(6-7)ディアナの困惑
1週間の出張から帰った翌日、ディアナは上機嫌だった。
お土産を渡したパムに、
「先輩、めっちゃウキウキですねー?なんです、今晩デートですか??」
とニマニマされたくらいには、顔に出ていたらしい。
「行ってみたかったビストロ、ロニーが予約を取っておいてくれたの。すっごくお肉が美味しいんだって!」
「ロニー先輩、抜かりないですねぇ。ディアナ先輩、とりあえずお肉食べさせとけばご機嫌ですもんね」
「そうだねー、お肉は正義だねー」
うなずいてから、一呼吸おき、出張報告書を書き始める。
書くべき内容は、現地滞在中にまとめてある。あとは、もう一度点検して、清書してから提出すればいい。そうしたら、明日からは2日間のお休みだ。
スムーズに進めて、あと少しで完成というところで、遠慮がちな声に呼ばれた。
申し訳なさそうな顔で、受付事務の女性が立っている。
「どうしました?」
「ディアナさんに面会希望の方がいらしていて。弟さんと名乗る若い男性の方です。この名刺を見せればわかるから、と」
差し出された名刺は、王都でも有名な商会のもので、書いてあった名前はマルス・ハース。
まさかの実家の人間だった。もう二度と会わないつもりだったのに。
一瞬どうしようもなく不快な気持ちが湧いて出て、すぐに折り合いをつける。
「確かに、私の弟の名前ですね。茶色の髪と、榛色の目をしてましたか?」
「はい、髪の毛はそんな感じの方でした。ご実家のことでご用があって、できればすぐにお目にかかりたいと」
「わかりました、上司に話してから降りて行きますね。お手数ですが、応接室に通しておいていただけますか」
「かしこまりました」
アポイントなしの突然の来客など異例だ。突然来られてもめったに会うことはない。
だが、弟ならば、仕方ない。
いや、はねつけて、会わなくてもいい。けれど、もし会う必要があると食い下がられて繰り返し来られたら、職場に迷惑がかかってしまう。
さっさと話を聞いて、さっさとお帰りいただくのが一番だと思う。できればもう二度と関わらないでくださいとも言っておきたい。
「ディアナ先輩、実家と仲悪いんじゃなかったでしたっけ……?」
「うん、縁を切ったつもりなんだけどね。向こうはそのつもりじゃないのかもしれない」
「大丈夫ですか? 私も一緒にいきましょうか?」
「ありがとう、でもパムは自分の仕事をしてね。私は大丈夫だから」
心配そうなパムに微笑みかけ、上司に事情を説明してから、ディアナは1階に降りる。ロッカールームに立ち寄って、ロニーのブレスレットをつける。上からぎゅっと握りしめる。
——大丈夫、これが私を守ってくれる。
もう、成人している自分は、実家から法的には自由だ。あの人たちに、振り回されない。
いつもと同じ表情を貼り付けて、応接室をノックする。
扉を開ける。
とたんに座っていた男が立ち上がった。
穴の開きそうな勢いで、ディアナを凝視した。
その姿に、祖父母の葬儀の日に会った少年の姿が重なる。
たしかに、これは、ディアナの弟だ。
ディアナからかける言葉は、今もない。
「…………ディアナ姉さま」
しばらく謎の無言の時間がすぎて、それからようやく、とてもとても晴れやかに、マルス・ハースは笑った。
昔よりは背が伸びて、たぶん21歳になっているはず。
この人に、そんなふうに呼びかけられた記憶がない。
ディアナは特に感慨もなく、初対面の押し売りに対応するがごとく、事務的にソファーを手で示した。
「お待たせしました。おかけください」
「ありがとうございます」
何が嬉しいのか、こぼれ落ちそうに笑みを振り撒きながら、マルスは腰かける。
この感じだと、本気で急ぎの話ではなさそうだ。
冷静に判断し、ディアナは先手を打って、速やかな退出に備えることにした。
