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影法師  作者: 柳 凪央
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エンドロール

桜の花が、散り始めていた。


満開の盛りをすぎた枝先から、はらはらと薄紅の花弁が舞い落ち、舗道に小さな模様を描いていく。まるで誰かの記憶をなぞるように、優しく、確かに。


駅前の公園。朝の光はまだ冷たく、肌に残る風の感触も冬の名残を引きずっていた。


俺はひとり、ベンチに腰を下ろしていた。


コートのポケットには、小さな紙片がある。昨日、妹から届いた最後の手紙だ。婚姻届を提出したこと、もうこっちには戻らないこと、そして、ありがとうと綴られた、あまりにも短く、まっすぐな言葉たち。


俺は、その手紙を読んでから、一晩眠れなかった。


何を思い、何を見ても、心の奥で風が吹き抜けるようだった。


それでも――泣かなかった。


泣けなかった、というより、泣く必要がなかったのかもしれない。

彼女は、確かに未来へと歩いていった。

俺が、彼女の兄でいられたのは、そこまでだったのだ。


「……ようやくだな」


俺は空に呟いた。まるで誰かに語るように。


ずっと迷っていた。どうやって終わらせればいいのか、何を手放せば彼女を自由にできるのか。何も持たずに出てきたこの街で、ようやく答えを見つけた気がする。


妹にとって、俺は“家族”である以上、いつまでも影になる。

ならばその影ごと、俺が引き受けて、別の場所に歩いていけばいい。


そう決めた。


春は、始まりの季節と言われるが、誰にでも始める資格があるわけじゃない。

だが、誰にでも“選び直す自由”はあると、俺は信じたい。


背後で、保育園の子どもたちの声が聞こえる。

滑り台で転んだらしい少年が、泣きながらも笑っていた。

痛みと笑いを同時に抱えるのは、子どもだけの特権じゃないはずだ。


俺は立ち上がる。

鞄の中には、小さな出版社への原稿用紙が一枚だけ入っている。

まだ何も書かれていない、真っ白なそれを、俺は歩きながら見つめた。


どこまで歩けば、この白紙に自分の言葉が載るのだろうか。

どこまで生きれば、この“影法師”が誰かの光を照らすのだろうか。


わからない。

それでも、今日も歩く。


生きることは、答えのない手紙を出し続けることに似ている。

宛先のない想いを、どこか遠くに投げて、

それでも返事が返ってくる日を信じて、待ち続けること。


その日が来るまで。

あるいは来なくても。


俺は歩き続ける。


ビルの窓に、歩く自分の影が映る。


それはかつてよりも、少しだけまっすぐに伸びていた。


そして、風が吹いた。


花びらが舞い、影の上をさらりと通りすぎていく。


“さよなら”ではなく、“またどこかで”。


そう告げるように、春が去っていった。


人は、光の中を生きているようでいて、

その足元にはいつも、自分だけの影を連れている。


それは時に、過ちの輪郭となり、

時に、希望の輪郭になる。


『影法師』という物語は、

ひとつの冤罪事件と、それによって奪われた人生、

そしてその先にある再生の可能性を描いてきました。


主人公が刑務所から出て、

何かを取り戻すのではなく、

何もないところから少しずつ“新しい人生”を築こうとする過程――

それは、光を探す旅というよりも、

“影を引き連れて歩く”旅だったのかもしれません。


この物語の中で、彼は誰かに救われたわけではありません。

けれど、誰かを信じ、信じられ、

そのことだけで人は前に進めるのだと、

小さくも確かな一歩を踏み出していきます。


罪とは何か。

許しとは何か。

正しさとは、どこにあるのか。


この問いに、明確な答えなどありません。

けれどそれでも、人生は続いていく。

それがたとえ“影”の中であっても、

歩いていけば、きっと何かが変わっていく。


最後に、物語の終わりにふさわしい言葉があるとすれば、

それは――


「影があるということは、光があるということだ」


どうかこの物語が、

あなた自身の影を見つめる一つのきっかけになりますように。

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― 新着の感想 ―
『影法師』を最後まで読ませていただきました。 冤罪という重い現実を扱いながらも、全編を通して静けさと優しさが貫かれており、心に深く染み渡る物語でした。 救いの言葉ではなく、影と共に生きる覚悟―― そ…
完結おめでとうございます!! Web小説という途方もない海の中からこの作品と出会えた奇跡がすごく感慨深いです…… 読み終えて、前を向いて進むことを心から応援したい、そんな気持ちでいっぱいです。 「影…
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