出だしの2500文字を作者が考え、後半700文字をAIに書かせたショートショート
「romptnAI小説ジェネレーター」というサイトを用いて小説を自動生成した。
https://romptn.com/article/55002
前半2500文字ほどは人間である私が適当に書き出した。後半700文字はAIによる自動生成である。
人間が言葉を手に入れたのは、石器や土器を使うようになったからだ、という説がある。石器や土器を作り上げるには順序立てて思考する必要があり、あらゆる言語にも順序というものがある。英語であれば、主格が先頭にくる。尚、日本語のように言葉の順序についてかなり無頓着な言語も存在することは否定しない。だから、この説も万能とは言い難い。しかし、検証に値する仮説だという意見が考古学会や文化人類学の一団から提唱されたのだ。ただ、検証のやり方が独特であり、なんと複数のAIに仮想環境の中で狩りをさせるというものだった。
「狩りというと」
と私が呆然としながら教授に質問すると、
「勿論、狩りは狩りだ。猪や鹿、狼でもいいが、この場合巨大な生き物が望ましい。マンモスとか?」
などと無責任なことを言う。私は研究室選びを間違えたのだ、と今更ながらに後悔した。大学4年の春であり、理系の学生であればインターンシップや、就職先に目鼻を付けている先輩と親交を深めたりといった時期なのかもしれないが、私は研究室に籠もって只管『原始人の狩りをシミュレーションする研究』に勤しんでいた。研究室の構成は4人──この世間知らずな教授、可愛い顔をしているのに何故か男が寄り付かない助手、30になるが未だに次のポストが見つからない研究員の4人だ。ポスドクの彼は私へよく話しかけてくる。私としては未来の自分の姿を見せつけられているようで辞めて欲しい。
シミュレーションの中身が難しかった。我々としては「土器や槍などを用いた集団は、自然と言語を発生させていった」という仮説を検証したいのだ。だからといって各個体に予め自然言語を学ばせても意味がない。ヨチヨチの赤ん坊の状態から学んでくれないと意味がない。しかし、人類が言語を作り上げていく過程を再現するなんてどうやればいい?私が一人で悩んでいると、研究員が話しかけてくる。
「なんだ、笹山。何に悩んでるの?」
「シミュレーションのプログラムをどうしようかって。人工知能に狩りをさせるシミュレーションなんてどうやればいいんですかね?それも言葉を喋れる過程で作るなんて。」
「まずは簡単なヤツから作ったら?各個体が言葉を喋れないって前提で、各個体に狩りをさせるんだ。仮想の地形を用意して、その中に、そうだな、5、6人くらいの個体を準備しておく。そいつらにマンモスくらいのデカい生き物の狩りをさせるんだよ。ただし、使えるのは投げ槍とか落とし穴とか崖に追い込むとかだけね。」
何やらゲームの開発プログラムを作る話になってくる。
「そんで、マンモスを殺せば1000点、仲間を一人殺される毎に-100点、仲間が傷ついたら-50点みたく点数付けしていく。合計スコアがなるべく多くなるようにとだけ指示して、シミュレーションを繰り返すんだ」と言われても、生まれてこの方ゲームのプログラムなどやったこともない私にはどうやればいいのか解らない。助手にも手伝ってもらって、他の研究室からプログラムに強そうな助っ人を手繰り寄せつつ、何とか完成に漕ぎつける。するとどうだろうか。
出来上がったプログラムは概して非人間的な作戦を取るようになった。例えば一人が囮となってマンモスを引き付け、踏みつぶされる。その代わり、残りの個体全員でマンモスを投げ槍で倒すといった手法である。
「・・・テロリスト・・?」
「単純にマンモスを倒すって目標だけ考えてるわね、このプログラム。」
と助手が冷たい視線を私に投げかけてくる。そんな非難がましい事を言わなくても、という心境になって私は
「じゃあ仲間が殺される度に-1000点と設定してみましょうか?」
とヤケクソの如く言ってみる。すると研究員氏が
「面白いね、やってみよう」
とパラメータを弄った。
