表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影法師  作者: 柳 凪央
9/19

第八章

人影は、夕暮れになるとやけに長くなる。

誰かが隣に立っているような錯覚さえ覚える。

それはただの影なのに、不思議と“自分の半身”のように見えた。


その日、仕事帰りにバスを降りたあと、いつもは通らない裏通りを歩いた。

特に理由はなかった。ただ、風が少し涼しくて、夕陽が道の角を黄金色に染めていて、自然と足がそちらへ向いただけだった。


古い写真館の前で、足が止まった。

ガラス越しに、中で並んで写真を撮られている二人が見えた。

まだ小学生くらいの弟と、少し年上の姉だろうか。

二人はフォーマルな服を着て、肩を並べてカメラのほうを見つめていた。


姉は微笑んでいた。

弟の肩にそっと手を置き、何かを小さくささやいたのか、弟も照れたように笑った。

フラッシュが光り、その一瞬だけ、ガラス越しにその姿がくっきりと映った。


俺は思わず目をそらした。

けれど、目に焼き付いたまま、あの構図が脳裏を離れない。


あの角度、あの距離感、あの穏やかな空気――

まるで、自分と灯花だった。

七五三の帰り、写真館で撮った最後の家族写真。

母の手に引かれ、緊張しながらスーツに身を包んだ俺と、赤い着物を着て笑っていた灯花。

あのときも、彼女は俺の袖を引っ張って「ちゃんと笑って」と言っていた。


“家族”という言葉に、いまの自分はどんな表情を浮かべればいいのだろう。

笑えばいいのか。悲しめばいいのか。

それとも、何も感じないふりをすべきなのか。


その夜、珍しく眠れなかった。

天井のシミを見つめながら、灯花が言った最後の言葉を何度も反芻した。


「幸せになるよ、お兄ちゃん。だから、お兄ちゃんも、どこかで、ちゃんと――生きてて」


「ちゃんと生きる」

それが、どういうことなのか、まだ俺にはわからない。

けれど、名前を変えて、過去を封印して、それでもこうして明日も目を覚まそうとしている。

それが“生きる”ということの、最低限の形なのかもしれなかった。


翌日、仕事の帰りに、また写真館の前を通った。

もう誰もいなかった。

けれどガラスに映る自分の姿は、昨日と少し違って見えた。


“影法師”という言葉が脳裏をよぎった。

誰かの影のように、形だけを引きずって生きている自分。

それでも――影があるということは、光がどこかにあるということだ。


その光は、まだ遠くて、名前すらわからない。

けれど、かつて“兄”であった自分が、誰かを照らしていたことがあるのなら。

今度は、自分自身を照らす光を、探す番なのかもしれない。


町の外れにある川べりまで歩いた。

夕陽が水面をオレンジ色に染めていた。

風が、名前を呼ぶように頬を撫でた。


俺は静かに立ち尽くした。

その影が、確かに自分の足元にあった。

長く、揺らぎながら、それでも確かに存在していた。


そして、ふと思った。

あの影の先には、灯花もまた、どこかで同じように自分の影と向き合っているのだろうか、と。

自分を信じ、親を捨ててまで歩んだ道の先で、彼女は笑っていられるだろうか。


問いの答えは、風の中に消えていった。


俺は、影法師として――それでも歩き出す。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