいから、という理由で、試しに年末年始だけシフトを増やした。私はアルバイトを始めてからも何度か断酒に失敗していたが、それでもそれは、アルバイトのない日に限ってだった。理性が変に働いて、アルバイトだけは穴をあけないように、私は耐えた。逆に言えば、私はこざかしくも、アルバイトのない日にわざわざ酒を飲むのだ。そうして自己嫌悪して、アルコールで霞む頭で職場に向かう。

「新年会、出ない?」

 パートのおばちゃんが、私に言った。おばちゃんは私をかわいがってくれていたし、柿崎さんもとてもいい人だった。ただ、期限の切れた魚を再び売り場に出すことだけは、慣れそうにないけれど。

「スーパーの新年会が、毎年あるんだけど。高橋さん、頑張ったからどうかなって」

 私にとってそれは、悪魔の誘惑だった。断ろうと思ったのに、パートのおばちゃんが柿崎さんとにこやかに話す。

「鮮魚部、本当に助かってて。新年会でアナタ、正社員になりたいって、てんちょに話したらいいのよ」

 喉から手が出るほど欲しい肩書だった。正社員。柿崎さんも頷いている。私は調子に乗って、「行きます」と返事をしていた。おばちゃんも柿崎さんも、本当の私を知らない。私は酒におぼれたくずだ。酒が入るとなにも考えられなくなって、どんどんどんどんアルコールに浸って抜け出せなくなる。じわじわと胃の焼ける感覚を思い出してかぶりを振った。新年会に参加したって、酒を飲まなければいいだけの話だ。正社員にしてくれるというのなら、それも悪くない。私はこの職場が好きだった。私の居場所はここなのだ。私はここを、安住の地にしたかっただけなのだ。


 お母さんに内緒にして、新年会に参加した。冬の空気が澄んでいて、すがすがしい日だったことを覚えている。

「今日はアルバイト、遅くまであるから」

「うん、気を付けて出かけるのよ」

 今日はスーパーは休みだ。年末年始に一年分の忙しさを捌いた社員たちの、年に一度の連休だった。たった三日だけれど、この三日間に社員たちを集めて新年会が開かれる。私もそこの末席に座って、今か今かと店長に声を掛けられるのを待っていた。

「高橋さん、はい」

「や、私はお酒飲めなくて」

 パートのおばちゃんに勧められたお酒を一度断る。居酒屋独特の、酒と肴の混じったにおい。奥から店員さんが次々に酒を持ってくる。ビール、冷や、熱燗、チューハイ、サワー。鮮明に味が思い出されて、私の喉がとたんに渇く。からからの砂漠にいるかのように、体がアルコールを欲して叫ぶ。

「来たら欲しくなるってわかってただろ」サラマンダーが枝豆の皿に腰かけた。そのまま枝豆をいじり、サラマンダーが触った枝豆を私は食べる。ほんのり温かい。ウンディーネが「だめ、だめ」とウーロン茶のコップに腰かけて、私をいさめるようにささやいている。

 ウーロン茶なんて味気ない。飲んでも飲んでもお腹にたまらないし、酒の肴はお酒とともに食べるからおいしいのだ。

 サラマンダーが肩に戻ってくる。火の妖精だから熱くて、私の喉がごくりと鳴った。

「私、一杯だけならもらおうかな」

「そう? そう来なくちゃ」

 パートのおばちゃんが私の代わりにチューハイを頼む。ファジーネーブル。アルコール度数は低いから、一杯だけなら大丈夫だろう。私の真ん前に桃の酒が置かれて、私はそれを、一気に飲み干した。

 じりじり、と喉が熱に焼かれていく。胃の腑に落ちたアルコールが、私を酔わせる。雰囲気が酔わせる。

「お代わりください」

「かしこまりました」

 店員さんが、次々にお酒を運んでくる。枝豆を食べる。やっぱり、酒と合わせる枝豆って最高。アルコールが回ると舌が鈍くなるから、さっきまで濃かった肴の味がちょうどいい塩梅に溶けていく。私は二杯目を飲み干し、三杯目はサワーを頼み、四杯目は冷や、五杯目は熱燗。そのあとは、数え切れない熱燗、熱燗、熱燗。

