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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第10章 合法最強の相棒です。

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(10-1)砂の城①


「キーレさん、あなたいったい何者なんです?」


 驚きというよりもはや呆れの境地で、ディアナは目の前に広がった景色の彼方(かなた)をまじまじと見通す。

 もはやそこは部屋ではなくなっていた。


 ほとんど何もない。

 あるのは空と、風と、刺すような日差し。

 それから地平線の向こうまで、幾重にも広がっている砂の丘だけ。

 

 トビアス・キーレのフィンガースナップひとつで現れたのは、細やかな砂で覆い尽くされた大地だった。


「これ、砂漠、ってやつですよね」


 本でしか見たことのない砂漠の真ん中に、立っている。

 どこまでも広がる砂の上。気まぐれに通り過ぎる風が(あと)を残し、波模様のような砂紋が無数に刻まれている。足元を観察しながら、ディアナは考え込む。

 一歩踏み出すと、ぎゅっと砂粒がかすかに鳴った。

 

「砂は本物なのね」


 でも、何かがおかしい。

 陽光は強烈なのに、肌にあたっても痛くない。熱も感じない。 

 視界いっぱいを占める景色は整いすぎて、のっぺりした印象を否めない。

 とてもリアルな造形なのに、表情が足りない。どこか現実感がないのだ。

 心を砕いて見れば見るほど、精巧すぎる絵画の中に閉じ込められている気分になってくる。

 事実、閉じ込められているのだろう。

 結論にたどり着く。これは、幻影魔術だ。移動魔術ではない。

 ここは、さっきと同じ部屋の中。ロニーの姿は見えないけれど、必ず同じ空間の中にいてくれる。

 だったらディアナは最強だ。何も問題はない。

 キーレから答えは返ってこないと知りながら、口に出して、手帳にペンを走らせる。


「足元だけは本物の砂漠を持ってきて、そこから先は幻術なのかな。かなりの上級術ですよね。とっくに広報官のレベルを通り越してません?王宮魔術師にだってなれそう」

「この人はなかなか特別でしてね」


 少し離れた背後から、キーレとは違う男の声がする。

 ——来た。

 ディアナはかすかに身をこわばらせる。振り向かずにじっと待つ。

 砂を踏み締める音がして、それはすぐ横で止まった。場違いなほど爽やかに問いかけられる。


「絶景でしょう?」


 ディアナはかすかに首を傾げる。横目で見る。思ったとおりの男が立っていた。

 感情を消して、平坦に返す。


「私にこれを見せるために呼び出したんですか?」

「そうとも言えますね」


 ナリック・タンゲラーは鷹揚(おうよう)にうなずいた。

 数日前にディアナの腕を竜紋で呪ったことなど、何も知らなかったような顔をして。


 いったいどこから現れたのか。裁判所の応接室で顔を合わせた時と、印象は変わらない。

 そつなく、麗しく、自信に満ち溢れている。


 ディアナは体を横にずらし、一歩、間を空けた。

 じりじりと気配をうかがう。本当は腕をつかまれない安全な位置にまで離れたい。

 この男の釣書に書かれていた内容が、脳裏によぎる。

 タンゲラー財閥の三男。王都デイリー新聞社の社会部統括兼副代表。家は爵位を持っている。

 いかにも父が気に入りそうなステータスだ。

 

「少し歩きませんか」


 全身で警戒を隠さないディアナに微笑みかけ、余裕の構えでタンゲラーはゆっくり歩き出す。

 砂漠に高級スーツが不釣り合いだ。事務官の制服を着ているディアナも人のことは言えないけれど。

 これ幸いと、5歩ほど遅れてついていく。

 歩いている間は速記できないと思われているのかもしれない。でも、おあいにくさま、このくらいの移動速度だったらなんとでもなる。学生時代、王立美術館や博物館のガイドツアーに何度も参加して、歩きながら夢中であれこれ聞いては書き取った。

 ——その経験がまさかここで生かせるなんて最高じゃない?


