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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第8章 相棒、っていうよりもはや。
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(8-8)その声の正体は③


 ディアナはすべて、納得した。


 ハーフォードの長女、ルミ・カワードは現在12歳。

 来年秋の王立学院の入学を目指して、受験勉強の真っ最中だ。


 ディアナも入試対策を相談されて、何度か勉強を見てあげている。

 強い魔力を持つルミは、魔術科に合格できる実力をすでに持っている。けれど、バイタリティのかたまりみたいな彼女は、そのほかの一般科目でも高得点を取って主席合格する野望に燃えていた。


「だって、どうせ挑戦するならベストを目指したいでしょう? 自分がどこまでやれるのか頑張ってみたい。それに学院に行ったら、ディアナさんとロニーさんみたいな最高の相棒にも出会えるかもしれないし。やっぱり最善は尽くしたいよねー!ディアナさんみたいに奨学金ももらいたい!」


 母親譲りの鮮やかな赤毛と、父親譲りの好奇心いっぱいの青い目を強く輝かせて、ルミは言う。

 それを聞いて、ハーフォードは苦笑した。

 

「ルミ、お前、さては学院で彼氏を作る気満々だな」

「えへへ、そりゃあ夢はありますよ!」


 思い返して腑に落ちる。

 ルミはおそらく、幼い頃の竜隠しの1週間を覚えていない。

 なるほど確かに、それで学院で恋人ができてから、竜に引き合わせたのでは遅すぎる。

 入学する前に、一度は会わせて、様子を見るつもりでいたのだろう。


 そんな時に、今回の騒動が起こった。

 ハーフォードの胸の内が、わかる気がする。

 あわよくば竜に力を貸してもらって、その流れで、さりげなく王都に連れていくつもりなのかもしれない。そして、再会の準備をしっかり整える。

 

 だって、竜はこんなにも純粋で、思い詰めた有り様なのだ。

 ルミの名残が感じられる物を持っているというだけで、ディアナを一瞬で自分の棲家(すみか)に連れてきてしまった。

 ハーフォードに再会するだけでも、興奮して制御不能になりそうだ。

 もしさらに不用意に、ルミに会ってしまったら。

 どこかにさらって、一生出てこなくなってしまうかもしれない。

 そんな結末は嫌だ。全然ハッピーエンドじゃない。


 竜には命を救ってもらった。

 小さい頃から知っているルミは、妹みたいにかわいい子だ。

 幸せになってもらいたい。


 不幸を回避するためのクッション役が必要なら。

 だったらディアナが喜んで引き受ける。


 ひとりぼっちの竜が、なんだか昔の自分と重なってしまう。

 我が身の孤独に気づかずに、狭い世界に閉じ込もって。ひたすらいつか夢が叶う日を信じている。


 ディアナは王都に来て初めて、ロニーや、ボージェス家や、たくさんの人に助けてもらった。温もりを教えてもらった。おかげで今は、とても満ち足りた毎日だ。

 今度は自分が少しでも、竜に温かさを分けてあげられたら。こんなに嬉しいことはない。


 そのために今、できること——

 考えて、まず、口を開く。


「竜さま、ルミちゃんと会う前に、準備をしませんか? 彼女は来年から5年間、人間の学校に通うことになっていて、しばらくこちらに来られません。でも、竜さまが人間の姿になったら、王都であの子と会うことができるかも?」


 竜の目が大きく見開かれる。

 と思ったら、あっという間に姿が変わる。


 ディアナの前に、5歳くらいの男の子が立っていた。


 長い黒髪に、黄金の瞳。

 顔立ちは、神々しいほどに整っている。

 誰かに似ている?


 ディアナはまじまじとその顔を見る。

 そうだ。学生時代、潜入捜査に協力した時に見た。黒髪のフィリアス・テナントだ。

 少しだけ雰囲気が似ている気がする。もしかしたら、フィリアスにも竜の血が入っているのかもしれない。


 服装は、まるで村から滝までハイキングに出かける子どもみたいな格好だった。

 見慣れている人間の姿を真似たのだろう。


「竜さまが彼女と会ったのが、そのくらいの年頃ですもんね。今のルミちゃんに似合うためには、もうちょっとお兄さんになったほうが良いけれど……そのへんは、王都にいってから調整しましょうか」

 

 途方に暮れたように、男の子が眉を下げる。

 とてつもない早口で、何かを言った。

 竜の姿でなくても、人間の速度に合わせて話すのは難しいらしい。

 慌てて鉛筆を握って、再び言ってもらった言葉を書きとる。


「『彼女はそんなに成長したのか?美しいだろう?浮気してないか?心配すぎる。今すぐさらってどこかに隠したい』……あー?なるほど?」


 ディアナはどう言おうかためらった。下手なことを言うと、竜隠し再び、の危機だ。


「ルミちゃんは、今はまだ、あどけなくてかわいいです。あと数年もしたら、かなりの美人になると思うなぁ。浮気はしてないです。というか、今は恋より勉強が大事みたい。お父さんとお母さんと妹たちが大好きだから、家族と二度と会えなくなったら、竜さまのことを嫌いになっちゃうかも……?」


