(9−7)いちおう脅迫されてます①
「よくもまぁ、こんなおあつらえ向きの建物があったね。みんなが怖がって近づかない幽霊屋敷って感じ」
ディアナはいっそ感心してしまう。
脅迫状の内容に従って、決められた場所にやってきた。
指定されたとおり、今はディアナとロニーのふたりだけだ。
昼下がりの時間帯。王都の中心部からかなり外れた住宅地。
低賃金の労働者たちが多く住む雑然とした街の一角に、その古びた屋敷はあった。
取り壊し工事を前に、高い板塀に広大な土地がぐるりと囲われている。
板の一角に、簡素なドアが取り付けられていた。
押し開けて入ったところが大きな前庭の入り口で、離れたところに建物の正面が見えている。
立ち止まり、しばし観察してみる。
見れば見るほどバケモノ屋敷みたいだ。
4階建ての壁全体にツタが絡みついて、窓ガラスがところどころで割れている。
きっと夕暮れ時になると、コウモリたちが軒から飛び出して、あちこちを飛び回るに違いない。
「ディア、ちょっとワクワクしてるだろ?」
「バレた? 昔、潜入捜査に加えてもらったことがあったでしょ。あの時はスパイ小説みたいだなぁと思ってドキドキしたんだけど。今日はホラー小説ね。亡霊とか歩く死体とか出てきそう!」
「お前さぁ」
ロニーが吹き出しそうになる口元を、ひくひくと震わせた。
「これから突入するってのに、そーんな楽しそうに妄想して。怖くないのかよ」
「ないない。毎回裁判を速記しててしみじみ思うんだけどね。生きてる人間が一番怖くない?そんな犯罪しちゃいます?!って」
「はは。確かに違いない」
屋敷の周囲の庭はすっかり雑木林と化していて、家の姿を周囲の目から覆い隠すように茂っている。
あたりに人の気配がまったくない。音も聞こえてこない。一歩塀から外に出たら、にぎやかな街のはずなのに。
魔術で結界が張られているのだろう。
「ここ、国が肝入りで再開発を進めようとしている地区でしょ? 王都の人口増加が深刻だから、国営のアパルトマンを増やそう!ってやつ」
「そう。元々ここに住んでたのは、一帯を牛耳る犯罪組織のボスだったらしい。10年前に抗争で殺されて、なんやかんやで今は廃墟。タンゲラー財閥の所有になっている。来月には開発工事が始まる」
言いながら、ロニーは手首と足首をぐるぐる回す。それから首もぐるりと一回転。
あからさまに戦う前の準備体操だ。
「こんなにやる気のロニー、今まで見たことないわ」
「俺もこんなやる気、今まで出したことないわ」
お互いに顔を見合わせ、不敵に笑う。
ディアナも見よう見まねでロニーと同じストレッチをやってみる。
自分は手の筋肉をほぐしたところで、何の魔術も使えないけれど。
手首には、ロニーの守護ブレスレットが揺れている。
ヴェルニ村の山荘で魔術師たちに襲われたあの後。
気づいたら、ブレスレットの青い魔石2つが粉々に砕けていた。
石に込められていた魔力が、それぞれ発動していたらしい。
1個はディアナの首を掻き切ろうとするナイフを弾くために。1個は襲ってきた魔術師たちを足止めするために。
長いこと着用し続けて、もう自分の体の一部になってしまった大事なものなのに。
無惨な姿になったブレスレットをチラチラ眺めてしょんぼりしていたら、すぐにロニーが気づいて修理してくれた。
錬金魔術を駆使し、新たに生まれ変わったブレスレット。
ひとつだけ無事だった青い魔石を中心に据え、左右に2個ずつ小粒の石が付けられている。
透明でありながら、角度によっては虹色に光っても見える貴石だ。目利きの人間が見たら「竜の涙」だと気づくだろう。
自分の涙のかけらがディアナの綺麗なブレスレットになったことを知って、リューは大喜びだった。
興奮しすぎて竜の姿に戻って、ころんころんと床を転げ回っていたくらいだ。
「リュー、ひとりでお留守番大丈夫かなぁ。ルミちゃんに贈るブレスレットを頑張って作ってみる!って言ってたけど」
「ま、あいつは大丈夫だ。金魚たちがこぞって懐いて、最後は一匹残らず空中泳ぎ回ってただろ。きっと今ごろ一緒に遊び転げてる」
「そうだね。あのまま進化すると、いつか魚雷ちゃんたちが人間の言葉をしゃべり出しそう」
「はは。それいいな。早くあいつらとおしゃべりするために戻ろうぜ。そのためにも」
「うん。行きますか」
「だな。行くか」
背筋を正して歩き出す。
ディアナが今着ているのは、裁判事務官の制服だ。いつものジャケットとスラックス。袖を通すだけでも気合いが入る、これが自分の戦闘服だ。
この制服に憧れて必死で頑張っていた過去の自分のためにも、仕事に誇りを持っている今の自分のためにも、今日は一歩たりとて譲れない。
隣を歩くロニーが、王宮魔術師ローブを揺らして含み笑いをした。