暫し待つこと15分。しかし我々は結果に目を疑った。何故なら各個体は、マンモスがやってきても何も動こうとしないからだ。
「こりゃあ、臆病過ぎて動けなくなったってオチだな」
と研究員氏。本当に融通の聞かないプログラムだ。そこで各個体に空腹度の概念を設定する。空腹度が100%に達すると、その時点で死亡扱いになり、マンモスに殺されるのと同じ扱いとなる。-300点。数値は0%からスタートし、空腹度が低ければマンモスを殺すことで得られる報酬は1000 + x X 10 (x:空腹度のパーセンテージ)と設定しておく。相変わらずマンモスに殺される時の損失は-1000点。
「これでどうだ。少しはシミュレーション結果も変るんじゃないか。」
確かに変化した。最初は臆病で全くマンモスに向かおうとしなかった連中も、空腹度が増してくると勇敢に立ち向かうようになっていく。
「あ、これはイケたんじゃね?」
と助手がいつになく砕けた言い回しで嬉しがっている。
「カネ周りがいい時は怠惰に何にもしねえのに、カネがカツカツになってくると忙しく働くようになる・・・。深いねえ。まさしく人間臭いなぁ」
と教授は勝手にそう解釈しているが、忘れるな、これは単なるシミュレーションである。現実ではない。しかし、この結果に気を良くしたのか、教授はもっと面倒な事を言い出した。ここで言葉の登場である。
「忘れて貰っては困るけどね。今やってるのはシミュレーションゲーム作ることじゃないんだ。狩りをすることで人間社会が言葉を獲得していったというのを検証したいだけなんだから。」
ただここで私は嫌なことに気が付いてしまった。
「でもこれ、本当にシミュレーションした事になるんですかね?」
すると教授が反論された時特有のむきになった表情で「どういう事かね?」と聞いてくる。
「だから、シミュレーションのパラメータを増やして人間臭い動きをさせた所で、それが人間社会の動きを再現した事にはならないんじゃないかって所です。そうなる様にパラメータを選んで設定しただけだろう、と言われたときに反論しようがない・・」
****ここより先は、AIが自動生成****
教授の表情が一瞬固まった。彼は何かを考え込むように視線を落とし、次に助手に目を向けた。助手もまた、私の意見を受け入れたように思えた。研究員はその場を和ませるために
「それが科学なんじゃないか。仮説を立て、検証していく過程で新しい知見を得るのが我々の仕事だ」
と言った。しかし、私の心には疑念が残った。
シミュレーションは単なる道具に過ぎない。それを通じて何を知りたいのか、何を証明したいのか。それが分からなくなってしまった私は、次第に自分の研究への情熱が冷めていくのを感じた。
ある日、研究室の外に出て、キャンパスの桜並木を歩きながら考えた。言葉を獲得した人類は、果たして狩りを通じて社会を築いていったのだろうか。狩りのシミュレーションが終わった後、我々は言葉を持っているのか。それとも、ただのデータの集積に過ぎないのか。
春の風が心地よく、桜の花びらが舞い落ちる。私はふと、何が本当の「狩り」なのか、何が「言葉」なのかを考えた。研究室に戻り、再びプログラムに向かうと、私の心に新たな火が灯った。仮にシミュレーションが不完全であっても、その過程で得られる思考の深まりこそが、言葉の根本にあるのかもしれない。
次のシミュレーションでは、仲間同士のコミュニケーションを重視し、彼らに役割を持たせ、言葉を使った合図を与えることにした。プログラムは再び進化し、私たちの仮説の真偽に迫る道筋を模索し続ける。人類の言葉の起源に迫るため、私はシミュレーションを続けていくことに決めた。
物事は簡単には解決しない。しかし、私たちの試みが新たな知見を生むことを信じ、この研究を通じて人間の本質に迫っていくのだ。この先、何が待ち受けているのか、どのような発見があるのか、私の胸は期待で高鳴っていた。
後半部分では無理矢理ヒューマニズム的な結びかたにしている傾向が見受けられる。恐らく学習元データとして、道徳の教科書にでも出てきそうな文章を選んだのだろう。