 とたんに、男の子がよろよろと後ずさった。

 絶望の顔から、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「ええと、『彼女に嫌われたら生きていけない』? そうですね。私も自分の相棒から嫌われたら生きていけないなぁ。お互い嫌われないように頑張りましょうね?」


 書き取った言葉を読み上げて、ディアナは深くうなずいた。

 しゃがみこんで、男の子の両手を握る。

 目の高さを合わせてから、笑いかける。


「でも、好かれるための努力なら、いくらでもできますよ?」


 泣いた竜が、もう笑う。

 ぱあっと顔を輝かせて、男の子がじっとディアナを食い入るように見る。


 その頬に残った涙を手のひらで拭いてあげてから、ポケットに戻していたキャンディを取り出した。

 包み紙をむいて、ひとつを男の子の口に、ひとつを自分の口にいれる。

 口の中に甘くて優しいミルクの味が広がって、竜の金の目がまんまるくなっている。

 生まれて初めての飴だったのだろう。


「ミルクキャンディ、甘くて美味しいでしょう? これ、ルミちゃんも私も大好きなんです。勉強の合間に食べると頭の疲れが癒されて、元気になれる気がするの」


 真剣に聞き入る目の前の子に、届けと祈りながら言葉を紡ぐ。


「ルミちゃんの世界って、このキャンディみたいに、竜さまが知らないことがいっぱいです。彼女と一緒に生きたかったら、辛くて大変なことが山ほどあると思うけど、甘くてすてきなことも山ほどあるはず。私も昔はそれを知らなくて、自分の(つがい)と会ってから、少しずつ学んでいきました」


 ロニーと一緒の10年を、思い返しながらディアナは微笑む。

 からっぽの空気だった自分の中に、こんなに積み重なっている。

 確かに楽じゃないことがたくさんあった。悔しい思いもしたし、死にものぐるいで勉強した。けれど、すべてディアナに溶け込んで、かつては欠けていた自分の内側を温かく柔らかく満たしてくれている。

 ディアナは今の自分が好きだ。今の自分を作ってくれたロニーは大好きだ。ロニーのためなら命だってあげられる。けれど、そんなことを言ったら「自分を大事にしろ」と激怒されてしまうだろう。そんなあの人を愛している。これから先も、ずっとふたりで生きていく。


「私にできたんですもの。竜さまにできないはずがない!ね?」


 男の子は、ふいに手を伸ばすと、ディアナの手の中に残っていたキャンディの包み紙を取り上げた。じっと眺める。

 それから大事そうに折りたたんで、自分のポケットにしまった。

 うん、とひとつ、力強くうなずく。

 ディアナはほっとして、提案を進めた。


「まずは、人間の言葉を話せるようになりましょうか。うまくいったら、王都で暮らせるようになるかもしれないし、もっと頑張ったらルミちゃんと同じ学校に通えるようになるかもしれない。一緒に特訓しましょうね」


 うんうん、と男の子が激しくうなずく。


「人間の世界のルールもいっぱい勉強しましょうね。ルミちゃんは、自分が勉強熱心な子だから、やっぱり勉強を頑張る男の子が好きだと思うの」


 うんうんうんうん、と男の子が頭がもげそうなくらいに何度もうなずく。


「あとはね、これは私の都合で申し訳ないんですけど……今、ちょっとした騒動に巻き込まれていて、すぐには王都に戻れないんです。相棒の魔術師が、頑張って解決しようとしてくれてるんですけど……ええっと?『相棒って、お前の(つがい)ってことか?』ですか。はい、そうですね。私の大好きな人で、今も私のゆくえを必死に探してくれてるはずです。早く戻って安心させてあげなくちゃ」


 わかった、という顔をして、男の子はひとつ手を打った。

 りん、と小さく鈴が鳴るような音がして、わずかに何かの気配が変わった。

 驚いて、ディアナは立ち上がる。


「あれ、少し滝の音が大きくなったような?」

「ディア」


 今、何より聞きたい声が聴こえた。


 勢いよく振り返ったディアナの視界に、顔面蒼白なロニーが飛び込んでくる。髪が乱れ、頬が土で汚れている。

 さっきの小さな鈴音は、結界が解かれた音だったらしい。


 ロニーは、左肩に袋担ぎしていた昏睡状態の魔術師をポイっと床に投げ捨て、右手に浮かせた3匹の金魚入りの水球を空中に残したまま、勢いよくディアナの手を引いて、その胸の中にきつく閉じ込めた。

