(7-3)お見合い相手、と言われましても?
ディアナは一歩、後ずさる。
急に現れて、お見合い相手といわれましても。あの釣書は開いてもいない。今日の帰りに、弟の職場に郵送するつもりで、カバンの中に突っ込んだままだ。
こわばったディアナの顔を気に止めることもなく、男は柔らかく微笑みかけてくる。
「はじめまして、王都タイムズ新聞社のナリック・タンゲラーです。社会部の統括責任者をしています。今回はローレンス・ウィザー記者のインタビューにご協力いただき、ありがとうございました」
タンゲラーと言えば、王都タイムズの創業者の一族だ。とんでもないビッグネームが飛び出して、ディアナはまじまじと男の全身を見てしまう。
たいそう仕立ての良いスーツを当たり前のように着こなして、革靴の先まで美しく光っている。
20代後半だろう。手入れの行き届いた金髪に、落ち着いた知性を感じられるアッシュブルーの瞳、鼻筋の通った整った顔。そして何より体の内側から滲み出てくる、自信に満ちた余裕ある態度。
——いやいやいやいや、ないないないない。
ディアナは激しく思う。
こーんないかにもお金持ちで美男で人生勝ち組みたいな男性。いろんな女性からアプローチを受けているだろうし、どんな美女でもよりどりみどりだろう。
わざわざこんな地味な文官のディアナに自ら縁談を申し込んでくる意味なんて。どう考えてもまったくない。
だがいつまでも無言を貫き通すわけにもいかず、ディアナはあいまいに軽く頭を下げる。
「ディアナ・ハース2級速記官です。こちらこそ、素敵にインタビューをまとめていただいて、ありがとうございました。今日は、ウィザーさんにお目にかかれる予定だったと記憶しているのですが……?」
「ウィザーは前の取材が押しているようで、大変申し訳ない。あなたに早く会いたくて、私だけ先に来てしまいました」
これ以上なく完璧に、爽やかに、ナリック・タンゲラーが微笑みかけてくる。
舞台の上の俳優みたいだ。華やかで、人を惹きつけて、そして素の顔が見えてこない。
でも、ディアナはこの人の舞台に上がるにしては、あまりに大根役者だ。取り繕っても、うまくいくはずがない。だから、率直に、飾り気のない態度で答えることにする。
「こちらの広報官も同席する予定なのですが、どうやら遅れているようです。申し訳ありません、今、広報オフィスに迎えにいってきますので、少々お待ちいただければ」
「いや、キーレさんなら、もうお目にかかりましたよ。私が見たがった広報資料を取ってきてくださるとのことで、少し前にオフィスに戻りました。もうそろそろ帰ってくる頃合いじゃないかな? 座って待っていませんか」
言いながら、ナリックは自分の目の前のソファーを手のひらで指し示す。
ディアナはちらりと廊下の奥まで目を走らせる。まだ広報官の姿は見えない。
トビアス・キーレは、魔術裁判担当の広報官で、2級魔術師でもある。口の達者な彼に、早く間に入ってほしい。
応接室のドアは開け放ったまま、ゆっくりとソファーの入り口近い方の席に浅く腰かける。
ナリックは、身を乗り出すようにして自分も前のめりに座った。
「またお目にかかれて、本当に光栄だ」
「また……? どこかでお会いしたことがありましたっけ?」
ディアナは首を傾げる。まったく記憶にない。こんな外見のインパクトが強い男性、一目見たら覚えていそうなものだが。
「ええ。と言っても私が一方的に。取材前に、ウィザー記者に裁判の傍聴を許可してくださったでしょう? 私も同席させてもらったんです。魔術裁判なんて、普通は見学できないからね。専門用語はあまり理解できませんでしたが、大変な収穫があった。あなたに出会った。一目で射抜かれて、裁判中、速記官席のあなたばかり見ていた」
真剣に熱のこもった目で見つめられて、ディアナはとても居心地の悪い思いを味わった。無意識に、指でロニーからもらった指輪をそっと撫でる。
「だからすぐに、あなたのご実家に婚約を申し込みました」
「申し訳ありません。縁談の話は聞いていますが、辞退させていただきます」
「そうやって断られるのが怖くて、一目でもあなたに会いたくて、部下の仕事についてきてしまうくらいには、私はあなたの虜です。どうか少しだけでも、この哀れな愛の奴隷にご慈悲をいただけないでしょうか。私の女神、せめてこれから一緒に夕飯でもいかがですか?」
あいのどれい。なんか大変な職業の人が来た!