 日本酒はわかりやすくアルコールが体に回るから好きだ。ドロドロの頭で、なにをしゃべっているのかもわからなくなる。熱燗はもう十本は飲んでいる。アルコール依存症を自覚する前でも、こんなに飲んだことはなかった。ブラックアウトする。意識が飛ぶ。

「私、アルコール依存症でえ」

「え、飲んで大丈夫なの?」

「だいじょぶ」

 げえ、と食べたものを吐き出して、私の体がそのまま前のめりに倒れこんだ。周りの人が私に声をかける。汗が止まらない。背中だけじゃなく、服の全部がびっしょりと濡れている。寒い、寒い、暖房が効いていない。私の体が小刻みに震える。吐く。髪の毛に吐しゃ物がこびりつく。自分の吐しゃ物の匂いでさらに吐く。

「誰か! 救急車!」

 結局私は急性アルコール中毒で、そのせいで新年会はお開きになった。当然私は、アルコール依存症だとばれて、そもそも新年会をあんな風にぶち壊して、そこで働き続けることなんてできるはずがなかった。

「ん……」

 二日酔いなんて比にならない、不快感で目を覚ます。体中に管が繋がれている。点滴、パルスオキシメーター、尿管、心電図。看護師さんが私を見て声を掛けた。

「ここがどこだかわかりますか?」

「……いえ……?」

「病院です。意識はあるみたいね」

 お母さんが隣で泣きそうな顔をしていた。看護師さんが「もう大丈夫ですよ」とお母さんを慰めた。だんだん思い出してくる。宴会で調子に乗ってお酒を飲んで、そこからが記憶がない。飲んで飲んで、ブラックアウトしても飲み続けて、気持ちが悪くなって吐いた。吐しゃ物まみれの髪の毛を触ろうとして、右手の点滴がプランと揺れた。

「動かないでね」

 看護師さんが私の尿道に通してあった尿管を抜き取る。すごく痛くてうめき声をあげた。入れてある時は感じなかったのに、異物を入れられて平気だった自分が信じられない。

 鼻から管を取ると鼻水が出てきて、私はそれをぬぐいたいのに看護師さんが私の腕を抑える。

「動かないでってば」

「あう……はな……」

 うまく声が出なかった。いまだ体に残るアルコールが、私の感覚を奪っていく。体はうまく動かないし、言葉も発せない。汗もひどく、病院着がぐしょぐしょで不快だった。体は冷え切っているのに汗をかくから、余計に寒くて仕方がなかった。暖房が効いていないから冬の寒さが身に染みる。お母さんが私の手を握った。

「死ぬところだったのよ、亜紀」

「うあああ?」

 やっぱり声がうまく出なかった。お母さんはお医者さまに呼ばれて向こうに行く。ICUと書かれたドアが見える。私はどうやら、死の危険があったらしかった。自分では自覚がなかったけれど、急性アルコール中毒は命にかかわることらしい。繋がれた管が痛くて、私はまた、体をよじらせた。看護師さんが私を見てまたため息を吐き出した。

「もう、何度言っても動く」

「あうあ」

「点滴痛いの?」

 コクリと頷くと、看護師さんが手の甲の管を抜いて、今度は腕の曲がり目の血管を探した。

「死にそうだったから、血管取れなかったのよ、アナタ」

「……?」

 血管を探し当て、腕の曲がり目に刺し直すと、傷みもだいぶ和らいだ。お母さんが戻ってくる。はあとため息交じりに、再び私の隣に座った。

「点滴終わったら、帰れるって」

「……? うあ」

「うん、もう少し我慢してね」

 お母さんは一晩でやつれた。私のせいでそうなっていたのに、もうろうとする意識はなにも理解できない。ただただ、点滴の管が痛くて、尿道に通された管を取った痛みが後を引いて、私は一刻も早く点滴を抜いてほしかった。


 退院に際して、お母さんが大金を病院の隣の銀行からおろしていた。私は無事に退院したが、体は私のものではないようだった。歩こうと地面に降り立つと、膝が笑ってうまくいかなかった。今思い出しても尿道から管を抜くのは激痛だった。私はふらふらの体を支えられながら、車まで歩く。お母さんは根気強く私を支えてくれた。牛よりも歩みは遅かっただろう。やっと車について、私は生きた心地がした。

「ちょっと、アルバイト先に電話するから、待ってて」

 お母さんがスマホを取り出す。そのまま私のアルバイト先に電話を掛けた。なんで電話番号知ってるんだろう。ぐわぐわと頭が痛んで思考をかき消す。まあいっか、別にそんなこと。

