第1話:影が勝手に治しよる
深夜二十三時五十七分。
病院の消灯アナウンスが、無機質に鳴り響いた。
「……早よ帰ろ」
祖母のお見舞い。
さっきまで普通に歩けてたのに、ロビーへ来た途端――
足が勝手に、また座らせてくる。
(やめろって。関わりたないねんて……!)
視界の端、
椅子の脚から、するりと影が伸びた。
――映っとるのは俺の影やのに。
俺の思い通りに動かへん、もうひとりの俺。
「お願い、誰か……助けて!」
消灯後のロビーに、場違いな悲鳴。
声の主は、男。まだ二十代前半くらい。
男の足元――
黒いヒビみたいなものが、床に走ってる。
(……あぁ。あれ、壊れかけの影や)
気づいた瞬間、もう遅い。
俺の影は、椅子を深く深く黒で縫いつけた。
「うっ……!」
顎が勝手に上向く。
胃が冷たい手で握られたみたいになる。
強制発動。
治したくもないのに。
知らん他人の痛みを直せって。
「ほんま……罰ゲームの報酬ほど腹立つもんないわ……!」
ロビーに転がり込んできた男が、震えながら俺に近づく。
「たす、け……ぐっ……!」
影のヒビから、黒い液体があふれ、床を濡らす。
(やめろ。来るな。頼むから)
右手が勝手に伸びる。
指先から黒い燐光が滲む。
救済の姿勢へ、勝手に正される。
「触れなあかんのやろ……?
ほな――最小限で済ませたる……!」
指の腹じゃない。
小指の付け根だけを、そっと押し当てる。
その瞬間、
\バチンッ\
空気が弾けた。
黒いヒビが俺の腕へ逆流してくる。
背骨が氷柱で刺されたみたいに冷たなる。
スマホが震えた。
《残寿:24時間 → 23:41:59》
(うわぁッ!? また減っとる!!)
男の悲鳴が止まる。
影のヒビは半分ほど塞がった。
治る=寿命を失う。
俺だけが、
代償の冷気に背筋を刺されてる。
「……治さんでええっちゅうねん……!
俺の寿命が、なんぼあっても足りへんやろ……!」
小指を離した途端、
影のヒビがじわりと再開し――
男が俺にしがみついた。
「痛い!! 離れぇぇぇぇッ!!」
(うそやろ、再発!?最悪や!!)
影が、俺の腕をがっしり掴む。
もう一度、強制が走る。
《残寿:23:41:59 → 22:17:12》
(勝手に治すなやぁぁああッ!!)
「……っ、やめろやって!」
腕が勝手に上がる。
指先が震えて、青年の肩に伸びていく。
(触りたないっちゅうねん!)
椅子の革が、またバキッと張った。
俺の肩を押しつけてくるみたいに、冷たく固く。
――影の強制救済姿勢。
青年の影が揺れて、俺の指先に触れた瞬間。
ズン、と。
背骨の奥に鉄杭みたいな冷気が刺さる。
「……は、っ」
膝が抜けそうになるけど、椅子が離してくれん。
視界の端、スマホの画面が勝手に光った。
《残寿:22:00:00》
(減るの早すぎるやろ! まだ触っただけやぞ!?)
青年の影が、たゆんと波打つように形を変える。
肩に沈んでいた黒い何かが、じわりと溶ける。
俺の息が吸われていくような感覚。
肺に藪医者が住み着いたみたいに、勝手に仕事すなや。
「お、お兄さん……?」
紗世さんが心配そうに近づいてくる。
その声が、ほんまは救いやのに。
影が、反応した。
青年の黒い感情が、耳の奥でぶわっと膨らむ。
(喋らんといてくれ!)
俺の左手が勝手に、青年の胸あたりへ滑る。
接触面積が増えれば――
《残寿:20:30:00》
(ほら見てみぃ!!)
心臓が、ドクッと乱れる。
「……すまん。ちょっと黙ってもらえます?」
「え? あ、はい……!」
紗世さんが口を押さえると、影が少し静まった。
(よっしゃ、これや!)
最小限で終わらせるんや。
ピンポイント治療――影の根っこだけ触って――
指先に、熱い涙の味が伝わってくる。
これは、青年の“悔い”の味や。
「……もうええて」
俺は、小指の付け根だけで最後の接触を押し返す。
影が――すっと消えた。
青年はコクリと頭を垂れ、静かに寝息を立て始めた。
《残寿:19:00:00》
(……ようやったな俺。三時間で済んだわ……)
すぐ立ち上がりたいのに、椅子の革がじわぁと緩むだけ。
背中が汗で張りついて痛い。
「お兄さん……ありがとうございます」
紗世さんが深く頭を下げる。
「いやもうええって、せめて――帰らせてくれ」
立ち上がろうとした瞬間。
入口の自動ドアが、
シュッ……と音を立てて開いた。
売店の方から伸びる、細い影。
誰かが――こちらに祈っている。
(やめてくれや。俺は――)
胸の奥が、勝手に答えた。
――救われへんのは、俺の方なんや。
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