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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第8章 相棒、っていうよりもはや。
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(8-5)マルスの女神


 マルス・ハースはその時、苛立(いらだ)っていた。

 職場の商会に、自分宛ての郵便が届いたのだ。

 発送元は姉の名で、中には数日前に渡したばかりの見合いの釣書が入っていた。

 合わせて、封書が1通。

 

 ——結婚が決まりましたので、釣書はお返しします。まもなくハース家の籍から抜けます。今後、ハース家の皆様とお目にかかることはありません。ご健勝をお祈り申し上げます。


 流麗な筆跡で綴られた、とてもビジネス的な手紙だった。

 そっと、姉の手で書かれた文字を撫でる。

 初めて女神から自分に宛てて贈られたものだ。無限に撫でていられる。


「あの、魔術師の男か」


 姉にまとわりつく男がいるのは把握していた。昔、一度だけ会ったことのある、目つきの悪いあの男だろう。しかし、それがなんだというのか。

 家に帰って、再び手紙を眺める。あの人にふさわしい、この上なく美しい文字だ。これだけでも、最高にマルスを(たかぶ)らせる。

 だが、あの人を手に入れるためには。


 翌日、マルスはその男と面会していた。

 王都タイムズ新聞社。ナリック・タンゲラー。釣書の相手だ。姉を(かす)め取ろうと狙う男。

 反吐(へど)が出るほどおぞましい相手だが、この男には地位と金がある。利用できるものは、なんでも利用しよう。それであの人が手に入るなら。


「それで、お姉さんを私のところに連れてきてくださる手伝いをしてくださると?」


 見た目は完璧な御曹司が、完璧な笑顔でマルスを見る。


「ええ、あなたが本当に姉を望んでくださるなら」

「見返りに何を望んでいるのかな?」

「ハース家に経済的支援を。そして私に伯爵位を」

「なるほど。明快だ」


 そうだ。明快だ。そんなもの、マルスは一つも望んでいない。だが、この男の論理には、金と地位を要求しておくのが一番効く。

 人は自分が一番欲しいものを、他人も欲していると思いたいものだ。

 相手の欲を見抜く。そこに商品を売り込む。マルスがいつも仕事でやっていることだ。難しいことなど一つもありはしない。


「それで、弟さんの作戦は?」

「私の家族を人質に取って脅せばいい」

「それはそれは」


 タンゲラーの目が細められる。驚いてはいない。おそらくこの男も、それを次の一手の選択肢のなかに入れている。


「ですが、お姉さんはご実家と不仲なのでは?」

「裁判所の速記官をしている人間です。人並みの正義感は持ち合わせている。それに、家族が犯罪に巻き込まれて見殺しにしたと知られたら、職を失いかねない。清廉潔白な人材を求める職場ですからね。あれだけ自分の職を誇りに思っている姉です。人の命と引き換えに、交渉するのは有効だ」

「私に犯罪者になれと?」


 面白がるような響きがあった。マルスはうっすらと笑った。


「姉を欲しがる時点で、あの男のことはご存知なのでしょう? ロニー・ボージェス2級魔術師。彼を出し抜いて姉を手に入れる覚悟があるあなたに、そもそも法律を守る気があるとは思えない。いや、もしかしたら、あの魔術師を出し抜き支配するところを含めて、あなたがやりたいことなのかもしれませんが。それは私には関係ない。私は欲しいものだけを、手に入れられればそれでいい」

「なるほどね。わかりやすい」


 ナリック・タンゲラーは自社の応接セットのソファにもたれて、ゆったりと足を組む。リラックスした調子で、楽しむように目の前の紅茶を口に含んだ。


「それで、どうやってお姉さんを連れてくるのです?」

「あなたが自由に動かせる民間の優秀な魔術師のひとりやふたり、いるのでしょう? お貸しください」


 この場合、沈黙は肯定だ。黙ったまま余裕の表情を浮かべ続ける男を相手に、マルスは淡々と交渉の言葉を並べていく。


「まずは、私の家族をまとめて拘束します。それから、姉のところに行って、私が不意を突いて身柄を確保しましょう」

「どうして弟さんが必要なのかな? 私の魔術師たちだけでもお姉さんを捕らえられると思いませんか?」

「見知らぬ魔術師がいきなり現れたら、姉は即座に腰巾着のボージェスという魔術師を呼ぶでしょう。だが弟の私が現れたら、とまどう隙ができる。そこを突きます。あなたのところに連れて来ましょう」