「あ、高橋の母です、はい、はい……無事に退院できまして、ご心配をおかけしました。はい、はい、すみません、申し訳ありませんでした」

 簡潔に済ませ、お母さんが電話を切った。私が助手席でお母さんを眺めていると、お母さんが何度目かもわからない息を深く吐き出した。

「運んでくれたの、柿崎さんって人」

「ぁっ」

 ひゅっと息が詰まって、私はすべてを思い出す。私の髪の毛には乾いた吐しゃ物が絡まっていて、私は宴会の新年会で飲みすぎて倒れ、アルバイト先の人々にアルコール依存症がバレた。いや、自分からばらした。私は宴会を台無しにした。私は馬鹿だ、うすのろまぬけ、役立たず。酒におぼれた異端者。私は社会のお荷物だ。こんな酔い方して、迷惑をかけて、もうあそこに居場所なんてない。

「あとで謝りに行こう、お母さんも一緒に行くから」

「うぅ」

 鼻が詰まって仕方がなかった。ティッシュを取り出して鼻をかんでも一切すっきりすることはなく、鼻は詰まったままだった。


 退院した翌日、お母さんと一緒にアルバイト先に謝りに行った。面接ぶりに店長と面と向かって椅子に座って、店長は渋い顔をしていた。

「もう大丈夫なんですか?」

「はい」

 私とお母さんが同時に返事をした。サラマンダーが私の膝の上で寝転んでいる。ウンディーネもサラマンダーの隣で私を心配そうに見上げていた。アルコールはまだ抜けきっていなくて、脳みそがじわりじわりと酒浸しだった。しんしんして、現実味がない。目の前にいる人物の悪辣な視線にも、私の心は穏やかだった。

「別に、アルコール依存症のことを隠していたのは、かまわないけれど。でも、あんな飲み方して、仕事はちゃんとできるの?」

「仕事はできます。今までもちゃんとやれました」

 私はしゃべれるようになっていた。ふわふわした言葉が口から吐き出されて、抜けきっていないアルコールが口からにおった。

「それはたまたま、仕事の日はお酒の飲まなかっただけでしょう? 車は? アルコール依存症の人って、酔っても車に乗ったりするんでしょう?」

 遠回しに退職を求められているようだった。つまり、私は酔って車に乗って、事故を起こしてニュースになって、テレビは私がここでアルバイトをしていることを報道して、私はいつか、このお店に迷惑をかける。お母さんがまた、謝りながら頭を下げた。私はサラマンダーとウンディーネを撫でる。あったかいのと、冷たいの。私の脳がやがて店長の侮蔑を受け入れて、現実と夢の境界がぼやけた。

「やめます。私、ここを辞めます」

「そう? 別に、わたしは辞めろとまでは言ってないけど」

 言ったようなものだろう、と私は椅子を立ち上がった。体がよろめく。

「こんなところ、やめて正解だよ!」サラマンダーが店長にあっかんべーをしている。

「ああ、亜紀。大丈夫、私たちがいる」ウンディーネが私を慰める。二人の妖精がいるおかげで、私は一人でも大丈夫だった。けれど、このスーパーは家から近かったから、少しだけ未練もあった。

 店長は私たち親子を見送ることはなく、ただただ、私を見る目に込められた軽蔑が私の体から体温を奪った。宴会の酒はいまだ抜けず、私はふわりふわりと宙を舞っている。サラマンダーやウンディーネと一緒に、空を飛んでいる。

 このスリップが私の最後のブラックアウトとなった。私の間違いは、酒の席に出向いたことだ、少しだけなら、飲まなければ。それは私の甘さで、私は生涯、酒が目に入らない場所でしか生活ができない。どんなに頑張ったって、一瞬の油断が私の命を奪う。アルコール依存症は命にかかわる病気なのだ。それを今回、改めて思い知らされたようで、いい経験になったと笑うしかなかった。

 私は痛みを伴わなければ学習できない性分で、これを教訓に、どんなに大丈夫だと思っても、酒に関するアルバイトは選ばないようにしたし、居酒屋なんて見るもの嫌になったのだった。


 いつの間にか外が暗くなって、ぎい、と部屋のドアが開いた。人の気配がして、私の意識が覚醒する。寝ていたようだ。鍵を閉める音がして、目を開けるとそこに、サラマンダーがいた。人間と同じ大きさのサラマンダーは、服をまとっていなかった。炎の様に赤い肌が、私のうえに覆いかぶさった。

