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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第8章 相棒、っていうよりもはや。
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(8-7)その声の正体は②


 その黒竜はディアナを見据え、あおむけに寝転がった体勢のまま、高々と奪った地図を掲げた。

 口が開いたかと思ったら、高速音が飛び出した。


 語る。

 語る。

 語る。

 ってか、長い。


「はーい、ちょっとストップ!」


 完全に肝がすわってしまったディアナは、まだまだ続きそうな音を気合いで遮った。

 竜がパチパチと瞬きをする。たいそう不服そうだ。


「わかりました」


 うっかり地面に落としてしまった大事な商売道具の鉛筆を拾い上げる。


「もう一度、話してもらえますか? あなたの言葉は速すぎて、聞いても頭が意味に追いつかないので、音を書いてから読んで理解してみます。……というか、今の半分くらいのスピードで話すことはできませんか?」


 キュル、と空気が不満げに鳴った。書かなくてもわかる。「無理」と言われた。

 手帳のまっさらなページを出して、ディアナは覚悟を決める。

 あまり時間がかかると集中力が焼き切れてしまいそうな怖さもあるけれど、ここは一つ、やるしかない。


「承知しました。それでは——準備ができましたので、いつでもどうぞ」


 怒濤(どとう)の声がキュルキュルと超高速で暴れ出す。

 ディアナは振り落とされないように、音をしっかりつかむ。鉛筆の先で一緒に走る。


 しゃべる。

 しゃべる。

 しゃべりたおす。

 書く。

 書く。

 書きまくる。


 最後の一音がピタッと止まったとき、ディアナの額からボタボタボタっと大粒の汗が膝に落ちた。

 ぷふぁぁあ、と、詰めていた息を一気に吐き出す。ばたりと床に転がった。


「さっすがに、疲れたぁぁぁ!」


 ろくに呼吸もしなかったせいで、息が荒い。長い距離を走った後みたいだ。

 ふわふわとどこからともなくハンカチが漂ってくる。

 重い頭を少しだけ持ち上げて見ると、いつの間にか竜がきちんと岩の上に座っていた。

 神妙な面持ちだ。どうやらディアナのことを心配してくれているらしい。


「ハンカチ、ありがとうございます」


 起き上がってから受け取って、汗をぬぐう。


 ——ダイジョウブカ?


 頭の中に、大きな声が割れ鐘のように直接響いて、意識を不穏にかき混ぜる。ディアナは「ぎゃあ」とかわいげのかけらもない声を上げて、頭を抱えてしまった。


「りゅ、竜さま。直接話しかけるのは、申し訳ないのですが控えていただけますか……? どうも私には耐性がないみたい。ああ、いや、ほとんどの人が耐性ないのかな?」


 手帳にすばやく目を走らせる。

 竜の言葉はとにかく長い。手帳をめくってめくってめくってめくる。語っている内容は、何度か読み返したいくらいに突拍子がない。けれど、何度も読み返したくないくらい、愛する彼女へのノロケが止まらない。


 このまま読み上げても、なかなか結論が見えないことを理解する。

 いろいろ削ぎ落とし、なるべく要点だけを話すことにした。

 

「我は竜である。名前はまだない。最愛の彼女からは『私のトカゲちゃん』と呼ばれている。早く名前をつけてほしい。そうしたら結婚できるのに」


 口に出してまとめているうちに、なんだかむずがゆくなってきた。

 ディアナの言葉に照れくさそうに肩をすぼめて、竜はびたーんびたーんと尻尾を岩に打ち付けている。結構な振動が床から伝わってくる。

 あれだけまくし立てて夢中で話しているうちは平気だったのに、冷静になって聞いたら羞恥心(しゅうちしん)でモダモダしているらしい。

 だめだ。もっと事務的なのを目指したい。

 裁判所の調書を読み上げる審問官みたいに冷静に。

 じゃないと、ますます興奮した竜の尻尾で、やがて地震が起こりそうだ。


「まだ100年しか生きていない。最愛の彼女に出会ったのは、今からたった8年前だ——」


 *******


 その竜は、ずっと独りで暮らしていた。親の顔は知らない。


 滝壺に棲家(すみか)があるから、魚は手に入る。少し山を行けば、大きめの獣も食べられる。

 時々、滝に流れつく人間の道具をおもちゃにして、竜は気ままに暮らしていた。


 人間のものには、たいてい鮮やかな色がついていて、さまざまな形があって、楽しい。

 だから村の方で火事が起こると、雲を起こして消してやる。

 楽しいものがなくなるのは、つまらない。


 でも、積極的に村に出ようとも思わなかった。

 人間の道具は好きだ。でも、人間は、変なにおいがする。胸騒ぎのする、鉄臭い、死のにおいだ。

 災いからは距離を置き、遠くで楽しむのに限る。


 だがある時、家の水壁を突き破って、突然その子は転がり込んできた。

 まだ幼い、人間の女の子。

 

