(7-5)記者は語る①
招かれて入ったその部屋は、居間と食卓を兼ねているようだった。
ウィザー以外に人がいる様子はない。ディアナは首を傾げる。
「あの、奥様は?」
「今日は取材で出張です。妻も新聞記者なんで」
そう答えながら、ウィザーは手際よく食器を並べ、鍋のものを取り分けていく。
ディアナとロニーは部屋の奥の大きなテーブルに座った。
「ボージェスさんにも来ていただいて、ありがとうございます」
向かいに腰掛けながら、ウィザーは頭を下げた。
ロニーは怪訝そうな顔を隠すこともなく、軽く眉を上げる。
「俺の名前はどこで?」
ディアナは基本、付き合いの浅い人にはロニーの名前や所属を明かさない。この取材でも「魔術師の友人がいて」とだけぼかして話していた。諜報活動という仕事のことを考えると、安易に身元を教えない方がいい。
「調べました」
ウィザーはあっさり答える。
「それはなぜ?」
ロニーの鋭い問い返しにも動じることなく、ディアナの前に胡椒の入ったミルを押しやる。
「あたたかいうちに召し上がれ。たっぷり胡椒をかけるとさらに美味いですよ」
「でも、ウィザーさん……さっきメモをくれましたよね? それで私たちはお話を聞きに来たんです」
ディアナは困惑して目の前のスープ皿を見る。湯気が立っている。確かにとても美味しそうだ。
階下のお惣菜屋さんで働くおかみさんの人の良い笑顔が頭に過ぎる。
もしこれを食べずに帰ったら、とても悲しい思いをさせてしまうと思う。
それは決してディアナの望むことではない。けれどもこの状況が、どうにもよく飲み込めない。
ウィザーは意図のつかめない笑顔で、明るくテーブルを指し示した。
「突然思わせぶりな方法でお呼び立てしてすみません。でもまあ、まずは食べませんか。人間、どんな時でも食わないと。申し訳ないが、その後に少々重い話をさせてください。だからこそ、旨い飯は、旨い時に食うのが一番!」
そう宣言すると、ウィザーはさっさと食べ始める。
食卓に沈黙が落ちる。
ロニーは何かを考え込みながら、黙ってスプーンを取り上げた。
ディアナも煮込みを繰り返し機械的に口に運んだ。舌は美味しいと喜んでいるのに、どうやっても心からは喜べない。
そうして先に食べ終わりかけているロニーのパン皿に、ディアナはまだ手をつけていない自分のパンをそっと移した。
いつものロニーなら全然足りない食事量だ。本当だったらきっとまだまだ食べたいはず。
ロニーはちらりとディアナの顔を流し見ると、そのパンを取り上げて小さくちぎった。煮込みのスープに浸すと、おもむろにディアナの口に持っていく。
とっさに口を開けて、パクリと食べた。
「……美味しい」
初めてちゃんと、味が心に深く染みわたる。ディアナは目を見開く。また一口、しっとり煮汁を吸い込んだパンが口の中に押し込まれた。
「すっごく美味しい。何?ロニー、何か術をかけたの?!」
「まさか。もともと旨い煮込みだよ」
軽く笑われて、ぽんぽんっとロニーの手がディアナの頭を優しく叩いた。
「しっかり食べろ。ディアの好きな味だろ」
「うん。そうみたい。すごく好き」
「ん。今度、仕事帰りに買って帰るか」
「うん!他のお惣菜も美味しそうだった」
会話を交わすごとに、ディアナの中に、みるみる元気がみなぎっていく。そうなってくると現金なもので、すっかり目の前の食事が絶品に感じられる。残りは軽快に食べ進め、とうとう完食してしまった。
「本当に仲がいいんですね。インタビューの時に、『世界一信頼している相棒がいる』ってハースさんがおっしゃってましたけど。百聞は一見にしかずだな」
笑顔でそんなことを言いながら、ウィザーが食器を下げ、食後のお茶を出してくれる。
ロニーはウィザーを見据えて、すうっと背筋を伸ばす。
そして、いきなり言い切った。
「そうですね。信頼しているし、世界一大事に思っているし、ディアナは俺のすべてで、俺の命です。ディアがいなかったら、俺は王宮魔術師になっていなかったし、今頃は身の周りの煩わしいことすべてから逃げ出して、生きているんだか死んでいるんだかわからないような、無味無臭のろくでもない人生を送ってた。だからこそ」
だん、とロニーの握りこぶしがテーブルを叩く。憤りと苛立ちを濃縮したような、鈍くて重い音が響き渡る。
「もし、あんたがディアナを利用しようとしているなら、俺は絶対に赦さない」
「……本当に、申し訳ない。お気づきだったんですね」
ウィザーの顔から、笑みが消える。深々と、テーブルにめり込ませる勢いで頭を下げる。