「悪い子には、教えないと」

 サラマンダーの奥には、ウンディーネが見えた。ウンディーネの表情は見えない。

 サラマンダーが私の服に手を掛けた。いつもは私の肩に止まって、かわいらしく鱗粉を振りまいているのに。私の肌がさらけ出される。六月とはいえ、夜は肌寒かった。温かいサラマンダーの手が、私の体をまさぐった。はあはあとサラマンダーの息遣いが、耳元に聞こえた。

「あっ」

「しー。声を出したらダメだよ」

「あっ、うん」

 サラマンダーが私の体をくまなく撫でまわす。私は酒の余韻に浸りながら、それに身を任せた。私は涙をこぼした。これは誰、私はなに?

 サラマンダーの炎が爆ぜた。ウンディーネはただ、無表情に私を見ていた。


 四日目の朝、私は二日酔いで痛む頭で目が覚めた。時刻は九時を回っていた。働かざる者食うべからず。

「あっ!」

 起き上がり、私は自分の体を見る。服は着ていたし、隣にはちゃーみんが寝ていたであろう布団がたたまれている。なんて夢を見るのだろう。サラマンダーは、今まで一度もあんな姿を私に見せたことなんてなかったのに。よほど私のスリップを見かねたのだろう。そりゃあそうだ、こんなところにまで来たのに、まるで私はよくならない。

「はあ、そういえば」

 調理場に向かう途中、そういえばるーさんが私に阿波しじらを着付けてくれる話があったことを思い出した。あの日は結局、午後から畑に出たからかなわなかったけれど。

「おはようございます」

「おはよう、あーきん。体調はどう?」

 ちゃーみんが普段通りに私に声をかけてくれる。それがありがたくて、泣きたかった。私はそういえば、まだ身の上話をしていない。自助会の最初にする、私の生い立ち。

「あ、るーさん。あの」

「私?」

「はい。あの。阿波しじら……」

 私が切り出すと、「忘れてたわ!」とるーさんががっはっはと笑った。いつも通りの、何気ない朝だった。夏の気配が風に匂って、じめじめとした、夏よりも不快な始まりの朝。朝日が調理場に差し込んで、私たちを照らしている。

「また忘れるといけないから、今のうちに一回着付けちゃおう」

「え?」

「ちょっと待っていてね」

 るーさんはバタバタとあわただしく、調理場を出ていく。

 次に戻ってきたるーさんは、手に一杯の荷物を持っていた。長着、長襦袢、着付け小物。ここの人たちはみんな、着物を持っていると聞いた。なぜだろう。

「さあ、じゃあ、服脱いで」

「いや、ここで?」

「大丈夫。ホールには昼間は男性は来ないわ」

 私はその言葉を疑うことなく、服を脱いだ。私はるーさんに身を委ねる。

「あの、蝶の華の人たちって、なんでみんな着物を持ってるんですか?」

 着付けるために、両手を上げながらるーさんに聞いた。

「細いわねえ。じゃあ、補正下着から」

 るーさんは着付けをしながら答えてくれた。

「着物は、お蚕さまの絹から作るでしょ。ここの人たちは、服も綿とか、できるだけ正しいものを着ているのよ。だから、着物の産地の方々とも繋がりがあるの。いつかうちでも、お蚕さまをやる予定」

 着物用の肌着を着てから、補正下着を着て胸をつぶし、腰のくびれをなくす。おしりにも補正を入れてから長襦袢を羽織る。るーさんの言う正しい服とは、ポリエステルやレーヨンなどを使わない、自然から取れるもののことだろう。人工の糸は、悪なのだろうか?