「申し訳ないのですが、仕事の都合であまり時間を取ることができません。ご用件はなんでしょうか?」
「ああ、ディアナ姉さま、お会いできて最高に嬉しいです。本当にお綺麗だ」
マルスは、うっとりと目を細めている。得体の知れない色を帯びたその目に、ぞわりとディアナの背筋に鳥肌が立つ。
念のために応接室のドアを開けっぱなしにしておいてよかった。
初対面の押し売りに、こんな目で見られたら速攻で警備員を呼ぶ。
弟だからと一瞬自分に言い聞かせてみたものの、あっという間に限界だった。
ディアナの警戒をものともせずに、じっと瞬きも忘れたように凝視してくるこの男から、なるべく距離を置いておきたい。
軽く身を引いて、事務的に、ディアナは繰り返す。
「それでご用件は?」
「……父からこれを預かってまいりました」
マルスは我に返ったようにまばたきをした。
それから無造作に、机の上に置いてあった封筒をディアナに向けて押しやる。
「なんですか?」
「見合いの釣書です」
「お断りします」
ディアナは即答した。迷う要素がひとつもない。
「私は、ハース家と関わるつもりはありません」
「でも、父は納得しないと思います。だって、あなたはまだ、ハースを名乗っている」
「名前だけです」
「世間はそうは思わない。あなたが新聞に取り上げられてからすぐに、縁談の申し込みが4件もきました。放っておいたら、もっと増えることでしょう。姉さまはまだ、ハース家の人間なんです」
「なんて古臭い。すべてお断りください」
うんざりして、ディアナはちらりとドアの方を見る。
今すぐ出ていきたいが、もうちょっとだけ辛抱してみる。だって一応、いい大人だもの。
「古臭いけど、田舎の旧家なんて、そんなものじゃないですか? 僕は王都で勤めてますから、そんな風習、うんざりですけど」
にっこり笑うと、マルスはあっさり立ち上がる。
このまま居座られたら本当に警備員を呼ぶべきか、内心で検討し始めていたディアナは密かにホッとした。
さすがにあまり大事にはしたくない。
「どうぞこの釣書は姉さまがお預かりください。1週間後に再びまいります」
「いえ、検討するつもりはないです」
「でも、ここで釣書を置いていかないと、僕は父に叱られてしまう。ご理解ください。ああ、ディアナ姉さま」
マルスは出口で立ち止まる。絡みつくようなまなざしで。
「困ったことがあれば、僕はあなたを助けます。いっそ一緒に王都から逃げましょう。どこか別の場所でふたりで幸せに暮らせばいい。遠慮なさらないでください」
悲劇のヒロインを助けようとするヒーローみたいな口調だった。
ディアナが被った大人の皮が、パァーンとはげしく弾け飛ぶ。もともと厚くもない皮だ。
めんどくせぇ、気持ち悪りぃ、とディアナの中のロニーが悪態をつく。あいつ、燃やしていいんじゃね?
うんうんと内心で激しくうなずきながら、ディアナの表情筋はほとんど死んでいる。
ぞんざいな口調で答えた。
「いや、だから、そもそも検討するつもりがないんで」
「来週、ご一緒に夕飯でもいかがでしょう。とっておきのレストランを予約しておきます」
「は?いや、行かないよ?」
「それでは、また来週」
「いやいや、来週仕事忙しいから」
言うことだけ言い終わると、すっきりしたように気取った一礼をし、マルスは出て行った。
「待って、釣書持って帰って、あ、ちょっともう、いやいやいやいや、人の話を聞けーぃ」
とはいえ追いかける気にはなれず、どっと疲れて座り込む。
なんだろう、あの得体の知れない生き物は。
あんな調子で、本当に商店員として働けているのだろうか。
ディアナの話をろくに聞こうとしないあたり、父にとても似ている気がする。
——困ったことがあれば、私を助ける?
