1. 転移と出会い ー その2
「おい、起きろイツキ。 いつまで寝てるつもりだ」
これまでの朝には聞くことのなかった声が響き渡り、イツキは飛び起きた。そうして目に飛び込んだ景色で、改めて今の自分の状況を思い知らされる。
「はぁ......」
「なんだ、溜息なんぞしおって。 早速今日から始めるぞ。 まさか昨日の今日で、取引したのを忘れたなんて言わんだろうな」
「そんなに馬鹿じゃないですよ... ただこれからのことを思うと、憂鬱な気分になっちゃって」
「後ろ向きな男だなお前は。 昨日も言ったろう、私のような魔法使いに直接指導を受けられるんだ。 もう少しポジティブに考えるべきだぞ」
「いや、ポジティブって言われても、この状況じゃ厳しいですって!」
「これも指導のうちだ。いいか、これから先、お前はありとあらゆる未知に触れていくことになる。 そのたびにあれやこれやと思い悩んでいては身が持たんぞ。 常に物事を前向きに捉えて、逆境を好機に変えろ。 この世界で生きていくために、必要なことだ 」
(言ってることは正論だと思うけど、俺がこうなった原因を作った人に言われるとなぁ...)
イツキは内心でツッコミながらも、とにかくここはローランに従うことにした。
「わかりましたよ。 今更俺が泣きわめいてもどうにもならないんでしょ。 こうなったらやるだけやってやりますよ! 」
「フフ、その意気だ。 実はかくいう私も弟子をとるのは初めての経験でな。 しかもそれが異世界からの転移者というのも実に面白い」
「え、初めてって、誰かに教えたこととかないんですか?」
「ないな。 他人に自分の知識を手間暇かけて伝えたところで、私に返ってくるものなどたかがしれている。 だがその点、お前は異世界の知識を持っているし、それに初めての転移者であり研究対象だ。 私の貴重な知識と時間を割く理由は十分にあると思ったんだよ」
「なんかまた不安になってきましたよ......」
「おい、師匠の最初の教えをもう忘れたのか。 まったく先が思いやられるな」
「誰のせいですか!」
こうしてローランとイツキの師弟関係がスタートしたのだった。ローランはイツキの不安とは裏腹に、規則正しい生活を彼に与えた。日の出とともに起床し、朝食の後にこの世界についての知識をイツキに教え、イツキもまた現代日本についてローランに語る。昼食が済むと、次にローランは魔法についての講義を行い、それが終わると夕食を食べて眠りにつく。このルーティンが1ヶ月ほど続いた。
「さて、今日の講義はこんなものか..... どうだ、そろそろここの生活にも慣れてきたか? 」
「ええ、おかげさまで。 自分でもびっくりですよ、異世界での生活が板についてくるなんて」
「フフフ、最初ここに来たときはあんなにうろたえていたのにな。 意外に図太い神経をしている」
「まぁ何もかもが知らないことだらけで、逆に開き直っちゃったって感じですかね。 それに常に前向きであれってのが師匠の教えでしょ」
「知らないことだらけか...... 確かにそうだろうな。 お前の話を聞いて、私も驚いたよ。 まさかお前の世界には魔法そのものが存在しないなんてな。 それに人間が世界中で幅を利かせているとか..... この世界では考えられんことだ」
「ここではドラゴンやヴァンパイアとか、色んな種族がいるんですよね..... 俺からすれば完全におとぎ話の世界ですよ」
「残念だったな、お前のいるこの世界は紛れもない現実だ。 そして私がお前に付き合ってやれる時間も長くはない。 今のうちにできるだけこの世界で生き抜く術を身に着けることだな」
(生き抜くか... ほんの少し前まではそんなの考えたこともなかった。 なんせ普通の1人暮らし大学生だったんだ。 それが今じゃ異世界で美人魔法使いと師弟関係、そしてそのうち1人で未知の世界に放り出される予定.....)