「若いから衣文はたっぷり抜くわね」

 長襦袢は下着ではなくて、見せるための下着なのだそうだ。長襦袢の襟には襟芯が入っていて、こぶし一個分の衣文を抜いて、長襦袢を固定する。衣文というのは襟の抜きのことだ。

 長襦袢を腰ひもで固定したら上から伊達締めを締めて、その上に長着を羽織る。衣文が詰まらないように羽織ったら、お端折りを作って、裾すぼまりになるように右前に着付ける。腰ひもで固定して、コーリンベルトで襟を固定したら、また伊達締め。

「帯を巻いて、帯板を入れる。そのあとは、帯揚げを巻いた帯枕で帯を固定して、帯締めで帯の形を整える」

 前に雪恵にやってもらった時は簡易なものだったからわからなかったが、だいぶ巻くものがあって暑いし苦しい。慣れれば締め付けが心地よくなるらしいけれど、私は慣れそうにないなと思った。ぎりぎりと拷問されている気分になる。抜けないアルコールがまとわりつくようだった。

「いいわね、できた」

 阿波しじらは綿の着物だから普段着だ。普段着には名古屋帯以外にも半幅帯を合わせられる。雪恵の時のが半幅帯だ。今日締めたのが名古屋帯。所謂お太鼓結び。半幅よりはかっちりした雰囲気だ。

「わー、似合う似合う。細いからどうかと思ったけれど」

「うん、似合うねえ。あーきんは、なんで着物に興味が?」

 るーさんとちゃーみんが絶賛してくれて、育児係の人たちも私を見てうなっている。悪い気はしなくて、なのに私の腹の奥からどろりとなにかがパンツに垂れた。

「……!?」

「どうかした?」

「いえ」

 子供たちも、私を見て、「きれいー」と手を叩いている。ちゃーみんがスマホで誰かに連絡をしていて、私は暑くて早く着物を脱ぎたくなった。

「もう脱いでいいですか?」

「いやだわ、着たんだったら、お風呂入るまでそのままでいなさいな」

 るーさんが不服そうに私のお太鼓の位置を少しだけ手で直した。ちゃーみんがスマホのカメラを起動する。

「あーきん、笑って」

「や、写真は」

「ほら、笑ってよ」

 ちゃーみんが私にスマホを向けるものだから、逃げ場がなくなって私は無理矢理笑みを作った。パンツがぬるりとして気持ちが悪い。これはなんだ、私は誰だ。サラマンダーが、私の肩に止まった。

「大丈夫?」サラマンダーらしくない、言葉だった。サラマンダーが私の心配をしてくれたことなんて、ただの一度もなかった。

「だから言ったのよ! こんなところ来たくないって!」ウンディーネが怒っている。ふたりとも、私を挟んで右と左でギャーギャーわめきたてていて、私はスマホのカメラに不愛想な顔を向けることしかできなかった。


 十分くらいすると、村長が帰ってきて、私の着物姿を見てほうっと息を吐き出した。その息を吸い込まないように、私は自分の息を止めた。止めたって無意味だとわかっているし、何分も息を止めることはできなかった。私の鼻を通って肺に向かう空気は、村長の吐き出した息だった。

「うん、いいね。着物好きなんだ?」

「いや、まだ好きとかでは」

「似合ってる。うん、すごく」

 さら、と私のおくれ毛を、村長が私の耳にかけた。村長の息遣いが耳元にかかって、私は自分の首元を抑えた。熱くうずく耳とは裏腹に、私のパンツがヒヤリと気持ちが悪かった。

「あーきん?」

 村長が笑っている。その笑みのうらに、どんな感情が混じっているのだろうか。村長はみんなから敬われる、いわば神だ。逆らえば私は、ここから卒業できなくなる。したいのだろうか、卒業を。私はここに永住することを望んでいるのかもしれない。

「村長……昨日……」

「さ、わたしは畑に戻ろうかな。じゃあ、あーきんは今日は一日、育児係で。着物じゃあ、料理はできないだろう?」

 そうね、そうね、と育児係のみんなが私を輪に加える。子供たちが私にだっこをせがむ。私は庵ちゃんを抱き上げて、そのぬくもりを腕に閉じ込める。

「私……サラマンダー?」

 サラマンダーは、返事をしなかった。


 その日の夜、私は夕食もそこそこに、滞在する部屋に戻って自分の首元を持ってきた鏡越しにまじまじと見た。赤く印がついている。これはサラマンダーやウンディーネと同じだろうか。幻覚? 妄想? 私は誰で、サラマンダーは実在するの?

