(8−2)突然のバカンスです②
突然現れたロニーの父は、
「さ、ランチ行こうランチ!レストラン予約しちゃったよー!」
唐突にウキウキ叫ぶなり、筋肉痛にうめくふたりを有無を言わさず家から追い立てた。
今はディアナを挟んでロニーと並んで歩きながら、ニコニコ最高に上機嫌だ。
「いやぁ、ディアちゃんとご飯を食べられるの、久しぶりだなぁ!」
「なに言ってんだよ。1カ月くらい前に一緒に食ったでしょうが」
「僕ぁねぇ、毎日だっていいんだよ? あ、そろそろ二人でうちに引っ越して戻ってくるかい? 新婚夫婦の素敵な部屋を用意するよー?」
「やめろ、絶対に戻らねぇ」
「えぇー? お前のディアちゃんは、とっくにうちのディアちゃんなのに。ディアちゃんは?僕たち夫婦と一緒に住むのはどうだい?」
「ふふ、それもすっごく楽しそう!」
「楽しいよ!何ならロニーを放って置いて、ディアちゃん一人で越しておいで♪」
ダニエルは得意げに息子を横目でちらりと見てから、見せつけるようにディアナの手に親愛のキスを落とした。
思いっきりロニーは父親の肩を押して引き剥がす。
「やーめーろー、ディアが汚れるだろ!父さんの腹黒がうつったらどうしてくれるんです」
一筋縄でいかない親父に、ディアナがこんなにも幸せそうに懐いているのが腹立たしい。いや、家族の愛情を知らなかった彼女が自分の両親に心を許してくれているのは、とてもとても嬉しいのだが。
厄介な父親は、ほら、すぐにこんなことを言い出す。
「見事腹黒になったディアちゃんには、第4魔術師団の速記官になってもらおう!会議の議事録係、嫌がってみんなで押し付けあってるだろ。ディアちゃんにやってもらえたら解決だ!ディアちゃん、どうかな?うちの団においでよ」
「わあ、いいのかな? もしこのまま裁判速記官に戻れなかったら、再就職先にぜひ!」
「どさくさに紛れてスカウトすんな! ディアも乗り気になるんじゃねぇよ」
こんな企みごとだらけの父親の下で、かわいいディアナを働かせてなるものか。
今だって、謀りごとの真っ最中のくせに。
家を出るとき、ロニーはあえて自分たちに隠密魔術をかけずにおいた。変身の術も使っていない。
父親がどう対応するのか、見たかったのだ。
案の定、父は何の魔術も使わなかった。
ありのままの自分たちを路上にさらけ出して、楽しそうに歩いている。
まるで誰かに見せたいように。
着いた店は、村の中でも最高級のレストランだった。
とはいえ、田舎の村だ。白壁に据え付けられた木の棚には、地元名産の酒瓶がずらりと並ぶ。その手書きラベルの素朴な印象ともあいまって、どこかのんびりとした雰囲気を店内に漂わせている。
奥の個室に通されて、足を踏み入れたとたん、ディアナが歓声を上げて飛びついた。
「ジェニー母さま!」
「ディアちゃん!よかった、元気そうね」
抱き合って喜び合う母とディアナを眺めて、父は口を尖らせて拗ねている。
「何だよ、僕と再会した時より嬉しそうじゃないか」
「いい年したおっさんが、かわいい子どもみたいなふりして拗ねるんじゃねぇよ」
「なんだ、ロニーには僕がかわいく見えてんの? いやぁ、大人になったねぇ」
「やめろ、頭撫でんな。腹黒が感染する」
「あはは、大丈夫だ。お前にはとっくにその素質があるよ。10年ディアちゃん囲い込んでるだろ。さすがは僕の息子だな」
最後のふたことだけ、こっそりロニーの耳の中に流し込んで、ぐっと親指を立ててから父はテーブルについた。
「さあ、食べようか!楽しみにしてきたんだ、ホールチーズパスタ!ほらほら、ジェニーもディアちゃんも座って」
父とロニーが並んで座り、その向かいに母とディアナが座る。
ディアナは前菜のサラダを食べながら、村での生活がどれだけ楽しいかを母に報告するのに夢中になっていて、その隙にロニーはぼそりと父に確認する。
「で、父さんがここに来たってことは、もろもろ問題が片付いたってことですか?」
父の直下で働いている副団長ミラード・カーターの動きが、あからさまにおかしい。
当然それを把握しているはずの父は、どこ吹く風でうそぶいた。
「僕の部下たちはみんな優秀だからね。お前も含めて」
「へぇ、ソウデスカ」
棒読みで返して、新鮮な採れたて野菜のサラダをひたすら噛み締める。どうせこの人からまともな返事が来るなんて期待していない。
「お前も、のびのび休めたみたいで安心したよ。顔色がずいぶんいいな」
「王都の家の魔術、いったんすべて解いて組み直しましたからね」
今、王都のあの家には、湖も、望んだところに移動できるドアもない。強固な守護結界と花壇の水やりだけ、魔術が作動している。
その他すべての力をこっちの隠れ家とディアナを守るために使っているから、正直、日頃の5分の1も魔力を消費していない。
いつもより、はるかに体が軽い。だるい感じも一切なくなっている。ひさびさに何の負荷もかかっていない普通の体に、むしろ戸惑うくらいだ。こんなに楽に生きてもいいんだろうか。
「それでいいよ。若いうちは力任せに術を使いまくっても何とかなるけどね。誰だって歳は取る。お前もそろそろ自分の体のことを気にしていいタイミングだよ。ディアちゃんと、きちんと家族になるんだろ」
やさしい目つきでディアナの指輪を見つめ、父はそれから珍獣を観察する顔で、ロニーをじろじろと眺めやった。
