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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第2章 友だち、のはずですが。
7/12

(2−1)9年前——王立学院2年生①


 ロニー・ボージェスの部屋は、シンプルだ。

 水槽と金魚と水草、ベッド代わりのロングソファ、食卓兼用のローテーブル。


 そのほかのものは、適当に魔術で空間収納ボックスに突っ込んでいる。

 物は、なければないほどいい。

 そのほうが、どこへでも逃げられる。


 王宮魔術師一家に生まれた。父は第4魔術師団の団長、母は第3魔術師団所属。

 兄は、去年から第1魔術師団に配属されている。

 周囲からは当たり前のように、いずれ自分も王宮魔術師になるんだと思われている。

 めんどくさい。そんなものになるものか。


 どこかの地方の町役場で、ひっそり魔術科に勤めるくらいがちょうどいい。

 そもそも王立学院に進学するのだって、気が乗らなかった。

 入学試験をサボろうか、と密かにたくらむ息子の気持ちを両親はしっかり見透かしていて、学院の魔術科に合格したら何でもひとつ希望を聞いてやろうという。

 だから、この家をもらった。

 やはり王宮魔術師だった祖父が住んでいた家だ。

 それまで人に貸していたのがちょうど空き家になったのを良いことに、さっさとひとりでこちらに移ってきた。

 家族は別に、嫌いではない。ただ、ひたすらに、めんどくさいのだ。

 目の届く範囲にあの家族がいないと思うだけで、ずいぶんさっぱりした気持ちになる。

 