 風呂で下着を脱いだ時、私のパンツが白いドロドロで汚れていて、私は咄嗟にパンツを隠した。服でくるんで風呂場に持って行って、誰もいない席に座って念入りにお湯で下洗いした。ドロドロが湯に流れて排水溝に消えていくのを見届けて、いつもより時間をかけて体を洗って、湯船には入らずに風呂を出た。

 布団にもぐって考える。どこまでが現実でどこからが幻覚なのだろうか。私にサラマンダーとウンディーネがいることを、誰も知るはずがないのはわかっている。わかっているけれど、いつか誰かがこの二人の妖精を見つけて、私の知らない場所へと持って行ってしまうのではないか。そうして、サラマンダーとウンディーネは、闇オークションで売られて、私の名前を呼ぶのだ。

「亜紀、起きて」朝だった。ウンディーネの声に目を覚ますと、隣にはちゃーみんが眠っていた。時計を見ると、まだ五時だった。便意を催しトイレに行く。ここに来てから、野菜ばかり食べているので便秘とは無縁になった。

 私はそっと部屋を抜け出す。朝はいつも、鍵がかかっていない。鍵をかけるのは昼間だけだ。

 私はトイレに歩き、ついでに顔を洗って歯を磨いた。


 早く起きたからって別段やることなんてなくて、私はさっさと朝食を済ませることにした。厨房はまだ開いていないから味噌汁はなしだ。

 ホールに行くと、大きな炊飯器がブブンと音を立てていた。私は炊飯器を開けて茶碗一杯十穀米をよそう。卵は冷蔵庫だから、やっぱり取れない。私はホールの長テーブルの前に座って、お箸を取って、十穀米にしょうゆを垂らした。

「いただきます」

 ホールの電気が朝日よりもまぶしい。私はほかほかのご飯を口に運ぶ。醤油だけでも美味しかった。十穀米の香ばしさと甘み。もちもち、プチプチしていて食感も楽しい。

 あっという間に平らげて、茶碗半分にお代わりして完食した。

「あ、おはよう、あーきん」

「ちゃーみん、おはよう」

 六時になるころ、ちゃーみんが起きてきて厨房の鍵を開けた。今日の鍵当番はちゃーみんだった。ちゃーみんはさっそく調理場に立つ。他の住人も起きてきて、がやがやと賑やかな朝食が始まる。

「味噌汁飲む?」

「えーと」

「あったかいの欲しいでしょ。あっためるね」

 まるでお母さんみたいだと思った。ちゃーみんは味噌汁を温めて、厨房とホールをつなぐカウンターから私に渡した。絵画から飛び出る美女は様になる。四角い窓から体を乗り出し、ちゃーみんは私に味噌汁を手渡す。こぼさないようにテーブルに運んで椅子に座る。口をつけると、大豆と麹の甘みが口いっぱいに広がった。

「あつ……美味しい」

「美味しいでしょ。味噌もうちの手作りだから」

「味噌まで! すごいですね」

 味噌汁を飲み干して、茶碗と一緒に厨房に運ぶ。シンクに浸して、自分の分の茶碗を洗う。ふと、自分の指の爪が伸びていることに気が付いた。

「ちゃーみん、あの」

「うん?」

「爪切り、貸してください」

 ちゃーみんが厨房を出てすぐそこにある棚から爪切りを取り出した。切れ味がよさそうに、銀色に光っている。ちゃーみんは私の爪を見て、

「生きてるねえ」

 と笑った。私の胸の奥がジワリと痛んだ。生きている、私は。それを実感することなんて、今までに何回も機会があったはずなのに、私はここにきて初めて、自分の生を実感した。鼻の奥がつんとする。こぼれそうなしずくをこらえて、私は長テーブルの椅子に座って爪を切る。ぱちん、ぱちん。爪がこぼれる。私はそれをかき集める。私の命を、かき集める。

「あら、早いのね」

 るーさんがきて、ほかの料理係も続々と厨房に集まってくる。昨日新しく滞在することになった、四十代の女性が起きてきて、私にぺこりと頭を下げた。きれいな人だった。人を魅了する、希有な人間は美香ちゃん以外にも存在する。この人は花から花に渡る蝶なのだと思った。みんなから愛でられ、好かれる、蝶々。ひらひらと舞うと、サラマンダーやウンディーネの様に、美しい鱗粉をまき散らす。それを吸い込まないように私は彼女から視線をそらした。私にはまぶしすぎる。

「東ヶ崎真美です。昨日から入って」

「あ、高橋亜紀です。私は四日前なので、あまり変わらないですね」

 にこやかに返す。るーさんが真美さんにご飯と味噌汁をよそっている。ほかほかと湯気を立てるそれを見て、真美さんが顔をしかめた。しかめてなお、美しかった。そこだけ光り輝くようだった。