「ディア、ずいぶん落ち着いてるな」
「だって、準備万端でしょ?」
明け方近くまで、ロニーとフィリアスは金魚の水槽を前にして、あれやこれやと魔法陣を浮かべては消していた。
部屋をいつ覗いてみても、ふたりともひどく楽しそうだった。思いつくままにロニーが口を出し、フィリアスが魔術語を書き換えて、創作魔法陣がさまざまに形を変えていく。
ロニーは魔術書を読んだりするのは大変めんどくさがるけれど、フィリアスの魔術実験に付き合うのは嫌がらない。
なんやかんやで息をするように魔術を使う人たちだ。
本質では、似たもの同士の魔術バカなのかもしれない。
ディアナは夜半すぎ、床で寝落ちして竜に戻ったリューを抱きかかえ、自分の部屋に引っ込んだけれど。
「今朝起きたらねぇ、」
ディアナはその光景を思い出してくすくす笑う。
「ロニーもフィリアスくんもふたりして満足そうにダイニングでコーヒー飲んでるんだもん。不安な気持ち、全部吹っ飛んじゃった。むしろワクワクしちゃってる」
「はは。あのコーヒーはびっくりするくらい美味かった。フィリアスが魔術で出してきたやつでさ。あいつ、喫茶店のマスターにでもなれるんじゃねぇの」
軽口を叩きながら、ロニーは目を細める。
屋敷のドアは目の前だ。あと10歩も歩けばドアノブに手が届く。
「……家の内側、不穏な魔術の気配が山ほどあるな。ずいぶん歓迎してくれてるらしい。おや、お出迎えだ」
重厚な扉が軋みながら開いて、無地の魔術師ローブをまとった男がひとり、こちらに歩みよってくる。
その男の顔を見たとたん、ロニーは物分かりの良さそうな大人の皮をするりと被った。
愛想の良い態度で、明るい笑みを顔に貼り付ける。
「ああ、なんだ。あなたですか。お久しぶりです。一昨年まで第3魔術師団のうちの母のチームで働いていた方ですよね」
全身警戒あらわな男をまったく気にせず、強引に手をひったくるように握る。
「どうも、ロニー・ボージェスです。こちらは妻のディアナです。ああ、身構えなくて大丈夫。人質の命がかかっていることは理解しています。この屋敷に攻撃無効の魔法陣が張られているのも感じ取っています。だから俺からは下手な手出しはしませんよ。こちらは単なる再会の握手ってことで。だって、ここで仲良くしておかないと、俺たちの命が危ないでしょう?」
陽気な口調で、相手に口を挟ませずに言い立てる。
どう聞いても、ダニー父さまみたいな先手必勝の馴れ馴れしさと図々しさだ。ディアナは笑いをこらえるのに必死になった。
成人してから、ロニーの仕事の現場に立ち会うのは初めてだけれど。すっかりスパイの親玉ダニエル風の相手の転がし方を身につけてしまっているらしい。
思わず熱い握手を押し付けられてしまった魔術師の男は、半歩あとずさる。
空いている方の手で喉を押さえ、しゃべりにくそうに軽く咳払いをした。
それから両手を引っ込めて、かすれた声で短く告げる。
「……中へどうぞ。4階で主がお待ちです」
「承知しました。案内ありがとう」
軽々とうなずくと、ロニーはディアナの手を引いて、屋敷の中に踏み込む。
三歩遅れて魔術師の男が続き、不快な悲鳴を上げるように扉が閉まった。
とたんに、魔術の詠唱が背後から響く。
頭上に、青白い魔法陣がじわりと広がった。
「拘束魔術か。遅いな」
その言葉と、ほぼ同時に。
ぱん、とロニーが両手を打ち鳴らす。
りん、と空気が鳴る。
その鈴のような澄み切った音を、ディアナは聞いたことがある。竜の洞穴で、リューの力が発動された時に。
魔法陣が霧のように空気に溶け、背後の詠唱の声が途切れた。
「びっくりしました? 完全に動けないでしょう?」
ロニーは背後を振り返り、魔術師の男を極上の笑顔で見据える。
男は身動きひとつできず、舌すらも動かせず、沈黙に支配されたまま硬直している。普通の魔術師にとっては命に等しい詠唱を封じられ。
その目にだけ、恐怖が浮かんでいる。
「でもこの魔術、俺の力じゃないですよ。いや、正確に言うと、さっき握手した時に仕込ませてもらったんですけどね」
遠慮なく、男の襟元を下に引き下げて、「それ」を確かめる。
思いどおりになっていることを自分の目でも確かめて、ロニーは満足げにひとつうなずいた。
男の喉輪を片手で押さえつけて、この上なく優しく、まるで教科書でも読み聞かせるように、はっきりと話し始める。
「あなたがたは、ここに魔術紋を刻んでいるでしょう? 結束の証、『ウロボロスの竜』。紋がある者同士で、魔力を貸し借りできる。裏切った人間には紋を通じて制裁魔術をかけることもできる。なんなら殺すこともね。おや、否定したいですか?はは。無駄です」
相手の目の色を読み取りながら、ロニーは首を握る指先にぎりっと力を込める。
