(10−2)砂の城②
「商談??」
ディアナは苦笑して、ロニーに突きつけられた銃を見る。
こんなのは商談とは言わない。脅迫以外の何ものでもない。
「ま、いいです。どんな話ですか?」
そのまま両手を顔の横にあげて、ひらひらと軽く振った。
タンゲラーに「動くな」とか「手を上げろ」とか命令されるくらいなら、先回りして行動するほうがましだ。
その時、鼻先でふわりと一枚の紙が舞った。
宙に浮いたままのその紙を読み上げる。
「隷属契約書。——しかも魔術契約書ですね」
ディアナの眉間に思わず小さなシワが寄る。不快感を胸の奥に蹴飛ばして、なるべく余裕のある顔を崩さないように心しながら書面を読み取る。
契約の内容を、魔術で保守する特殊な契約書だ。
魔術契約書は、一度交わすとお互いの完全同意がない限りは解除できない。契約を破った側には、魔術でペナルティが課せられる。契約内容にもよるけれど、昔は死をもって償った場合もあるという。
しかも、今回の内容は「隷属」。
つまりは、主人のどんな命令にでも従う奴隷になれ、と言われている。
きっとタンゲラーの指示で、キーレが用意した書面だろう。もしかするとキーレも隷属の魔術契約で縛られているのかもしれない。
「そこにロニー・ボージェス氏の血判を押してください。そうすれば完成です」
タンゲラーは、にこやかに要求を突きつける。
ディアナはわずかに肩をすくめる。拳銃に目を走らせる。
彼は、気づいていない。
——自分の構えているその凶器が、今、どんな状態か。
それはそうだ。外からは見えないし、タンゲラーは知らない。
力ある魔術師の逆鱗に触れることが、いかに危険なことなのか。
準備に万全を期すために、時間稼ぎをゆっくりと口にする。
「隷属契約って、今では違法だって知ってます?」
「そうかもしれないですね」
なんでもないことのように、タンゲラーは受け流す。
両手を上げるのにも疲れてきたディアナは、自分の頭の上にポンと手のひらを預ける。ついでに後ろに両肘を軽く引いて胸筋を伸ばすストレッチ。筋肉と緊張がほぐれて、頭に一気に血が巡ってくる。
速記で同じ姿勢をとりがちなディアナが知っている、最強のリラックス方法のひとつだ。
ふう、と一つ息を吐く。
さあ、次の作業に取り掛かろう。
ゆっくりと腕を下ろしながら問う。
「最初からロニー狙いだったんですね?」
「いや、あなたも狙いに含まれてます。ボージェス氏に仲間に加わってもらえたら、ディアナさんも必然的に巻き込めるでしょう?私の命じるとおりに彼が離婚し、あなたが私と結婚してくださったら問題無いですから。……おや、動かないでください。うっかり引き金を引いてしまうといけない」
悠然としたタンゲラーの言葉にたちまち反応したロニーが、首を横に振る。とたんに静止の声が飛ぶ。
言われた通りにぴたりと止まった深い夜空色の瞳が、こちらをじっと見る。にやり、と微笑む。かすかにうなずく。
——わかった!行くね!
ディアナはブレスレットを——そこに付けられた竜の涙を握りしめる。
腹の底から発する。ロニーに教わった通りの言葉を。
——竜の使者は宣言する。
「イリ・ドラルテ・コル」
——目覚めよ。
「エクスキート」
ディアナの体にあたたかい力が一気に流れ込んでくる。
奔流に押し出されるように、手のひらの内側から光が溢れた。
タンゲラーが目を見開いているのが微かに見えて、そこに展開しきった大きな魔法陣が三つ重なる。
今まで見たこともない。複雑で優美で、常人には到底読み解けない高度な陣。
そこから何が起こるのか、ディアナは知らない。
それでも、信じる。
ロニーとフィリアスが、夜通し編み上げて、ブレスレットの竜の涙に閉じ込めた魔術だ。
きっと、素敵なことしか起こらない。
一瞬だけ、ディアナは思い出す。
初めて魔術を見た日のことを。
王立学院の入学式の日。頬が汚れたディアナのために、ロニーが水を出してくれた。キラキラ光って、透明で、ディアナのことを心配して出してくれた水。
——生まれて初めての、純粋な、濁りひとつない思いやり。
あの時から、ディアナにとって、魔術は世界でいちばん美しいものだ。
ロニーの魔術は、庭の土を豊かにし、人を危険から守り、幻想的な湖を生み出し、空間を便利に繋げてくれる。
この上なく美しくて、綺麗で、優しくて、特別。
仕事の魔術裁判でよくない魔術の使い方を知るたびに、ディアナはあの時の水を思い浮かべる。
とたんに心が洗い流される。
信じられる。魔術は、本当は美しい。
そんな世界を、ディアナは愛している。
だから、今日も洗い流されてしまえばいい。
こんな薄汚れた、誰かの醜い欲望なんか。
だから、
——出でよ!