「申し訳ありません。今回ハースさんにインタビューしたのは、偶然じゃないんです。一応、広報を通して人選を相談しましたが……あなたにインタビューさせてもらえるように、うまく誘導しただけです。最初から、ディアナ・ハースという人をピンポイントで狙っていた。もちろん、あなたの仕事に興味があったし、いい記事も書きたかった。そして同時に——ロニー・ボージェスという人と、なんとか繋がりを持ちたかったんです」
「なんで俺と? どうして直接俺に接触してこなかった」
厳しい声で、ロニーが問いただす。
「それはあなたが——この事件の当事者の一人だったから、というのも大きいです。そしてあなたは、自分の気配を殺す天才だ。ディアナ・ハースさんのそばにいる時だけは普通の人みたいな雰囲気を出して並んで歩いているけれど、それ以外のひとりの時は、足跡を全然つかめない。こっそり接触することなんて、到底不可能だった」
ウィザーは立ち上がると、部屋の片隅の戸棚を開ける。そこから何かを引き抜いて、ロニーに手渡した。
それは1枚の紙だった。
ずいぶんと古く黄ばんだ小さな新聞記事が貼り付けてある。
「ロニー・ボージェスさん、あなたも当然よく知っている事件のはずだ」
「——違法金魚。今さら何で」
ロニーはぼそりと口にした。隣のディアナも、信じられない思いでその新聞スクラップを流し読む。
それは8年前。
まだ学院生だったロニーがディアナのリゾートワンピース見たさに潜入捜査に強制的に参加するはめになった——そしてディアナがその裁判で速記官という天職と出会った——あの違法金魚事件を簡潔に報じた新聞記事だった。
「そうですね。とっくに裁判まで終わったはずのあの話です。あなたも学生ながらに捜査に関わっていたとか。ま、今さら何を言い出した、って感じですよね」
ウィザーは静かに断定した。さらに、大きな封筒を一つ、ロニーの前に置いた。
「でも、それがすべての始まりだ。これが証拠です」
「これは……魔術契約書?それから……ずいぶん使い込まれた手帳だな。これが一体なんの証拠だと」
「ナリック・タンゲラーの犯罪の証拠です」
ウィザーは、自分の上司の名前を吐き捨てる。
ディアナはわずかに身じろぎする。それは、今日、勝手に縁談相手だと告げてきた男の名前でもあった。
その動揺を見逃さず、ウィザーのまなざしがディアナにまっすぐ注がれる。
「ハースさん、今日の面会のとき、ナリック・タンゲラーの名前を出してましたよね。俺と会う前の時間に、何があったんですか? あいつに、何かされてませんか」
「……されました」
心を決めて、ディアナはまっすぐにウィザーを見つめた。
今、尋ねるべきことは、分かっている。それを聞かないと、自分は前に進めない。
ブラウスをまくり上げて、腕を見せる。そこにあるのは、いつの間にか、勝手に刻まれていた魔術紋——竜が自分の尻尾を飲みこもうとする黒いシルエット。
ウィザーは息を呑む。しばらく絶句してから、ようやく言葉をこぼした。
「……ハースさん、これは一体……」
「今日、あなたがくる前に、ナリック・タンゲラーがやってきました。彼に腕をつかまれた時に、これをつけられました。そこから先の記憶がなく、目が覚めたら、ウィザーさんとキーレ広報官が立っていました。——これが何なのか、私はあの時どんな目にあったのか。ウィザーさんには心当たりがありますか?」
「……この紋章を、見たことがあります。これは、あなたの腕に、あってはいけないものだ。ああ、本当に、申し訳ない」
青ざめて、ウィザーは絞り出すようにつぶやいた。
「言え」
感情を押し殺した冷徹な声で、一言、ロニーは命じた。
「あんたの知っていることを、すべてここで話せ」
「もちろんです。……俺も売文屋の端くれでね。もちろんハースさんの取材みたいな穏やかなインタビュー記事をやるのも好きなんだけど。できれば自分のペンででっかいスクープをものにしたい、世の不正を暴いてやりたい、みたいな業の深い野望もある。あちこち嗅ぎ回ったりするのも常だ。で、ある時、知ってしまった。何ともまあ、身近なところで」
一気に疲れ果てたような顔をした新聞記者は、いったん口を閉ざすと、大きく息を吸った。自分の中の怒りを噛み砕いて飲み込むみたいに。
「うちの上司、ナリック・タンゲラーの交友関係と金の使い方には不審な点がある。あいつは金を違法な魔術研究に注ぎ込んで、大きな利益を手にしてきた。すべてお話しします」
とても長くなってしまったので、今日は2回に分けて投稿させていただきます。
引き続いて②もどうぞよろしくお願いします。
(そろそろ明るいシーンを書きたいです……!)




