第3話:願いだけが生き残る夜
病院を出た瞬間、スマホが震えた。
《残寿:04:30:00》
(これ、リセットしてくれへんのか……)
数字は容赦ない。
息しただけで減っとる気する。
「さっきの青年の影……やりすぎたんちゃう?」
誰に言い訳するねん俺は。
帰んぞ。これ以上巻き込まれてたまるか。
そう思って歩き出したけど――
背中をひっぱるなにかがある。
ロビーで見た、細い影。
案内するような手。
(ついてくるんかい。ほっといてくれや)
振り返ると……
院内の非常口ランプの下に、黒い点が一つ。
指差してる。
上を。
「屋上かい」
ため息、二つ減る勢いや。
はよ帰りたいのに、足が階段に吸い寄せられていく。
屋上。
夜風が医療廃棄の臭いを運んでくる。
錆びた柵。
無機質な街灯が、影を削って照らす。
その中央。
男がひとり、柵にもたれていた。
年齢不詳、痩せすぎ。
視線は真下――地面に落ちた自分の影を見つめてる。
その影は、
ひとりで震え、
ひとりで祈り、
ひとりで――泣いとる。
(あかん。これはもう……溺れとる)
触れたら終いや。
残寿がとんでもない勢いで吸われる。
帰る。
帰るって決めた。
踵を返した瞬間。
スマホの画面が勝手に点灯した。
《強制発動開始》
《対象:願いの残滓》
(願い……?)
残滓ってなんや……
過去のやつ?それとも――
「やめろ言うてるやろ!!」
声にならん声が喉に詰まった。
指が勝手に動く。
ポケットから手が抜ける。
影の方へ伸びる。
(触れるな……!触れたらまた……!)
でも、止まらん。
指先と、影の表面が――触れた。
瞬間。
心臓を丸ごと掴まれたみたいに
景色が一気に暗転する。
幼い手。
小さな背中。
「お兄ちゃん、置いてかんといて」
耳元に残っとる声。
代わりに助けた命なんか、あの日は無かった。
俺はただ――
祈りを見てただけや。
その子は翌朝、
二度と目を開けへんかった。
(やめろ……思い出すな……!)
意識が現在に戻る。
屋上の男の影は、
祈りじゃない。
願いの形だけ残って、生き残った影。
本人の心は、もう折れてる。
煙草が風に転がるように、
今にも落ちる。
男の足が揺れた。
「やばっ」
ほぼ条件反射で腕を伸ばす。
接触面、
できる限り小さく。小指の付け根だけ。
《残寿:04:10:00》
一気に持ってかれていく。
(あかんって……!俺の命どんだけ安いねん!)
でもな、
男の影の震えが、
徐々に止まっていく。
祈る形へと――戻っていく。
男が泣きながら呟いた。
「……もう一度だけ、謝りたかった……」
「誰にや」
聞いたらあかんと分かってるのに、
口が勝手に動いた。
「妻に。
あの日、俺が遅刻せんかったら……」
影が男の足元へ吸い込まれて消える。
強制終了。
《残寿:03:45:00》
なんでや。
なんで助かってまうんや。
なんで俺なんや。
男が崩れ落ちて礼を言う。
それがいちばんキツい。
「ありがとう……!」
「やめてくれ。感謝すんな」
感謝は刃物や。
また影に燃料やる気かい。
帰ろ。
ほんまに帰る。
階段に向き直った時、
手すりの影が、俺の方を向いた。
(次……)
祈りの手が、
さらに遠くを指し示す。
街の真ん中。
灯りが集まる方向。
次の依頼人が、もう目を覚ましてる。
勘弁してくれや。
あと3時間しかないねんぞ。