 あまりに驚いて壁にへばりつく竜を、大きな目が見る。

 魔力を凝縮して宝石にしたような、たいそう美しい青い目が。


 ケラケラと嬉しそうに笑って、まっすぐこっちに走ってくる。

 柔らかい体が、竜の足に抱きついた。

 その温かさに、しびれて竜は動けない。


「できちゃった!水をもぐるやつ!パパのまじゅつの本で見つけたの!こんにちは、あなたはトカゲごっこをしているの?」


 ——と、トカゲ、では、ない。


 直接頭の中に話しかけてから、しまった、と竜は思う。

 たいていの動物に、竜の言葉は通じない。怯えられるばかりか、最悪、命を落とす。

 だが、女の子はきょとんと首を傾げて、それから疑わしそうに竜を見た。


「だって、トカゲさんでしょ? 真っ黒で、ピカピカ光って、かっこいいね!」


 ——我、か、かっこいい……?


 生まれて初めて褒められて、竜はぶるりと震えた。体に血が巡る。バサリと翼を広げた。

 その風圧で女の子は後ろにころころと転がってしまって、そしてまた、ケタケタと笑った。


「私もやる!」


 その体に、力強い魔力が巡った。

 と思ったら、竜の前に、小さな小さな子竜がいた。

 その子の髪色そっくりな、真っ赤でかわいい、かわいいかわいい、かわいすぎるメスの竜。


 嫁だ。

 嫁がいる。

 