「へぇ? ……でも、それも面白いかもしれませんね」

 

 どこか他人ごとのように平然とうなずくと、ナリック・タンゲラーはマルスにふたりの魔術師を引き合わせた。


 ひとりは、王立アカデミーの研究員をしているフィン・ロクスターという男。20代後半くらいだろうか。少し前まで王宮魔術師だったらしい。今の職場に馴染(なじ)めていないらしい彼は、休職中だという。プライドが高いが、その分、扱いやすい。少し()めそやすだけで、すぐにマルスのいいように動いてくれるようになった。

 もうひとりは、トビアス・キーレ。30代後半ほどに見える男で、姉の働く裁判所の広報官だという。


「ちょっとヘマをしましてね。職場から怪しまれてるんで、しばらく病欠ってことにしました」


 あっけらかんと笑う男は、最初からホイホイと気持ち良いくらいにマルスの言うとおりに動く。

 いずれも2級魔術師だった。ロニー・ボージェスと同じ階級だ。人数から考えても、こちらが確実に有利だ。


 ナリック・タンゲラーと手を結んだおかげで、情報が次々とマルスのところに転がり込んでくる。

 姉は釣書を投函した翌日から、裁判所に出勤しなくなっていた。

 その居場所は(よう)として知れない。

 それはまあいい。タンゲラーが勝手に探し出す。


 マルスは自分のすべきことをする。

 実家に向かった。故郷の街には魔術師団の移動魔法陣が設置されているようで、元王宮魔術師のフィン・ロクスターが勝手にそれを使ってくれた。

 彼の仲間も呼んで、魔術師6人を従えて家に踏み込む。


 ちょうど家族3人で夕飯を取っている最中だった。

 父と兄は驚いたような顔をして、マルスを見た。

 一言も発しないうちに、3人の体は魔術で動けなくなる。


「人間のままだと、かさばって不便なので」


 フィン・ロクスターは口も聞けず、怯えだけを目に浮かべる父と兄を見て、残虐な喜びをその顔に浮かべた。


「別の形にしてもいいですか?」

「ええ、どうぞ。お好きなように」


 5人がかりで長い詠唱が始まる。トビアス・キーレだけはそれに加わらず、無表情のまま腕を組んでじっと眺めている。


 父が、次いで兄が、青い光の繭に包まれていく。

 最後に母が、マルスを見た。

 見たこともない強い瞳で、ほんのりと微笑んでいるようにすら見える。その黒い目が、まるで姉そっくりに見えて、マルスは目を逸らす。そんなはずはないのだ。あれは、姉の母ではない。

 

 ぼちゃん、と、水音がした。


 テーブルの上にバケツが置いてある。底に、派手な模様の小さな魚が3匹、へばりついている。


「へぇ。これ、人間に戻せるんですか?」

「1カ月くらいの間だったら」

「そうですか」


 マルスはほっとした。これで、口うるさく自分の邪魔をしてくる人間はいなくなった。

 1カ月もあれば、すべてが終わっているだろう。

 もちろん、自分は姉と血がつながっていない。だが、つながっているなどと間違った主張をしてくる人間は、これで消えた。好都合だ。なんなら、二度と人間に戻ってくれなくても構わない。


 住人が誰もいなくなった屋敷に、不意に小鳥の羽音が響く。

 金茶色の小鳥が、ひとり静かに壁際に立っているだけだったトビアス・キーレの褐色の頭にとまる。

 小鳥は魔術師の手の中で、1枚の紙に姿を変える。

 キーレは表情ひとつ変えずにそれを読み、マルスをまっすぐに見た。


「お姉さんの居場所がわかりましたよ」


 告げられた地名は、ここから馬車で半日ほどの山間の村の名前だった。

 すぐにでも現地に飛んでいきたいが、その村に魔法陣は設置されていない。

 翌日の早朝、半分以上の魔力を使い切ってしまった3人の魔術師たちを残し、十分余力のあるトビアス・キーレ、フィン・ロクスターと彼の部下1名とともに馬車に飛び乗った。


 かすかに微笑むマルスを見て、向かいに座ったキーレは軽く首を傾げる。


「そんなに嬉しいですか」

「最愛の姉に会えますからね」

「ご家族が金魚にされたのに?」

些細(ささい)なことです。姉の幸せと比べたら」

「ふぅん。そういうものですかねぇ」


 興味を失ったように、キーレは窓の外を見る。 

 まだほんのりと夜の気配が残る街道を、馬車は駆け抜けていく。

 