「で、なんて言ってプロポーズしたんだい?」
「……」
何の言葉も言っていない。
自分が一番分かっている。
それじゃいけないことくらい。
言い訳にしかならないが、あの時、あらかじめ何度もシミュレーションしたのだ。
ディアナが一番好きなものを一緒に食べて、それからプロポーズするつもりで。
柄じゃないと思いながらも落ち着かず、事前に何度も跪いて練習した。いろんな言葉を考えた。どの言葉にしようか悩みまくって、気障だと分かっていたけれど、大きなバラの花束だって用意した。
なのに、ディアナを横から盗ろうする奴らがいたことを知って、どうしようもなく頭が沸いた。
ディアナは、ロニーのディアナだ。
他の野郎に、指一本だって触らせたくない。
髪の端まで、指の先まで、ロニーのディアナだ。
沸騰した頭のまま、いつの間にかディアナの指に、指輪を嵌めていた。
何やってんの俺、バカじゃねぇの、ってか大馬鹿だろ俺、とほぞを噛みながら、そのまま開き直って方々に独占権を主張しまくっている。
用意した花束は、今でもロニーの空間収納箱で咲いたままだ。
「……やり直す」
「あはは。早いうちに頑張りなよ。お前は器用なのに不器用なんだから。で、それはそれとして。いつ結婚式をするつもりなんだい、お前たち」
「そうよ、盛大なお式にしましょうね!」
母が顔を輝かせて、男たちのボソボソした小声の会話に大きく割り込んでくる。
「今日はそのための相談にも来たんだから! ディアちゃん、ドレスは一緒に選びましょうね。細くて背が高いから、どんなラインのドレスでも着こなせるわね。裾はふんわりたっぷり余らせて、極上のレースを使いたいわ!」
「母さん、俺の好みも反映させたいから、」
「だまらっしゃい、どんなディアちゃんでも『かわいい綺麗だ大好きだ』ってしか思わないくせに」
ピシャリと言われて、その通りのロニーに返す言葉はなく、ディアナはディアナで真っ赤になって目を泳がせている。
自分たちからは何の報告もしていないのに、当たり前に近々結婚するのだと理解されている。あまつさえぐいぐい進めてこようとする両親に、どう立ち向かえばいいのやら。
閉口しながら、次の一手を打とうと口を開いた瞬間に、
「お待たせいたしました。ホールチーズパスタをお作りいたします」
ワゴンに大きなチーズのかたまりを乗せたシェフが現れて、助かった。ロニーは密かに張り詰めた肺から少し安堵の息を漏らす。
「いやぁ、本当に大きいチーズだねぇ」
「たらいより大きいし厚いわね!私はきっと抱えきれないわ」
両親の興味が一斉に自分たちから逸れる。
——よかったね!
と、ディアナの目が笑っていて、ロニーは彼女の手を無性に握りたくなる。ぐっと堪えた。何ならその唇にキスしたい。でも10年間拗らせ続けた初恋のあげく、そこに踏み込む手前で気持ちが空回る。
念願の頬キスとハグと横抱きと肩抱きと腰抱きまでは、勢いに任せてようやくいけたのに。
そこから先は、もはや神聖な領域になりすぎている。
深く触れるのが怖いとか、踏み込んだら汚してしまいそうで恐ろしいとか……どんだけ拗らせてんだよ自分。
「このチーズの上に、熱して火を移した蒸留酒をかけまして」
シェフが滑らかに説明し始める。
レードルの中で炎を上げながら滾る酒が、巨大なチーズの真ん中に注がれる。
とたんに良い香りを放ちながら溶けていくチーズの表面を、さらにレードルの底でかき混ぜて溶かす。そこに茹でたての平打ちパスタを鍋から取り出したっぷり乗せた。
ますます溶けていくチーズを麺にしっかりと絡め、4枚の皿に取り分ける。
「ここにトリュフという名産キノコをたっぷりスライスしてかけまして、さらに黒胡椒を挽き……はい、お待たせいたしました。どうぞよく混ぜて、ゆっくりご賞味くださいませ」
その名物パスタはあまりにも美味しくて、しばらく4人は無言になった。
チーズの塩加減と、キノコの旨みが絶妙で、そこに小麦のパスタの甘味が溶け合っている。飽きさせないように、胡椒の香りと刺激がふんわり生きる。
シンプルながら、いくらでも無限に食べられそうな逸品だった。
「ああ、夕食も続けてこれを食べたいなんて、しばらくぶりに思ったな」
デザートのシャーベットと食後の紅茶を口にして、ようやく父がパスタの余韻から抜け出して口を開く。
ロニーはうなずきながら、そんざいに部屋の片隅に設えられた暖炉を指さした。
夏の今の時期は使われていないが、冬にはきっと活躍しているのだろう。
使い込まれたその暖炉の上。
マントルピースのタイルの1枚に、気になる模様が埋め込まれている。
自分たちの結婚プランを根掘り葉掘り聞かれるより、今はよっぽどこの話題の方が優先だろう。
「ちょうどディアと話してたんですけどね」
ディアナと視線を交わす。『うん、聞いてみよう』と彼女が目だけで告げて、一つうなずく。
今までは、とりあえず考えるのをやめてバカンスを純粋に楽しんでいた。だって、あれこれ思い悩んだところで、自分たち二人だけでは事態は何も進展しない。
けれど、両親が来たからには、きっとそろそろ潮時だ。
見て見ぬふりをしていた疑問を、ロニーはとうとう口に出す。
「何でこの村、あっちこっちに、ウロボロスの竜みたいな飾りが嵌め込まれてるんですかね」
明日の投稿はお休みさせていただきます。
あさってから、またどうぞよろしくお願いします……!