それをいつもしてくれているのはロニーだ。間違っても、お前じゃない。
置き去りにされたまま、袋から取り出してもいない釣書らしきものを眺めて、ディアナは遠い目になった。
「ディア、どうした、すっごく疲れてるな」
夕方、迎えにきてくれたロニーは、ディアナの顔を見るなり顔を曇らせた。
手を伸ばして、頬を撫でる。
よっぽどひどい顔をしているのだろう。こういうとき、変に隠すとロニーが心配する。
ディアナは素直に白状した。
「いやぁ、ろくでもないことがあってさぁ。食べ終わったら話すね。今はとにかく忘れて、お肉食べて元気になりたい」
「そうか?なら、いっぱい食えよ。ただし後で絶対聞き出す」
「わかった。あぁあぁ〜、せっかくロニーがスーツ着ておめかししてくれてるのに、こんなげっそり顔でごめんねぇぇぇ。大した話じゃないんだけど」
「お前だっておめかししてるだろ。ハイヒール、疲れるか?店、別の日にしてもいいんだぜ」
正直、弟から受けた精神的ダメージが大きくて、終業時間までぐったり気味だったのだけれど。
ディナーに備えて、ロッカールームで持参したワンピースに着替えているうちに、だんだん気持ちが上向いてきた。
「せんぱーい、メイクしましょ、メイク!めっちゃかわいくしちゃいましょ!」
そう言うパムは、両親が家で美容室を開いているという。メイクが得意な彼女に顔を整えてもらって、髪も綺麗に結ってもらう。最後にずっとずっとお気に入りのイチゴの花の金細工を髪に飾ったら、もうディアナはだいぶ回復していた。
「パム、ありがとうー!大好きー!」
「私も大好きー!でもそれロニー先輩の前で絶対言わないでねー!」
「えっ、なんで?」
「なんでも」
その時のやたら真剣なパムの顔を思い出して、ディアナはクスクス笑ってしまう。
パムも協力してくれた。ディアナからみても、鏡の中の自分はいつもよりかわいく見えた。せっかく素敵にオシャレできたのだから、あとはめいっぱい楽しい食事を味わいたい。
だからロニーの手を捕まえて、ぶんぶん振った。そのまま離さず歩く。ディアナが元気になる一番の方法だ。
「やだ。帰らない。絶対お肉食べるの。肉。にくにく」
「そんな綺麗な格好して肉肉いうの、お前くらいじゃねぇの」
「だってしょうがないじゃん?肉なんだから」
「はは。いっそ開き直りが心地いいな。牛肉ブロックのオーブン焼きがすっげぇうまい店らしいぞ」
「何それー!絶対食べるー!!」
いざそのビストロで食べたオーブン焼きは、じっくり長時間かけて焼き上げた牛肉がとろけるようにジューシーで、付け合わせのマッシュポテトもきめ細かくて、クレソンまでもしゃっきしゃきに新鮮で、
「ロニー先生、これ、すっごくけしからんやつですな!」
「けしからんね」
「本当に罪深いー、ぺろっと大量に食べれちゃう〜」
ディアナは食べた。ひたすら食べた。個室を予約していてくれたから、人の目を気にすることもない。
出張中のあれやこれやをロニーに報告しながら、やっぱり食べた。
「ああーなんて幸せなんだろうー」
「はは。そいつはよかった。デザートどうする?」
「うーーーん、シャーベットくらいなら入るかなぁ……」
「盛り合わせ頼んでふたりで分けるか」
「それ最高!」
デザートまで完食して、紅茶で口の中を温める。
なんとなく、ふたりの間に満足しきった沈黙が落ちる。
「ディア」「ロニー」
ほとんど同時に呼びかけてしまって、顔を見合わせて笑ってしまった。
「なぁに?ロニーからどうぞ」
「いや、ディアの方からにしよう。嫌なことがあったんだろ?さっさと吐き出して楽になっちまえ」
「あー、いや、嫌なことっていうか。ロクでもないことっていうか」
ディアナは苦笑いすると、隣の椅子に置いてあった自分のカバンから、例の封筒を取り出した。
まだ、中身は確認してしていない。
「今日、実家から、お見合いの釣書が来まして」
「………………は?」
ロニーの声が、地に這った。