 女神に会えたら、なんと言おう。

 この魔術師たちのいる手前、一度はあの腹立たしいナリック・タンゲラーの元に連れて行かねばならないが。

 なんだったら、その前に、こいつらを殺してしまったって構わない。


 実家の部屋から持ち出した拳銃が一丁、胸のホルスターに隠れて固定されている。ポケットにはナイフも入っている。

 商売柄、輸入商品を外国に買い付けに行く際に、身の安全を守るために使い方を習得した。

 魔術を発動させるのには時間がかかる。無詠唱で術を立ち上げられる特級魔術師でもない限り、不意打ちすれば銃で撃ち殺せる。

 

 人を目の前で殺されたら、ディアナ姉さまはショックだろう。かわいそうに。

 その恐怖につけ込んで、自分の思うとおりにできるのだったら、それはマルスの本望だ。

 

「へぇ、これはまた、ずいぶん強固な守りの術がかけられている」


 姉が滞在しているという家を見るなり、トビアス・キーレは感心のうなり声をあげた。


「でも、家の裏手に守護結界をこじ開けて塞いだばかりのような跡があるな。あそこからならなんとか入れそうだ。ロクスターさん、少し外で騒いで、ロニー・ボージェスを長めに引き留めておいていただけませんか。私はほら、一応現役の広報官でしょう?荒事は苦手でね。文武両道の優秀な王宮魔術師だったお方に陽動はお任せしたいなぁ」

「分かりました。お任せあれ」


 キーレの口車に乗せられて、一番面倒な役目を嬉々として引き受けたロクスターを外に残し、3人で結界の中に侵入する。

 台所の勝手口の鍵を壊し、家の中に入り込んだ。


 そこでとうとう再会した。

 マルスの女神。


「嫌だなぁ、ディアナ姉さま、僕を閉じ込めようとするなんて」


 恍惚として、マルスはその名を呼んだ。

 美しい首に、ぴたりとナイフを当てている。

 

「僕たちはふたりで幸せになれる」


 喜びに()かれながら、マルスはその体を後ろから抱き込んだ。

 待ち望んだすべてが、今、腕の中にある。


「ああ、鳥肌も綺麗ですね。すぐに移動魔法でお連れしますね」


 すべてが美しい。この後に及んで諦めようとしないその目の輝きすらも。

 急に、女神が腕の中でみじろぎした。

 体が前に傾く。ナイフが柔らかい肌に吸い込まれようとする。


 ここで、女神が傷ついてしまったら。


 マルスはとっさに思う。震える。

 その血さえも、きっと美しい。

 この腕の中で死んでくれるのなら、永遠にこの人はマルスのものだ。

 死んでも、女神は、美しい。


 ——ユルサナイ。


 陶然と震えるマルスの頭に、直接差し込まれるように声が届く。

 何を言われているのか理解する前に、息が止まった。体が動かない。何かに押しつぶされるような、閉じ込められるような感覚が一気に襲う。眼が見えない。


 ——ユルサナイ。ワガツガイニテヲダスニンゲン。


 直接、脳に言葉がぐわんぐわんと鳴り響く。

 何かの姿がその音の揺らぎの合間にちらりと姿を見せる。

 怒りに黄金の目を炯々(けいけい)と輝かせた……………………竜?


 ——ワガケンゾクニナリサガレ。シヌマデソノママデイルガイイ。


 なんの話だ。ディアナは?マルスの女神はどこにいる?


 必死に体を震わせる。

 前に進もうとする。

 体が動いた。

 いや、泳げた。


 ……泳げた?


 マルスはまばたきをしようとした。できなかった。

 水がある。

 どこまで行っても、水しかない。

 なんでだ。自分は人間なのに。

 これじゃまるで……魚じゃないか。

 

 ふいに、何かにぶつかった。

 びくりとして、距離をとる。

 

 派手な色の魚にぶつかったのだ。

 自分の家族がなったのと同じような。

 あのトビアス・キーレという魔術師はなんと呼んでいたか。


 ……金魚?


 マルスはあまりの驚きに、泳ぐのをやめた。

 その真っ赤な口から、こぽりと小さな空気の泡がひとつ出て、静かに水面へと上がっていった。




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