「うちは、朝ごはんは簡単にしか食べないので、生卵くらいしかないんですが」

「そうなんですね。パンがあったらよかったのだけれど」

「パンは体に悪いのでうちでは」

 るーさんが少し不機嫌に言った。真美さんはなんら気にせずに、席について卵かけごはんを食べていた。


 朝ごはんが終わって、私は厨房に立っている。今日はてんぷらとポテトサラダ、それから野菜ジュースにトマトと玉ねぎのマリネを作るのだという。材料を作業台に用意して、今日は私の担当はてんぷらだった。衣を作るのに氷と水と、卵を溶く。そこに小麦粉を入れてさっくり混ぜる。手順を説明されても、私の手際はもたついていた。粉まみれになりながら、私はようよう衣を作った。さっくり揚がるといいのだけれど。

「あーきんは、素直でいいわねえ」

「るーさん、どうかしたんですか?」

「真美さんさ。自分は客だから、なにもしないって、昨日入ってくるなり宣言していて。あれじゃあ、卒業はまだまだ先ね」

 それに比べて。とるーさんが私を見た。るーさんはしわくちゃなおばあちゃんだけど、私には優しくて、本当の家族のようだった。るーさんは調理場の責任者で、献立を考えるのもるーさんの仕事だった。るーさんはトマトのマリネを作りながら、

「あーきんは、だいぶ人間になったわよね。最初はロボットみたいだったけれど。今はもう、ちゃんとした人間ね」

「そうです!? わあ、うれしいなあ」

 私は、てんぷらの衣に野菜をくぐらせながら、るーさんに笑顔を向けた。るーさんが私を見てニコニコと笑っている。よく切れる包丁でキャベツを千切りにするるーさんは、そこら辺のコック顔負けの包丁さばきだった。とととと。小気味いい音が調理場に響く。合わせるように、ちゃーみんが鼻歌を歌う。

「そうだよね、私もあーきん、人間らしくなったと思う」

「ちゃーみんまで! うれしいなあ」

 なんにせよ、褒められてうれしくない人間はいないだろう。私は衣をつけた野菜を油に入れていく。揚げるのはちゃーみんの担当だ。私は次々に野菜に衣をつけていく。衣がなくなったら、追加で粉と卵を溶く。野菜のてんぷら、五十人前。

「トマトのマリネ、味見する?」

「します!」

 るーさんが冷蔵庫からトマトと玉ねぎのマリネを取り出す。菜箸で一つつまんで、そのまま私の方に向けた。私はまるでひな鳥の様にそれにぱくついて、酸っぱくて唾液がじんわりと溢れた。赤い潤いが染みわたる。私のしなびたからだが赤く赤く色づいていく。まるで秋の紅葉の様に、美しい赤色に私は成った。

「どう?」

「おいっしいです!」

「もう、本当にあーきんってかわいい。私の娘にしたいわあ」

 私もるーさんの娘になりたかった。私を甘やかしてくれる、大好きなお母さん。私のことを一番に思ってくれる、第二のお母さん。がっはっは、と豪快に笑うところも好き。

「もう、あーきんは私の子なの」

 揚げ物を終えたちゃーみんが、私の腕を取り私の肩に頭をもたげた。はっくんさんとまんまさんも私の周りに円陣を組んで、みんなが私を抱きしめた。取り囲まれて困惑と歓喜が押し寄せる。私は蝶の華の一員に、なった。

「私もあーきん好きよ」

 はっくんさんはピンク色の髪の毛の、少しファンキーなお姉さんだ。

「私の方が好きよ」

 まんまさんは、中年の真ん丸のおばさんだ。私はと言えば、ひょろひょろにやせ細った、二十代のヒキニート。だけどここでは、私は認めてもらえるし、私は私でいていいんだと言ってくれる。生きている、私は今、生きている。

「さあ、調理に戻りましょ」

 るーさんがパンと手を叩く。切り替えて、私もちゃーみんも、はっくんさんもまんまさんも、昼食作りに精を出した。


 その日の反省会で、発言したのは会計担当のいそいそだった。いそいそは経済学部卒業の、眼鏡をかけた神経質そうなお兄さん。会計の責任者を兼任している。今日は真美さんが入ってきたから、三日ぶりの反省会だった。