いきなり気道を狭められ、苦しそうに男の喉が鳴った。
「だって、あなたがた、俺の最愛の妻の腕にも同じ魔術紋を刻みやがったでしょう」
低く低く、刃物のように冷たく鋭い怒りの言葉をゆっくりと突きつける。
それでいて見かけだけは悠然と、完全に光り輝く激怒の笑顔で、ロニーは首を横に振ってみせた。
「思い出してください。第2魔術師団には魔術解析の天才がいるでしょう?——そのフィリアス・テナントがね。妻の魔術紋について、とっくに分析を終えてるんです。ああ、絶望しましたか?それはよかった」
優しく歌うような口調で絶望を突きつけられ、言葉でなぶられて、男の顔はすっかり色を失っている。
ロニーは少しだけ、いつものぞんざいな口調に戻って言い捨てる。
「信じられない解読スピードだろ? 幾重にも誤読するようにフェイクの魔術をぐっちゃぐちゃに重ねがけしているのにな。ひさびさに目を輝かせて報告してくるフィリアスを見たぜ。あんたたち凡才が、天才を喜ばせられてよかったな?」
怒り心頭のロニーが嬉々として話している間に、ディアナは薄暗い廊下の果てに見える人影を注視する。
締め切ってカビ臭い、澱んだ空気の向こう。
まったく影は動かない。目の前の男と同じように、身動きの取れない状態になっている。
そっと、脇の扉を開けてみる。そこに潜んでいた3人の男たちも、驚愕に目を開いたまま、正体不明の魔術で体を固められている。
「で、さっき握手した時に、あんたたちの竜の紋章を全員分すべて一気に上書きした。なんでそんなことができたかって? そんなの、竜本人が『そんなセンスの悪い竜紋は許せない、すべて書き換えろ』って激怒して、俺に力を分けてくれたからだよ。俺たち魔術師にとっては、ご先祖様の竜の意志は絶対だろ?」
ロニーは打って変わってふざけ切った軽薄な口調で、相手を煙に巻く。
その実、語っていることは完全に真実だった。
今、ロニーが喉元を押さえている魔術師に刻まれた竜紋は、完全に形が変わっている。
——竜が尻尾を飲み込む凶悪な絵柄から、愛らしい竜が尻尾をくわえている絵本みたいなイラストに。
リューが本気で望んだからだ。
世の中すべての『ウロボロスの竜』を、ヴェルニ村の竜紋に置き換えたいらしい。
確かにそれはいい考えだ。ディアナは大賛成してしまった。
魔術師たちの叛逆の旗印にするには、ヴェルニ村の竜の姿は平和でかわいらしすぎる。
いっそみんなで平和になってしまえば良いのだ。リューやロニーを勝手な野望に巻き込まないでほしい。
「で、魔術紋を上書きするついでに、織り込まれた内容も書き換えといた。あんたたちは、今後一生、竜の代理人の支配下に置かれる。よかったな?憧れの竜さまだぜ?……自分たちが何を旗印に利用したのか、その旗印のもとで何人殺してきたのか。少しは考えたほうがよかったんじゃねぇの?」
普通の魔術師の手には負えない大きな存在を、自分たちの利益のためだけに安易に利用し穢した——その愚かさを、ロニーは冷静に指摘しながら告げる。
「今は俺が竜紋を通して、全員に聞けと命じている。あがいたって無駄だ。では、次の命令をしよう。その姿勢で硬直したまま——深く眠れ。次に俺に起こされるまで、永遠に」
魔術師たちのまぶたが、いっせいに落ちる。
静かな寝息がその口から漏れ始めた。
注意深くその様子をうかがい、完璧に術が効いていることを確認してから、ロニーは肩をすくめる。
「はは、さすがリューの竜紋、効果ありすぎだ。命令の使い道をひとつ間違えて私欲に使ったら悪人まっしぐらだな。俺が人生逃げたがりのめんどくさがり屋で本当によかった」
最後は自分自身を笑い飛ばしながら、ロニーはディアナの手を取った。階段目指して足取り軽く進み始める。
「タンゲラーは4階にいるって言ってたな。とっとと向かおうぜ」
「ロニー、いちおう気になるんだけど、質問していい?」
直立したまま眠りこける魔術師たちを横目に、ディアナは小走りにロニーに並ぶ。
「竜紋を通して魔術師をみんな眠らせちゃったら……タンゲラーにバレちゃわない?」
その挙句に人質の人々に危害を加えられたら、さすがに後味が悪い。
ディアナの懸念を正確に読み取って、ロニーは握った手に力を込める。
安心させるように笑って軽く振りながら、好戦的な眼差しを階上に投げた。
「安心しろ。タンゲラーの部屋にいるのは——竜紋を最初から入れてない奴らだけだから」
お読みいただいてありがとうございます!
次回投稿は10/19(日)予定です。
ちょっと身の回りがバタバタしておりまして、コンスタントに投稿できずに申し訳ないですっ……!!
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




