表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影法師  作者: 柳 凪央
1/19

プロローグ

五年ぶりに見る空は、

思っていたよりも低く、そして、静かだった。


 


鉄の扉が音を立てて閉まる。

背後で鳴るその音は、どこかで聞いた墓標のようでもあり、

それでいて、二度と戻るなという警告のようにも聞こえた。


 


刑務所という場所には、音が少ない。

騒がしさではなく「生活音の不在」と言った方が正しいかもしれない。

重ねられた規則と監視の目の中で、人間たちは「静かに生きること」を義務づけられる。

話すこと、動くこと、心を動かすこと──それらはすべて、慎重に計算されたうえで許される。

だから、五年もいれば、外の音に、すぐには馴染めない。


 


蝉の声が遠くで鳴いていた。

梅雨が明けたばかりの東京は、まだ夏を始める準備しかしていない。

そんな季節の隙間に、俺は社会へと押し出された。


 


駅までの一本道に、誰の姿もなかった。

出迎えなど、あるはずもないと知っていた。

両親は、もういない。

妹は……会いたい気持ちもあったが、連絡はしていない。

社会に戻るということは、まず「一人になる」ことから始まるのかもしれない。


 


支給されたスーツは、少し古臭いデザインだった。

自分で選んだものではない。

ネクタイを締める感覚も、靴を履いて舗道を歩く感触も、

かつてのそれとは違っていた。

五年という時間は、社会を忘れるには充分すぎた。

そして、俺の時間は、あの瞬間から止まっていた。


 


冤罪だった。

俺は殺していない。

それでも、殺人犯として裁かれ、裁判で争い、証拠が足りず、有罪となり、

塀の中で五年の時間を費やした。


 


出所すれば無罪になるわけじゃない。

冤罪が認められたわけでもない。

ただ、刑期を終えたというだけ。

前科は残り、世間は知らないまま、忘れることもない。

世間の目は、無関心を装って鋭い。


 


信じてくれた人間は、ほんの一握りだった。

──妹だけは、ずっと、俺を信じていた。

それだけが、塀の中で俺が壊れずにいられた理由だった。


 


アスファルトの熱が靴底からじんわりと伝ってくる。

足を前に出せば、また一歩、世界に近づく。

けれど、世界は、俺を迎え入れる気配を見せない。

ただそこに、無機質に、容赦なく、存在している。


 


刑務所から出てきた人間を、

世界は「自由になった」と言う。

けれど本当のところは、

俺の方が──「世界の檻に入っていく」ような気がしてならなかった。


 


影のように、音もなく、静かに。


俺は歩き出す。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
1話目から心に突き刺さりました…… 主人公の気持ちや思いが流れ込みだしたらなんとも言えない気持ちに…… 最新話までしっかり見届けます!いや、結末まで見届けなきゃいけない! ブクマも☆も入れさせて頂きま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