「そうだ、お前の世界について一通り聞き終えて、この世界と魔法についての一般的な知識も与えたからな。 明日から本格的にお前の身体調査と魔法の実技を開始するぞ」
「え、俺の世界の話はもういいんですか?」
「ああ。 お前の話は面白かったが、正直言って私の求めていたものではなかった。 まさかそっちの世界に魔法がないとは思わなかったよ。 私が求めていたのは未知なる魔法の知識なんであって、それが空振りに終わったとなると、あとの研究対象はお前だけだ」
「そりゃご期待に沿えず申し訳なかったですね、お師匠様」
「言うじゃないか、イツキ。 だが言ったろ、今の私の興味はお前の肉体にある」
「なんかヤバい人体実験なんかするんじゃないでしょうね!?」
「心配するな、お前の体をどうこうする気はない。 しばらく一緒に暮らしているというのに、まだ私の人となりがわかってないのか?」
「一緒に暮らしてるっていっても、師匠は自分のこと何も話してくれないじゃないですか。 俺のことは根掘り葉掘り聞いてくるのに」
「そうだったか? ならこれまでの情報提供の褒美として、今その機会をやろう。 1つだけ私に質問してみろ」
「1つだけ? うーん、どうしようかな....」
(いきなり言われてもな.... そういえばさっき種族の話をしてたけど、この人は人間なんだろうか? 見た目は人間そのものにしか見えないけど、実は違ったりとかするのか? 年齢とかも気にはなる.... でも一応師匠なんだしそんなこと聞くのは失礼かな?)
イツキが言い淀んでいると、ローランは静かに笑って立ち上がった。
「今は思いつかないか? なら課題にしておこう。 この短い付き合いが終わるまでの間に考えておくんだな」
「課題ですか? わかりました、それじゃ考えておきます」
「フフ、楽しみにしているぞ。 ではまた明日」
そういうとローランは姿を消した。
(楽しみにしているのは俺の体を調べることの方じゃないのか....?)
イツキはまたしても不安な気持ちで、床につくのだった。
その翌日、ローランは予告通り、イツキの肉体についての調査を始めていた。
「あの、俺ここに座ってるだけでいいんですか?」
「そうだ。 その椅子の周りに色々装置があるだろう? そいつでお前の体を調べ上げるというわけだ」
「完全にモルモット扱いじゃないですか!」
「なんだ、そのモルモットとかいうのは? よくわからんがどうせまた悲観的な言葉だろう。 またしても教えを破る気かお前は」
「す、すいません.....」
「そう緊張するな。 こちらから魔法的な刺激を与えて反応を見るだけで、痛みは無いはずだ」
「魔法的な刺激? それって具体的にどうするんですか?」
「私の方からお前に向けて魔力を送るんだ。 それを受けてお前の体がどういう反応を示すかを、その周りの装置で観測するのさ」
そういうとローランは、スコープのような装置に近づいて覗き込んだ。
(このスコープは、レンズを通して見ている対象の魔力を可視化する機能を持つ。 使うのは久しぶりだが、壊れたりしてないだろうな.... )
「よしよし、ちゃんと見えているな。 流石は私が作った魔道具だ」
「見えてるって、何がですか? え、ま、まさか.....」
「お、おい、変な勘違いをするなよ。 別にこの機械はそういうものではないぞ。 いいか、この機械はお前の魔力をオーラのようにして観測..... おや?」
イツキの勘違いに、少し顔を赤くして弁明をしていたローランだったが、突然その動きが止まった。
「おかしい..... " 見えている "? なんだこれは?」
「え、どういうことですか? 装置が壊れてたり?」
「イツキ、お前の世界には魔法が存在しないという話だったな。 念のため確認するが、それは本当に間違いないのか?」
「は、はい。 俺の知る限りでは.....」
「であるならば、お前の世界の人間には魔力など存在しないはず。もちろんお前も含めてだ。 なのに今、この装置によるとお前には魔力があると出ている。ごくわずかだがな」
「俺に魔力が? 失礼ですけど、その装置壊れてるんじゃないですか?」
「馬鹿を言うな。 私が作り上げた装置に欠陥などあるわけがないだろうが」
「でもおかしいじゃないですか! 俺嘘なんてついてませんよ!」