「あらまぁ、こんな時でもペンを離さないんですね。根性あるなぁ。さすが魔術速記部のエースだね」


 さらに数歩遅れて背後を塞ぐように付き従いながら、トビアス・キーレはおかしそうに独りごちた。

 ディアナはちらりと彼を流し見る。ペン先を振りながら胸を張る。


「そうなんです。私、根性と速記だけは自信があって」

「だけ、ってこともないでしょう。度胸も相当だと思いますよ」

「あはは、そうかも。だって、キーレさん、今のところは私を傷つけるとか、どうこうする気はないでしょう?こうやって呼び出された理由すらまだ聞いてないし」

「そういう物騒な命令は、まだもらってませんねぇ。今日はお見合いだって聞いてますから」

「へぇ、これ、お見合いだったんだ?」


 相手の考えていることがよくわからない。

 けれど確かに、どこかの高級レストランに呼び出されるありきたりな展開よりは、よほど今後の流れに興味を持てる。

 好感を持てるかどうかは、まったく別の話だけれど。

 先頭を行くタンゲラーは立ち止まり、半身を開いて砂丘を片手で示した。豪華な舞台装置を背景にした、華々しい役者みたいに。


「ディアナさんは地位や金では(なび)かなそうだったので、せめて一風変わった趣向でもてなそうかと。いかがです?お気に召しましたか」

「うーん、何とも」


 即答してしまう。嘘をつけない自分に苦笑した。

 これよりすごい魔術の景色を、毎日目にしてきたから。

 ロニーの部屋の湖は本物だ。どこまでも清澄な水が広がっていて、空も水平線もどこも違和感がない。すべて調和し、果てしない。一歩踏み入れたら、そこが屋内だったなんて到底思えない。

 この騒動のせいで解術して、ひさびさに普通の部屋に戻ってしまったけれど。

 ディアナの記憶に、いつまでも心地よく余韻を持って残り続ける。そういう魔術だ。この砂漠とは次元が違う。

 でも、魔術の良し悪しはさておいて、気になることは他にあった。

 

「どうして砂漠なんですか?」

「無限の可能性があると思いませんか。魔術ととても相性がいい場所です」

「相性?」

「考えたことはありませんか。魔術だったら、砂漠に雨を降らせることも可能だ」


 タンゲラーが空に片手を(かざ)す。パチリとキーレが指を鳴らす。

 空がにわかに曇ったと思ったら、激しく雨が降り出した。

 ディアナたちの周囲だけは、何の変化もない。手の届かない幻影の世界で、幻の雨が、幻の砂原を一面に湿らせていく。


「魔術だったら、砂の大地を保水できる。草が生え、水が溜まって池となり、湖となり、やがて木々も茂っていく」


 まるで予言のようなタンゲラーの言葉が朗々と響く。

 たちまち草原が広がり、花が咲き、水が湧きだし、若木が生え始め、葉を揺らす。

 生命の連環の風景だ。本来ならば何年もかかるだろう 。糸紡(いとつむ)ぎに巻かれる綿糸みたいに、絶えずくるくる生まれ流れていく。


「オアシスとなった緑地に、動物が棲みつき、人も住みはじめる。畑ができ、建物ができ、村になり、町になり」


 荒廃していた土地に、柔らかくほどけるように緑が広がり、有人の活気に満ちていく。

 

「やがて国になる。まっさらな新国に」


 とうとう白緑色の美しい宮殿がそびえ立つ。

 タンゲラーは大きなドーム屋根を振り仰ぎ、満足げに目を細めた。


「その国の周りは一面の砂海。ほどよく外界から隔離され、他国からの過度な干渉を受けない。飢えも乾きもなく日々の生活が保たれている。理想郷だと思いませんか」


 誰にとっての理想なのだろう。

 少なくともロニーは聞いた瞬間に「めんどくせぇ」と一刀両断するに違いない。

 そもそも、だ。 


「そこに、誰が住むんです?」 

「独立を望む有能な魔術師と、彼らをサポートできる有能な一般人。つまり、私やあなたでいかがでしょうか」

「あはは!ご冗談を。もしかしなくてもこれ、お見合いじゃなくてヘッドハントですね。でも私、今の仕事が好きなので。転職は考えてないんです」


 あっさり笑い飛ばしている服の下、全身鳥肌が立っている。無理無理むりむり、絶対むり。なんでこの人はこんなに自信たっぷりなんだろう。もうすでに家に帰りたいし、なんなら同じ空気を吸いたくない。

 それでも、なんとか口を開く。話を聞き出すのが、今のディアナの役目だ。


「魔術師を集めて、独立王国を作る。それがあなたのやりたいことなんですか?」

「そう。最初の目標は」

「あなたは魔術師じゃないのに?」

「歴史上、初めてのことをする。ロマンがあるじゃないですか」

「では、その次の目標は?」

「なんだと思いますか?」


 底知れぬ微笑みで、上機嫌にタンゲラーは問い返す。


 過去数百年にわたって、一部の魔術師たちの間で独立運動が(くすぶ)り続けていることは知っている。その歴史を研究テーマにしたアカデミーの学会発表を速記したこともある。


 これまで魔術師たちが王位を狙い、反乱を起こした事例が世界各地である。

 人里離れた山奥に、魔術師たちだけが住む小国を作ろうとした例もある。

 でも、結局、すべて実を成すことなく散っている。


 どうしてか?