 竜は思った。これが嫁じゃなかったら、僕はもう、一生誰とも(つが)わない。

 (フレア)だ。

 水を司どる自分には足りなかった、真っ赤な真っ赤な綺麗な炎だ。


 抱き上げて、ぎゅっと抱きしめる。頬ずりする。

 キャラキャラと得意そうに笑って、竜の嫁は言う。


「あのね、へんしんまじゅつ、パパに教えてもらったばっかりなの。犬にだってなれるんだよ!」


 言うなり嫁は、子犬に変わってしまった。

 竜は一瞬、絶望した。

 犬と竜とは(つが)えない。


 そうか、なら、自分が犬になってしまえばいい。


 すべての解決策を思いつき、竜は意気揚々と犬に姿を変える。

 とたんに彼女は鳥になって歌った。

 自分も鳥になって歌う。

 楽しい。もう一生離れない。


 ——君が何になっても、僕もそれになる。


 それはあまりに自然なことで、竜と彼女はいろんなものに姿を変えて遊んだ。

 自分の宝物をたくさん見せて、笑って、また遊ぶ。

 果物が好きな彼女のために、一緒にたくさん摘んで、食べて、笑って、また遊ぶ。


 そうして、ずっと一生楽しく過ごすはずだったのに。

 7日も経たないうちに、彼女の元気がなくなってしまった。


「ママとパパに会いたい。妹が、心配」


 美しい青い宝石の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。

 どんなに懇願しても、あやしても、彼女は泣き止んでくれなくて、とうとう竜の腕の中で泣き疲れて眠ってしまった。


 愛おしい。

 竜は思う。

 食べてしまいたいくらいに愛おしい。

 でも、泣いている姿は、見たくない。


 それは生まれて初めて竜が知った悲しみだった。

 引き裂かれそうな心で、自分たちを覆っていた結界を解く。


 とたんに背の高い人間の男が、すっ飛んでやってきた。

 その銀髪は竜の鱗のように美しく、その青い目は彼女にそっくりだ。男の血の中に、かすかに竜のにおいがする。

 ずいぶん遠いが、それでも自分の血族だ。


 男は疲れ切った顔で言った。


「うちの娘を返す気になってくれて、ありがとう」


 ——返すつもりはない。一時的に、戻すだけだ。


「そうだろうな。でも、感謝する」


 男の腕に引き取られた(フレア)は、眠っているのに、安心したようにへにゃりと笑った。それから父親の首に腕を回して、快適なベッドで眠る無邪気な女の子の顔になった。

 竜には、一度も見せたことのない顔に。


 胸が痛い。ちぎれそうだ。


「子どもに親のもとで過ごす時間をくれて、ありがとう。まだ4歳のこの子には、絶対に必要なものだ」


 きっぱりと、男は言った。

 竜は言い返せない。

 人間のルールはよくわからない。それでも、今、何が必要かは、自然と理解できた。

 今の彼女に必要なのは、自分ではないのだ。


 ——いつまで。いつまで待てばいい。


 竜は必死で尋ねた。心のうちが空っぽで、何かを詰め込まないととても生きていけない。


「うちの国の人間は、18歳で成人する。だからあと……14年だな」


 14年!

 竜はとたんに希望を取り戻す。

 100年近く生きてきた。今さら14年を待つくらい、どうってことはない。


「でもまぁ、俺もうちの奥さんと出会ったのがそれくらいの年頃だからなぁ。もうちょっと早く再会してもいいのかもしれないな。そのうち連絡するわ。信じてくれ」


 ——お前の血にかけて約束するか?


「俺の血に? わかった。約束しよう」


 男は一瞬不思議そうな顔をして、それから約束してくれた。

 竜は安堵した。竜族の血に誓った約束は、必ず果たされる。そういうふうに、できている。

 男は、ひどく真面目な顔をして、娘を抱え直す。


「俺からも、約束してほしいことがある。絶対に、大人になった娘の気持ちを尊重してくれ。無理強いはしないでくれ。うちの娘たちには、心から愛した人と、何の憂いもなく結婚してほしいんだ」


 もちろんだ。

 竜も自分の血にかけて約束した。

 そもそも自分たちは(つがい)なのだ。心が離れるなんて、ありえない。


 そうして竜は、最愛の彼女と、ほんの少しの間だけ、離れることになった。


 14年なんて、あっという間のはずだった。

 なのになぜか、一日一日がひどく長く感じる。

 じっとしていられなくなって、時々、村に通じる道のそばを密かにうろつくようになった。

 あの男の言った「もうちょっと早い再会」はいつ訪れるのか。

 待ち遠しすぎて、何度も姿を隠してうろうろしてしまう。


 そうして今日、かすかに感じ取ってしまったのだ。

 最愛の(フレア)の、甘い甘い香りを。

 その匂いを醸し出す人間の女の後ろ姿を、必死で追った。


 *******


「——それでさっき、私たちの後ろを隠れて追ってきたんですね? ロニーの移動魔術の痕跡も追いかけて、家の中まで結界を破って入ってきて。そこで私が襲われているのを見て、とっさに助けてくださった、と?」


 ディアナの言葉に、竜はうんうんと大きくうなずいた。 

 すばやく石の上から飛び降りて、あっという間に目の前に詰め寄ってくる。

 立ち上がると、ディアナの背丈くらいはある。

 何もできないうちに、ずしりと竜の顎が頭に乗っかってきた。


 ——お前は、あの子ではない、よな?


 不安そうな声が、ガンガンと頭で鳴り響く。言葉が直接頭痛に結びつく。それでも、ディアナは悟った。

 ハーフォード・カワードが言っていたのは、このことか。

 必死で声を押し出す。ここできちんと理解してもらわないと、とんでもないことになりそうだ。


「私は、違います。私は、ディアナ・ハース。魔術師ロニー・ボージェスの(つがい)です。あなたの彼女は別にいる」


 ——どこに。今どこにいる。


 必死の声が、グラグラと脳を揺らす。

 ディアナは思う。竜が執着するその地図は、カワード一家の持ち物だ。そして、ディアナが知っている赤毛で青い目の少女と言ったら……


 ——そう!その子が僕の(フレア)だ!会いたい!どこにいる?!


 ひとりの女の子の姿を思い浮かべたとたん、すがりつくように竜が叫んだ。


 やっぱり、とディアナは思う。

 思い浮かべたのは、ハーフォード・カワードの長女の、


「……やっぱり、ルミちゃんだったんですね」





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