「別にお前の言ったことを疑っているわけじゃない。 私は人を見る目には自信があるんだ。 ここしばらくの生活で、お前が悪い奴じゃないのはわかってる。 多少臆病なところはあるがな」
「え? あ、ありがとうございます....」
ローランは自分のことを研究対象としてしか見ていないと思っていたイツキは、思わぬ彼女の発言に面食らった。しかしローランはそんな彼の様子など気にも留めず、この現象について考えを巡らせている。
「当然、何か要因があるはずだ。 そして、それはおそらく私の召喚魔法による転移がきっかけである可能性が高い」
「まぁ、それはそうでしょうね。 俺がこの世界初の転移者なら、それと一緒に色々起こっていてもおかしくないんじゃないですか?」
「その色々が問題だ。 今重要なのは、転移の最中に何があったかよりも、その結果としてお前の体に何が起こったのかということだ。 これは俄然面白くなってきたな!」
「なんか今までで一番テンション高いですね....」
ローランはいつになく興奮気味に、装置をガチャガチャといじりはじめた。
「とにかくまずは当初の予定通りの実験をしてみよう。 私の魔力をお前に少しづつ流していくぞ」
「は、はい」
「お前はその椅子に座ってリラックスしていればいい。 何か体に違和感があれば言ってくれ」
イツキは言われるがまま椅子に座り、大きく深呼吸をした。
「いつでもOKです。 始めてください」
「最初は少ない魔力からだ。 それで問題がなければ、与える量を増やしていく。 いいな?」
そういうとローランは最初の草むらで使ったあの杖を取り出して、イツキに向けた別の装置にセットした。
「では始めよう」
ローランは自分の魔力を杖に込め、それをイツキに向けて流し始めた。
(さあ、どうなるかな....)
「あの、師匠? もう始めてます?」
「ああ、もうやってるとも。 どうだ、何か感じるか?」
「いえ、今のところは何も....」
「そうか、じゃあもう少し魔力の量を増やしてみよう」
ローランはセットした杖に触れて、魔力量を調整する。
「よし.... 完了だ。 次はどうだ?」
「うーん、いいえ、特には....」
「まだ何も感じない? 変だな.... もうすでに見習い魔法使い並みの魔力をお前に流し込んでる。 お前にも魔力があるなら、何かしらの感覚があるはずだ」
「そういわれても、本当に何も感じないんですって!」
それを聞いたローランが彼女の魔力観測装置を覗き込むと、その目がまたしても輝いた。
「おやおや、これはまたしても面白い現象が起こっているようだぞ、イツキ!」
「どういうことですか? 俺別に何も感じてないんですけど....」
「いいか、今お前にはそこそこの量の魔力が流れ込んでいってる。 何も感じないというのもおかしな話だが、それ以上におかしなことを今見つけたんだよ!」
「おかしなことか.... で、何を見つけたんです?」
「この装置を通して、お前の体の魔力量を観測しているんだが..... " 変化がない "」
「変化がない? どういうことですか?」
「言葉の通りだ。 この装置によるとお前の魔力量は、実験開始前のわずかな量から一切の変化がない。 もう少し魔力を増やしていくぞ、お前はそのまま楽にしていろ」
その後しばらくの間、ローランは独り言をつぶやきながら楽しそうに装置をいじくっていた。そうしてある程度のデータを集め終わったところでイツキには休んでいいと告げ、自分は研究室に閉じこもってデータを見ながら1人で考察を始めたのだった。
「さてさて、お楽しみの時間だな」
そう満足気につぶやくと、ローランは実験結果をまとめた資料を机の上に広げてじっくりと眺める。目を皿のようにしながら資料を見ていたかと思うと、周囲にうず高く積まれた本のページを高速でめくり始めたり、目を閉じて思考を巡らせたり、彼女なりのやり方で推論を練り上げていった。 そして日が昇り始めた頃、彼女はついに結論を導き出したのだった。
(色々と調べたが、考えられる結論は現状2つしかない。 そのどちらかはこれから特定していくとして.... 2つのうち1つはイツキにとっても私にとっても期待が持てるが、もし違う方が正解だったなら.... この関係もそう長くはないだろう)
「前者であることを祈ってるぞ、イツキ..... 私と、なによりお前のためにもな」