「真美さんも、なにかできることがあるといいと思います」

 いそいそに続いて、みんなが同意を示している。みんなが首を縦に振って、真美さんは我関せずに、きれいに塗ったマニキュアを乾かしていた。赤くて派手なのに、真美さんには妙に似合う。マニキュアのシンナー臭が私にアルコールを想起させた。ふたつはどちらも中毒性があって、私の脳が少しだけ揺れた。揺れはすぐに収まって、私はいそいその問いの答えを探す。

「育児係は?」

「こっちはもう人手は足りてるわよ」

「会計では?」

「会計は複雑だからなあ。畑は?」

「畑でもいいですよ」

「嫌よ、畑なんて。焼けて醜くなる」

 ここにいる、日焼けした住人たちのことなんてなんにも考えていなかった。たけさんが手を挙げる。村長がたけさんを指名した。村長の隣にはやっぱりあけみんがいる。あけみんは農作業もしないし会計もしない。いつも村長の隣で、村長の写真を撮ったり議事録をパソコンに打ち込んでいる。あまりしゃべらないから、少し怖い。

「じゃあ、料理係は? 料理係、いつも忙しそうだし」

「無理。私料理とかしたことないもの」

 今日、料理をしているとき、るーさんやちゃーみんが話していた。真美さんは四十代だけど働きもせず、かといって結婚しているわけでもない。今でも親に世話になっていて、見かねた父親がここに滞在させたのだそうだ。真美さんがふんと鼻を鳴らす。けばけばの化粧に原色のワンピース。贅沢三昧、四十代だけど若く見えて、いわゆる美人なのだ。美人ゆえに男性には困らないようで、ブランドの服もバッグも貢ぎ物らしい。

「だいたい、ここは宗教染みていて嫌。卒業だのなんだのって、そういうのいいから、早く帰らせて」

 周りがシンと静まり返った。そのとき、村長が立ち上がり、

「真美さんは、ちょっと生きづらいだけなんですよね。だからそうやって突っぱねる。いいです、真美さんは料理係についてもらいましょう。るーさん、頼みました」

「はい、村長」

 さすが村長だ、場がまとまった。拍手喝采が起きる。私もそれに倣って拍手していた。ここはとてもいい場所だ。みんなが滞在者のために居場所を作ってくれる。私はここにいていいのだ。私は生きていていいのだ。

 アルコールがまだ完全に抜けきっていない。私の頭がぼやんとかすむ。このままここに移住してもいいなと思った。なにより、たけさんともっと話してみたいと思った。


 サラマンダーが、寝転がる私の額に座った。反省会は結局深夜一時までかかって、なのに私の脳みそは、そう簡単に私を眠らせてはくれなかった。ちくたくと部屋に時計の音が響く。ちゃーみんはまだ、反省会の片づけをしていて部屋に帰ってくる様子はなかった。

「だいたいオマエは、考えなしなんだ」サラマンダーは、怒ると少し熱を持つ。じじじ、と私の額に跡がつく。

「サラマンダー、亜紀が火傷しちゃう」ウンディーネは水の妖精だから、私の額を冷やすのもお手のものだ。私はふたりを優しく両手で包み込んで、布団の横に寝かしつける。小さいから、布団に押しつぶされないように、ふんわりとかけてあげる。ふたりはうとうとしながら、私の方を見て、またため息をつく。

「私、本気でここに永住したいって、思っているよ」

「それは本当に?」サラマンダーが私の頬に自分の頬をくっつけた。あったかくてまどろんで、私の意識が薄れていく。今日はサラマンダー、しないんだね。人間みたいに大きくなって、私にあんなこと。心地いい熱が私を包み込む。眠気なんて来ないと思っていたのに、サラマンダーの熱を感じたらとたんに眠くなってくる。ウンディーネが子守歌を歌っている。私の傍にはいつも二人がいる。だから寂しさも感じないし、蝶の華に来ても心細さは感じなかった。意識がだんだんと薄れていく。私は瞼をそっと閉じた。まどろむ意識で、私の耳は聞いた。

「あっ、あっ、そんな……!」

 艶めかしい声は、真美さんのそれだった。湿り気を帯びた真美さんの声が、壁越しに私を責め立てる。その声がだんだんと遠のいていく。眠気が私を包み込む。真美さんはあの十七歳の女の子に入れ替わって、私の隣の部屋に滞在している。

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