ディアナはますます無理やり舞台に立たされた素人役者の気分で、棒読みで決めゼリフを吐いた。
「もうしわけありません。わたしには、こんやくしゃ、が、おります、ので」
言いながらわずかに動揺が滲んでしまったのは、勘弁してもらいたい。こんなことがなかったら、一生言わなかったセリフナンバーワンだ。
ナリックは、ディアナの左の薬指におさまっている指輪をじっと食い入るように見た。
「ああ、そのようですね。おかしいな、先週調べた時には、まだ誰とも婚約してなかったはずだ」
「調べられた探偵の方が、見落としてしまっていたのかも」
「なるほど。きつくクレームを入れなくては」
苦笑しながら、つい、と手を伸ばされる。
手を取られる予感がして、とっさに引いたら腕をつかまれた。
「でも、まだ遅いことなんてないでしょう? 私は、」
「大変お待たせしました!資料をお持ちしましたよ!」
陽気なキーレ広報官の声が聞こえて、助かった!と思った瞬間——
つかまれた腕の力が、ぐっと強まる。ディアナの耳の奥で、ぱちん、ととても大きなシャボン玉が弾けるような音がした。
そして、目の前から世界が消えた。
「ディアナさん?……ディアナさん!起きてくださーい」
大きめの声で呼びかけられて、急に意識が覚醒する。
一瞬、どこにいるのか分からずに、目を瞬く。
トビアス・キーレ広報官が、陽気な笑顔をこちらに向けている。
「お約束の時間です。ローレンス・ウィザー記者をお連れしましたよ」
「こんにちは、お邪魔します。おや、ハースさん、お疲れですか?」
「ディアナさんがうたた寝するとか、レアな光景が見られて僕たちラッキーですねぇ」
気遣いの微笑みを浮かべた新聞記者のウィザーが、キーレ広報官の隣に並んでいる。
ここは——先ほどの応接室……?
「あれ、ナリック・タンゲラーは?!」
すっかり自分を取り戻したディアナは、キーレ広報官をとっさにすがりつくように見る。
彼がちょうど部屋に入って来たところからの記憶が飛んでいる。
「え?何のことです?」
キーレ広報官は、不思議そうに首を傾げた。
「誰もいませんよ? ディアナさん、夢でも見てたんですかね??」
「——ナリックって、俺の上司の、ですか?」
眉をひそめたウィザー記者に、慎重に尋ねられる。
ディアナは深くうなずいた。
「はい、そうです。ウィザーさんのいる社会部のトップの方だと言ってました」
「あーー、あの人、イケメンで印象に残りますもんねぇ。俺と一緒に裁判見学した時、ディアナさんもご覧になっていたんじゃないですか? あんまり美男子だったから、さっきの夢に出てきてしまったのかもね」
ははは、と、笑い飛ばされる。
でも、それでは、説明がつかない。ディアナはどうして彼の名前を知っているのか。
笑うウィザーの顔を見返す。その目はしかし、完全には笑いきっていないように見えた。もしかしたら、とディアナの直感がささやく。ウィザーは何かを勘付いているのかもしれない。
その彼が、ひとまず夢の話としてこの場を納めようとしている。だったらディアナも、それにひとまず乗ってみようと思う。
第一これ以上、消えたタンゲラー家の御曹司の話をしても埒が明かなそうだ。
だから、ディアナはソファーに座り直し、すべてを受け取って鷹揚にうなずいてみせる。
「そうかもしれませんね。ちょっと疲れているのかも。今晩はゆっくり長めに寝ることにします」
「それがいい。正常な判断をするには、冷静な対応が一番だ」
ウィザーは穏やかに同意した。
その後は、まるで何事もなかったかのように、会話が弾んだ。記事の反響が大きかったことや、来週エドワードに取材をすることなどなど——さんざん話して、和やかに面会の時間を過ごした。
エドワードの記事も掲載されたら、打ち上げでみんなで呑みましょうか!というところにまで話が流れたところで、ウィザー記者はよっこいしょっと立ち上がった。
その彼の足元の革靴は、使い込まれてツヤがない。靴底のかかともかなりすり減っているのが見て取れて、足であちこち歩き回って取材しているのが一目でわかる。
ピッカピカに磨き上げられたナリックの上等な靴よりも、これくらい擦り減った忙しない靴のほうが、ディアナは好きだ。とても安心できる。
キーレ広報官が出口まで廊下を先導し、ディアナとウィザーが並びながら歩く。
「ああ、今日はいい天気ですね」
通用口のドアを押し開けて、キーレが快晴の青空をあおいで目を細める。
その瞬間、ディアナの手のひらの内側に、小さく固い何かが押し込まれた。
「それでは、また。ご連絡しますね」
軽く手を上げて、ウィザーが足取り軽く去っていく。
ディアナは自分のオフィスエリアに戻り、トイレの個室に入って、手の中のそれをそっと開く。
小さく折り畳まれた紙だった。
走り書きが、あった。ウィザーの字だ。
——タンゲラーの件、内密に相談あり。ぜひ婚約者と一緒に。
連絡先として、下町地区の住所が書かれていた。
小さく折りたたみ直し、ジャケットの内ポケットに大事にしまい込む。
白昼夢のように過ぎ去った、謎のひとときを一瞬思い出してため息をついてから、ディアナはオフィスに戻った。
今は、いつもと変わらず仕事に打ち込むのが一番だ。
それ以外のことは、後でロニーに相談しよう。
どこか落ち着かない気分で午後の残りの仕事を片付けて、仕上げるべき反訳原稿はすべて仕上げて提出した。
終業時間と同時にオフィスを出られる用意をする。
弾丸みたいに飛び出していこうとするディアナを見て、パムが目を丸くした。
「あれ、ディアナ先輩、今日もデート?」
「急いでるから、ごめんね!また明日!!」
ディアナは走ってロッカールームに立ち寄り、髪が乱れるのにも構わず、門を飛び出した。
——いた!