 とりあえず5年間、学生生活を適当に送ったら、ここを売り払ってさっさと地方に移るつもりだった。

 だから、物はいらない。


 なのに、3カ月前、家具が増えた。


 壁にくっつける形で、書き物机と、椅子。

 ロニーはそれを使ったことがない。

 いつも、ディアナ・ハースが座っている。

 今も、ちょうど座っている。


 夏が終わり秋が来て、今月、2年生に進級し、別々のクラスになった。一緒の授業はひとつもない。

 専攻が違うのだから当たり前だ。

 なのに、当たり前のようにディアナは今日もロニーの部屋に来て、ニコニコしながらノートに蛇のような文字をゆっくり丁寧に書き続けている。

 速記文字。話し言葉をすばやく書き取れるように開発された、通常の文字を崩した特殊な文字だ。

 おとといの授業で習って、かなり面白かったらしい。

 楽しそうなディアナの背中を眺めて、ロニーは自分がほんのりと満たされた気持ちになっていることに気づいている。

 目をつぶる。


 どうして、こうなった。


 きっかけは、夏休み前にさかのぼる。

 王立学院の夏期休暇は長い。

 6月の中旬には1年分の授業が終わり、9月の中旬から新学年が始まる。


 その夏休みが始まる2週間前、5月の最後の日。


「おはよう!ロニー」


 朝、登校するなり、ディアナは1枚の地図を机に広げた。

 ひとりで真剣に眺めては、ひとりでニマニマ笑っている。

 ロニーのことを友だちだなんて言っておきながら、この1年、彼女は積極的に話しかけてくるわけでもなく。

 でも、1年、ずっと隣の席に座っていた。

 授業中、気配を消す魔術を使って惰眠をむさぼりながら、時々横目で眺める。

 いつも、彼女はそこにいる。

 世界のすべてが楽しくて仕方ない、みたいな目をしながら。 


 その日、ディアナは授業の休み時間のたびに、地図を取り出しては、穴が開きそうなほど眺めた。そのたびにウキウキと頬がゆるむ。

 それが4回ほど繰り返された後、とうとうロニーはそれを覗き込んで尋ねた。


「地図?……第7区の?」


 いつもこうだ。結局、自分の方が我慢しきれなくなって、話しかけてしまう。

 ぱあっと花が弾けるように、ディアナから笑顔が返ってくる。


「そうなの!放課後、行こうと思って」

「なんで?」

「お宿の予約をしに」

「は?」

「夏休み、泊まろうと思って」


 とんでもないことを言い出していることに、本人は気づいていない。

 第7区は、王都のはずれの方の地区だ。日雇いの労働者が多く住む街で、あまり治安がいいとは言えない。

 ましてや、14歳やそこらの女の子が、ひとりで泊まるなど。


「やめとけ」

「どうして?」

人攫(ひとさら)いに連れて行かれる」

「まさかぁ。こんなチビのガリガリ、攫っても美味しくないでしょ」

「あんたさ、どんだけ自分がかわ……っ……いや、なんでもない」


 言葉を飲み込む。口の中が妙に苦い。

 毎朝、身だしなみを整えるために鏡くらいは見ているんだろうに、どうしてこんなに自分自身に無頓着なのか。


 学院に入学して、きちんと3食たべられるなんて夢みたい!とはしゃいでいたディアナは、1年かけて次第に健康的な見た目へと変わっていった。

 頬はふっくら柔らかそうだし、背も少し伸びた。

 大きすぎた制服はまだダボついていても、見苦しいほどではない。 


「ハースさんて、よく見ると、けっこうかわいくないか?」


 クラスの女子たちをヒソヒソ品定めしていた野郎どもは、その直後の授業で、なぜか異様な睡魔に襲われ、眠りこけて先生にしこたま叱られていた。

 決してロニーの魔術ではない。決して。


「なんで宿なんて探してんの?」


 相変わらず地図を眺めていたディアナは、少し困ったように眉を下げた。

 彼女の突拍子のなさには、さすがに1年間で少しは慣れてきた。そしてその裏には、たいてい何か理由がある。


「寮、7月と8月は閉まっちゃうんだって。ほとんどの人は地元に帰るみたい」


 寮で生活しているのは、遠方の国や地域から来ている学生たちだ。たいていの人たちにとっては、待ちに待った帰省ができる長期休暇だ。

 ディアナに家庭の事情を聞いたことは一度もない。が、彼女が帰省を望んでいないことは、日頃の様子を見ているだけでもよく分かる。


「あんたみたいに残るやつだっているんだろ?」

「そういう人たちは、学院の持っている保養施設にみんなでいきましょう、ってことみたい。ホテルみたいに綺麗だし、高原だからハイキングもテニスもできるし楽しいよ!って触れ込みなんだけど……」


 はぁ、と重いため息がその口から漏れた。


「何が問題なわけ?」

「お昼ごはんが出ないんだよね。施設の周りに美味しいごはん屋さんがたくさんあるから、自分で選んで好きなように食べてね、って」

「……ああ、なるほど?」

「それに2カ月もアルバイトを休むの、結構きついんだよね。お金、なるべく貯めたいし」


 以前ロニーが連れていったペストリーショップに頼み込んで、ディアナは放課後と休日の数時間、厨房手伝いとして働き始めていた。

 ようやく慣れてきたから、夏休みはいつもより稼ぐぞ!勉強もちゃんとするぞ!と息巻いていたのは、つい先日のことだ。


「アルバイトで稼いだら、宿代を払ってもいくらか手元にお金が残るから、王都に残ろうと思って」

「それで、なんでわざわざ7区の宿狙い?」

「学院の受験の時にも泊まったし」

「……は?まさか、親が宿を選んだのか?」

「ううん、ひとりで受験しに来たし、泊まるところは適当に決めた! うちの田舎からの乗合馬車、ちょうど7区に着くの」

「……付き添いもなしでかよ」

 

 ロニーはボサボサの自分の頭を、さらにボサボサにかき回した。

 まただ。ディアナからこういう突拍子もない話がこぼれるたびに、腹の底からソワソワと、ぬるい何かが湧いてくる。もどかしさのような、腹だたしさのような、手を伸ばしたいような、よくわからない何か。


 ……たぶん、始まりがよくなかったのだ。

 入学式があったあの日。


 黒板にいきなり猛進していく女の子の後ろ姿を、あの時、ロニーはあぜんと見つめていた。

 ためらわず、スピードをゆるめず、まっしぐらにすっ飛んでいく。

 ——ぶつかる?!