 そんなの決まっている。


 魔術師だって人間だ。

 特別速く走れる人や、特別上手く歌える人と同じように、特別自然界から様々な力——つまりは魔力を借りて扱える人というだけだ。


 欲もあれば、(ねた)みや(そね)みだってある。

 幸いディアナの周りにいる大事な人たちは、ロニーをはじめ、個性的でマイペースで素敵な人たちだけれど。

 職場やアカデミーには、さまざまな魔術師がいる。総じてクセが強い。

 むしろ魔力を使える分、我が身に誇りを持っている。自己顕示欲に取り()かれ、傲慢に凝り固まった人間だって珍しくはないのだ。

 そんな人たちが寄り集まって、一つの目的を達成しようとすることの、いかに困難なことか。

 例えば、仲間割れ。足の引っ張り合い。敵との密通。自滅。

 歴史は教えてくれている。

 要するに、無理なものは無理だろう。


 先日、ダニー父さまがぼやいていたばかりだ。


「だいたいさぁ、アホな奴らが反乱を時々やらかしてきたからさぁ。魔術師っていまだに世界中で警戒されがちなんだよね。うちの国は逆手にとって、うまいこと魔術師を集めておだてて使い倒してるけどさ。ほんと勘弁してほしいよねぇ。もしそんなお馬鹿さんたちを僕が見つけたらねぇ。ふふふ。どうやって調理してやろうかな。ふふふふふ。腕が鳴るねぇ」


 先見の明がありすぎる。

 もしかして、この事態もすべて見越してロニーに丸投げ、もとい一任してきたんじゃないかと思えてきた。

 ディアナはため息をつく。いつの間にかすっかり相棒に似てきたのかも知れない。もはやこの状況が非常にめんどくさくなってきた。

 もう一息だけ頑張るか、と思って、うんざり口を開いてみる。こうやって引き伸ばしたら、その分キーレの魔力を削れるだろうし。


「第一、新しい国を作れたとしても、末永く繁栄できる未来が私には想像できません」

「そうでしょうか。大いなるビジネスチャンスだと思いませんか?」


 タンゲラーの態度は変わらない。彼がかぶっているであろう紳士の仮面の完璧な厚さにだけは感服する。


「……もしかして、その先の混乱も見越して、戦争ビジネスをされようとしていますか?」

「なるほど。やはりあなたは素晴らしい。良いところを突いている」


 感心したように告げられて、耳を塞ぎたいのをかろうじて堪える。口を引き結ぶ。

 戦乱が起これば、人も物資も動く。人命と引き換えに、一部の商売人の懐は潤うだろう。

 悪魔の発想だ。

 巻き込まれたくないし、自分の大事な人たちを巻き込みたくはない。

 火種が大きくなる前に、終わりにしなくては。


 ——もうそろそろ限界なんだけど。いいよね、ロニー?


 心の中の相棒に呼びかける。

 ディアナの中のロニーはとっくに交戦的な眼差しで、臨戦態勢で不敵に微笑んでいる。


 ——うん。いくね。


 ひとつ心の中でうなずくと、手帳をスラックスのポケットにしまう。ペンをジャケットの胸ポケットに指す。

 そっとロニーのブレスレットを握る。指先で、石の位置を確かめる。


「長居をしました。本題に入ります」


 タンゲラーを見据えた。


「私はすでに結婚しましたし、あなたのパートナーにはなれません。あなたの計画も一切拒否します。金輪際、私と家族に関わるのはやめてください。ロニーと一緒に帰ります」

「そのロニー・ボージェス氏がこんな状態でも? キーレ、彼を」


 命じられたキーレはにっこりと大げさに微笑むと、「かしこまりました」と軽やかに指を鳴らした。

 魔力封じの縄を打たれたまま、椅子に腰掛けたロニーが現れる。


 完璧に華々しい笑顔を振りまきながら、タンゲラーはスーツの内側からそれを取り出す。

 うやうやしくロニーの金茶色の頭に、先端を押し付けた。


「さて、この拳銃。もちろん実弾入りですよ。——あらためて商談をしましょうか?」




お読みいただきありがとうございます!

次回更新は11/5(水)を予定しています。

どうぞよろしくお願いします!


※9章のタイトル、変更しました(汗)

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