「アプリーラ!」
とたんに魔法陣が膨らんで、勢いよく弾けて飛び散った。そこから次々飛び出してくる。
元気いっぱい彩り豊かな、ディアナの大事な大事な家族の、
「魚雷ちゃん!?」
『ハーイ!』
「カイテンちゃん、マサルさん、ミツクニさん、ロマーノ、福ちゃん!」
『ハイ』『ハイ』『ハイ』『ハイ』『ハーイ』
泡が弾けるような、ぷくぷくしたお返事まで聞こえてくる。
空中を泳ぐ6匹の金魚たちが、嬉しそうにディアナの周りをぐるぐると囲む。
「しゃべれるの!?」
『シャベレルヨー!』『ヨユウダヨー』『クルシュウナイ』『タッノシーイ!』『サイコー!』『ゴハンドコー?』
同時にあれこれ話しかけられて、ディアナは目を白黒させる。
そんな彼女にお構いなしに、リューから魔獣認定されてしまった金魚たちは、声を揃えて言った。
『トリアエズ、ヤッチャッテイイー??????』
「オッケー!やっちゃってー!」
『ワーイ!!!!!!』
とっさに親指を立てて答えたディアナに身をすり寄せると、パッと6匹は空中に飛び上がる。
その体が内側からぼうっと青白く光ったかと思うと、いっせいに光の筋を吐いた。
閃光と見まごう水の柱が、容赦なく空間を切り裂く。
魚雷ちゃんは天井を、カイテンちゃんは地面を。
マサルさんとミツクニさんとロマーノと福ちゃんは東西南北を。
見事な連携でスパンと断ち切る。ぺろり、と、景色が捲れ落ちる。まるで使わなくなった壁紙が剥がされるみたいに。
キーレの掛けた幻影魔術は跡形もなく消え去って、ディアナは元の部屋に佇んでいる。
殺風景な、がらんとした幽霊屋敷の一室に。
『ロニー!タスケルー!』『ナワトカスー』『ヌノバイバイー』『ガンバッタヨー!』『ゴハンチョウダイー!』『クロイゴハン!』
「へぇ、お前たち、黒いエサが好きなのか。赤や緑より?」
金魚たちが口から放つ魔力で戒めの縄と布を解いてもらって、ロニーは平然と椅子から立ち上がる。
『クロスキー!』『ニオイサイコー!』
「黒のはニンニクと魚粉と卵黄を入れてるからな。そりゃ美味いよな。でも赤と緑のエサは野菜たっぷりだぞ。偏らずにちゃんと食べろよー」
『エエー?!』
楽しそうに不満声を上げながら、金魚たちはロニーの肩や頭に舞い降りた。
ロニーは床に座り込んだタンゲラーを見据える。
「はは。あんた、なんて顔だよ。ディアがいい仕事してくれただろ?」
言いながら、パチリと指を鳴らした。
とたんに、タンゲラーが握りしめたままだった銃が白く冷たく凍りつく。
「ほら。引き金、動かなかっただろ?見えないように内側から凍らせといたから」
「なっ、なんでだ……無詠唱魔術?!まさか、そんな」
「俺、2級魔術師だもんな。まさかそんな特級魔術師みたいな芸当、できるわけねぇよなぁ?きっと別のトリックがあるはずだと思わねぇ?」
ニヤニヤとロニーがディアナを流し見る。
ディアナはあらためて実感する。
ロニーが「ま、2級魔術師くらいでいいだろ?めんどくさいし」と言っていたわけを。
こういうとき、実力を隠していた方が敵を容易に欺ける。
トリックなんてないのだ。
だって、ロニーは事前にディアナに教えてくれた。
もし銃が脅しで使われたら、魔術でなんとかできるから大丈夫、心配ない、と。
ブレスレットに込められた魔術を起動できる古代魔術語も伝えてくれた。けれど、ディアナが唱えた瞬間、外から温かいエネルギーが体に注ぎ込まれる感覚があった。たぶん発動に、ロニーの無詠唱魔術が力を貸してくれている。
きっとロニーもダニー父さまも、本当は特級魔術師なのだ。
でも、こういう時のために、本当の力は隠している。
さすがボージェス家。隠密術を得意にするだけのことはある。
その隠れ蓑として、少しは役に立てただろうか。
彼らのためだったら、本当の家族のためだったら、ディアナはなんでもできる。
ロニーに微笑み返すと、彼の隣に歩みよる。ぎゅっと温かい手を握る。
近寄ってきたディアナに喜んで、魚雷ちゃんが頭の上に泳いで乗っかった。
不思議とぜんぜん重くない。特大むっちりボディの魚雷ちゃんなのに。
「で、どうよ?」
ロニーはディアナの手を強く握り返したまま、タンゲラーに挑戦的に言い放つ。
「大金のために利用してきた金魚たちに、自分の砂上の楼閣をぶち壊されたお気持ちは?」
「……悪くはないよ。魔術の新たな可能性を見せてもらった」
少し青ざめて床にあぐらをかいたまま、冷静にタンゲラーは返す。
「兵器としても使えそうじゃないか」
「はは。無理だね。あんたじゃ、こいつらの友人にはなれない」
『ムリムリー!』『ヘンナニオイ!』『チカヨルナ!』『クサイ!キライー!!』『ムリー!』『ダイキライー!!』
「……」
金魚たちから散々なことを言われて、とうとうタンゲラーは沈黙する。
くくっとロニーは上機嫌に喉を鳴らした。
「まぁ、せっかくだから、最後にもう一つ見せてやろうか。魚雷ちゃん、カイテンちゃん、やっちゃいな!」
『ハーイ!イッキマース!』
ひときわ体の大きな2匹が部屋の真ん中に躍り出る。
キリリと上を向いたかと思うと、その口が大きく開いて……
ひときわ巨大な水柱が、天井をぶち抜いた!!