いつもディアナの帰りを待っていてくれる、世界で一番何より安心できる場所。まっしぐらに突進する。
思いっきりガバッと飛びついた。
「うっぉ!なんでタックル?!」
「ロニー!これほんとにロニー!?」
抱きついたまま、ペタペタ背中を触って確かめる。
なだめるように、ぽんぽんっと自分の背中を叩き返してくれる大きな手がある。
ああ、実感してしまう。
ディアナは、この手が本当に大好きだ。
「わぁぁ、ほんとにロニーだぁー!よかったー!」
「落ち着け、どうした」
「うえーん、怖かったー!!」
「何があった。ってか、お前、腕に防御パッチ貼りっぱなしじゃねぇか。本当にどうした。珍しいな」
仕事を終える時に、いつもは何にも考えなくったって無意識に剥がす魔力防御のパッチ。それをつけたまま忘れるくらいに、ディアナは動揺していた。
ブラウスの袖をめくって、ロニーがそっとパッチを肌から引き剥がしてくれる。
「何だ、これ」
ロニーが氷のような声で、ゆっくりと、押し殺したように言った。
ディアナは、ぼうぜんと、それを見た。
「……これ、さっき、腕を、つかまれた、とこ」
パッチで隠れていた肌に、いつの間にか、黒い円形のシルエットが浮かび上がっている。
一頭の竜が、大きな口を開いて、自分の尾を飲み込もうとしている模様だった。
この紋章のことを、ディアナは昔、歴史学の論文で読んだことがある。
ぼんやりと、その名前が口から転がり落ちた。
「ウロボロスの、竜……?」
ぎりっとロニーの奥歯が大きな音を立てる。
「ディア、これ、誰にやられた。どこで。何でだ」
「今日の来客に、つかまれた、ところ」
「わかった」
低く吐き捨てると、ロニーは問答無用でディアナを抱き上げる。
「ろ、ロニー?」
「お前の上司と話をしないと」
「えっ、ロニー?」
「お前のオフィス、3階だったな」
「えっ、まさかのお姫様抱っこで行くの?!」
「当たり前だろ。俺のディアナを見せびらかす」
「当たり前じゃないよねソレ!!?」
つかつかつかと早足で、裁判所の通用門をロニーがまかり通っていく。
帰宅しようと次々出てくる事務官たちが、逆流してくる鬼の形相のロニーと、その腕にがっちり横抱きにされて真っ赤に慌てふためくディアナを交互に見て、何事かとざわついている。
「ろ、ロニー、私、もう大丈夫だから」
「俺が大丈夫じゃねぇ」
「ロニー、怖い!速い!怖い!」
階段をほぼ駆け上がりながら、ロニーはぎっちぎちにディアナを抱きかかえて離さない。
ぐらぐら揺れる視界に、ディアナはロニーにしがみつくのが精いっぱいだ。
あまりのことに涙目になっている彼女の顔を見て、ロニーの額の青筋が、これまた怖い。完全に激怒している。
「絶対に許さねぇ。絶対に、だ」
——いや、この涙は、ほぼほぼロニーのせいだと思うよ?!怖いよ!!?
内心で悲鳴を上げながら、それでもディアナは笑ってしまう。
こんな時でも、この人といたら、笑顔になれてしまう。
幸せが、胸を焼く。泣き笑いで、ディアナは言った。
「ロニー、だいすきぃぃぃぃ……!!!」
「えっ、お前、今ここでそれを言う?!!!」
真っ赤になったロニーが急に立ち止まる。思いっきり天上を仰いで吠えた。
「くっそ!この悪魔め!!うちに帰ったら覚えてろ!!!あーくっそ、今すぐ家に帰りてぇぇぇぇぇ!!!!」
「いやもういいから、おふたりさん。とっとと中に入って?」
大変冷静な声で言われて、二人そろって飛び上がる。
上司のサンドラ・リードが、苦笑いでオフィスのドアを開いて、手招きしていた。