 震える声が、言った。


「心配した」

「ごめん」

「ディア」

「ごめんね」

「愛してる」

「うん」

「もっと早くに言っとけばよかった」

「言われなくても知ってるよ?」

「それでも」

「うん。うん。そうだね。私も」

「籍入れよう」

「うん。うん。そうだね……うん?」

「今日これから」

「きょうこれから?!」


 切羽詰(せっぱつ)まった口調のロニーは、パチンと指を鳴らすと、一枚の紙を取り出した。

 場違いこの上ないその書類に、ディアナはすべてを忘れた。

 結婚届だった。

 見届け人の欄にはふたり、ダニー父様と、ディアナの上司の名前が書いてある。


「何でサンドラさん?!」

「前々から、苦言をもらってた。そんなにディアを囲い込むなら早く結婚しろ。オフィスにディア狙いの野郎どもが無理やり用事を作ってやってくるから、鬱陶(うっとう)しくて仕方ないって。だから『わかった、ここにサインしろ』ってその場で見届け人欄にサインもらった」

「え、いつからこの紙持ち歩いてたの?」

「5年前。指輪と一緒にずっと持ってた。お前が書き込んだら完成。すぐ役場に出せる」

「嘘でしょ」

「もう限界。いますぐ結婚しよう。怖かった。さっき必死で気配を探ってもディアがどこにもいなくて本当に怖かった。お前がいなくなるなんて耐えられない。絶対嫌だ。もう離れない。戸籍だって何だって、ひとつも離れていたくない」

「ほ、ほんき、だね」

「本気で」


 ツンツン、と背中を突かれて、ディアナは我に返った。

 後ろを振り返る。

 興味しんしんの顔で、金眼の男の子が背伸びをして、結婚届を覗き込もうとしている。


「ロニー、あの、今はちょっと、危険というかなんというか」

「危険はねぇよ。そのフィリアスの隠し子みたいな奴がいるだけだろ。殺気も毒気も感じない。なんなら村より空気が清浄だ」

「え、フィリアスくん、彼女いたの?」

「まさか。あのままじゃ、一生無理だろ」


 ロニーは思わず笑ってから、全身の雰囲気をようやく和らげ、男の子を見下ろした。


「なんなのあんた、人間じゃねえだろ? 俺が飛んで来た瞬間に『どうぞイチャイチャしてー!我は邪魔しないからー!』って頭の中に囁きかけてきたのってあんただろ……あー、なに、竜なのか? なーるほど?」


 ちらっとディアナに目を走らせて、とんとんと自分のこめかみを人差し指で叩いてみせる。

 どうやら竜に直接話しかけられているようだ。


「俺も竜族?血がにおう? 知らねぇよ。竜のあんたが言うならそうなんじゃねーの。んで、何?ルミに惚れてんの。なるほど。俺と同じように結婚の申し込みをしたいのか? やめとけ、俺らはここまでくるのに10年かかってるからな。お前もそれくらい努力しろー? ああ?そうだよ。人間が(つがい)になるのには、この紙が必要なの。いいだろー?うらやましいだろー? あとは、誓いの儀式もあってな。本当は親族みんな集まってやるし、俺は絶対ディアのドレス姿を見ずには死ねないんだけど、まあ、とりあえずは、こういうふうに」


 ロニーはニヤリと、ディアナを見る。

 そのまま思い切ったように勢いよく、ちゅっと唇に音を立ててキスをした。

 真っ赤なディアナの顔をすばやく胸に抱き込んで、世界のすべてから隠してしまう。

 

 押し付けられたロニーの胸からディアナの耳に、早鐘のように鳴る心臓の音が聞こえてくる。

 まさかの——めちゃくちゃ緊張している? 

 あんなに自信満々の顔をしていたのに。

 ディアナは吹き出す寸前で、思いっきり広い背中に手を回して抱きついた。


「わかった。結婚しよ。いますぐ!」


 はっきりと同意して、頭をその胸にぐりぐり擦り付ける。ディアナだって、この人がいなくなるのは絶対に耐えられない。

 愛情ぜんぶ渡すつもりで、体のすべてを押し付けた。びくり、とわずかにロニーが動揺する。唯一の宝物を撫でる手つきで、壊すのが怖いみたいに、そっと慎重になんども頭を撫でられた。微かに震える手がかわいすぎるし、大好きすぎる。絶対一生愛してる。


「あ?なに?……俺だけラブラブでずるい?僕だってそうなりたい?」

 

 竜からの問いかけに、ロニーはぎゅうぎゅう腕の中の体を抱きしめる。そこにディアナがいることを確かめずにはいられないように。


「そりゃあ俺、なりふりかまわずここまで努力したからな。なんでって?そんなの当たり前だろ」


 ますます腕の力が強くなる。10年分のありったけの思いをぶつけるように。

 それでいて、声だけは堂々と返した。


「ディアナは俺の大事な大事な、何より大事な(つがい)だからな」




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