 脳裏に小さな鳥の姿がよぎる。とっさに彼女と黒板の間に、風魔術で見えないクッションを作る。

 だが、彼女はそれに全然気付かずに、ピタリ、と直前で止まった。

 

 なぜか黒板に頬ずりを始めた女の子を見ながら、焦った心臓が変な鼓動で飛び跳ね続けている。

 子どもの時の出来事が、ひさびさに脳裏によみがえる。


 たしか、5歳の頃だったと思う。

 もうすでに6歳年上の兄と仲が悪く、毎日、小さな屋根裏部屋に隠れて過ごす日々だった。隠密魔術を使い始めたのも、その頃だ。誰から教わったわけでもなく、なんとなく、いつの間にか使えるようになった。兄の目から自分の姿を隠すために、どんどん術が上達していった。


 そんなある日。

 飛んできた小鳥が、屋根裏の窓ガラスにぶつかったのだ。

 バンっと大きな音を立ててから、2階のテラスにぽとりと落ちたその鳥は、ふわふわとした雪玉みたいだった。羽根だけが黒い。まったく動かない。


 ——死んじゃった?


 ひんやりとした心を抱えて、しゃがみこんで、息を詰めて小鳥をじっと見つめる。

 どのくらい眺めていただろう。

 突然、ぱちり、とその目が開いた。美しい黒目が、ぱちぱちとまばたきをする。

 こわごわ手の中に小鳥をすくいあげたら、柔らかなあたたかさが手のひらに伝わってきて、気づいたらこっそり屋根裏部屋に連れ帰っていた。


 羽を怪我したらしく、ひょこひょこと床を歩くばかりで、小鳥は飛べなくなっていた。

 ここで自分が見捨てたら、この鳥はどうなるのだろう。

 そう思ったら無碍(むげ)にもできず、毎日、おそるおそる世話をした。

 水と砕いた木の実をあげて、時々、柔らかい菜葉をあげると喜んで食べる。特にリンゴが好きなことに気づいてからは、慣れないリンゴの皮むきに悪戦苦闘し続けて、いつの間にかすっかり得意術になっていた。


 次第に小鳥の怪我も癒え、やがてパタパタと舞い上がっては、ロニーの頭に止まるようになった。機嫌よくピッピチーチーと歌うから、突然毎日がにぎやかになった。

 すっかり懐いて、手にも乗るようになって、小鳥がいることが、当たり前になって。

 生まれて初めての、友だち、みたいなものかもしれない、と思った。 


 だから、だろうか。


 ある日、ロニーは屋根裏の窓を、開けてみた。

 どうしても、試してみたかったのだ。

 小鳥は、小首をかしげて、窓の外を見た。

 それから、ためらいもせずに、楽しそうに飛び出していった。

 そして、戻ってこなかった。

 もしかしたら、戻ってくるかもしれない、本当に友だちだったら。

 なんて、子どもの勝手な願いなど、おかまいなしに。


 ディアナ・ハースという名前のクラスメイトの顔を初めてまともに見た時に、つぶらな黒い瞳と目があった。

 あの小鳥みたいだ、とふいに思って、どうにも放っておけなくなってしまったのだ。

 自分が目を離すと、気付かないうちに無邪気に何かにぶち当たってボロボロになってしまいそうな、そんな危うさがディアナにはある。そして自分の姿におかまいなしに、楽しそうにあれこれ(さえず)る。飛んでいこうとする。

 現に今だって、危険に片足を突っ込もうとしているのに、全然自覚がないじゃないか。


 ディアナの手元にあった第7区の地図をヒョイッと取り上げる。

 瞬時に決断した。

 目を離せない。それだけだ。それ以上の意味はない。決して、毎日会えないと寂しいからとか、毎日声を聞きたいからとか、そういうわけじゃない。決して。

 

「夏休み、うち来たら?」

「え?」

「俺の家。部屋が余りまくってるの、見ただろ」

「うん?」

「あんた一人増えたって、痛くもかゆくもない」

「え!」

「メシ代は気にすんな。俺もひとりだと食うの忘れるから、あんたがいるならちょうどいい」 

「……えぇ?!」


 ディアナはすっとんきょうな声をあげて、口をあんぐり開けている。

 ロニーは、かまわず立ち上がる。 


「よし、異論がないってことは、決まりな」


 有無を言わさず、決定事項に持ち込んで——

 その1カ月後、6月の終わり。


 ディアナはロニーの家の前に、ぼうぜんとしながら立っていた。




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