第2話:夜の出口は、祈りで塞がれる
救ったつもりは一ミリもない。
せやのに、青年は静かに寝息まで立てて、
周りの気温だけがぐっと上がった気がした。
(残寿19時間。あと何回、これやらされるんや)
椅子から立ち上がる。
革がちょっと名残惜しそうに引っ付いたけど、
なんとか自由の身や。
「お兄さん、ほんまに……ありがとうございました」
紗世さんの目の奥、ちょっと光さしてる。
治したのは弟の影なんか、彼女の不安なんか。
どっちゃでもええ。
「俺、もう帰りますんで。
紗世さんも、はよ弟さんのとこ戻ったってください」
――逃げるみたいに自動ドアをくぐった。
夜の風が生き返らせてくれた。
けど、すぐ背中に気配がまとわりつく。
振り返る。
病院のロビーのガラスに、細長い影が張り付いとる。
(さっきの影か……)
影の形は、瘦せた男。
手のひらをこっちに向けて、
「来い」言うてる。
「絶対行かんからな」
スマホを見る。
《残寿:18:58:00》
――勝手に減るなや!!
帰るだけでも消費すんのかい!
(逃げるのも、祈られるのも両方あかんて……
どう生きろ言うねん)
背後から、足音。
「……あんたさっきの」
紗世さんが、小走りで追ってくる。
目がちょっと赤い。
「弟の……容体が急に安定したみたいで。
お礼ぐらい……させてください」
「お礼とかいらん。ホンマで。
それより、早く戻って――」
その瞬間。
彼女の足元から影がゆらっと千切れた。
祈りの余熱が、まだ残っとる。
青年の影を治したはずやのに――
別の影が紗世さんに移ってきとる。
「やばい。離れてください」
俺が言うた時には遅かった。
紗世さんの影が、二つに割れた。
一つはちゃんと地面に。
もう一つは――俺の足首掴んできた。
「っ、離せコラ!」
地面がぬるぅい闇になって、足が沈む。
《残寿:15:40:00》
(触ってへんのに!?
紗世さんのせいやない。これは――)
祈りが連鎖しとる。
救った人の周りに、救えてない感情が溢れ出すんや。
(これ、終わらんタイプの地獄やん)
紗世さんが俺の腕を掴む。
「どうすれば……!?」
「喋らんでええ……! 声が影を刺激する!!」
俺は息すら浅くして、最低限の接触面で影を押し返す。
小指の付け根。
影の根っこへ――祈りの逃げ道を作る。
影が、音もなく崩れた。
《残寿:12:12:00》
(まだいける。……いけるか?)
紗世さんは震えながら頭を下げる。
「すみません……わたし、助けてって祈ってしまって……」
「祈られると勝手に動くねん。やめてくれや」
思わず強い言い方になってまった。
罪悪感で胃が冷たなる。
「す、すみません……」
彼女の影がまた歪む。
――謝らせたら、また祈りが生まれる。
(あかん……この人、俺の近くに置いたら死ぬ)
俺は距離を取ってから振り返り、
「俺は関わらん方がええ。
だから、二度と俺に礼言わんといて」
紗世さんが、泣きそうな顔で立ち尽くす。
その背後。
病院の屋上から、また別の影が落ちてきた。
祈りやない。
絶望の形や。
俺の足が、勝手に走り出す。
(頼むから――
これ以上、勝手に人助けさすなや……!)
屋上から落ちてきた影――
着地の音もなく、目の前で止まった。
輪郭が、ぐちゃぐちゃや。
祈りじゃない、絶望の塊。
(あーあ、出たわ。やばい方)
影の形は、俯いて体育座り。
その背中から、黒い手の形が何本も伸びる。
人一人分の後悔が、地面に溢れとる。
スマホが震える。
《残寿:05:01:00》
(やかましいわ!!)
影の手がひゅっと伸びて、
俺の胸に触れた瞬間――
心臓の奥が冷たくなった。
ぬすっとみたいに、
俺の鼓動をちょいちょい持っていきよる。
(触ってくんな!)
足が勝手に動く。
踵がコンクリ蹴って、
影のそばへ吸い寄せられる。
肩が強張る。
次の瞬間――
俺の指先が、勝手に
影の背中に触れてた。
影のぬるさ。
涙の温度が、皮膚の裏に滲み込んでくる。
(っ……また勝手に治すんかい!)
影の背が震える。
泣いとる。
なんで俺が、こんなもん背負わなアカンねん。
「……帰れや。
俺の人生に、入ってくんな」
言葉にした瞬間――
影の腕が、ふっと抜け落ちた。
体育座りの影が、
ちっちゃく、ちっちゃく縮んでいく。
最後の一滴みたいに、
路上にポタッとなって消えた。
《残寿:04:40:00》
(減っとるがな!!)
空気が止まった。
風まで息ひそめるみたいに。
「……ほんま、なんでやねん」
空を睨む。
屋上の縁に、まだ誰か座ってる。
白いパーカーの若い男。
両膝抱えて、こっち見とる。
生きてる方か、影の方か。
どっちかわからん。
俺しか見えてへん証拠や。
「お前も……救ってほしい奴なんか?」
――言うた瞬間。
また、足が勝手に前に出ようとした。
「ちゃうちゃうちゃう!
聞いただけや!!」
アホほど手足を踏ん張って、
自分の意思を死守する。
(関わりたない。
俺は誰も救いたない。
救われへんまま死ぬ人間を、
俺だけ見とったらええんや)
だけど声が聞こえた。
「……たすけて」
男の口は動いてへん。
けど、祈りが、
喉の奥で震えてる。
(……最悪や)
逃げたら、また減る。
助けても、減る。
選択肢、無いやん。
スマホを睨む。
《残寿:04:39:00》
数字は、無情に未来を刻む。
俺は屋上の男に向かって叫んだ。
「一回だけや。
戻ってきたら知らんぞ!!」
足が動いた。
屋上へ向かう階段。
嫌でも進む。
階段の途中、
また祈りの影が滲む気配。
(はぁ……せめて休憩したいわ)
でも、
勝手に助けてまうなら――
助け切るしかない。
それが、
俺の
最悪の生き方や。