ドガァ、っと轟音が響き、ぽっかりと青空が見えた。
屋根ごと吹っ飛ばしたのだ。たったの一息で。
まるで爆弾が炸裂したみたいに、建物の頭がえぐられている。
「マジかよ。ははぁ、派手にやったな。フィリアスのやつ、予定より強めに威力設定しやがった。おーい、お前たち、整列!」
くすくすと笑いながら、ロニーは両手のひらを差し伸べる。
わらわらと集まってきた金魚たちに、声をかける。
「よくやった。頑張ったな。かっこよかった。だから今は、家に戻りな」
『エエー!?』『ヤダ〜!』『モットアソビタイー!』『オカワリー!』
「だーめ。これでおしまい」
ロニーはふうっと手のひらに息を吹きかける。
「だってお前たちも、幻影だからな」
しん、とあたりが静まり返る。
金魚たちの姿がかき消えて、一瞬、誰も動かない。
しじまを押し除けるようにして、突然バーンとドアが乱暴に開く。
カツカツと長靴を威圧的に鳴らしながら、その背の高い男は厳しい声で言う。
「陸軍第2師団エドワード・アッテンボロー少尉です。このエリアに爆発物が仕掛けられているという匿名通報があり、爆弾処理専門隊がたまたま付近を巡回していたところ、たまたま爆発を目視、急行しました。たまたま第2魔術師団のフィリアス・テナント団長閣下も付近で食事を取られていたため合流いただいたところ、たまたま違法魔術生物生成の疑いのある部屋を発見しました。階下の魔術師たちはすでに緊急捕縛済みです。こちらの部屋の方にも、ご同行いただけますでしょうか」
——さすがに「たまたま」が多すぎるんじゃないかな。爆発してから時間が経ってなさすぎるんじゃないかな。
てぐすね引いて待ち構えていたのがモロわかりなのに、エドワードは平然と「たまたま」を押し通すことにしたらしい。
ディアナが吹き出したい衝動をやっとのことで押さえつけているうちに、無言のナリック・タンゲラーがエドワードと同僚の軍人たちによって、手際よく捕縛されていく。
ディアナは床に落ちていた紙を拾い上げると、最後に部屋を出て行こうとしているエドワードに差し出した。
ぴくぴくと口元を震わせながら言う。
「たまたまその男が私の夫に隷属契約を強要しましたので、合わせて捜査いただけますか」
「承知しました。全力で当たります。ひとまず現場の保持は、廊下にいる部下たちが担当します。信頼できる者です。ご安心ください」
エドワードもぴくぴくと腹を震わせながら、力強くうなずく。
とん、っと、ロニーの肩を拳で小突いて口の端で笑う。
そのまま何事もなかったように、厳しい表情を浮かべ直し、風のように去っていった。
ギィぃぃ、とドアが、軋みながら閉まる。
「はぁぁぁ疲れたー。緊張したー。家に帰りたいー!なのにさぁ」
ディアナは両手で自分の冷たい頬を揉みほぐしながら、大声でぼやいた。
本気で早く帰りたい。なのに、まだ終わっていないのはなぜなのか。
謎が目の前に居座っている。
「なんでトビアス・キーレさんがここに残ったままなのー?!」
お読みいただきありがとうございます!
次の投稿は11/8(土)を予定しています。
引き続き、どうぞよろしくお願いします!




