(7-2)こんやくしゃ、は我に返る
ディアナは放心し続けた。
家に帰るまでもよく覚えていないし、翌日からの休みの2日間も、正直よく覚えていない。
だってロニーが近すぎるのだ。
正気になりかけたら、至近距離にロニーがいる。
また放心して、気づいたらゴロゴロ部屋で抱きかかえられて昼寝している。
また放心して、食事の時間になったら、抱きかかえられたままご飯を口に運ばれる。
また放心しているうちに、休日が溶けてしまった。
次に我に返ったのは、出勤して、オフィスのデスクに腰を落ち着けた時だった。
いけない。今日は午前中に大きな裁判の速記が入っている。
腑抜けているわけにはいかないのだ。
とたんにディアナの顔に生気が戻った。
不思議な夢から醒めた気がする。
「ディアナせんぱーい、ランチになったらお話し聞かせてくださいねー。とにかく午前中はお互い頑張りましょー!」
隣の席のパムがニヤニヤしながら言って、飴をひとつ、机の上に置いてくれる。
「あ、甘いものは当分いいかもしれない……」
ぬふふ、と、ただただパムが含み笑いした。
絶対、何かを見透かされている気がする。
それでも、午前中の仕事にはいつもどおり全力投球して、その日のランチタイムの職員レストラン。
パムはいつものパンケーキを食べている。
ディアナは、チキンピラフにした。サラダはついているけれど、甘いものは一切ついてこない。
「それでそれで? その指輪はなんなんですか?」
ズバッとパムがいきなり核心に切り込んだ。
一瞬、周囲がいきなり静かになった気がする。
びっくりして周りを見回したら、いつも通りのレストランの風景だった。
ディアナがパムの言葉に動揺しすぎたせいなのかもしれない。
気を取り直して、水を飲む。
「えっと、あのね、実家から見合いの話がきまして」
「うはぁ」
「この間、パムに綺麗にしてもらって、ビストロに行ったでしょ。その時、ロニーにお見合いのことを話したら」
「うんうん」
パムが固唾をのんで身を乗り出す。
「この指輪をくれて」
「え、見せてみせて。わぁ、これ純金っぽい。埋め込まれてる石ってブラックダイヤとイエローダイヤ?!やばっ!色鮮やか!ロニー先輩の本気がすごい。完全に俺の色とディアナ先輩の色、って感じだぁ。それで、なんて言って渡してくれたんです???」
「この指輪のことを聞かれたら、こ、こんやくしゃがいる、って言っとけって」
「え、それって実質プロポーズじゃないですか!?」
パムは大声で叫ぶ。
ディアナは何にも言えなくなって、ピラフをひたすら咀嚼した。よく味がわからない。
「ディアナ先輩、大丈夫? ロニー先輩の押しに流されてない?」
「流された、かもしれない」
かもしれない、じゃない。完全にこの2日間、押し流された。砂糖の激流だ。ディアナが抗えるわけがない。
「もし本当に流されるのが嫌だったら、ちゃんとふたりで話し合った方がいいですよ? 一生のことなんだから」
「嫌、では、ない」
「うふふ、ないんだ?」
「嫌じゃないんだけど、私、もうずーーーーーっと、ロニーに追いつきたくて」
「うんうん」
「そればっかり目標にして、長いこと頑張ってきたから。なんか急に、結婚とか、愛とか、恋とか、もう、よくわかんなくて」
「追いついた先のこと、今まで考えられなかったってこと?」
「うん、たぶん、そう……ずっとロニーが待っててくれたんだと、思う」
「待っててもらえて、どうでした?」
「すっごく、うれしい。……だって、ロニーって、本当にすごい魔術師で、なんでも魔術でできちゃって、私の憧れで、いつもそばにいてくれて、一緒にいられるとホッとするし、一緒にいられないと寂しいし、でも彼ひとりでいると生活に手を抜くからすっごく心配だし、もう今さら離れるとか考えられないし……」
「先輩、熱烈にロニー先輩のこと好きなんですねぇぇ」
「ううううう」
