第四章
妹と再会したのは、出所して一週間ほど経った、梅雨の晴れ間だった。
喫茶店の窓際席、午後の陽射しがテーブルに斜めに落ちていた。
彼女は変わっていなかった。
いや、変わっていない“ふり”をしていた。
俺が話さずとも、何を抱えているかを理解していたから。
そういう目をしていた。
「兄ちゃん、ちゃんと食べてる?」
いつもの調子だった。
出所後にアパートに来たときもそうだったが、妹は過去に対して一切触れようとしない。
そこに気遣いがあることを、俺はちゃんとわかっている。
ただ、それでも彼女の細い指が時折カップを握りしめる動作に、積もった時間の重さがにじみ出ていた。
「あのさ……婚約者、紹介したいなって思ってる」
そう言って彼女は、スマホを取り出した。
画面に映った男は、物腰が柔らかそうで、どこか誠実そうな雰囲気をまとっていた。
背広姿で並んで写る二人の笑顔に、俺は一瞬、何も言えなくなった。
「ちゃんと話したんだ、兄ちゃんのこと。事件のことも、五年間のことも。……そしたら、“それでも信じたい”って言ってくれてさ」
俺は、言葉を返せなかった。
信じてくれた――その言葉が、どうしても喉につかえた。
「でもね、向こうのご両親が……あんまりいい顔してなくて。兄ちゃんに罪があると思ってるっていうより、なんていうか、過去のことを“縁起”とか“跡”とか、そういう言い方して……」
「……わかるよ」
俺が小さく言うと、妹は眉を下げて俯いた。
「だから、私……向こうの家と、縁切ろうかなって思ってる」
「……待て、それは――」
「兄ちゃんには関係ない、って言いたいかもしれない。でもさ、私がここまでこれたのは、兄ちゃんがいたからだよ。ずっと、信じてきたし、今も信じてる。だから、切るのは怖くない。
それに、“私が兄ちゃんの妹だから結婚できない”って言われたら、それはもう、私にとっては愛でも家族でもない」
その言葉を聞いて、胸の奥に何かが詰まった。
ありがたくて、嬉しくて、それでも苦しい。
俺が“罪ではなかった罪”を背負ってしまったせいで、妹が未来を削られようとしている。
「……でも、それじゃあ、俺の存在が……」
言いかけたそのとき、壁のテレビから音声が漏れた。
音量は低く抑えられていたが、字幕が流れていた。
【速報】未解決の「大学連続不審死事件」、新たな証言者名乗り出る。現場遺留品と一致か。
警視庁は証言の真偽と、五年前の犠牲者との関連性を調査中。
俺は思わず、画面に目をやった。
映し出されたのは、知っている風景だった。
「新宿・戸山公園」「旧研究棟」「法学部関係者」──そういった文字が、断片的に重なっていく。
一人の青年が復讐を遂げたとも言われ、警察は容疑者不明のまま捜査を継続している。
いまだ真相は闇の中にあり、世間ではさまざまな憶測が飛び交っていた。
その事件の報道を見て、俺は不意に思った。
“あの事件”と比べれば、自分の人生なんてまだましなのかもしれないと。
「兄ちゃん、知ってる? その事件、うちの大学でも話題になったんだよ。あの時期……もう、いろいろ怖くて」
妹の声が静かに響く。
あの頃、俺はすでに塀の中にいた。
外の世界で何が起きていたかなど、まるで知らなかった。
「誰が、誰のために、何のために事件を起こすのか──って、ずっと考えてた。
でも最近、思うんだよ。
私は、“誰かのため”じゃなくて、“自分のため”に生きたい。
兄ちゃんを信じるのも、自分がそうしたいから」
彼女の目は真っ直ぐだった。
その瞳の強さを見て、俺はどんな言葉も吐き出せなかった。
──俺は、妹の未来から消えるべきなのか。
それとも、彼女の「血の証明」として、ここに存在し続けるべきなのか。
簡単には答えの出ない問いが、ずっと胸の奥に残り続けていた。