ディアナは思わず背を丸めて、両手で顔を隠した。顔を隠してみても、手も首も真っ赤になっている。
「す、好きぃぃぃぃぃ」
言い表せる言葉が、もうこれしか見つからない。
「ひゃぁ、ディアナ先輩がかわいすぎる。やめて、これ以上かわいい姿を見せないで!私、絶対ロニー先輩に殺されるぅ!お願いだからそれ、直接ちゃんと愛しの婚約者様に言ってあげてくださいね」
「む、むり……死んじゃう……」
「やめて。上目遣いやめて。かわいすぎて私まで死んじゃう!先輩もう……とにかく食べましょ!お昼休み終わっちゃうといけないし、私も死にたくないし」
こくこくとうなずいて、味も何もわからないままに、とにかくピラフを口の中に押し込む。
なんとか完食して、少し平常心が戻ってきた。
そうしたらレストランの様子が気になって、ディアナは首を傾げてしまう。
「パム、なんか、すすり泣いてる人いない?」
「いますねぇ」
「何人かいる感じじゃない?」
「そこそこいますねぇ」
「みんな仕事で辛いことがあるのかなぁ。たまにトイレで泣いてる声とか聞こえることあるよね」
「そうですねぇ。たった今、辛いことがあったんでしょうねぇ」
悟り切った年配の学者みたいに静かにうなずいて、パムは立ち上がる。
「まぁ、ほっとけばいいんですよ。人生、頑張ったもの勝ちです」
「パムって時々、達観したおばあちゃんみたいなこと言うよね」
「そうそう、私、おばあちゃんスキル高いんです。微弱な予知魔術使えたりするし、大昔だったら、こいつ魔女だーって言われて迫害されてるタイプ」
「ええ、そんな貴重な魔術使えるの?!」
「あんまりいい気分じゃないですよ、人の運命がちらっと見えちゃうの。だからこっちの世界に来たんです。来て正解だった。魔術と関係ない能力でちゃんと評価してもらえるし、やりがいありますよねー」
「パムかっこいいねぇ」
「10年我慢してたロニー先輩ほどじゃないです」
「うんうん、ロニー、かっこいいよねぇ」
「ああもう、ごちそうさまです!お幸せにね、先輩!」
パムに洗いざらい話したら、ディアナはだいぶすっきりしてしまった。
これでロニーの砂糖攻撃にも、少しはちゃんと向き合える気がしてくる。いや、どうだろう。自信はないけれど。
「先輩、午後から来客でしたっけ」
「そうそう、この間の新聞記者の人がお礼の面会に来てくれることになってて」
「ええ、男性でしたっけ? 大丈夫? 記者さん、ロニー先輩に燃やされちゃわない??」
「大丈夫だよー。奥さんのいる人だし、広報担当の人も同席するし。私の学生時代の話を聞いて、次はエディを取材したいって言ってて、正式に決まったんだって。そのお礼もあってお菓子を持ってきたいって」
「へぇ、エディさんが。そりゃ楽しみだ!」
「ね!」
ローレンス・ウィザーというその記者は、20代半ばほどの青年で、たぶんディアナとそんなに歳が変わらない。ユーモアあふれる口調で丁寧にディアナから話を聞いて、嘘のない素敵な記事に仕上げてくれた。
取材手帳に大事に布のしおりを挟んでいたので、聞いてみたら、
「いやぁー、うちの奥さんが結婚前にくれたやつなんですよ。仕事に持ち歩いていたら、元気をもらえる気がして」
とあたたかい照れ笑いで教えてくれた。まったく悪い人には思えない。
午前中に速記した原稿の反訳に取り組んでいるうちに、面会の時間がくる。
ウィザーとの会話を思い返し、穏やかな気持ちで階下におりる。いくつかある応接室のうち、指定された部屋のドアをノックしてから開ける。
しかし、
「初めまして」
そこにはまったく知らない男性が、にこやかに立っていた。
ディアナはちらりと室内に目を走らせる。他には誰もいない。
「大変失礼いたしました。部屋を間違えてしまったみたいです」
「いえ、ディアナ・ハースさんですね?」
「……はい?」
「どうやら、私の釣書をまだご覧いただけていないようだ」
愉快そうに、男は笑った。




